「藍の家」築120年記念イベント特別記念講演会「私たちはどこからきて、今どこにいて、これからどこへ行くのか」に参加してまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「藍の家」築120年記念イベント特別記念講演会「私たちはどこからきて、今どこにいて、これからどこへ行くのか」に参加してまいりました。

めちゃめちゃ長いタイトルになりましたが(笑)。講師は九州大学名誉教授であり竹田市文化振興財団理事長であり文化審議会世界文化遺産部会委員である藤原惠洋さん。その藤原先生が花祭窯に遊びにいらしたのは、3月の頭のことでした。

そのときに「建築・都市・デザイン」視点で津屋崎千軒の街並み・建築物を再評価する、との話していらっしゃったので、大きな期待をもって講演会に参加いたしました。

以下、備忘。


  • 芸術の持つ包容力に委ねる。
  • 建築と美術が「まち並み」を作る。
  • 「保存」が目的になってしまった日本の文化財行政の弊害。
  • (古い建築物の)「保存」はあくまでも手段であり目的ではない。
  • 保存の先に、どんな目的があるのか?
  • 文脈=context。礎。歴史のなかでの位置づけ。大きな文脈のなかでの立ち位置。
  • 矜持=プライド。「わたし」の前後200年を語ることが出来るか。海外に出ることで、日本の根幹を相対化して見る(理解する)ことが出来る。
  • 紐帯=絆が弱い故の、強いコミュニティ。社会的な仕組み。
  • なぜ私有財産を公のものにしようと思ったのか(思うのか)?
  • 「景観」は誰のものか。
  • 最も重要なステイクホルダーは、現にそこに住んでいる人。
  • 「地の人」と「風の人」の両輪。
  • 30年後は「今」の積み重ね(突然やってくるわけではない)。
  • 全体を俯瞰する。
  • 大人が遊ばない限り、子どもは遊ぶことが出来ない(遊びを知ることはできない)。
  • ブリューゲル、ゴーギャンの絵画に見る「まち」と「人」(「子供の遊戯」ピーター・ブリューゲル/「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」ポール・ゴーギャン)。
  • 地域固有資源=文化資源。
  • ◇=悪霊封じ。
  • 聖地(=変化や揺らぎのない不動の場所)が多いほど、良い。小さな祠、神社etc…。
  • 町全体が遊びの場=安全な空間。
  • 保護+生かす=保全。
  • 保存と活用。国の施策として、今後は活用に軸足。
  • 「市民の社会的合意」をどのように導くか。

※藤原惠洋先生の講演「私たちはどこからきて、今どこにいて、これからどこへ行くのか」から。先生の言葉とわたしが考えたこと。


非常に面白く、考えさせられるお話でした。図らずも、ここ最近ずっと手元で開いては眺めている本『くらべてわかる世界の美しい美術と建築』で提起されているものと重なりました。講演を聞いて「あの話をどう受け取るか、『踏み絵』だと感じた」とわたしにおっしゃった方がありましたが、たしかにそのような示唆的な部分も多々。この120年記念講演が大きなきっかけになるか、ただのお飾りイベントになるか、今後にかかっています。

ともあれ家から歩いて3分のところで、このような深いお話を無料で拝聴する機会があったのは、わたしにとって贅沢なことでした。ありがとうございました&企画から運営まで手掛けられた「藍の家保存会」の皆さまに心より感謝申し上げます。

九州EC勉強会『5人の子どもを産んでひとりで年商1.4億社長になった女の話』に参加してまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九州EC勉強会『5人の子どもを産んでひとりで年商1.4億社長になった女の話』に参加してまいりました。

2週空いての土曜ブログ更新は、昨日の九州EC勉強会が楽しかったので、備忘。

九州EC=九州ECミーティングは、経営者・ECに取り組む方々が幹事となり、事業運営に役立つ情報交換・提供を行う会です。2005年1月に「九州でも東京並みの情報が得られる場」を作る目的で結成され、完全ボランティアで続いている勉強会組織です。

今回の九州EC勉強会も、現地会場とZoomのハイブリッド開催。リアル会場で参加してまいりました。講師は、手作り服と鞄でフォロワー(minne、creema)7万人以上に愛されている「もりのがっこう」代表取締役の後藤麻美さん。minneやcreemaなどの「手づくり作家マーケット」から事業化した成功例として、最初の方なのではないでしょうか。とはいえご本人は「ひとりで年商1.4億社長」というコピーなど我関せずな雰囲気の、自然体でアーティスト気質があふれ出ている素敵な方でした。

