読書『行動経済学ってそういうことだったのか』(ワニブックス)太宰北斗著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『行動経済学ってそういうことだったのか』(ワニブックス)太宰北斗著

お盆読書のラスト4冊目は、小説ではなく実用書。サブタイトルに『世界一やさしい「使える経済学」5つの授業』とあります。裏表紙には「エピソードとクイズから楽しく学べる!」とあり、その通りでした。著者は名古屋商科大学商学部准教授(本書執筆時)。著者曰く、商学部学生への実際の授業でも使う定番ネタを中心に解説ということで、わかりやすく興味をそそりました。

行動経済学。経済心理学と読み替えることもできるかな、と思いました。人間の心理が行動に影響し、その行動が経済学的にどんな結果をもたらすか、とでもいったものです。経済学は、ここでは単純化して「損得勘定」というように位置づけられています。マーケティングのセミナーで出てきそうな分析も多々あり、これは商売をしている人には必須の科目だと思いました。

人間心理がもたらすエラー、非合理。例示される数々のパターンが、自分あるいは周りの人に心当たりのあるものばかりで、苦笑いしながら読みました。どんな時に、どんな心理が働いて、判断を間違ってしまう可能性が高まるのか。これを知っていたからといって、必ず回避できるようになるとは言えませんが、知らないよりは少しはエラーを減らせるに違いありません。

わたしは大学では経済学部経営学科でしたが、当時は「行動経済学」という科目は無かったと思います。あったら取っていたはず…。でも、科目としての行動経済学はありませんでしたが、今こそもう一度受講したいような、面白い授業がたくさんあったのを思い出しました。お勉強が、実生活での仕事とつながる醍醐味。そろそろ経済学もリカレント(学び直し)の機会を持ってみようかな、と思える読書となりました。

『行動経済学ってそういうことだったのか』(ワニブックス)太宰北斗著

お盆前後の1週間で4冊読破は、良いペースだったと思います。ふだんからダラダラと(笑)本を読んでいますが、「この期間にこれを読む」と決めて読むのも、ある種の目標達成モチベーションが働いて、良いですね♪

↓お盆読書はこちら↓

フグ&ペンギン!市立しものせき水族館海響館。

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フグ&ペンギン!市立しものせき水族館海響館。

2020年からの2年というもの、ほとんど出かけていなかったのだなぁ、と、あらためて思います。どこに行くにも「とっても久しぶり」の感があり、水族館もその一つ。今回初めて、お隣の山口県にある市立しものせき水族館海響館に行って参りました。

ここ津屋崎から、高速道路を使って車で1時間と少し。思ったより近くでした。途中めかりパーキングエリアから関門海峡を眺め、対岸にある目的地を目視確認。海峡を行き交う船に、これから通る大きな関門橋、実に気持ちの良い景色でした。

さて海響館。なにが一番良かったかと問われたら、まず「フグ」です。これでもか!というほどに多種多様のフグが展示されていました。なかでもフグの稚魚がとってもかわいかったです。下関といえば、ふぐ。そのイメージを存分に生かした展示に、大いにうなずきました。これぞ地域連携。

そしてフグ以上に、実は下関の地域性というか歴史を生かしているのが「ペンギン」でした。なぜ下関とペンギン?のつながりの由来は、展示資料にあるキャプションを見て、初めて知ったのですが。興味のある方は足を運んでみてくださいね。ペンギンエリアのなかでも特に「フンボルトペンギン特別保護区」は見ごたえがありました。

ペンギンは磁器彫刻家・藤吉憲典の作品テーマのひとつでもあり、この充実度合いは、これから通うことになりそうです。

9時半のオープンと同時に入場し、ゆっくり回って約1時間半。外に出れば、目の前に関門海峡と唐戸市場。唐戸市場の一角にある食堂でお昼を食べて、大満足。海響館は、当日券を提示すれば再入場できるのも嬉しいです。

初めての海響館でしたが、思いのほか近く、期待以上に楽しかったです。今後はちょこちょこ足を運びたい感じです。

読書『サウンド・ポスト』(筑摩書房)岩城けい著

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読書『サウンド・ポスト』(筑摩書房)岩城けい著

お盆読書3冊目は、初めて読む岩城けいさん。作家紹介を拝見したところ、太宰治賞はじめ、たくさんの受賞歴をお持ちです。カメリアステージ図書館のおかげで、知らなかった作家さんの本に、気軽に手を伸ばすことが出来るありがたさ。

