読書『DEEP LOOKING』(AIT Press)ロジャー・マクドナルド著-その1

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『DEEP LOOKING』(AIT Press)ロジャー・マクドナルド著-その1

アートNPO法人AIT(Arts Initiative Tokyo)創設メンバーで、インディペンデント・キュレーターの著者による、美術鑑賞本。AITのアート教育プログラムMAD(Making Art Different)は、対象をアート関係者に限らず、現代社会において有用で興味深いものが多く、わたしもこちらのサイトをよく覗いています。

ここ7-8年でたくさん出てきた「美術鑑賞関連本」。本書もその延長線上で語られる本かな、と思いつつ手に入れました。読んでみると、従来の諸説からさらに深い考察が繰り広げられ、思いがけず嬉しい驚き。さっそく実践に取り入れたい内容であり、すぐにそれができるように、ナビゲートもしっかりしています。

以下備忘。


  • アートは「デザイン思考」などのようにメソッド化できるものでは決してなく
  • メソッドとは対極にある肉体回帰的なアプローチこそがなくてはならない
  • 鑑賞者を無条件に惹きつけるような作品はいつだって、そうしたマニュアルの存在しない身体的なプロセスから生み出されてきた。
  • 肉体を通じて意識を変化させる「道具」としてアートが秘める可能性
  • 「観察」のもつ力
  • 観察は(中略)「見る」行為と「待つ」行為からなる
  • 対象をただ漫然と眺めるのではなく、(中略)、全身的な「見る」
  • attend
  • (鑑賞時間が短いと)絵画のもつ表層的なイメージをただ消費するだけで終わってしまう。
  • 何かを深く観察(ディープ・ルッキング)するとき、(中略)いつもの意識状態を離れ、非日常的な意識状態へと「旅に出て」いる
  • 非日常的な意識状態において注目すべきは、平時の凝り固まった思考から解放され、自由にクリエイティブに思考できるということ
  • 近代以降の大量消費社会においては、(中略)観察が非常に実践しづらくなってしまっている
  • 近代の大都市が秩序を保つための大事な要素は、この「共通の時間」である
  • 何かを深く観察したり、何かに深く集中したりすると、むしろこの「共通の時間」から外れていく
  • 鑑賞者は作品をほとんど「見ていない」
  • その美術館が鑑賞の質についてどれくらい考えているのか
  • 鑑賞者が作品と一緒に「過ごす」
  • 「関係性の美学」(作品と鑑賞者の関係性)
  • 展示空間がもちうる本来の豊かさとはなにか
  • 対象となる事物を深く見つめ、言語化衝動にあらがってありのままを観察することで、思考に新たな広がりが生まれてくる
  • 頭ではなく体から入る
  • すぐれたアート作品を観察するときは別次元の変化が起こっている
  • (アーティストが作品を作るのは、本来)「意味」とは無関係
  • アートとは本来、「意味」を考えて作ったり観たりするものではなく
  • 私たちがある作品を観察するとき、(中略)私たちの脳内における電気信号に直接反映されている

『DEEP LOOKING』第1章より


気がついたらずいぶん長くなってしまいましたので、続きは「その2」以降で。

聖福寺さんでの献茶のお手伝いに参加してまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

聖福寺さんでの献茶のお手伝いに参加してまいりました。

9月5日は栄西禅師の命日。日本最初の禅寺と言われる聖福寺開祖の栄西禅師は、日本に「茶」をもたらしたと言われています。毎年、その前日9月4日に聖福寺の開山忌・栄西禅師の供養が行われています。わたしが入門している茶道南方流・円覚寺は、聖福寺さんの塔頭であり、毎年献茶を行っています。わたしがはじめてお手伝いに参加したのは、3年前のことでした。

お手伝いといっても、わたしにできるのは献茶式に使う道具を運ぶぐらいのこと。それでも、式典がスタートする時間にちょうど良いようにお湯を沸かし運ぶタイミングなど、いろいろと学ぶことが多く。また、献茶式の様子を近くで拝見することが出来る、貴重な機会でもあります。献茶のお点前をする和尚様のほぼ真後ろの席でしたので、手元を拝見することはできませんでしたが、無駄のない美しい動きにため息が出ます。