以下は、昨日の後藤麻美さんのお話からいただいた珠玉のことば、わたしにとってのベスト5。

  • 好きなものを追いかける(利益は後からついてくる)。
  • (周りがなんと言おうと)自分にとっての確信。
  • 個=スペシャリストの時代。
  • 成功と失敗は表裏。(成功したからこそ失敗談を語れるし、失敗を糧にしたからこそ成功している)
  • 自分の力を信じて進む。

うんうんと、頷きながらお話を聞きました。なかでも、実社会では個(スペシャリスト)=個性の強い人たちが成功する世の中になってきているのに、いまだに学校教育現場では画一的であることを求めており、そのギャップの大きさに違和感・危機感を感じるというお話は、ほんとうにその通りだと思いました。ご本人自身の経験と、お子さんたちの育児を通しての実感なのだと思います。

学校では飛び抜けること・はみ出すことを禁止するのに、学校を出た途端に「個性」だとか「独自性」だと言われても、それを伸ばすための芽は摘まれてしまっていたりします。たしかにわたしの周りで、成功している人(=自分の好きな仕事をして生き生きとしている人)たちは、誤解を恐れずに言えば「飛び抜けたりはみ出したりした、ちょっと変わった人」がほとんど。そんな方々の姿と重ねながら、後藤さんのお話を聞きました。

九州EC勉強会は、前回今回と二回続けて女性経営者のパワーを感じるお話でした。次回は秋に予定しているとのこと、とても楽しみです。

続・長~く使う、腕時計。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

続・長~く使う、腕時計。

「長~く使う。腕時計。」のタイトルでブログをアップしたのは、昨年のお正月過ぎのことでした。現在わたしが日常使いにしている腕時計は3つ。ひとつは昨年のブログ記事のきっかけとなった、新しい腕時計で、使い始めてまだ1年ちょっと。もうひとつは大学卒業記念にバイト料で買った自分への贈り物で、30年使っている物。もうひとつはサラリーマン時代の一つの転機に買ったもので、こちらも使い始めて25年以上。いずれも腕時計としては高価なものではないにもかかわらず、ずっと動いてくれています。

数カ月前のこと、お友だちの紹介で、腕時計のオーバーホールを得意としている友人を得ました。ちょうど腕時計のひとつが電池切れを起こしていたので、電池替えついでに診ていただくことに。結果は、ぜんぜん問題無し!まだまだ使えそうというお墨付きをいただいたのが嬉しくて、この機会にベルトチェンジでアップサイクルすることに。

いくつか時計屋さんを見てみたものの、ベルト幅9mmを品揃えしているところはとても少ないことがわかりました。そこでネットで探してみると、あるあるある!腕時計ベルトの専門店さんを発見。ありがたいですね、無事に似合いそうなものを選ぶことが出来ました。自分で付け替えなければならない、というハードルはあるものの、チャレンジすることにいたしました。その成果が、こちら。

腕時計のベルトチェンジ

わたしは人一倍手先が不器用ですが…なんと!できました(笑)。なんでも試してみるものですね。一緒に入っていた道具と「腕時計ベルト交換法ハンドブック」のおかげです。こうして自分でもできることがわかると、次回からベルト交換のハードルがぐっと下がります。この経験で、「腕時計のベルトは自分で交換するもの」と、わたしのなかに新しい文化が生まれました。すごいことですね。

ますます腕時計寿命が伸びそうです♪

お花を生けるタイミング。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

お花を生けるタイミング。

花祭窯にお越しになった方が「お花がいいですね」とおっしゃってくださると、お花に気づいてくださったことに感謝の気持ちがこみあげます。ご来訪を歓迎している気持がお花を通して伝わったかなと思うと、嬉しくなるのです。

佐賀にいたころに、先生について3年間だけお花を習いました。先生の流派は池坊で、京都にもよく研修にお出かけでしたが、とても大らかな先生で、流派のしきたりにとらわれず大切なことを教えてくださいました。たった3年でしたから技術はほぼ身に付いていませんが、先生が教えてくださった理念と花・植物に向かう姿勢は、わたしがお花を扱うときのベースになっています。

