陶芸の近現代史から見た、位置。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

毎晩、寝る前の15~30分は本や雑誌を読む時間です。
子どもが生まれてからずっと「寝る前の読み聞かせ」をしていた、
その流れで習慣になったもの。

短時間の読書ですが、わたしにとっては、なかなか意義深い時間です。

昨晩の読書を終わって思い立ったのは

陶芸の近現代史から見た
磁器作家・藤吉憲典の立ち位置。

を検証してみよう!ということ。

読んでいたのは、2016年10月26日のブログでご紹介した
村上隆さんのスーパーフラットコレクション展図録

のなかで繰り広げられていた

桃居オーナー広瀬一郎さんと村上隆さんによる陶芸対談。

広瀬さんの作成された「生活陶芸の時代区分」の表は、
なるほどとってもわかりやすく、ああそういうことか!と合点。

明治時代からの陶芸史についての分析では
昨年(2015年)佐賀有田の九州陶磁文化館で明治有田超絶の美の展覧会に伴う
鈴田由紀夫先生の講演会で聴いた「国策としての明治有田」の話がよみがえり。
現代の工芸界における「クールジャパン」が明治時代の国策と重なって見え、
思わず苦笑したのを思い出しました。

そしてなによりも、このお二方の陶芸対談は、自分たちが窯を独立した時期が
どういうタイミングだったのか、背景にあったものをバックアップしてくれるものでした。

対談で解説されている明治時代以降の動きを整理したうえで、
これから来たる2020年代からの30年の動きを考えたとき、
自分たちがここ数年目指してきた方向性は、
広瀬さんや村上さんが言っていることと、たまたま合致している。かも(笑)

そんな面白い発見もありました。

陶芸の近現代史。
興味ある方は、ぜひ村上隆さんのスーパーフラットコレクション展図録
後ろのほうにある対談をチェックしてくださいね!

禅と食と掃除について考える本。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

このところ「本」をもとにしたブログが続きましたが、本日も。

昨今の整理収納ブームというか断捨離ブーム、
かくいうわたしも自他ともに認める「片付け下手」なのでありますが、
その手の本を読んだことはありませんでした。

そんなわたしのもとに届いたのが

整理収納アドバイザー・小川奈々さんの「禅に学ぶ 台所しごと」

タイトル通り、禅寺の教えを普段の生活に生かす視点で
台所しごとのこと、食のこと、掃除のことを綴ってある一冊です。

全ページカラーで見やすく、簡潔に生活の知恵がまとめられていました。
また最終章にある「心が整う禅の言葉」の解説は、
禅の教えをとても身近なものにしてくれます。

わたしが習っているお茶は禅寺で継承されているので、
「禅茶一味(ぜんちゃいちみ)」・・禅の道も茶の道もその心は同じこと
として修業しているところですが、なかなか普段の生活に落とし込むことができていません。
あらためて反省する良い機会となりました。

実は著者の小川奈々さん、ご夫妻で藤吉の器を長年使ってくださっています。
個展の機会にお会いしたり、ご夫婦で遊びに来てくださったり。
そんなご縁があって、この本のなかにも「お気に入り」として登場。
奈々さん、ありがとうございました(^^)

写真を撮るということ。

こんにちは、ふじゆりです。

蕎麦猪口展に出す蕎麦猪口が窯からあがったところで、
昨日から写真の撮りなおしをしています。

写真を撮るのも大切な仕事のひとつ

16年前(!)はじめてネットショップをつくることを決めたときから、
写真撮影は大切な仕事のひとつです。

もともとカメラの趣味があったわけでもなく、まあ、ド素人。
デジタルカメラなるものをはじめて購入し、ああでもないこうでもないと
撮っても撮ってもどうにもならない時期をどれほど過ごしたことか・・。

今でも突っ込みどころ満載の写真撮りですが
デジカメがどんどん進歩してくれたおかげで、ずいぶん助けられています。

もちろん、ここぞ!という写真撮りはプロにお願いしています。

圧倒的に信頼しているカメラマン赤司憲壕さんの abc photo
https://www.facebook.com/abcphoto.jp/

ただ、写真を撮る必要性というのは日常茶飯事にやってくるんですね。
そのタイミングですぐプロにお願いできるわけではなく、
もしお願いできたとしても、そんなことをしていたらお金がいくらあっても足りなくなるわけで(笑)
これはもう、ある程度は自分でなんとかしなければならず。

そんなわたしの、長年の座右の書(!?)が
その名も 『標準デジカメ撮影講座』 。
2003年発行ですから、もう10年以上前の本なんですね。
いまだにときどき開く本です。

