読書『孤蝶の城』(新潮社)桜木紫乃著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『孤蝶の城』(新潮社)桜木紫乃著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚でゲット。初・桜木紫乃さんです。気になりながらも、これまで桜木紫乃作品を読んだことがありませんでした。本書のことは、少し前に新聞の書評欄で目にし、カルーセル麻紀さんがモデルになった小説とあって、興味が湧いていました。

わたしが初めてテレビのなかの彼女を見たのは、小学校高学年頃だったと思います。その記憶が正しければ、約40年前。カルーセル麻紀さんは40歳前後だったはず。男性的な顔と女性的な顔を使い分けながら、周りを笑わせ場を捌く姿に、存在感とカッコよさを感じたのが、第一印象でした。本書のストーリーは、30代後半頃までの設定だと思いますので、わたしが彼女の存在を知ったのは、本書で描かれるあれこれがあった後、ということになります。

ぐいぐいとストーリーに引き込まれたのは、その設定の興味深さや起こる出来事の衝撃故というよりは、主人公・秀男(カーニバル真子)の人間的な魅力故であったと思います。展開から目が離せない=秀雄から目が離せない感覚がありました。ラスト、ぼろぼろの状態で泣いている主人公に投げかけられる「それが、今日の仕事なんです」のマネージャーの言葉と、「仕事」の一言で涙がぴたりと止まるシーンが、強く胸に刺さりました。

本書の前編となる著書『緋の河』があることを、「あとがき」で知りました。これを機会に、桜木紫乃作品、読んでまいりたいと思います。

来年の手帳を手に入れたら、整理整頓モードに突入。

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来年の手帳を手に入れたら、整理整頓モードに突入。

今年もそんな季節です。先日お茶のお稽古で博多に出たついでに、手帳を購入。あいかわらずデジタルのスケジュール管理機能は使わず、「紙」派です。手帳を選ぶのに何時間もかけていた時期もありましたが、買うものが決まっていると、ラクですね。そして、ここに行けばそれがある、とわかっていることも嬉しく。4年連続で使っているものを、博多駅アミュプラザにお店のある「Smith」でゲットしました。

この手帳のお気に入りポイントはいくつもあるのですが、その一つが、12月できっちり終わっているところ。来年以降の予定を書き込む機会が増えてくると、そろそろ来年の手帳買わなきゃ、となるので、切り替えやすいのです。

新しい手帳を手に入れてまずするのは、「大切な決まり事」を書き写すこと。「利休七則」「南方流茶道訓」「経営理念」などなど。今回は、先日作り上げた「仕事哲学(ワーク・フィロソフィー)」があらたに仲間入りです。

新しい手帳へのお引っ越し作業は、ほんものの引っ越し作業のように、断捨離を伴います。断捨離ということばはあまり好きではないので、整理整頓といった方が良いですね。諸々の予定などを手帳を書き写しながら、物理的に整理整頓すべきものをも書き出していきます。年内に切りよく済ませたいこと、来年以降に持ち越すべきもの、この一年で新たに生まれたものもあれば、要らなくなったものもあり。

この週末は、ゆっくり手帳仕事です。

読書『彼女の思い出/逆さまの森』(新潮社)J.D.サリンジャー著/金原瑞人訳

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読書『彼女の思い出/逆さまの森』(新潮社)J.D.サリンジャー著/金原瑞人訳

サリンジャーといえば『ライ麦畑でつかまえて』。野崎孝訳が我が家にもあります。が、これまでに何度も読もうとしたものの、毎回途中で(それも、かなり早いタイミングで)閉じてしまっておりました。

本書『彼女の思い出/逆さまの森』は、サリンジャーの短編集。2022年7月の発行ですので、新訳版ということかな、と思いつつ、短編なら読めるかも、と気軽に手に取りました。短編が9つ。タイトルにもなっている『逆さまの森』はこの中では一番長いものでしたが、それでも中編というほどもない量でした。

全編に漂う、独特のブラックユーモアというか、毒というか、興味深く嫌いではない世界観でした。短編は、ひとつづつ完結させながら1冊を読むことが出来る良さがありますね。電車のお伴に最適です。隙間時間読書で、気がついたら読了していました。