さてタイミング。料亭の女将さんのように毎日新しいものを生けるわけではありません。花鋏(はさみ)を持つのは、「お客さまがいらっしゃる時」と「お花をいただいた時」の二つのタイミングがほとんどです。そして追加で「生けたお花を生け直す時」です。お客様がいらっしゃるときは、まずは花祭窯の小さな露地のなかで、生けれそうな花材(あるいは葉材)があるか眺めます。たいていは一つ二つ見つけることが出来ます。どうしても無いときは、近所のお魚センターへ。名前はお魚センターですが、福津市内の花農家さんから届く切り花を探すことが出来ます。実は福津市は、お花の産地でもあり。

以下は、現在の花祭窯の活花の様子です。お客さまがあったので露地から拝借したこと、ご近所さんからお花をいただいたことから、このような顔ぶれになっています。

染付唐草文一輪挿し 藤吉憲典

染付市松文一輪挿し 藤吉憲典

染付花器 藤吉憲典

染付市松文一輪挿し 藤吉憲典

それにしても一輪挿しはとっても便利。食器同様、花生けでも器に助けられております。

続・書画陶芸-書画と陶芸の大きな違い。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

続・書画陶芸-書画と陶芸の大きな違い。

「書画陶芸。」タイトルでブログを上げたのは2週間ほど前のこと。磁器作家・藤吉憲典、銀座黒田陶苑さんでの次回個展に向けて、書も画も陶芸も、鋭意創作制作を進めております。

書画の作品制作の様子を見ていてすぐに、「陶芸」との大きな違いを実感。頭ではわかっていたものの、実際にその進行状況を目の当たりにすると、違いの大きさに驚きます。それは、

書画は、書いたら(描いたら)それがそのまま結果となる。

ということ。あまりにもあたりまえのことではありますが。

磁器の絵付と異なり、墨も岩絵具も、書いたまま(描いたまま)の色がそのまま残ります。「焼成」工程がありませんので、変容する要素が無いということですね。描き終わったらそのままで出来上がり=作品完成となりますから、なんともシンプルです。窯が焚き上がるまでのもやもやとした時間が無い。シンプルということでいえば、材料も紙と絵具(墨)だけですし、「書く/描く」のみですから、これもまさにシンプルそのものです。

出来上がった書画作品をみて、作家の制作作業と成果物としての作品とが、まっすぐにつながっている感じがしました。それはそのまま、磁器制作の工程の複雑さと、窯での焼成という他力をコントロールする難しさと面白さを再確認することにつながりました。いくつもの制作工程を経た最後の最後に窯に委ねるのですから、陶芸・磁器制作における不確実要素の大きさをあらためて感じます。

書画陶芸。作家本人に聞いてみても、それぞれに異なった面白さがあるようです。食器からアート作品へとフィールドを広げたときに感じた、一方の仕事がもう一方の仕事を伸ばす刺激的存在になる感覚が、今回もあります。銀座黒田陶苑さんでの個展まで約3ヵ月。ここからどういうものが出来上がってくるか、とっても楽しみです。

読書『くらべてわかる世界の美しい美術と建築』(エクスナレッジ)五十嵐太郎 編

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『くらべてわかる世界の美しい美術と建築』(エクスナレッジ)五十嵐太郎 編

今月初めに読んだ『世界の名建築歴史図鑑』(エクスナレッジ)五十嵐太郎編が面白かったので、図書館で同じ編者のものを遡って探したところ、ありました!タイトルを見てすぐに「この本欲しい」と思いましたが、美術系の大型本は価格がそこそこしますので、まずは中身をじっくり確認してからです。

『くらべてわかる世界の美しい美術と建築』

わたしにとって、このところずっと頭にあった「彫刻(美術)と建築」を思索するのに最適の教科書でした。この内容でこの価格は、むしろお得と言えるでしょう。

美術鑑賞のトレーニングをするときも「くらべる」の技を使うことが良くあります。ひとつの絵画をじっと見るだけでなく、もう一つ別の絵画と並べて、双方のどこがどう異なるかを探すことで見えてくるもの、わかることがたくさんあります。本書のつくりはまさにその手法そのもので、面白いのはそのくらべ方の目の付け所。上の写真は目次の一部で、項目を追うだけでも編者の視点が垣間見えると思います。