始まる前のちょっとした待ち時間に、和尚様から、現在のわたし自身のお稽古の進み具合を尋ねられました。今わたしは「盆点て」のお稽古中。盆点ての先のお稽古の進み方と、わたし自身が「献茶」のお点前ができるようになるまでの道筋をざっと教えてくださり、「そのように考えると、今日みたいな献茶を見る目もまた変わると思いますよ」とご指南くださいました。このように入門者一人一人に目を配ってくださることが、とてもありがたいです。

献茶のお点前に続く読経の儀式は、これまた素晴らしい体験でした。仏殿に響く、何十にも重なるお坊様の声は、荘厳な音として体全体に響いてきます。何人ものお坊様が連なって歩きながらお経を唱えるご様子は、ちょっと異次元空間に迷い込んだ感じもして、頭のなかが空っぽになり、すっきりといたしました。

また来年、この機会が楽しみです。

郷育カレッジ講座『知識要らずの美術鑑賞』開催しました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ講座『知識要らずの美術鑑賞』開催しました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。担当講座『知識要らずの美術鑑賞』を開催いたしました。この美術鑑賞講座、郷育カレッジのプログラムに入ったのは3年前でしたが、天候不良やコロナ禍で中止が続き、昨年3年目にしてようやく初開催。

受講生と美術館に足を運び、美術鑑賞をすることを目的とした講座ですが、コロナ禍のため研修室で座学での開催となっています。今回も座学ながら、福岡市美術館さんのご協力を得て、ちょっぴり美術館訪問気分を味わっていただくことを目指しました。

学芸員技術研修会などでご一緒した福岡市美術館の学芸員さんにご相談し、福岡市美術館内での協議を経て、試験的に福津市でのアウトリーチ(出張講座)をしていただけることが決定したのは、今年度初めのこと。「福岡市」美術館なので、アウトリーチも福岡市内での対応を想定しているものの、市外からの問い合わせも増えつつあるということで、今後の市外対応可能性を検討するためのテストケースとして、採用していただくことになりました。

ひと月前に詳細打合せを行い、当日は、教育普及担当の学芸員さんがお二人、今回のアウトリーチで使用するシャガールの複製画の解説に、近現代西洋美術専門学芸員さんがお一人、計三名で対応してくださいました。ワークショップあり、鑑賞タイムあり、シンキングタイムありで、密度の濃い1時間半でした。特に、シャガール「空飛ぶアトラージュ」の複製画鑑賞後に意見交換し、専門の学芸員さんからお話を聞くことが出来たのは、受講者の皆さんにとってもとても良い時間になったと思います。

今回も満員御礼、定員いっぱいの皆さんにご参加いただくことが出来ました。福津市内には美術館がありませんが、皆さんの美術的な体験への関心の高さを強く感じた講座となりました。あらためて、講座協力をしてくださった福岡市美術館の皆さまに、心より感謝です。来年はそろそろ美術館訪問での講座ができることを祈りつつ。

読書『さようなら、オレンジ』『サンクチュアリ』(筑摩書房)岩城けい著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『さようなら、オレンジ』『サンクチュアリ』(筑摩書房)岩城けい著

岩城けいさん、二連荘。お盆に読んだ『サウンド・ポスト』が良かったので、デビュー作の『さようなら、オレンジ』(2013年)と、最新作『サウンド・ポスト』のひとつ前の『サンクチュアリ』(2020年)を連続で読みました。

『サウンド・ポスト』読後に書いた「見た目(外見)と、ことば(母語)と、音楽と、人種差別と、偏見と、経済格差。オーストラリア在住という著者の問題提起が芯を貫いているように感じました。」の感想は、「音楽」は除くものの、そのままこの2冊にも通底しました。

