東長寺でダライ・ラマ法王。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

東長寺でダライ・ラマ法王。

写真は別の日の東長寺。明らかに季節が違いますが、ご容赦を。

「ダライ・ラマ in 福岡」。今にも雨が降り出しそうな二十四節気の小雪。ダライ・ラマ法王の声を聴きに行って参りました。

ダライ・ラマ14世のお話を聴く機会に恵まれたのは二度目。一度目は13年前子どもがお腹のなかにいたときに、熊本・玉名にいらっしゃると聞いて、こんな機会一生に一度あるかないかだ!と佐賀から車を走らせたのでした。

今回は博多・東長寺とあって、まさか二度目の機会があるなんて、しかもこんなに近くにいらっしゃるなんて!と申し込んだのでした。13年を経て、おかげさまで無事にここにおります、という気持ちで会いに行きました。

チベット語でのお経の奉納では、ここ数年の日本の自然災害による被災者の方々や被災地のことを思って祈ってくださいました。続く法話では、「禍」のときにどうそれを乗り越えるのか、心の持ちようについて説いてくださいました。

13年前のときのお話は(あくまでも、わたしの記憶に残っているものですが)「自我と無我」のお話でした。今回は「空(くう)」のお話。般若心境のなかにも現れる「空」ですね。

空(くう)である。すなわち、すべてのものには微塵たりとも実体性が無い、ということ。実体があると勘違いするから、そこに執着その他が生まれるというお話は、なんとなく分かるような気がしました。

そして「平らかな心」を保つことこそが「禍」を乗り越えるのに役立つということ。菩提心=利他の心を高めていくことが大切であるということ。これらを会得するために、般若心経を唱えることが必ず力になるということ。

というわけで、単純なワタクシ、しばらくお休みしていた「朝から声に出してお経を読む」を、復活しようと思います。

チベット語を日本語に通訳してくださった女性の方がすごいな、と思いました。話し方が前回と同じような印象だったので、同じ方だったのかもしれません。チベット語で仏教の専門領域のことばが次々と出てくるお話を、そこにいる人たちにわかりやすくその場で日本語にして伝える技術。すごいなぁとつくづく思いました。

ところで「ダライ・ラマ法王に会いに行きました」と書きましたが、実際にはお堂の奥でお話をなさった法王の姿はわたしの席からはまったく見えず、入場される際のお姿をかろうじてちらりと拝見しただけとなりました。それでも、その場に行くことができて良かったな、と思います。

感謝。