「必要」か、「選択」か。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「必要」か、「選択」か。

「必要」の結果ではなく、「選択」の結果であることが重要だというメッセージ。先日観てきたばかりの映画『アムステルダム』からの問いかけが、頭に残っています。

映画の中で問われていたのは、人間関係における位置づけでした。一緒にいるのは「必要だから」ではなく「一緒にいたいから」であって欲しいというのは切実な想いだよなぁと思いつつ、このセリフが繰り返されるたびに、わたしの頭はついつい仕事のことを考えておりました。

そもそも花祭窯が提供しているのは、必要なものというよりは、アムステルダム風に言うならば「選択」のもの。アート作品はもちろん、食器であっても、それが無いとどうしても困るという類のものではありません。だからこそ、そのものに対する特別な愛着・情熱が不可欠です。

選ぶ人に合わせるのではなく、合ったものを選んでもらう。そのためには、選ぶ人の前に、合うだろうものを差し出すことが出来ているか、が一番の肝となります。誰の前に出すか、どこに出すか。そして、そのモノの性質をよく見てもらえるように、準備・工夫が出来ているか。

対価として比べられることなく、純粋に「これが好き」と選んでもらえることは、人だけでなく、モノにとっても嬉しいこと。そのためにも出会いが大切なのだよね、と、この仕事を始めて以来ずっとある命題を、あらためて考えたのでした。

アート×ウェルビーイング:認知症サポーターになりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

アート×ウェルビーイング:認知症サポーターになりました。

アート・エデュケーターとして、博物館リンクワーカー人材養成講座で学ぶなかで、社会教育施設としての博物館学芸員が、地域での役割として福祉の現場とつながっていくのは、とても自然なことだと感じています。

福祉を専門的に学ぶには時間がかかるにしても、認知症サポーターになることは、誰もが無理なくできる第一歩。さっそく認知症サポーター養成講座を受講してまいりました。

講座の時間は約1時間半。短い時間のなかで、簡潔にわかりやすい説明がなされ、講座が終わる頃には、認知症への理解がすっかり上書きされました。わたしは4年間ほど、高齢者福祉施設を複数抱える社会福祉法人で人材育成の仕事をしていたことがあり、ある程度の理解しているつもりでした。が、10年以上のブランクのあいだに、認知症の解明も大きく進み、取り巻く環境も変わっています。それがわかったことが、まず大きな収穫でした。

今回の認知症関連イベントは、市内の大型ショッピングセンター内のホールで開催されました。市役所の高齢者サービス課、地域包括支援センター、地域の薬局、生活支援コーディネーター、福祉施設運営者など、さまざまな立場の方々が協力して運営なさっており、「リンクワーカー」の在り方を目の当たりにする機会にもなりました。

一番大切なのは「心のバリアフリー」=まずは自分の意識を変えることから。認知症サポーター(=地域で暮らす認知症の人とその家族の応援者)宣言をし、その意思表示である「オレンジリング」をいただきました。今日から認知症サポーターです。

映画『アムステルダム』を観てきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『アムステルダム』を観てきました。

つい先日『ダウントン・アビー』を観てきたと思ったら、それは先月の「映画の日」でしたので、もう一か月経ったということですね。上の写真は映画とは全く関係がありませんが、オランダ・アムステルダム空港で撮ったKLM機。

「歴史を変えた陰謀の“裏側”…ありえないけど、ほぼ実話」のコピーに引っ張られ、近代史の裏側を覗く気分、事件あるいはサスペンスを想定して映画に臨みました。が、観終わったときにはむしろ、普遍的な「友情・愛情の物語」であり「生き方」の物語だったと思いました。

映画のなかで「『必要』か、『選択』か」という問いかけが何度も出てきます。「必要」の結果ではなく、「選択」の結果であることが重要だというメッセージが、とても響きました。また正確な字幕は覚えていませんが「人生は愛と芸術にこそ意味がある」というニュアンスのセリフが登場します。これもまた金言。このセリフ通り、美しい衣装や美術も見応えがありました。そしてなにより、主役三人の存在感が美しかったです。

主役の三人のなかでは、マーゴット・ロビー演じるヴァレリーの美しさが眼福。そしてジョン・デヴィッド・ワシントンの「目」が、とても素敵でした。周りを固める俳優陣の顔ぶれが豪華ということでも話題のようです。個人的にはマイク・マイヤーズがMI6の諜報員として出ていたのが、ツボでした。

ロンドン個展の案内状が届きました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ロンドン個展の案内状が届きました。

NEW PORCELAIN SCULPTURE by Kensuke Fujiyoshi SLADMORE CONTEMPORARY
NEW PORCELAIN SCULPTURE by Kensuke Fujiyoshi @ SLADMORE CONTEMPORARY
藤吉憲典ロンドン個展2022
NEW PORCELAIN SCULPTURE by Kensuke Fujiyoshi @ SLADMORE CONTEMPORARY