ともあれ2冊とも、週末の隙間時間で読了しました。どちらも160ページほど。中編とでも呼ぶべきボリュームでしょうか。短時間で読みましたが、しっかりと心に残ったのは、考えさせられるテーマ故。なかでもデビュー作の『さようなら、オレンジ』が、特に響きました。静かな文体から滲み出る迫力、登場人物の心の悲鳴のようなもの。それでもラストに見えた希望に、ある種の爽やかさのある読後感でした。

同じテーマを、姿を変えて書き続けるというのは、作家にとって難しいことでは無いのだろうか?と思ったり、逆にそのテーマがあるからこそ書き続けることが出来るのかも、と思ったり。立て続けに3冊読んだので、ちょっぴり休憩が必要です。未読の著書がまだありますので、少しおいてから復活予定。著者の、別テーマでの小説も読んでみたいな、と思いました。

『さようなら、オレンジ』岩城けい

『サンクチュアリ』岩城けい著

九州EC勉強会『早和果樹園みかんの6次産業「つくる、育てる、そして発信する」』に参加してまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九州EC勉強会『早和果樹園みかんの6次産業「つくる、育てる、そして発信する」』に参加してまいりました。

九州EC=九州ECミーティングは、経営者・ECに取り組む方々が幹事となり、事業運営に役立つ情報交換・提供を行う会です。2005年1月に「九州でも東京並みの情報が得られる場」を目的に結成され、現在も完全ボランティアで続いている、稀有な勉強会組織です。

2022年度3回目の九州EC勉強会は、農業の6次産業化事例。とのタイトルでしたが、実際にお話を伺うと、6次産業化はその途上の通過点に過ぎず、事業が今後さらに多角的に広がっていくことをイメージさせるものでした。講師は、早和果樹園の代表取締役・秋竹俊伸氏と、同社EC事業課長の青山航大氏。

九州ECの勉強会に参加するといつも感じることですが、今勢いのある経営者の方の話を聞くと、その会社の業種や事業形態やスタンス(理念)を通して、現在の日本・世界の状況が見えてきます。「今日から使える具体的な改善策」を学ぶのももちろん嬉しいですが、より大きな視点で世の中の状況が見えてくるお話を伺うのも、勉強会の醍醐味。そういう意味でも、第一部では経営のお話を伺い、第二部ではEC事業の実践的なお話を伺うことが出来た今回の勉強会は、両方の視点から学べるありがたい機会でした。

以下、備忘。


  • 果樹農家は規模拡大が難しく、栽培不振の影響は避けられず、法人化率も低い→農産加工からスタート、6次産業化による規模拡大、強い組織づくりのための法人化。
  • 現在売り上げの80%が加工品。
  • 自前=高収益。
  • 国際認証の取得→ヨーロッパへフリーパスで出せる=品質の証。
  • 大切な「みかん」を無駄にしない=みかん農家だからこそできること、大手じゃないからこそできること。
  • BtoB、BtoCともに自社主導の販路開拓。
  • 継続的なファンづくり(年1回のイベント)=地域貢献にもつながっている。
  • 拡大するには「必ず」外部の協力を求める(必要)。
  • 拡大か?自己完結型の6次化か?
  • 小さくも模倣困難性の高いビジネスモデル。
  • 売上を伸ばすには、まず人を採用。
  • ホワイトな就職先としての農家。
  • 独立自営の農家ではなく、「農家に就職する」が一般的になることの意味。
  • 日本国内における農業法人の割合と、農産物生産の割合→食料自給率向上への光。
  • MQ会計。(参『中小企業は「原価計算」で損をしている』(日経BP)古田圡 満氏)。
  • (独立自営の農家としてではなく)「農家に就職する」が一般的になることの意味・効用。

九州EC勉強会『早和果樹園みかんの6次産業「つくる、育てる、そして発信する」』より


日本の農業と食糧自給について、深く考えさせられる内容でもありました。そして、そこに一縷の光があることを確信出来たお話でした。花祭窯の創業地・佐賀花祭も、みかん栽培農家さんが何件かいらっしゃいましたが、どこも後継ぎが無く、年々耕作放棄の農地(果樹園)が増えて行くのを目の当たりにしていました。今回のお話で、方法はあるし、そこに携わろうとしている若い人も居ることがわかり、大きな希望を感じました。受け皿となる早和果樹園さんのような会社が、全国にたくさん生まれることを切に願う勉強会でした。