収録されているすべての物語が面白く、今まで『ライ麦畑でつかまえて』を読み進めることが出来なかったのは、たまたまだったのかもしれないという気がしてきました。読了後さっそく何度目かの『ライ麦畑…』を手に取ることに。短編の読後感が余韻として残っている勢いで読めるだろうと思っていたのですが、やはり十数ページで脱落。うーん。

『ライ麦畑でつかまえて』が名著であるというのは古今東西の皆さまがおっしゃっていることなので、揺らぎようの無いものだと思います。でも、どうやらわたしには合わないようです。あるいは、もしかしたら訳との相性もあるのでしょう。試しに別の方の訳書を探して見ようかな、と思いました。

また本書を読んで初めて知ったのですが、サリンジャーは実は短編の書き手なのですね。訳者あとがきに、サリンジャー本人が「僕は短距離走者で、長距離は得意じゃない。」と言っている言葉が紹介されているのを読んで、ちょっぴりホッとしたところでした。ともあれ初サリンジャーで、短編のすごさに触れましたので、まずは他の短編も読んでみようと思います。

11月末は、南青山の百福(ももふく)さんで「藤吉憲典展(磁)」。

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11月末は、南青山の百福(ももふく)さんで「藤吉憲典展(磁)」。

写真は、先日百福さんから届いた、個展案内状。画像をクリックすると拡大でご覧いただくことが出来ます。

藤吉憲典展(磁)百福さん

百福さんとのお付き合いは、町田にももふくさんがオープンなさったときから。当時佐賀の山奥にあった花祭窯まで、オーナーの田辺さんがいらしてくださったのでした。一年おきに開催していた町田での個展。実はわたしは町田生まれです。10歳で引越しをしてからなかなか行く機会の無かった生誕地に、ももふくさんのおかげで足を運ぶ理由が出来たのは、個人的にとてもありがたいことでした。

昨年、百福さんが南青山にお店を移転なさったので、今年からは南青山へと場所が変わります。コロナ禍下で動きが縮こまりがちであったところに、百福さんから移転のお話を聞き、その攻めの経営姿勢に脱帽し、同世代としてとても勇気づけられました。

いつもの百福さんの、新しい場所での個展。藤吉憲典としても初心に返るような気持で臨んでいるようです。10月に入って、飯碗・湯呑など、ふだん使いの器がどんどん出来上がっているところ。会期スタートの11月下旬に向けて、あと3回ほど本窯を焚く予定ということなので、その意気込みの大きさが伝わってきます。


藤吉憲典展(磁)
百福 momofuku
2022年11月26日(土)-12月2日(金)※会期中無休
12時-18時※最終日17時まで
東京都港区南青山2-11-6-1F
TEL03-6447-0952


お一人でも多くのお客さまに、藤吉憲典の器の現在をご覧いただけると幸甚です。

アート・エデュケーターとしての、ワーク・フィロソフィー。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

アート・エデュケーターとしての、ワーク・フィロソフィー。

上の写真は、わたしに美術教育、アート・エデュケーションという仕事があることを教えてくださった師である、齋昌弘先生の「大きな羊の見つけ方」の表紙帯。齋先生との出会いは2016年の10月のことでした。

それから6年後となる先日受講した宮本由紀さんの講座で、アート・エデュケーターとしてのわたし自身のワーク・フィロソフィーについて考える機会をいただきました。。

そもそも「work philosophy」とは何ぞや!?単純に翻訳すると「仕事哲学」です。会社でいうところの「経営理念」、芸術家にとっての「アーティスト・ステイトメント」というようなこと、かな。フリーランス=個人の名前で仕事をするにあたり、大切にしているもの。「哲学」という言葉はしっくりきます。さらに言えば、仕事がそのまま人生である人(わたしもそうですが)にとっては、人生哲学ともいえるのかもしれません。


アート・エデュケーターふじゆりの哲学。

WHY なぜその仕事をしているのか。

結婚を機に「工芸・アート(美術)」の世界に入りました。ギャラリーを回るなかで、お客さまに接するなかで、すぐに「自分の美意識(価値観・世界観)で作品を評価出来る人が、いかに少ないか」に気づきました。「やきものが好き、アートが好き」と言いながら、個別の作品について「これが好き、これが良いもの」と、自分の言葉で言える人がとても少なかったのです。自分のモノサシを持たず、他者の評価がないと、決めることが出来ない人たち。一般のお客さまだけでなく、ギャラリストをはじめとしたアート関係者にもそういう方が少なくなかったのは、ショックでした。