「標準デジカメ」つまりコンパクトデジカメのことです。
はい。わたしはずっとコンデジできています。

写真撮影のセミナーやワークショップに足を運んだり、撮影の上手な方にお話を聞いたり
試行錯誤もしましたが、自分の性格と身の丈にあったやり方は、この本でした。
不器用なうえに大雑把なので「こうすればいい写真が撮れる」の方法を教えてもらっても、
きちっと突き詰めることができないまま、今に至り(汗)
そんなわたしはこの本に助けられ励まされてなんとかやっています。

 

お客さまのひと言

先日、蕎麦猪口のお得意さまからお電話をいただきました。
いわく
「今回も素晴らしい蕎麦猪口が届いてとても満足しています。ありがとう。
それでね、ひとつ気になってることなんだけど・・・」

「ネットショップの写真、もうちょっと頑張っていい写真載せたらもっとお客さん来ると思いますよ!
フェイスブックとか見てたらいい写真もあるんだから、蕎麦猪口も撮りなおしましょうよ」

「よく、ネットショップで写真がすごく良かったのに、現物見てがっかりするってことがあるけど
藤吉さんのところは、かならず本物のクオリティのほうが高くて嬉しくなるんですよ。
だけど、それじゃもったいないじゃない!」

はい・・・。とてもありがたく、同時に自分の手抜きを恥じ入った次第でした。

というわけで、新しいものが焼きあがるタイミングで写真を撮りなおし、
ひとつづつ少しでもいい写真にと更新していっているところですm(__)m

 

そんなわたしの野望。

個展のたびに毎回赤司さんに初日の撮影をお願いする、
やきものが窯からあがる都度に撮影をお願いする、
なんて贅沢ができるようになったら素晴らしいな~!と思いつつ。

ときどき読みたくなる本 『アホは神の望み』

こんにちは、ふじゆりです。

ときどき読みたくなる本、それは

『アホは神の望み』

遺伝子研究の権威(権威という呼び方はなんとなく違和感があるのですがほかに思いつかず^_^;)
村上和雄氏の本です。

2008年の発行。
7年以上経っているわけですが、その間、ふと思い出したように手にとる本です。
先日久しぶりに読んだのが、もう何回目かわかりません。

アマゾンのレビューを見ると、賛否両論、当然いろいろとご意見がありますが
わたしがこれを繰り返し読みたくなる理由はとても簡単で、
アホな自分達を肯定してくれるいくつものフレーズに出会えるからです。

いわく

「器の大きなバカ」

うちの場合、正確には「風呂敷の大きなバカ」ですが。
器が大きいのと風呂敷が大きいのとは意味が違うのは承知のうえ・・(汗)

「根拠のない自信」

風呂敷が大きい=言うことが大きい。
で、その根拠は・・・???なんてことは日常茶飯事でした。
ダンナ50歳を目前に、ようやく少しは「根拠」とでもいえるものが後からついてきたかな、というところ。

「理屈を越える「思い」の強さ」

そう、根拠もなければ理屈ももちろんないんです(笑)
でも「やるの?やらないの?」と問えば、いつでも答えは「やる」でした。
そもそも結婚前に「すぐにでも陶芸作家として独立する予定」のようなことを力説していたダンナ。
蓋を開けてみたら、独立準備はできていないどころか、はじまってもいませんでした。

「アホの楽観論」

それでも「なんとかなる」のです。
佐賀・花祭で暮らしていたとき、ご近所のおばあちゃんになにげなく言われた
「だいたいのことはなんとかなるけん(なんとかなるから)、だいじょうぶ」にハッとしたのでした。
もちろん「なんとかしなきゃ」と思って、必死にじたばたしています。
でも、いまのところまだ花祭窯を続けていますから、やっぱりなんとかなっているんですね。

「肚を決め天にまかせる」

わたしの周りには、特に女性経営者で「ハラが据わっている」方が何人もおられます。
彼女たちを見ていると、あとは天に任せるしかないまでの努力をなさっていると感じることがしばしば。
だから、自分の肚が決まらないときは、まだやれることがあるのにやっていないときだとわかります。

「あきらめない心」

「成功するまであきらめなければ、失敗じゃない」
どなたかの名言だったような気がしますが、自分たちのものになってます。
もともとが粘着気質(笑)
失敗しても、しつこくやり直せばいいんです。

 

本に書いてあるような、その結果大きな成功をおさめる、的な結論に至るとは思わないまでも、
「そんな生き方でも別にいいじゃないか」と
自分たちのやり方を肯定して笑えるだけで、なんとも心強いのです。

今は文庫が出てるんですね(^^)

 

「粋」ってなんだ!?

こんにちは。ふじゆりです。

まだ花祭窯として独立する1年ほど前のある日のこと。
有田のとある窯元で商品開発をしていたダンナは、
「粋なデザイン」の新商品をたくさん出せと社長に言われたのでした。

勤めから帰って来ての第一声

「粋」ってなんだ!?