藤吉憲典のボンボニエールが、ふるさと納税返礼品に新登場。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

藤吉憲典のボンボニエールが、ふるさと納税返礼品に新登場。

花祭窯では、工房のある福津市のふるさと納税返礼品に提供協力をしています。

この8月から提供内容の一部が新しくなりました。

ふるさと納税がはじまった当初から人気の蕎麦猪口3客組、5客組に加え、昨年からは牡丹唐草文のマグカップや祥瑞文のマグカップを追加。そしてこの夏からは、藤吉憲典最新作のボンボニエールシリーズが登場しています。

染錦網桜文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦網桜文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦蓮華文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦蓮華文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦牡丹唐草文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦牡丹唐草文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦柿右衛門調ボンボニエール 藤吉憲典
染錦柿右衛門調ボンボニエール 藤吉憲典
染錦蛸唐草文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦蛸唐草文ボンボニエール 藤吉憲典
赤絵万暦ボンボニエール 藤吉憲典
赤絵万暦ボンボニエール 藤吉憲典

いずれも、ふるさと納税お申込みを確認してからの制作となり、3-4か月ほどお待たせいたしますので、何卒ご了承くださいませ。

福津市でのふるさと納税の使い道には、世界遺産である新原奴山古墳群の整備をはじめとした文化事業をお選びいただくことが出来ます。

機会がございましたら、どうぞご覧になってみてくださいね。

現在、下記ふるさと納税サイトでご紹介中です。

ふるさとチョイス

ANAのふるさと納税

セゾンのふるさと納税

47CLUB

JALのふるさと納税

映画『レインマン』-午前10時の映画祭を観て参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『レインマン』-午前10時の映画祭を観て参りました。

2022年の目標「月に1本は(映画館で)映画を観る!」。5月・7月と見そびれてしまい、いかんいかんと思いつつ、8月ももうすぐでお終い…の前に、映画館に足を運ぶことが出来ました。

いつもお世話になっている映画館でも午前10時の映画祭をやる!と知ったのは、今年の春のことでした。気がついたら連続で上映されていた「ゴッドファーザー三部作」が終わっていて、しばらくは「これはぜひ観たい!」というものが無かったのですが、これから後半は、見たい映画が続きそうです。

さて『レインマン』、1988年の作品です。ダスティン・ホフマン扮するレイモンドの「サヴァン症候群」のイメージばかりが強く残っていたのですが、実は「ロード・ムービー」仕立てであったと、見ている途中で気づき(思い出し)ました。ダスティン・ホフマンがすごかったのはもちろん、若いトム・クルーズがとても良かったです。当時の映画評では「これで演技派に脱皮できるか」というような、少々意地悪な書き方もあったのを記憶していますが、とても魅力的でした。

それにしても、全体的に漂う余韻が心に残る映画でした。当時の映画ってこんなふうだったかな、と。すべてのことを明確にしすぎることなく、かといってわかり難くするのでもなく。程好く曖昧さが残って、制作側の余裕のようなものを感じました。2週間の興行期間中に、もし行けたらもう一度観に行きたいな、と思いました。

午前10時の映画祭、『レインマン』の次は『ドライビング Miss デイジー』です。観たいものがあるときに、できるだけ映画館に足を運びたいと思います。

BIZCOLI10周年記念イベント「届きにくいものの伝え方」にZoom参加。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

BIZCOLI10周年記念イベント「届きにくいものの伝え方」にZoom参加。

BIZCOLIは、公益財団法人九州経済調査協会が運営する「九州における知の集積・交流・創造拠点」で、大人の会員制ライブラリー。図書館、書斎的個室を施設として持つほか、セミナーや勉強会を定期的に開催しています。福岡天神の南側にあり、わたしは現時点では定期的な利用を見込めないので会員にはなっていませんが、オープン開催のセミナーにたびたび参加しています。