ロンドンSLADMOREより、11月16日オープンの個展案内状が届きました。前回の個展から「e-invite」=電子案内状をメールでご案内するようになっています。個展出品作品のカタログも「e-catalogue」が先行してギャラリーのトップクライアントに送られます。世界のどこにいるコレクターさんにも、同じタイミングで作品閲覧機会を提供できるということですね。

11月に入り、準備も大詰め。ドキドキワクワクです。

読書『緋の河』(新潮社)桜木紫乃著

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読書『緋の河』(新潮社)桜木紫乃著

カルーセル麻紀さんをモデルとした小説。新刊棚にあった『孤蝶の城』を読み終わったのは、つい1週間ほど前のことでした。

読み終わってあとがきを読んで、それが『緋の河』の続編であり完結編であったのだと知り、さっそく「その前」である本書を借りて参りました。読みたいときに読みたい本が手に入る、ご近所図書館のありがたさです。

『緋の河』良かったです。『孤蝶の城』も面白かったですが、それを超えて面白かった。図らずも順番を逆にして読んでしまいましたが、これがまたわたしにとっては良かったです。『孤蝶の城』で出てくる回想風景の原風景を『緋の河』のあちらこちらに見つけることが出来たのは、宝探しに似た面白さがありました。それにしても、前編にあたる『緋の河』を読まずに後編である『孤蝶の城』を読んでも、まったく違和感がなかったことを、あらためて思いました。すごいですね。

主人公・秀雄(カーニバル真子)の少女時代(少年時代?)を紡ぐストーリーは、切ないながらも凄みを感じました。あとがきで著者が、カルーセル麻紀さんの物語は「ほかの誰にも書かせたくなかった」と書いていて、その執念が書かせた本だと思えば、凄みがにじみ出るのも当然かもしれないな、と思いました。

カルーセル麻紀さんがモデルではありますが、登場人物の構成や出来事は、ほとんどが虚構であるといいます。モデルその人の壮絶な人生の物語と、小説家ならではの想像力が爆発した小説です。前編部分を読み終えて、もう一度後編を読みたくなりました。

「博物館リンクワーカー人材養成講座」に向けて、自分の立ち位置を考える。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「博物館リンクワーカー人材養成講座」に向けて、自分の立ち位置を考える。

今年も11-12月にかけて、九州産業大学の緒方泉先生をリーダーとする「博物館リンクワーカー人材養成講座」が開催されます。このタイトルで開催されるようになったのは2021年度からですが、

実はそのさらに前、2018年の「2025年問題に向けた高齢者の健康と博物館の役割」の連続講座で、すでにその流れは始まっていました。

今年度の連続講座開催に先立ち、そもそもリンクワーカーとはなんぞや?と、今更ながらに思いました。その先駆的な取り組みをしているのは英国で、これまでの学芸員研修会でも、英国の美術館の事例を学んできました。

あらためて復習して思ったことは、リンクワーカーはリンクワーカーでも、アートエデュケーターとしてつなぐ先は、美術に関連する活動や組織や施設であればこそ、その専門性が生かされるということ。アートを軸とすることで、そこから広がる活動にも「わたしが関わる意味」がはっきりするだろうな、と思いました。

読書『教養としての着物』(自由国民社)上杉惠理子著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『教養としての着物』(自由国民社)上杉惠理子著

上の写真は「着物の夫人」藤吉憲典作の陶人形。

本書タイトル正式には『世界のビジネスエリートを魅了する 教養としての着物』です。「世界のビジネスエリート」とか「教養としての」とかを頭に付ける流行りは、まだまだ続いているのね…と少し斜めに見ていたら、本書の「おわりに」で、タイトルに「教養」がついていることに関して『そもそも「教養」とは何でしょう?』と問題提起されていて、一本取られました。その問に対する回答もおみごとです。

着物の基本的な知識から着こなしのための知恵まで、盛りだくさんです。とくに日本の伝統文化としての着物の歴史的背景などは、知らなかったことも多々ありました。また着物の文様と、肥前磁器の文様とは共通するものが多く、その点では理解しやすいことが多かったので、あらためて親しみがわきました。「着物は絵画を身にまとう衣装」というのは、なるほど納得です。

著者プロフィールにある肩書は「和装イメージコンサルタント」。今年前半に読んだ『人生を変えるクローゼットの作り方』を思い出しました。ニューヨークの高級デパートで、富裕な顧客へのファッションアドバイスを40年以上続けている、ベティ・ホールブライシュの自叙伝『A LIFE IN STYLE, WITH A TWIST』です。日本でもパーソナルスタイリストという仕事が認知されてきた現代、和装(着物)のスペシャリストの存在は、心強く頼もしいものでしょう。