上の写真は、ヴァイオリンつながりで古澤巌さんのコンサートメニュー。

↓お盆読書1冊目、2冊目はこちら↓

さて『サウンド・ポスト』。主人公=お父さんが日本人、お母さんがフランス人、そして舞台はオーストラリア。ストーリーとしては、父と娘の物語。父と娘と、彼らを支える人たちの物語でした。ヴァイオリン、音楽がストーリーの中心にあり、音楽知識の細かい描写もありますが、かといって音楽のお話ではありませんでした。

見た目(外見)と、ことば(母語)と、音楽と、人種差別と、偏見と、経済格差。オーストラリア在住という著者の問題提起が芯を貫いているように感じました。エンディングに向かって、少々急ぎ足で力業、と感じられるようなところもありましたが、全体としてはとてもよかったので、著者のほかの本も読みたいと思いました。さっそく図書館で検索すると、数冊ヒット。つくづく便利ですね♪

『サウンド・ポスト』(筑摩書房)岩城けい著

読書『うえから京都』(角川春樹事務所)篠友子著

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読書『うえから京都』(角川春樹事務所)篠友子著

お盆読書2冊目は、角川春樹事務所出版のエンターテインメント。タイトルに惹かれて手に取りました。著者の篠友子さんのデビュー作で、2022年7月第1刷となっていますので、出来立てほやほやだったようです。痛快で、336ページを一気にあっさりと読むことが出来ました。

ストーリーは、日本を刷新しようと京阪神(京都府・大阪府・兵庫県)が手を結び、首都分散を目指して東京に向かう、その手を結ぶまでを中心に描いたもの。もともと反目しあっていた京都と大阪、それを眺める兵庫と、各府県を代弁する登場人物のキャラクタライズが面白く、関西圏に住んだことがある者にとっては「あるある!」あるいは「ありそう!」の連続でした。

著者の願いが入っているお話なのだろうと思いつつ、「日本は今のままでいいとお思いですか?」というようなセリフを何度も登場させるあたり、読む側にも問題提起しています。そう思えば、単純に痛快エンターテインメントという評価だけで片付けてしまってはいけないのかもしれません。

『うえから京都』(角川春樹事務所)篠友子著

ちなみに、↓お盆読書1冊目はこちら↓

長崎本線・特急かもめ、乗りおさめ。

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長崎本線・特急かもめ、乗りおさめ。

9月23日に西九州新幹線が開業するのに伴い、在来線の長崎本線はずいぶんと様子が変わりそうです。博多と長崎を結ぶ特急がすぐになくなるわけではないようですが、一応乗りおさめをしてまいりました。

思えば、ずいぶんお世話になったラインです。創業以来15年を過ごした佐賀県江北町は、長崎方面と佐世保方面との分岐である「肥前山口」駅が最寄り駅。花祭窯の佐賀時代は、肥前山口から長崎方面、博多方面へ。その肥前山口も、新幹線開業に伴い「江北町」に駅の名前が変わると聞き、びっくりしています。

特急かもめといえば、肥前鹿島駅を過ぎて有明海沿いに諫早までの単線が一番の特徴です。海沿いの大きなカーブは、撮り鉄の方々にとっては絶好の撮影スポット。タイミングが良ければ、車窓からも、単線で通過待ちをした後の列車を見ることができます。天気が良ければ海の向こうには雲仙普賢岳。

西九州新幹線はまだ途中の武雄温泉から長崎までしかつながりません。佐賀で長くお世話になった身としては、博多から長崎まで完全につながるまで、また紆余曲折あるのだろうな、と複雑な心境です。ともあれ、特急かもめにお礼を言って、とりあえずは乗りおさめ。今回も素晴らしい景色を眺めることが出来ました。

読書『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

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読書『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

お盆休み。といっても、いつもの週末に、ほんの一日分長くお休みを取るだけで、そのうち一 日お墓参りをするのぐらい。いつもより少し読書時間が取れると嬉しいな、と思い、いつものカメリアステージ図書館新刊棚から小説系を多めに借りて参りました。