独立してからもずっと、この言葉はどこかに引っかかっていて
ことあるごとに「これは粋なのか、粋じゃないのか」が気になるものの、
そもそも「粋とはなんぞや」を本質的にわかっているかと問われたら、その自信も無く。
「これは粋だ!」と断言できないままに月日は流れて。

そんななか、古本屋で見つけた、そのものズバリのタイトル「粋」。

その前文にこうありました。

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江戸後期、江戸の市民たちは、
「粋」という洗練された美学をもっていました。垢抜けて、しゃれていて、すっきりしていて
それは長い間の泰平が生みだした、
ゆとりと遊びの文化といってよいでしょう。

(中略)

そして「粋」のなかに、私たちが “豊かに活き活きと生きる” ための
重要な指針が秘められているように思えます。

(後略)

------------

そして「粋」を紐解くさまざまな写真と文章で構成されているのですが、
この本を一読してわかったのは「本を読んだだけでは『粋』はほんとうにはわからない」ということ(笑)

「垢抜けて、しゃれていて、すっきりしていて」「ゆとりと遊びの文化」が生み出したもの・ことを
実際にたくさん見て、たくさん触って・・・体・五感で感じる経験を積み重ねた先にしか
「粋ってなんだ!?」への解は無いように思いました。

果たして「粋ってなんだ!?」に辿りつくのはいつの日か。
そこをめざして、ものづくりに取り組んで行きたいと思うのです。

 

ところでこの本、資生堂さんの企画でした。

なるほど、資生堂さんといえば、これ。

以前にこのブログでも紹介しました、資生堂名誉会長の福原義春氏が書いた
『美 「見えないものを見る」ということ』

本ふたつ

繋がっていますね(^^)

 

 

梅シーズン到来。

こんにちは。ふじゆりです。

この季節になると、そわそわしてきます。
店頭に「青梅」が並ぶのを見てしまうと、居ても立ってもいられなくなります。
ちょっと大げさですが・・。

梅シーズン到来

創業地・花祭は山のなか。
そう。場所探しのとき、なぜか山間ばかり探していたんですね。
「窯といえば、山!」という一般的イメージにそのままに(笑)

山に囲まれた古い農家屋での生活は、
自然の恩恵の素晴らしさも、その恐さも学び、「畏敬の念」という言葉の意味を体感するものでした。
ここがあるから今がある。
愛着をこめて「野生の王国」と呼んでいます。

で、梅です。
庭に立派な梅の木が3本も4本もあって、毎年みごとな実をつけます。
当初、ご近所のおばちゃんたちに「梅、漬けんともったいなかよ~」といわれても、
結婚するまでサラリーマン生活をしていたわたしは、どうしたらよいかわかりませんでした。

でも、長崎に住んでいた祖母がずっと梅干と味噌を手づくりしていたのを知っていたので、
よし、せっかくあるんだから自分もやってみよう!
と一念発起してまず買ったのが「梅ぢから」という本でした。

その本に導かれ、梅サワー・梅シロップ・梅酒・梅肉エキス・梅干と、いろいろチャレンジ。
なにしろ毎年たくさんの梅がとれるので、無駄にせぬよう必死です。
梅収穫前の草刈にはじまり、梅摘み、仕込と・・梅シーズンは体力勝負でした。

最近は必ず欲しいものとして「梅干」と「梅シロップ」を大量に漬け込んでいます。
おかげでここ20年、梅干に困ったことがありません。
すっぱいもの好きにとっては、たまらない贅沢です。

というわけで、梅の育ち具合チェック&草刈に佐賀・花祭へ。
今年もたくさんついています。
チェックだけのつもりが、思わず、すぐに採れるところから手を伸ばして収穫。
ぼうぼうの草もずいぶん刈ることができました。

そしてこの季節の楽しみのもうひとつは、ハチクと呼ばれる筍。
昨日も草刈をしていたら、近所のおじちゃんが
今採ってきたばかりと言って、たくさんの筍を持たせてくださいました。