今回のセミナー「届きにくいものの伝え方」、サブタイトルは「ブックディレクターが語る、本と人が出会う仕掛けづくり」。講師は有限会社BACH(バッハ)代表でブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)氏。書店や図書館での選書や書棚づくりのディレクションをなさっている方です。上の写真は、現在わたしが読書中の諸々。

以下、備忘。


  • 本、書店、図書館=知らないモノに偶然出くわすセレンディピティ。
  • 現在の「本」の意味。
  • 本は「没入」に時間を要する→忙しい日常とは「別の時間の流れ」をいかにフレーミングして差し出すか。
  • ほんとうに何か知りたいときは(インターネットではなく)紙の本に立ち返る。
  • 紙の本は書き直しが出来ない(とってもたいへん)=責任が生ずる=いい加減なものは世に出難い。
  • 本と接している時間は、自分でコントロールできる。読む・止まる・戻るがしやすい。
  • インターネットは(自分で決めているように見えて)アルゴリズムに支配されている。
  • 現代は、人間の意志よりもシステムが上位に来ている社会=受動。
  • 自分の意見は自分で決める。「本」はそのための役目を担うことが出来る。
  • 「シェア」優位の世のなかで、本は「一人(孤独)」の貴重な時間を持てる=深く潜り込める=1対1の精神の受け渡し。
  • 世界が変われば、本の立ち位置も変わる。本は、読者がいてこそ、本であり得る。
  • 本も眠っているだけでは意味がない→どうやって表舞台に出すか?
  • 昔は、図書館の価値=蔵書数。
  • 現在リアルに存在する図書館(書店、本)は、意味があって存在している=選択の結果。
  • 本の提案方法=なぜその本が、今ここにあるのか?を説明する方法。
  • 本を選ぶ=自分の好きな本を共有したいと願うこと。
  • 1996年を頂点に、本の売り上げは減少←→1996年以降、タイトル数(新刊の出版数)は増大。
  • 商品としての本=書店/人にどのように影響を与えるか、としての本=図書館。
  • 本を読む時間へのフレーミング。ブックカフェ、ブックホテルなど。
  • いかに時間を本に振り向けさせるか?
  • 「ジム=運動する場所」と同様に「図書館=本を読む場所」として、足を運ぶことでモチベーションと時間を確保。
  • 昔は生活のいろいろな場所に本を読む隙間があった。今は残念ながら無いので、本を読む意識を発揮できる場所が必要。
  • その場所ならではの最適な本の分類、選書、配架。
  • その人が両手を伸ばした範囲、の外側にある本を手に取ってもらうための、結び目づくり(共通点の提示)。
  • 前に進むだけが善ではない。
  • 編集型本棚=NDC分類ではない並べ方の本棚にすることで、未知の本に偶然出くわす可能性を高める。
  • 「○○本」なぜこの本がここにあるか、の解説を添えて。
  • まず1人が反応する1冊、を、大切に選ぶ。
  • (冊数は少なくても)コンセプトを決め、すべてそこに合わせていく=予約システム、本、分類、什器…
  • 最初にその館ならではの「選書テーマ」をつくる。
  • 本を届かせるための「サイン」をいかに作っていくか。
  • いろいろな文脈を考慮し始めるようになる前に、子どもに「本物」をたくさん見せる重要性。
  • 現在、絵本だけは売れている→幼年童話・児童書へのジャンプが少ないのが課題。
  • 読んでもらう(受動)→自分で読む(能動)へのジャンプ。
  • 「文章を読む」への耐性・筋力を鍛える。読書の筋力は、あらゆるテキストとの向かい合い方に通じる。
  • 選んだ本をどう差し出すか、も重要。
  • 本を贈るときは複数冊。
  • 選書のコツ:テーマを先に(複数)つくる→そのテーマに入るものを選んでいく。
  • 選書のコツ:具体的な相手を決めて、その人に届けたいものを選ぶ。
  • ナナメの視点も大切。

