櫛田(くしだ)神社にお参りしてきました。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

博多の櫛田神社にお参りしてきました。

別に何ということではなかったのですが、お茶のお稽古の帰りにお天気が良かったので足を延ばしてみました。個人的なことではありますが、結婚式を挙げたのが櫛田神社。津屋崎に越してきてからは、津屋崎祇園山笠の「もと」である櫛田神社。ということで、ご縁をいただきお世話になっている神社です。

この季節の櫛田神社といえば、節分モード。今や櫛田神社の豆まきの代名詞ともいえる「日本一大きなおたふく面」が、神社への入り口となる鳥居に設置され、そのお多福さんの口から神社のなかに出入りするというのが、毎年の愉しみです。

節分といえば「恵方巻」の習慣が、このところ九州でもすっかり定着してきましたが、その「恵方」を示すのが、上の写真の「干支恵方盤」です。櫛田神社の楼門の天井に吊り下げられていて、毎年大晦日に新しい年の恵方を示すように矢印が回転されるのだそうです。

このような「干支恵方盤」なるものがあるとはつい数年前まで知らなかったのですが、実はダンナが似たようなものをつくっていました。

十二支(藤吉憲典)
藤吉憲典 作 十二支

そういえば、数年前に九州国立博物館で観たチベット展でも、同様に十二支を円形に配置した、同じようなサイズの立像群を見つけ、時代も国も違うところに同じ発想が既にあったのだと嬉しくなったのを思い出しました。

こういう偶然性をみると、創造性とかオリジナリティとか言っても、人の考えることって、昔から変わらない部分も大きいのかもしれないな、と感じます。

 

博多・櫛田神社の魅力は、こちらのサイトに詳しく載っています。
「博多の魅力―博多の名所 観光スポット」

博多方面お出かけの際は、ぜひ(^^)

お魚のこと。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

このところ「食」に関する話題が続きましたが…

ごはんと味噌汁、に思うこと。

【読書】一汁一菜でよいという提案

今日もまたタイムリーな話題があったので、

お魚のこと。

上の写真は、本日の藤吉家の夕食になるヤズ。ヤズというのは九州地方での呼び方で、ブリの若魚のこと。「ヤズ→ハマチ→ブリ」という出世魚なのですね。地域によって呼び方は異なるとか。ちなみに測ってみたら40㎝ほどでした。

ここ津屋崎には小さな漁港があって、隣接して「お魚センター」なる市場があります。開店時間の朝8時半になるとそこに向かい、お魚をチェックするのが、津屋崎に移転してきてからの藤吉家の日常です。

  • 並んでいるのは、切り身でなく「一匹」の姿です。

  • 今とれる魚貝海藻=旬が並びます。

  • お天気や海の都合で、何も並ばないときもあります。

これがあたりまえのこととして日常にあることのありがたさ。最近「食育」という言葉をやたらと耳にしますが、この環境そのものが食育だなぁ、とつくづく思います。

ここで初めて出会ったローカルな地魚も数え切れないほど。「美味しいけれど足が早い(いたみやすい)」ため他所には出回らない魚がいるのですね。初めて見る魚でも、近くにいる漁師さんやお魚センターのスタッフさんに「どうやって食べるのがおススメか」を聞いて帰ることができるので、心配ありません。贅沢なことです。

さらに藤吉家では、ダンナが「魚捌き(さばき)係」なので、魚が食卓に上がる日は、わたしはごはんと味噌汁さえ作ればあとはらくちん。週に3~4日はお魚なので、かなり楽をしています(笑)

さて、今日のタイムリーな話題というのは、西日本新聞の連載記事のひとつ、九州大学で比良松道一先生が取り組んでおられる「自炊塾」のレポートです。

毎回楽しみに拝読しているのですが、今回はお魚の話でした。このなかで、自炊塾の活動にボランティア協力をなさっている、福岡県宗像市のFRANCEYA(ふらんす屋)シェフ舩越清玄さんからの、魚食への最初のアドバイス「丸ごと魚を一匹買ってきてさばく」ことからはじめよう、というのがとても印象的でした。

九大(九州大学)自炊塾の記事に興味のある方は、西日本新聞のウェブサイトから「自炊塾」で検索すると、これまでの記事を見ることができます(2017年2月1日現在)。ぜひご覧になってみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