嬉しいのは、取り上げている作品がすべてカラー写真で掲載されていること。ビジュアル的に直感的に楽しむことが出来ます。また章末に挟まれているコラムでは「美術館探訪」として、世界の美術館を建築的視点と所蔵作品視点で解説してあります。あちこち行きたいところだらけ。今年あたり海外出張が再開できることを願いつつ、眺めています。

『くらべてわかる世界の美しい美術と建築』

三年ぶりの南坊忌献茶会でした。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

三年ぶりの南坊忌献茶会でした。

三年ぶりとなりました「南方流遠祖南坊宗啓禅師献茶会」。三年前の南坊忌は、わたしにとって初伝免状を授かった記念の日でした。

上の写真は三年前の南坊忌の際の写真。今年も床の間には筍を用いた花器に花が生けられていました(今年は写真撮り忘れ…)。ああ、筍の季節の行事だったなぁと、あらためて思いました。茶会前日のお掃除・準備も、当日も、青空の広がる気持ちの良いお天気に恵まれ、着物姿で暑すぎず寒すぎず。

南方流の祖にあらためて感謝する機会であり、献茶のお点前を拝見できる貴重な機会であり、和尚さんから直々に『南方録』の一節をご教授いただく嬉しい機会でもあります。南方録を原文で読み進めるのは、チャレンジしてはいるものの忍耐を要し、時間がかかります。ですので、口述で教えていただけるのは、とてもありがたいこと。下記は岩波版、現代文の『南方録』。こちらはコンパクトで比較的読みやすいです。

南方録

南方録(岩波文庫)

献茶式・法要・南方録のお勉強の後、広間で薄茶をいただきました。今年お免状を取得なさった方の美しいお点前をうっとり拝見し、筍を模したお干菓子にニンマリし、お茶会の嬉しさがじわじわとこみあげて参りました。次のお茶会は秋の野点の予定。これを楽しみに、お稽古に精進いたします。

小さくて美しくて精巧で可愛らしいものは、コレクションしたくなる。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

小さくて美しくて精巧で可愛らしいものは、コレクションしたくなる。

例えば、藤吉憲典のつくる小皿豆皿。この顔ぶれを見るたびに、この作家は小さいものをつくり出すのが得意だし、なにより好きなのだなぁと、つくづく思います。

小さくて美しくて精巧で可愛らしいもの。やきものの世界になじみ深いところでは、香合(こうごう)もそうですね。上の写真は、錦野薔薇文香合(藤吉憲典 作)。その他思いつくところでは、香水瓶、嗅ぎ煙草を持ち運ぶ鼻煙壷(びえんこ)など。ここに並べたものはいずれも「香り・匂い」にまつわるものであり、「持ち運ぶ」が用途に含まれるものだと気づきました。「蓋付き」なのはその用途故ですね。

香合も香水瓶も鼻煙壷も、コレクター心をくすぐるもので、国内外問わずあちらこちらの美術館・博物館にコレクションがあります。鼻煙壷は日本ではあまりなじみが無いかもしれません。わたしが初めてその存在を知ったのは、大阪市東洋陶磁美術館でのこと。大阪市東洋美術館が所蔵する沖正一郎コレクションに鼻煙壺1,139件があり、常設展示コーナーでその一部を拝見することが出来ます。常設の専用棚に並んだ姿は壮観です。コレクションのなかから100個、入れ替えながら展示している様子。とにかく見ていて飽きません。(大阪市東洋陶磁美術館は、現在改修のため長期休館中です。)

そんな小さくて美しくて精巧で可愛らしいものに「ボンボニエール」がある!と気づいたのが、つい先月のこと。先日のブログ「佐賀鍋島家のお宝を守る徴古館。」で発見した探し物というのは、このボンボニエールのことでした。ボンボニエールもまた、「持ち運ぶ」用途があり「蓋付き」であり、コレクションされています。

ボンボニエールとは、砂糖菓子「ボンボン」を入れる小さな箱。大きさは手のひらにおさまるほどのサイズです。欧州でお祝い事の記念品としてボンボニエールを配る慣習を、明治時代中期以降日本でも倣い、皇族や華族の間で取り入れていました。慶事の宴席への出席者に、金平糖などの砂糖菓子を入れた小箱を引き出物として配るこの伝統は、現代でも皇室で受け継がれているといいます。