わたし自身は、仕事として美術の世界に入ったのは26歳からですが、「自分の好きなもの・自分にとって良いもの」を評価することは、それ以前からずっと、あたりまえのことでした。ですのでこれは、単にアート(美術)の問題にとどまらず、生き方全般に関わることだと思いました。「自分で決めることが出来ない」人々を目の当たりにして、自分で決めることが出来る人を増やしたいと思ったことが、根本的な動機・使命としてわたしのなかに芽生えました。美しいものとはどのようなものか、大切なものは何か、自分自身のモノサシを持ち、判断できる人は、自分の人生を豊かにすることが出来ると思うからです。

そんなわたしの課題を解決する方法として、美術が使える=アートエデュケーションの意味・価値・方法を最初に教えてくださったのが、齋昌弘先生の美術教育の講座でした。齋先生に出会ったのは、博物館学芸員資格を取った後のことでしたから、最初に課題を見つけてから10年以上が経っていました。「これが自分の探していたものだ!」と、長年のモヤモヤに一つの道が開けて、興奮したのを覚えています。自分のこれまでのキャリア・経験がすべて無駄なく生かせる仕事であり、注ぎ込むべき仕事だと思いました。

WHAT 何をしている人なのか。

アート・エデュケーターです。「Meet Me at Art アート(美術)を使って自分と出会う」をテーマに、活動しています。美術・工芸に関する知識の教授、美術・芸術教育情報の提供、セミナー・研修会・会議の企画開催、美術に関する講習会および美術鑑賞セミナーの企画・開催、美術・工芸・芸術に関する書籍・テキストの制作…などが、Meet Me at Artの仕事、アート・エデュケーターとしてのわたしの仕事です。

HOW 具体的にどのような活動をしているのか。

美術を使った教育プログラム(アート・エデュケーション)を提案・実施しています。対話型鑑賞法(ビジュアル・シンキング・ストラテジー)や身体的なアプローチによる美術鑑賞、自分の内面と向き合う美術的コラージュ制作のワークショップなど。それぞれの手法で「見る(触る)」「分析する」「解釈する」「言葉にする」トレーニングを行うことにより、観察力・想像力(創造力)・表現力を育みます。視野が広がり感性が磨かれると、他者の評価に惑わされない自分自身のモノサシができます。美術を使ったプログラムを通して、自分軸のモノサシを会得し、磨いていくお手伝いをいたします。

まとめると…

「Meet Me at Art」アート(美術)を使って自分と出会う。「見る(触る)」「分析する」「解釈する」「言葉にする」アート・エデュケーションを通して、観察力・想像力(創造力)・表現力を育むお手伝いをしています。視野を広げ感性を磨き、自分自身のモノサシができると、毎日はもっと面白く豊かになります。不確実性の高い現代をしなやかに生きる人を、美術を使ってサポートします。


思いのほか時間がかかりました。常日頃から考えていることなので、すんなりいくと思ったのですが、文字にまとめるとなると、またひと手間ですね。これからも、場面や自分自身の成長に合わせて、少しづつブラッシュアップしていくことになると思います。まずはこれが出来上がったことで、確実に自己紹介がしやすくなりました。ワーク・フィロソフィーを言語化する。分野を問わずフリーランスで活動する方々は、この手順で自分の「哲学」まとめてみると、活動の核となると思います。あらゆる選択・決定の場面で、立ち戻ることのできる核があると、ブレない行き方(生き方)ができるだろうな、と。

花祭窯の神無月の庭。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の神無月の庭。

台風の影響で潮枯れした庭を心配していたのは、先月末のこと。

それからひと月と経たないうちに、復活の兆しを見せる植物の皆さんの強さに感動している今日この頃です。

マリーゴールド

↑まずはマリーゴールド。実は中心の茎が台風の強風でポッキリと折れてしまっていたのですが、折れて倒れた先から根付いて、あれよあれよという間に緑の葉っぱが伸び出し、つぼみがたくさんついた!と思ったら、ついに開花いたしました。すごいです。