「届きにくいものの伝え方~ブックディレクターが語る、本と人が出会う仕掛けづくり」より


楽しく学びが盛りだくさんで、あっという間の1時間半でした。このような機会を提供してくださったBIZCOLIさんに感謝。ありがとうございました。

郷育カレッジ「健口(健康)講座」に参加してまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ「健口(健康)講座」に参加してまいりました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。今回受講してきたのは、お口の健康「健口」講座。先日オンラインで受講した「科学実験教室」とはまたガラリと趣が変わりますが、多様な分野を網羅して講座を組み立てているのが、郷育カレッジの特長でもあります。選べる分野は「ふるさと」「健康・福祉」「環境」「国際交流」「情報処理」「スポーツ」「子育て」「生きがい」「男女共同参画・人権」「その他」の10分野。

講師は、歯科衛生士であり口腔機能向上ボイストレーナーの一世ひろみさん。ゴスペルグループを率いる一世さんは、ボイストレーニングの方法論を取り入れた「歌トレ」による口腔ケアを提唱なさっています。楽しく学べる健康講座とあって、毎年人気の講座です。

講座前半は、口腔ケアの必要性を説く座学からスタート。チェックリストで健康状態を確認し、歯ブラシの使い方を学びました。休憩をはさんで後半は、椅子に座ったままできるトレーニング。全身のストレッチから始まり、顔のストレッチ、喉のストレッチ、舌のトレーニング、喉のトレーニングと続きました。

椅子に座ったままでも結構負荷のかかるストレッチができるものですね。トレーニングをする前と後で、どのように口の開き方などに変化が現れるかを、ひとつひとつ確認しながら進めてくださったので、とても分かりやすかったです。その成果は、早口言葉でチェック。上の写真はトレーニングで使用した「ドリフの早口言葉」です。ある年齢層以上の方は、ご存じかと思います。会場のあちこちから「懐かしい」の声が聞こえました。しかし覚えているものですね。音楽が流れると、口も体も動くのですから、面白いものです。

ところで顔のストレッチや、舌・喉のトレーニングは、口腔ケアはもちろん、美容にも良さそうですので、毎日少しづつ取り入れていこうと思いました。口腔ケアだけでなく、さまざまなリハビリトレーニングは、楽しくなければ、自分自身がやりたくないから、とおっしゃる講師の先生の言葉がとても印象的でした。

「箸置き」文化は、魯山人発だった!?

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「箸置き」文化は、魯山人発だった!?

7月に藤吉憲典個展で東京出張した時のこと。在廊した銀座黒田陶苑さんでは、スタッフの方とのちょっとしたおしゃべりのなかで学ぶことが、たくさんあります。時には貴重な古い資料を拝見したり、書籍や図録を拝読したり。上の写真は、拝見した資料のひとつ、銀座黒田陶苑さんが発行する「今月の一品」より。

そこから今回新たに得た知識のひとつが、「箸置き」文化は、魯山人発だった!?でした。銀座黒田陶苑さんは北大路魯山人の公式鑑定人でもあります。その歴史は魯山人とともにスタートしており、サイトに公開されている社史を拝見すると、関りの深さがよくわかります。箸置き文化が魯山人発祥とはまったく知らず、失礼ながら「ほんとうですか!?」と聞き直してしまいました。

この冊子によると、魯山人が自らの料亭に、お膳を廃したカウンター形式での食事を考案した際に、さてお箸をどこに置こうか?で創作したのが、箸置き(箸枕)だとか。ということは、箸置きの誕生、箸置きを使う文化の誕生はつい最近であったということになります。これにはちょっとびっくりしました。

上の写真では、箸置きを筆架(筆掛け・筆枕)として使用していますが、書道具を考えてみると、たしかに筆架としてのこのようなものは、中国に古くから存在します。古いものに造詣が深く、器も明時代の写しをたくさん作っている魯山人。筆架を、筆ではなく箸を置く道具と見立ててたというのは、なるほどイメージできるものです。

これまで、箸置きは和食文化にもともとあるものとして、深く考えていなかったことに気づきました。近代以降の文化であると思うと、少し見方が変わってきますね。箸置きよりも前にある、筆架の文化に興味が湧いて参りました。