わたしはが着物を着るのは、お茶のお稽古やお茶会のタイミング、あるいは仕事で海外に行くときなど、限られています。本書を読んで、少しづつ着る機会を増やして行こうと思えました。わたしの場合、ご近所に着物のプロ「時代屋」さんがあるので心強いです。

特別展のあとは文化交流展示室@九州国立博物館。

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特別展のあとは文化交流展示室@九州国立博物館。

九州国立博物館の常設展示・文化交流展示室。前回伺ったのは5月。半年近く経っていましたので、展示入れ替えが進んでいる部屋がいくつもあり、今回も見応えがありました。ちょうどこの日から、テーマ展示「いつもそばにいた 人と動物のアジア」がスタートしていたので、グッドタイミングでした。特に第8室の「シルクロードの動物たち」が良かったです。

やきもの関連では、多彩な江戸文化を紹介する第11室で、特集展示「御所の器」として古伊万里が展示されていました。江戸末期から明治のものが多かったです。公家好みなのでしょうか、染付の器の数々が、デザインも作りも絵付けも単調で面白くないのが残念でした。煙草盆やキセルは良かったです。お隣の第10室「九州陶磁の華 田中丸コレクション」は、安定の充実ぶり。今回も素晴らしい器を拝見して、大満足しました。

文化交流展示室には、修学旅行と思しき学生さんたちの姿が戻ってきていました。美術館・博物館に子どもや学生の姿があるのは、とっても嬉しいですね。やっと通常の状態に近づきつつあるのだな、と思いました。最後は大好きな第6室「アジア人の理想の姿」へ。仏像の皆さんにご挨拶して、大満足。

特別展 ポンペイ@九州国立博物館。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

特別展 ポンペイ九州国立博物館

九州国立博物館での今回の特別展は、一番楽しみにしていたポンペイ展。九州国立博物館の周囲は、いよいよ紅葉シーズンがはじまろうかという雰囲気でした。ロンドンに行ったときに古代ローマ帝国の気配を感じる遺跡で感動したのは、5年前のこと。あの感動が蘇ってくる展覧会でした。

ポンペイ展、よかったです!会期中に時間が取れたら、もう一度観に行きたいと思っています。特に素晴らしかったのが、モザイク画の数々。かなり期待して出かけましたが、その期待を上回る良さでした。朝一番に出かけたので、まださほど混んではおらず、至近距離でじーっと見たり、少し離れた場所から眺めたり、時間をかけて拝見することが出来ました。

数々のブロンズ像も素晴らしかった。いくつかのブロンズ像の、練りガラスではめ込まれた「目」に惹かれました。大理石の石像も素晴らしかった。…と、嬉しいばかりの展示でした。全ての作品が撮影可能(フラッシュは禁止)というのも、国内の展覧会では珍しく、良かったと思います。資料保存の観点から許されるものについては、こういう方向になっていくと良いですね。あちらこちらで、自分のお気に入りを撮る方々がありました。

ちなみにわたしが撮ってきたのは、この1枚。

このほか、黒曜石の盃、エメラルドと真珠母貝のネックレス、カメオ、ヘビ型ブレスレット、イセエビとタコの戦い(モザイク)などが、目に留まりました。

特別展「ポンペイ」のサイトでも、いくつかの顔ぶれをご覧いただくことが出来ます。

読書『孤蝶の城』(新潮社)桜木紫乃著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『孤蝶の城』(新潮社)桜木紫乃著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚でゲット。初・桜木紫乃さんです。気になりながらも、これまで桜木紫乃作品を読んだことがありませんでした。本書のことは、少し前に新聞の書評欄で目にし、カルーセル麻紀さんがモデルになった小説とあって、興味が湧いていました。

わたしが初めてテレビのなかの彼女を見たのは、小学校高学年頃だったと思います。その記憶が正しければ、約40年前。カルーセル麻紀さんは40歳前後だったはず。男性的な顔と女性的な顔を使い分けながら、周りを笑わせ場を捌く姿に、存在感とカッコよさを感じたのが、第一印象でした。本書のストーリーは、30代後半頃までの設定だと思いますので、わたしが彼女の存在を知ったのは、本書で描かれるあれこれがあった後、ということになります。

ぐいぐいとストーリーに引き込まれたのは、その設定の興味深さや起こる出来事の衝撃故というよりは、主人公・秀男(カーニバル真子)の人間的な魅力故であったと思います。展開から目が離せない=秀雄から目が離せない感覚がありました。ラスト、ぼろぼろの状態で泣いている主人公に投げかけられる「それが、今日の仕事なんです」のマネージャーの言葉と、「仕事」の一言で涙がぴたりと止まるシーンが、強く胸に刺さりました。

本書の前編となる著書『緋の河』があることを、「あとがき」で知りました。これを機会に、桜木紫乃作品、読んでまいりたいと思います。