本書『吞み込まれた男』は、誰もが知っている「ピノキオ」の物語の、スピンオフ版とでも言いましょうか。ピノキオを彫ったピノキオのお父さん=ジュゼッペ爺さんを主人公にした物語です。クジラ(巨大な魚)に吞み込まれたジュゼッペ爺さんの、腹のなかでの格闘と葛藤が、本人の日記形式で語られていきます。その日記を通じて、爺さんの人生、人となり、ピノキオ誕生の背景が明らかになっていきます。

それにしても「書く」という行為の偉大さ。極限状態にあって、書くことによって自分を保とうとし、少しづつ蝕まれていく様子もまた文字として残る、というようなお話は、これまでにも何度も小説で読んだことがあります。本書でもあらためて「書く力」と、それを信じている筆者の想いを感じました。

昔話や童話を解釈し直して書かれた物語が一時期流行ったことを思い出しました。本書の書き方は、その手のアプローチとはまたまったく異なりますが、誰もが知っているお話であることは共通点。お馴染みのお話が、主人公を変えて書くとどうなるか!?とても興味深い結果をもたらすことを、体感した読書となりました。ほかの物語でも、やってみたら面白いだろうことは確実。ちょっとチャレンジしてみたくなりました。

『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

近所に弓道場がある、というのも、すごいこと。

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近所に弓道場がある、というのも、すごいこと。

昨日に引き続き「ご近所すごい」シリーズ。

福津市民の運動公園施設、なまずの郷。子どもが小学生のときはサッカーの試合のたびにグラウンドにせっせと足を運んだものでした。当時から運動公園施設内に弓道場があることは知っていましたが、わたしの人生のなかであまり馴染みのない武道であり、弓道人口がそんなにおられるとはイメージしておりませんでした。

高校生になった息子が弓道をはじめたので、にわかに弓道が身近になり、この夏、初めてなまずの郷の弓道場を覗いてみることに。まず、きちんと立派な施設で感心しました。そのうえ市の施設ですから、使用料はとてもリーズナブル。利用法は予約制で、施設のホームページからオンラインで申し込むこともできますので、若い世代にも使い勝手が良いようです。

そしてなんといっても素晴らしいのは、人生の先輩方がそこで弓を引いておられること。年齢関係なく続けられること、何年やっても極めきれない奥深さを、実際に弓を引く姿で見せていただける。思いがけずありがたい機会となりました。送り迎えのタイミングで、息子がお世話になりますとご挨拶したところ、「皆、孫が来たような気持で嬉しくて」とおっしゃってくださいました。

初対面であっても、そこに若い子がいれば、皆さん気がついたことをやさしくアドバイスしてくださいます。それは実技についてだけではなく、弓道場を使う準備から、稽古が終わった後の後片付けまで、すべてに及んだようでした。弓道という同じ目的があればこそ、世代を超えたかかわりが、自然に発生する素晴らしさ。

聞けば弓道場を備えた運動公園施設は、この辺りのエリアではなまずの郷だけで、近隣の市からも稽古にいらっしゃるようでした。ありがたい環境に感謝。

近所に葡萄園があるって、すごいこと。

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近所に葡萄園があるって、すごいこと。

ご近所、といっても車で15分ほどのところですが、「葡萄園」までの距離だと考えると、じゅうぶんに近所だと思います。そして、もう一つ重要な要素として、そこに「直売所」があることを書かなければなりません。「すぐ近くで、採りたての葡萄を購入することが出来る!」幸せ。B品や加工用とされているものも、新鮮で立派なものが手に入りますので、家で食ベる分にはこちらで十分。なんといっても、贈答用のA品は、予約でほぼ売り切れている様子。この美しさ、おいしさ、さもありなん、です。

この葡萄園の存在を知ったのは数年前のこと。それ以来、毎年夏の楽しみになっています。インスタグラムやフェイスブックなどのSNSで葡萄の生育情報なども発信しておられるので、勝手に親近感を持って拝見しています。直売所をオープンなさるときは早朝から開けていらっしゃいます。SNSをチェックし、朝散歩のダンナに「今朝はサマーブラックがたくさん出るって!」と情報伝達し、散歩ついでに買ってきてもらいます。

おかげさまで、葡萄の種類とシーズンの変遷が少しわかってきました。収穫・販売の繁忙期は、そこに至るまでの一年間の仕事があってこそ。今年もおいしい葡萄を頂けることに、心より感謝です。

