読書『建築の条件 「建築」なきあとの建築』(LIXIL出版)(序章~第7章)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『建築の条件 「建築」なきあとの建築』(LIXIL出版)(序章~第7章)

福岡acad.で建築の勉強会をはじめるにあたり、(株)藤井設計室・藤井さんご夫妻にご相談に行ったときに、「この本を読んでみて」とお借りした本のなかの1冊です。

読むのに少々時間がかかりました。理由は明らかで、わたしがこのところ読んでいる本のなかでは珍しく「文体が固かった」ことと「他論文や他著からの引用が多かった」こと。つまり学術的な文章だったから、ということですね。時間はかかりましたが、内容は実に興味深く、途中で放棄することなく(笑)読了です(^^)

以下、備忘。


  • 社会が建築をつくる(序章)
  • 視覚に先鋭化していく方向と、視覚を相対化していく方向(人間に内在する問題)
  • 近代市民社会の発生は、芸術や娯楽をそれまでの貴族のたしなみから解放し、多くの人々が享受できるものへと変容させた。(第5章消費性)
  • 消費され消えていくデザイン(第5章消費性)
  • 世のなかが強い個性を敬遠する状況(第5章消費性)
  • 無個性、少衆、カタログ化は、強いひとつの個性に対立する概念である。(第5章消費性)
  • 間々田孝夫『第三の消費文化論―モダンでもポストモダンでもなく』(ミネルヴァ書房、2007年)(第5章消費性)
  • 富のある者は、富の形(スタイル)を欲するのではなく、純粋に生活の質を上げるために富を使うのである。もちろんそこにそれぞれの美的趣味はあるだろうが、それが社会的にひとつの形に昇華することは現在のところないように思う。(第6章階級性)
  • 平準化はファッション、建築に限らず、さまざまな社会現象として現れたのだが、芸術も例外ではなかった。(第6章階級制)
  • グローバルとローカルの相克は有史以来存在した。政治・経済・文化の拡張が見られるところには、程度の差こそあれ二つのベクトルが必然的に顕在化する。(第7章グローバリゼーション)
  • スロー文化(第7章グローバリゼーション)
  • この時(国民国家の境界線が溶解した時)、文化が国民国家の秩序維持のツールである必然性を失うのである。(第7章グローバリゼーション)

 

『建築の条件 「建築」なきあとの建築』(LIXIL出版)(序章~第7章)より


続き(第8章~終章)はまた次回(^^)