キンモクセイ

↑こちらはキンモクセイ。これも台風のあとは葉っぱがほとんど落ちてしまい、今年はさすがに無理かな、と思っていたところでした。ところが先週末から香りがふんわりとしてきて、あれ?と思ったら、我が家のキンモクセイでした。現在満開です。

ハナモモ

↑こちらはハナモモ。春に咲くハナモモですが、潮風で葉っぱが枯れたあと、緑色の葉っぱが出てきたと思ったら、花が咲きました。植物に詳しい友人に聞いたところ、ダメージを受けた後に、季節外れの花や実をつけようとするのは、種の保存の本能だそうです。

柘榴

↑ザクロもだいぶ色づいてきました^^

植物の生命力に驚きつつ喜びつつ、です。

レンタルオフィス@なごみ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

レンタルオフィス@なごみ。

上の写真は、現在なごみのフォトスポットになっている、フラワーウォール。造花ですが、一つ一つの花がとても繊細につくられていて、圧巻です。

さて、レンタルオフィスなごみ(津屋崎千軒なごみ)。前に「一人朝活用に最適!」という記事を書いたのは、梅雨時期のことでした。使い方としては、コワーキングスペースなごみ、あるいは、シェアオフィスなごみ、と言っても良いかもしれません。が、その実態は「和室の貸室」です。

仕事の種類のうち、「急がないけれど重要な仕事」をきちんと進めるためには、自分と時間を約束することが大切なのですが、その予定にしていても、ついつい別の仕事を入れてしまうということが多々。自分とのアポは後回しにされがちです。そのため、自分一人でできそうな仕事でも、他の人とのアポをとることで強制的に進める、なんてことを度々しています(付き合ってくださる皆さま、ありがとうございます)。

同様に、なごみでやるべき仕事を決めてしまい、なごみの部屋を予約することで、その時間帯はその仕事を必ずするように仕向けることが出来るます。気づいてはいたけれど、実際にスタートしたのはこの秋から。いわば「なごみとのアポ」ですね。歩いて3分ですから、散歩がてら向かうのも、頭のスイッチ切り替えにちょうど良く。

1時間の予約で使うと、限られている時間に終わらせてしまおうと必死になるので、まあ、はかどります。1時間は、あっという間。そのうち、午後はなごみで仕事、なんて使い方になってくるかもしれません。意思の力で難しいことは、仕組化してしまうのが一番ですね。なごみはそもそも観光案内の拠点施設ですので、このような使い方が本道ではありません。そのうち人気が高まってきたら、予約が取れなくなるかもしれないな、とも思いつつ。大丈夫な間は、なごみが近所にあるラッキーを、フル活用しようと思います。

「アートの仕事」の講座で、自分の仕事を考えた。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「アートの仕事」の講座で、自分の仕事を考えた。

【フリーでアートの仕事をする】について、ガッツリと考えることのできる講座に参加してまいりました。主催してくださったのは『英語でアート』の著者であり、さまざまな「アートの仕事」をしておられる、Art Allianceの宮本由紀さん

この分野では、日本での第一人者でいらっしゃると思います。このような立ち位置でアート関連の仕事を本業にするということは、そもそも日本では概念がなかったので。わたしにとっては、水先案内人的な存在。そういえば3年ほど前にも、アートの仕事について考える機会を作っていただいたのでした。

今回も、ご自身の体験をもとに、実践的なアドバイスをたくさんいただくことが出来ました。わたしにとって、これまでやってきたこと、今取り組んでいること、アートエデュケーターとしてこれから進むべき方向性を整理整頓する、最適な機会となりました。

以下、備忘。


  • Why you are not an artist. →We are artists in our way of life.
  • 覚悟・信頼・運。
  • 日々淡々ときちんとやっていれば、それに見合った仕事が向こうからやってくる。
  • ビジョンを持ち、そこに合わせて必要なスキルを身に着けて行けばOK。
  • 遠くに視点を合わせれば、ブレない。
  • フロントエンド(コマーシャル商品)→バックエンド(ほんとうに売りたいもの)。
  • 教える:自分にしかできないことは何か?=すでに自分のなかにあるマニアックなもの。
  • 本の出版=名刺代わり:自分がオンリーワンになれる分野について書く。
  • アート×○○→オンリーワン。
  • B to B。
  • ワーク・フィロソフィー:Why / What / How
    • なぜその活動をしているのか。
    • 何をしている人なのか。
    • 具体的にどのような活動をしているのか。
  • 学びは手段ではなく、目的であり、人生そのもの。
  • 知識、才能、技術力より「人間力」。