ごはんと味噌汁、に思うこと。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

昨年の秋に「朝食は一汁一菜」という話で

一汁一菜(いちじゅう いっさい)。

ごはんと味噌汁の偉大さを思っていたら

年が明けて「一汁一菜」の言葉をあちらこちらで耳にするようになりました。その理由のひとつが土井善晴さんの著書 『一汁一菜でよいという提案』

また、時を同じくして、日光みそのたまり漬 上澤梅太郎商店さん の朝食のご様子が『婦人之友』2月号で特集されているのを拝読。

どちらも、味噌汁が日本人の食生活のまんなかにあることを、しみじみと考えさせられる内容でした。ごはん、味噌汁、お漬物。ごはん、味噌汁、常備菜。たくさんの知恵とヒントがありました。

 

実は藤吉家には、ごはんと味噌汁にまつわる面白い話があります。

息子が4歳ぐらいの時、珍しく外食の機会がありました。家では和食がほとんどのため、普段あまり作らないものを食べよう、ということでイタリアンレストランへ。パスタやハンバーグをおいしく食べました。もちろん息子もご満悦。ところが家に帰り着くやいなや、息子に「今日の夜ご飯は?」と聞かれたのでした。

「え?もうお腹すいた?さっき食べたのが夜ご飯だよ」と言うわたしに、幼い彼は「だって、ごはんと味噌汁がなかったから、夜ご飯じゃないよ」と応えたのでした。そして「ごはんとお味噌汁食べないと眠れない」と。それからご飯を炊いてお味噌汁を作り、無事「夜ご飯」が完了したのでした。

ほのぼのとした笑い話ではありますが、このときに「ごはんと味噌汁」の偉大さを、身をもって感じたのでした。そんなわけで、今でも藤吉家の食卓は、ごはんと味噌汁がメインなのです。

本 『一汁一菜でよいという提案』の読後感想は、また次回(^^)

 

 

博多でカメラ講座。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

昨日は九州ECミーティングの勉強会、
博多で「カメラ講座」でした。

「九州ECミーティング」は、2005年1月、EC事業に関する情報過疎地であった九州でも「大阪東京並みの情報を得られる場」を作る目的で結成されました。EC事業者が集い、EC事業に役立つ情報交換、提供を行っています。運営はボランティアによって成り立っています。

さて久しぶりのカメラ講座。今回の講師は、野村優写真事務所の野村 優さんと、『Photo Life Laboratory ULYSSES』魚住 謙介さん

まあ、EC業界的に見て、なんとも豪勢な講師陣(^^)

13時半開始から18時前まで。カメラのいろいろな設定や技術的な話、ちょっとしたコツ、試しに撮ってみるワークなど充実した半日。なかでも、わたし的には「考え方」の部分がとても響きました。

  • 「何を見て、何を感じて、どう撮りたいと思ったか。」に意識を向けることが、まず大切であるということ。カメラの設定や機能は、それを実現するためのもの。
  • 日々たくさんの写真を目にするなかで「自分にとって魅力的な写真」の傾向に気づくことが、自分で「魅力的な写真」を撮れるようになるための第一歩。
  • 被写体に対する愛情を一番持っている人が、その被写体の最も魅力的な写真を撮ることができる(はず!)。どのアングルからどう捉えたときに、その被写体が一番可愛く(格好良く、素敵に…)写るかを知っておくことが大切。

今日はさっそく習ったことを復習しながらいくつか試し撮り(^^)

藤吉憲典 絵付
藤吉憲典の絵付の様子。

 

窯のメンテナンスをしていました。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

花祭窯では、一昨日から昨日にかけて

窯のメンテナンスをしていました。

今使っているのは「電気窯」です。「陶芸の窯」というと「薪ですか?」という反応をいただくことが少なくないのですが。磁器の場合、できるだけイメージした生地の状態で仕上げることが、形や絵(文様)の美しさを楽しんでいただく要にもなりますので、安定した品質を追求すると電気・ガスを燃料とした窯になります。

ひとつのうつわ・作品が出来上がるまで、染付の場合は素焼きと本窯の2回、赤絵の場合は素焼き・本窯焼成・赤絵窯と3回ほど窯に入ります。赤絵の絵付が全面に及んでいるものについては、赤絵窯に2回3回と入るものもあり、そうすると全部で4~5回。というようなサイクル。

花祭窯ではここ数年は月に1~2サイクルの頻度で窯を焚いていましたので、ざっと数えて窯に火が入ったのが年間約60回。津屋崎に越してきてからの5年間で約300回。ずいぶん働いてくれたことになります。

