読書『わたしたちが孤児だったころ』(早川epi文庫)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『わたしたちが孤児だったころ』(早川epi文庫)

カズオ・イシグロブーム、続行中のふじゆりです。発刊された順番を考えずに読んでいたのですが、直前に読んだ『充たされざる者』のイメージとの既視感を覚え、思わず順番を確認していました。

『充たされざる者』が1995年、その次作が2000年の『わたしたちが孤児だったころ』で、偶然ですが、わたしの読んだ順番と合っていました。なるほど納得です。

『わたしたちが孤児だったころ』の訳者あとがきで「語り手でもある主人公が嘘をつく」というような解説があり、それが独特の世界観を生み出しているのですが、この世界観は『充たされざる者』で極端にしつこく(笑)描かれていたもので、その名残が『わたしたちが孤児だったころ』にもあったなぁ、という感じでした。

「語り手でもある主人公が嘘をつく」 。そのために物語のあちらこちらに矛盾やほころびが生まれ、読み手は違和感に苛まれます。この違和感に対峙しながら読み進めるのは、モヤモヤを楽しむ余裕が無いと難しいかもしれません。これは『充たされざる者』のほうが顕著ですが。

語り手でもある主人公が嘘をつくのは、「嘘をついてやろう」という意図のもとではありません。もちろん語らせているカズオ・イシグロさんには大いなる意図があるのですが(笑)。いわば語り手の「記憶の取り違え」や「思い込み」をベースに話が進む。決して本人には嘘をついているつもりはない。だからこそ読者は袋小路に迷い込む…。

でも、これは実は、自分の人生を見つめる自分の目線そのものだということに、気づかされてハッとしました。実際どうであったか、ではなく、その時自分はどうとらえていたか、ということ。そのことが自分にとっては事実よりも最も重要であったということ。

過去の事実は変えることはできないけれど、その事実をどう認識するか、捉え方・解釈を変えることはできる。そんなことも考えさせられる本でした。