椛村砂丘葡萄園(かばむらさきゅうぶどうえん)

職人と芸術家はどこが違うのか。

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職人と芸術家はどこが違うのか。

今更ですが、花祭窯開業以来の命題かもしれません。ダンナの陶芸作家という立ち場、作るものに、どんなレッテルを貼るか。似たような議論に「芸術か、デザインか、工芸か」というものもあって、別にどれでもよい(あるいは、どれとも言える)と思いながら、ずっと頭の片隅に引っかかっていた時期がありました。

ここ数年は、陶芸家であり磁器彫刻家であり、となってきて、肩書うんぬんよりは「藤吉憲典」というジャンルで説明できると思いはじめております。そんなわけで「職人か芸術家か」など、ほとんど気にならなくなっていたところへ、思いがけずあっけなく答えが書いてあるページに遭遇(笑)。

『手と頭で仕事をするのは職人です。
手と頭と心で仕事をする人は芸術家です。
アッシジの聖フランチェスコ』

高級大理石の産地である、イタリアはカッラーラ地方にある美術アカデミーのサイトに、このように書いてありました。なるほど、想像力・創造力が生まれるのは「心」から。両者の違いは、仕事に「心」の入り込む余地がどれほどあるかの違い、という解釈は一理、うなずけるものです。それにしても簡潔に表されている言葉だなぁ、と思いました。

ところで、「アッシジの聖フランチェスコ」とは誰?の疑問には、そのものずばりのタイトルの書籍が、平凡社ライブラリーから出ておりました。ウィキペディアによると、フランシスコ会の創設者として知られ、清貧と平和の思想を持ったカトリック修道士とのこと。数々の逸話が残っているようで、歌劇にもなっているのですね。そのうちこの本も読んでみたいと思います。

『アシジの聖フランシスコ』 (平凡社ライブラリー)

そういえば、「禅の十牛図」に会いました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

そういえば、「禅の十牛図」に会いました。

上の写真は、藤吉憲典が数年前に作った干支の丑(牛)。

先日の東京出張の折に、ワタリウム美術館で開催中の鈴木大拙の展覧会に出かけ、そこで「禅の十牛図」についての展示を発見。禅の導師・鈴木大拙にちなんだ展覧会ですから、不思議なことではありませんが、今年はじめのお茶会の際に、初めて「十牛図」についての解説を聞いたところでしたので、グッドタイミング!と思ったのでした。

尋牛(じんぎゅう)
見跡(けんせき)
見牛(けんぎゅう)
得牛(とくぎゅう)
牧牛(ぼくぎゅう)
騎牛帰家(きぎゅうきか)
忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
返本還源(へんぽんげんげん)
入鄽垂手(にってんすいしゅ)

正直に言えば、お茶会の際に教えていただいた「十牛図」の解説が、言葉としては頭に入っても、今ひとつよく理解できていませんでしたので、少しでも手掛かりがあれば、という気持ちで展示を拝見しました。

ワタリウム美術館で開催中の鈴木大拙の展覧会 十牛図
ワタリウム美術館で開催中の鈴木大拙の展覧会 十牛図キャプション

いわく


禅の「十牛図」

臨済宗の伝統のなかで、悟りへと至る10のプロセスを10の図と詩文で表現したもの。

順に

  1. 「尋牛」牛を尋ねる。
  2. 「見跡」牛の痕跡を見つける。
  3. 「見牛」牛そのものを見る。
  4. 「得牛」牛を実際に手に入れる。
  5. 「牧牛」牛を飼いならす。
  6. 「騎牛帰家」牛を使いこなし、平安のうちに家に帰る。
  7. 「忘牛存人」到家忘牛。家に戻ってくると、牛を手に入れたことも、牛そのものも忘れてしまう」
  8. 「人牛倶忘」牛だけでなく、これまで人として生きてきたこともまた忘れ去られ、すべてが空へと乗り越えられていく。
  9. 「返本還源」あらためて、すべての事物がありのままの根源へと戻る。
  10. 「入廓垂手」人々が生活している市場「廓」に入り、手を下げてそのままいる。

となる。

鈴木大拙展 ワタリウム美術館より


うーん。やっぱり、よくわかりませんでした。これは文章を読んだぐらいでは一朝一夕には理解できなさそうです。これから先の宿題がまた一つ増えたような気がいたしました。