窯のメンテナンスは、佐賀県有田にある水野キルンさんにお願いしました。窯の購入・設置もこちらでしたので、安心してお任せしています。窯業を地場産業とする佐賀県有田ですが、ここ20年ほどで窯元やメーカーの数が激減。それに伴い関連産業の会社もどんどん減ってきました。窯屋さんもそのひとつで、今なお営業をなさっている水野キルンさんには、各地から窯の設置やメンテナンスの要望が絶えずお忙しそう。そんななか、二日間をかけて窯のメンテナンスを行ってくださいました。

今日は春節。図らずも旧正月を迎えるタイミングで窯のメンテナンスができたことに感謝です。

 

暖簾(のれん)到着。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

暖簾(のれん)が到着しました!

2012年に工房を津屋崎に移転したとき、お客さまにお越しいただける展示スペースを少し作ることができたので、初めて花祭窯の暖簾を作りました。その暖簾が昨年末で引退。というのも、花祭窯は海のすぐ近くにあるため、潮を浴びて生地の劣化が進みやすく、あちらこちら破けてしまったのです。

津屋崎の海

ご近所でご商売をなさっている方から「のれん、外に出してると潮ですぐ破けやすくなるよ~!」とお聞きしてはいたのですが、ほんとうにそうでした。破れたり引っ掛けたりするたび、裏に布を当てて繕ってきましたが、その箇所が増えてだんだん追いつかなくなり、創業20周年を前に新調することにいたしました。

潮は仕方がないにしても、少しでも長持ちするものをと思い今回ご相談したのが、仙台にある永勘染工場(ながかんそめこうじょう)さん

明治20年創業の永勘染工場さんがあるのは、江戸時代初期に整備された染師の町・南染師町。わたしはまだ訪問したことが無いのですが、お友達が訪問した時の様子を教えてくださり、またメールでのやり取りのなかで、わかりやすく的確なご提案をいただいたことが決め手となって、暖簾制作をお願いすることにしました。

で、本日到着したのが写真の暖簾。生地は厚地天竺、色は「棗紫」というのだそうです。なつめむらさき、と読むのかなと思ったら、ツァオ・ツーと読む中国の伝統色のようですね。中国でも紫は天帝の色として人気の色。ばっちり気に入りました(^^)

花祭窯へお越しの皆さま、これからこの暖簾が目印となります。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

福。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

あちらこちらで節分の恵方巻の宣伝を見かけます。そろそろ我が家でも豆まきの準備が気になってきました。

豆まきといえば

鬼は外、は内。

この「福」の字、やきものの文様として古くから親しまれ、好まれています

やきものの文様については、中国文化の影響を大きく受けている肥前磁器。中国でも「福」の文字はたいへん喜ばれる文字なのですね。

一例として、中国ではコウモリが「福を呼ぶ」としてたいへん人気で、コウモリ文様がおめでたい吉祥文様として定着しています。その理由は、

コウモリを漢字で書くと「蝙蝠」 で「蝠」が「福」の字に似ているから。

それほどに「福」という字に愛着があるのですね。

 

赤絵蝙蝠文蕎麦猪口(藤吉憲典)
赤絵蝙蝠文蕎麦猪口(藤吉憲典 作)

蝙蝠(コウモリ)の字だけでなくデザインそのものが吉祥文様となっています。上の写真は古伊万里の時代から人気の古典文様。もともとは中国磁器の人気文様を写したものです。向かい合わせの蝙蝠も福々しさに魔除けの赤。現代でも通の間で根強い人気です。

染付福鬼文蕎麦猪口(藤吉憲典)
染付福鬼文蕎麦猪口(藤吉憲典)

こちらは、藤吉憲典オリジナル文様の「福鬼文」。お多福さんの反対側は、鬼の絵になっています(^^)

 

金柑炊いてます。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

今、金柑炊いてます。

創業地・佐賀県江北町にある花祭は自然豊かな山間地です。傾斜地ではありましたが、庭というか山というかちょっとした土地があったので、嬉しくて木をたくさん植えています。食いしん坊なので、実の成る木ばかり(笑)。そのなかのひとつが、金柑です。

植えてから20年ほどになります。金柑の木は1本だけですが、毎年たくさんの実をつけてくれて、この冬も豊作でした。年末から年始ごろ、色づいてきたら収穫してきて、甘露煮にするのがすっかり習いになりました。