なにしろ皇室伝来のものですから、市中に出回り難いものでしょう、その数は決して多くないようです。徴古館にあるボンボニエール146点は、出どころも確かなまとまったコレクションとして、かなり貴重であることが伺えます。興味深かったのは、その材質が、銀か木かの二択であること。このなかに磁器が無かったのは残念なことでした。ただ、皇室に由来している物に限らなければ、ノリタケ、ロイヤルコペンハーゲンなどが、磁器製のボンボニエールをたくさん手掛けています。

ということで、磁器作家・藤吉憲典が次なるコレクションアイテムとして取り組むのは、ボンボニエール。同じようなサイズ・意匠でも、香合というと用途や使う人が限られてしまいがちですが、お菓子入れでしたら誰でもが楽しく使えます。どんなものが出来てくるのか、どうぞお楽しみに。

佐賀鍋島家のお宝を守る徴古館。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

佐賀鍋島家のお宝を守る徴古館。

「文化遺産オンライン」が面白い。と書いていたのはつい一昨日のこと。ある調べ物をしていて辿り着いたのが文化遺産オンラインだったのですが、わたしの調べ物のお目当てが、佐賀鍋島家の伝来品を所蔵する「徴古館(ちょうこかん)」にたくさんあるとわかり、軽く驚いたところでした。徴古館なら、佐賀に住んでいたころに何度か足を運んだことがあります。灯台下暗しとはまさにこのこと。

鍋島報公会徴古館 https://www.nabeshima.or.jp/main/

佐賀県内で初めての博物館と謳われる雰囲気の良い洋風建築は、国の登録有形文化財です。徴古館を含む佐賀城内エリアには大きな神社もあり、お散歩がてらウロウロするのに程好い環境です。徴古館の展示スペースはそれほど広くはないものの、鍋島家のお宝の数々は目を楽しませてくれるものでありました。

さて今回の調べ物、佐賀にあるのならば、すぐに直接観に行ける!と喜んだのも束の間、現在展示替え休館中で、6月中旬まで開館を待たねばということで、とりあえずは断念です。でも、その資料の載った図録を手配していただけることになりました。昨日お電話でお話をしたところが、翌日の本日には手元に届きました。職員の方に心より感謝です。上の写真はその図録表紙。

やきものの資料探しなら、佐賀県を最初にあたりますが、今回はそうではなかったのに、実は佐賀県にあったというめぐり合わせ。やっぱりご縁があるのね♪やっぱりわたしたちがやるべき仕事なのね♪と、勝手に喜んでおります。

映画『ベルファスト』を観てきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『ベルファスト』を観てきました。

2022年の決意のひとつ「月に1本は映画を観る!」。1月『HOUSE OF GUCCI』2月『フレンチ・ディスパッチ』3月『ナイル殺人事件』に続く今月は、またまたケネス・ブラナー。観たいな、と思いつつ唯一の心配は、最寄りの映画館に『ベルファスト』が来てくれるか!?でしたが、来てくれました。ありがとうございます♪

今年から英語学習に使用しているENGLISH JOURNALの4月号に、「ベスファルト」についてのケネス・ブラナーのインタビュー記事がありました。上の写真はその該当ページ。1969年8月、ケネス・ブラナー9歳のときにスタートする半自伝的ストーリー。偶然にもわたしの生まれた年・月であり、インタビューを音声で=つまりケネス・ブラナーの声で聴きいているうちに、そのとき北アイルランドでどのようなことが起こっていたのかを知りたいと思いました。

コロナ禍、それに続くウクライナでの戦争と、今世の中で起こっていることとリンクして考えさせられる映画でした。映画はモノクロームで進みます。主題となっている宗教や政治といった社会問題、人間関係の「ダークサイド」の一方で、当時のファッションや音楽、そしてなにより人とのつながりの「古き良きもの」を堪能いたしました。

登場人物のなかで、主人公の祖父の果たしている役割がとてもよかったです。映画中で主人公の父親が息子に対して、祖父(つまり父親にとってはその父親)のことを「(お前のおじいちゃんは)とても深い人だ」という場面がありましたが、その「深い人」という表現がぴったり。

ENGLISH JOURNALのインタビュー記事の音声では、この映画が評価されたことに対してケネス・ブラナーが感極まっている様子が伝わってきます。それだけ、この9歳の夏からの出来事が、彼のなかで大きかったのだろうということを思いました。