近々の収穫第2弾が楽しみです。

お茶の本

こんにちは!ふじゆりです。

本日のタイトル「お茶の本」、そのまま本のタイトルです。

花祭窯でお抹茶

原題は「The book of Tea」、岡倉天心(岡倉覚三)が英語で書いた本です。

これは前回のブログで書いた
福原義春さんの『美-「見えないものをみる」ということ-』
のなかで紹介されていた本のなかの1冊でもあります。

The book of Tea

いくつかの出版社から出ています。
もともと英語で書かれたものなので
左頁に日本語、右頁に英語で、原文を確認しながら読めるこの本にしました。

「お茶の本」とありますが
実際には、お茶をとおして、禅(道教)の教えや、芸術のことなど
より広い視野で日本人の文化・精神性を説いた本です。

茶道に入門しているものとして学びの多い本であったのはもちろん、
個人的につぼにはまったのは、第五章の「芸術鑑賞」における岡倉天心の嘆き。

「昨今の芸術熱は上辺だけのもので、本物の感情に根ざしていないのが残念でならない」
「この民主主義という時代では、自分がどう思うかでなく、世間が良いと考えるものに人が殺到している」「人々は洗練されたものより値段の張るものを、美しいものより流行のものを求める」
「作品の質よりも芸術家の名前ばかりが重要視されている」
「収集家は(中略)分類することに必死になり過ぎて、芸術を少しも楽しんでいない」
「われわれは生活のなかの美を破壊することで芸術をも破壊している」

この本が出版されたのは1906年。
100年以上も前に、すでにこのような憂いがあったとは・・・。

本ふたつ

こんにちは!ふじゆりです。

前回の投稿からずいぶんと時間がたってしまいました。

錦牡丹文茶碗

津屋崎の花祭窯へは、遠路訪ねてきてくださる方も多くいらっしゃいます。
皆さん、ここを目的に、アポイントをとっていらしてくださる方がほとんどで、
ほんとうに嬉しくありがたいかぎりです。

お越しいただくと、2時間3時間とゆっくりお話をすることも多々。

今、そんな皆さまに、より器と空間を楽しんでいただけるよういろいろと考えています。
知恵をしぼり、たくさんの方の力を借りて、もうすぐ形になろうとしています。

この思いを形にするために、くりかえし読んでいる本がふたつ。

ひとつは先日もちょっと紹介した、福原義春さんの『美-「見えないものをみる」ということ-』
もうひとつが、岡倉天心『The Book of Tea』

『美-「見えないものをみる」ということ-』には、これまで自分が頭や心で思っていても
上手に言葉に変換できなかった思いが、たくさん文字になっていました。

●現代の問題点は「高水準でありながら(均質化されて)質の劣る暮らし」である。
●「文明が文化を駆逐する」のを阻止しなければならない。
●人間らしく生きていくためには、多様性と人間らしい感性(感受性)を取り戻すことが必要。

そして「美」(自然・本物・文化)は、単に贅沢なものなのではなく
「美とは人間にとって正義や愛と同じような、いわば本能的な価値」
というある種の結論に、とても納得したのでした。

また、とくに「ものづくり」という点では

●ものづくりを分業化せず一人で行うことによって、つくったものが、つくった人のアイデンティティや魂と一致する。
●「本歌取り」「見立て」によって日本人は文化を進化させてきた。これは「質を落としながらのコピー」とは根本的に異なる。
●過去の知的資産に触れることは、単に過去を知るだけではなく、何よりも未来を考えるのに役立つ。

というところに、深く共感したのでした。

著者の福原義春さんの教養の深さ・バックボーンの厚さには、とうてい辿り着けるものではありませんが
少しでも近づけるような空間づくりができればと思っています。

『The Book of Tea』については、また次回(^^)

論語忘年会。

こんにちは!ふじゆりです。

つづいております、週末朝のお楽しみ・論語。
一年の集大成として、論語メンバーでの忘年会を行いました。

「マイ・ベスト・論語」を
参加者それぞれが発表し、それを肴に呑むという会。

教科書を見返すと、マイ・ベスト候補がたくさんあって
どれを今年の自分にとっての一番と位置づけるか、
選ぶのもなかなか楽しい時間です。

論語を声に出して読もうin花祭窯

呑んで、食べて、論語を読んで
気がつけば四時間!

孔子先生のおかげでとっても楽しい時間を過ごしました。

2013年わたしの座右の論語。

「朋あり遠方より来る また楽しからずや」

遠方からも近くからも
お友達が集まってくれることに
心より感謝です。

花祭窯的ワクワク図書空間。

こんにちは!ふじゆりです。

わたくしごとですが、実は
ブックカフェを開きたい!
と思っていた時期があります。

かなーり本気でいろいろと調べ
それはほんとうに自分がやりたいことかと何度も問い直し
出た結論。

やりたいことは
ブックカフェを開くことというよりは
お茶を飲みながら本を読むための空間をつくること。

念願の本棚。古典、文学、美術書がたくさん。
花祭窯に念願の本棚がやってきました。

というわけで機会をうかがっていた・・・というわけではありませんが
ついに念願の本棚がやってきました。
なんとなくそれらしいスペースができつつあります。

ダンナのお父さんが集めていた蔵書がたくさんあったのだそうで
亡くなって以来20年近く、ひっそりと保管されていた本たち。
やっと表舞台に出すことができます。

お父さんありがとう。

花祭窯のワクワク図書空間がはじまります。