この金柑、今でこそ毎年数え切れない数の実がつきますが、小さな苗を買ってきて地植えした最初の三年間は、花は咲けども実はつかず。やっぱりもう1本増やしてあげたほうがいいのかなぁ、と思いはじめた矢先に最初の3粒が実りました。このときの嬉しかったことは言うまでもありません。

その翌年には9粒。そのまた翌年には15粒を超え、そのあとは毎年どんどん実が増えていきました。花祭は野鳥がたくさんやってくる場所でもあるのですが、その野鳥も南天・モチノキ・ピラカンサスなどの赤い実の次に、金柑をねらって飛んでくるようになりました。

というわけで、今年も金柑炊いてます。

のどの痛みや風邪に効くといわれていますよね。効果のほどはよくわかりませんが、とりあえず、おいしいので冬の楽しみの一つです。ただ毎回量が多いので、甘露煮以外にも簡単で美味しいレシピ無いかな~、というのが正直なところ。

金柑レシピご存知の方、ぜひ教えてください!

 

 

 

波折神社でお宮座。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

今日は年に一度の地域の安全祈願でした。

波折神社でお宮座。

津屋崎はいくつかの「区」に分かれており、花祭窯があるのは「新町区」。区がさらにいくつかの「組」に分かれていて、新年の安全祈願をするお宮座は「組」の単位で行われています。

時間前にご近所さんが声をかけてくださり、誘い合わせてお散歩がてら神社へ。神主さんの祝詞と太鼓に玉串の奉納、二礼二拍手一礼。毎年初めに安全祈願のお祓いを受けることができる、ありがたい時間です。

津屋崎の氏神様、波折(なみおり)神社。夏に行われる津屋崎祇園山笠も、秋に行われるおくんちも、波折神社のお祭りです。節分の豆まき行事もあります。子どもたちは日頃から境内で遊び、お祭りのたびに老若男女が集まり、文字通り津屋崎の中心。

神社の名前の由来は、


その昔、漁師3人が沖合で釣りをしていると、急に海が荒れ始めました。神様に祈ると三神が現れ、その助けによって、荒波を折ってやっと鼓島に漂着、波風が収まるのを待つことにしました。待っている間に食べ物がなくなると、また神様が現れて食べ物を与えられ、飢えをしのぐことができました。波風が収まり、神様が去ったあと、気が付くと船に三つの石があったので、漁師たちはそれを持ち帰って神体とし、社を建ててお祭りをしました。それで、波折神社というようになったとのことです。【福津市のホームページより】


波折神社にはじめてお参りした時、境内に見つけて驚愕したのが、波に乗ったウサギの姿を彫った石塔でした。神社の由来から、どなたかが寄贈なさったのだと思われますが、それがまさに、日ごろからダンナ・藤吉憲典がやきものに描いている「波兎文様」そのままの構図だったのです。こういう偶然があるのだなぁと、嬉しくなりました。

さてお宮座のあとは、ご近所のうどん屋さんでおしゃべりをしながらのお食事。これがまた、ご近所付き合いの楽しみの一つです(^^)

 

 

酒粕の愉しみ。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

寒い季節の楽しみのひとつ、あったかい甘酒。
ご近所の豊村酒造さんで、今年も酒粕の販売が始まりました。

酒粕の愉しみ。

酒粕を使っての甘酒は、飲みたいときにサッと作れる手軽さがなによりの魅力です。気分に合わせて粕の量を増やしたり減らしたりして、好みの濃さでいただけるのも嬉しい。「半インスタント」とでも言いましょうか、不器用なわたしでもまず失敗がありません。

この手軽さのおかげで「冬は酒粕で甘酒」がすっかり習慣に。毎年、酒粕でつくるのは甘酒ばっかり…という状態が続いておりました。

が、本日豊村酒造さんに立ち寄ったところ「甘酒の作り方」「粕汁の作り方」「野菜の粕漬の作り方」が書かれたチラシ発見!このところお手製ぬか漬けのおいしさにハマっている身としては、やはり「粕漬け」を外すわけには参りません。というわけで、さっそく試し漬け。数日後の漬かり具合に乞うご期待というところです。

 

ところで…写真の甘酒の器に目が行った方があると思います。白い甘酒を映えるように撮りたいな、と思って真っ先に頭に浮かんだのがこの器。

浅井純介さんのおつくりになった織部(おりべ)で贅沢にいただきました(^^)