3時間があっという間の講座でした。自分の仕事について根本的に考える機会は、よほど意識して時間を確保しないと、日々の業務に流されて後回しになりがちです。おかげさまでガッツリ考える時間となりました。

読書『ギャッツビーがグレートな理由(わけ)』(彩流社)小野俊太郎著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ギャッツビーがグレートな理由(わけ)』(彩流社)小野俊太郎著

いつものカメリアステージ図書館をぶらぶらしていて、目が合った本です。このタイトル!心のなかで爆笑しました。読まないわけにはいかず、借りて参りました。

「ギャッツビー」は、もちろんフィッツジェラルドの『The Great Gatsby』です。

著者の小野俊太郎氏は文芸評論家。正式タイトルは、「1冊で完全攻略!『ギャッツビー』がグレートな理由 映画と小説の完全ガイド」なので、冷静に読めば、なるほどガイド本か、となるのですが、目に飛び込んでくるのは

『ギャッツビー』がグレートな理由

の文字ですから、面白すぎます。

ギャッツビーを深読みするための情報がてんこ盛り。わたし個人的には、小説の日本語訳者による違いや、映画・ドラマ化された作品の比較の視点での解説が面白かったです。わたしが読んだのは「野崎孝版」でしたが、別の翻訳者でも読んでみようかな、という気持ちになりました。また映画はデカプリオ版しか見ていませんでしたが、ロバート・レッドフォード版も見てみたいな、と。上の写真、文庫の表紙裏に出ている写真が、それですね。

それにしても、『ギャッツビー』がグレートな理由、で一冊本ができるということは、同じ手法でいろいろな本が出来そうです。書棚に並ぶタイトルを眺めながら、どんな本を出せるかな、とニヤニヤしております。

我が家の食器棚は、花祭窯資料の宝庫。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

我が家の食器棚は花祭窯資料の宝庫。

上の写真は、美しく整理整頓されているとはお世辞にも言えない我が家の食器棚。使っている器の八割から九割は藤吉憲典の器で、あとは土ものと漆器とガラスと…ということになります。磁器以外のものも、知り合いの作家さんのものであったり、お取引先のギャラリーさんが扱っていらっしゃるものであったりします。こんなふうに、あたりまえに「いい器」を使うことが出来るのは、この仕事が生業であるゆえの贅沢。この点だけは、子どもに好い環境を用意してあげることが出来たかな、と。

ただ、藤吉の器を使っているとはいっても、ばっちり数を揃えているようなものはほとんど無く、ご覧のようにバラバラです。創業時から現在まで、サンプル崩れや半端もの、ちょっとお客さまには出せないな、というようなものが一つ、また一つと増えて、我が家の食器棚の中身を構成しています。

これまでに作ったものがある、ということは、そのまま形や文様の資料がそこにあるということ。そのなかでも自然と「よく使う器」というのは決まってくるもので、棚の手前に並ぶのは使いやすい器ということになります。器の使い勝手が並びに現れるというのは、無意識の結果だからこそなお、説得力を持ちます。

ときどき棚の奥から「そういえばこんなの作ったな~」というものが出てきたり、「あの器があったはず!」と探せば見つかったり。作家に言わせれば「昔作った未熟な仕事を見るのは恥ずかしい」のだそうですが、当時は当時で、できる限りの全力を傾けて作っていますから、未熟ながらも一生懸命さが伝わってきて微笑ましいものです。

ここ数日、ダンナが我が家の食器棚を眺めているのは、11月下旬からスタートする、南青山の百福さんでの個展に向けて、今まさに食器をたくさん作っているから。以前つくったものも、今作ればはっきりと進化を感じるものが出来上がります。それでこそ「セルフ写し」をする価値があるというもの。藤吉の器の愛用者の一人としてのわたしは、「また作って欲しいもの」をさりげなく食器棚の前方に配置して、制作意欲につながるよう環境整備(!?)です。