津屋崎陶片ミュージアム@花祭窯、展示替え。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

津屋崎陶片ミュージアム@花祭窯、展示替え。

久しぶりに津屋崎陶片ミュージアムのお話。展示棚を変えたいな、などと思いながら、このところ放置状態になっておりました津屋崎陶片ミュージアム。ほぼ毎日海辺の散歩に出かけるダンナが、いいカケラを見つけては拾ってくる日常は変わりありませんので、日々陶片の数は増え続けています。

先日行われたメディアの取材に先立ち、ディレクターさんに肥前磁器の歴史と伝統文化、そして現代へのつながりを理解していただくのに、陶片を使って説明するとビジュアル的に説得力もあり、とてもわかりやすいということが判明。

簡易的なものながら、キャプションパネル(文字による説明)も新しく作り直し、肥前磁器作家・藤吉憲典に、今回の番組テーマにおススメの陶片を選んでもらいました。大量にある陶片のなかからの、ほんの一部を選りすぐり。テーマによって、どんな陶片をどう見せるかは変わってくるので、やはり定期的な展示替えも必要だなぁ、などと思いつつ。

津屋崎陶片ミュージアム@花祭窯

津屋崎陶片ミュージアム@花祭窯

津屋崎陶片ミュージアム@花祭窯

「いずれはこんな風に展示したい」の陶片展示イメージが頭の中にあります。お手本は、東京出光美術館の陶片室。保存収納と展示を兼ね備えた引き出し式の展示棚が秀逸で、これを花祭窯のギャラリースペースに収まるサイズで作ってもらえたらいいなと妄想しています。

陶片の整理整頓。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

陶片の整理整頓。

梅雨を前に、ダンナの仕事場の整理整頓を断行。とはいえ花祭窯の工房は、基本的に仕事場は作家本人以外立ち入り禁止です。わたしは外側からアプローチ。仕事場の裏手にある、大きくなり過ぎたヤツデの木の枝を落としてみたり、草むしりをしてみたりと、さりげなくプレッシャーをかけてみました。

周りでガサゴソとしていたら、作家本人も「整理整頓」に重い腰を上げてくれました。まずは毎朝の海散歩で拾ってくる貝殻の選り分けからスタート。ほぼ毎日拾ってくる貝殻は、種類も多様なら数も大量です。上の写真は、貝殻や陶片を目当てに散歩するダンナ。海は遠くへ向かって開けているのに、下ばかり向いているという(笑)

貝殻の整理整頓が終わったら、次は陶片の整理整頓。これまたほぼ毎日海辺で拾ってくるので、一回に拾ってくるのは2-3ピースでも、これが350日以上×8年とすると…!?という量に積みあがっています。毎日少しづつすべきだったけれど、と今さら反省。

肥前磁器の担い手として、資料的価値を感じるモノ、未来に残したいものを選んでいこうということで、選別はダンナにお任せすることに。陶片を見てすぐにそれがどういうものかを判別できる知識と経験の量は、さすがです。わたしは学芸員資格は持っていますが、この場面ではそんなことは意味をなさず、かないません。この景色を見るたびに、もっと勉強しなきゃと思います。

思いがけず陶片の整理がはじまったので、これはチャンス。今年は陶片ミュージアムに向けて歩を進めてまいります。まずは専用の展示棚があると、さらにモチベーションが上がるな、と思いつつ。年内にひとつカタチにしたいです。

理想は「東京の出光美術館」にある、陶片室。あのように一つの部屋をまるまる使えると嬉しいですが、工房兼ギャラリーのスペースを考えると、それはちょっと難しい。花祭窯の陶片ミュージアムでは、常設でご覧いただける広さは展示棚ひとつ分ぐらいかなぁ、と。ともあれ、嬉しい妄想が膨らむ五月末です。

東京日帰り―出光美術館。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

東京日帰り―出光美術館。

どうしても東京に行きたい用事(仕事です!)があって、日帰り出張。これが無理なくできるのですから、福岡は便利ですね。

仕事のあと帰りの飛行機まで少し時間に余裕があったので、これまでなかなか足を運ぶことができていなかった「東京の出光美術館」にやっと行ってまいりました。我が家でふだん「出光美術館」というと、北九州門司にある出光美術館なのですが(^^)

特別展は「染付」。さて出光さんといえば、仙厓さんのコレクションと陶磁器のコレクション。今回の染付展もたくさんの収蔵品を拝むことができました。

個人的に「おおーっ」と思ったのは、景徳鎮の青花扁壺、同じく景徳鎮の少し小さめの祥瑞茶碗、祥瑞に兎の皿、豆彩(とうさい)の数々でした。とくに豆彩のなかに、これ欲しい!と思うものがいくつかありました。やきものを見る時はいつも、無意識のうちに「これを藤吉憲典が作り直したものを見てみたい」という見方をしてしまいます。

特別展を観たあと、今回の出光訪問の一番の目的「陶片室」へ。津屋崎陶片ミュージアムの設立を企むわたしとしては、この陶片室がどのように展示管理されているのかが、とっても気になっていたのです。

いやはや、勉強になりました。やはり現場を自分の目で歩いて見るのが一番ですね。と同時に、多様な陶磁器の分野を網羅・研究している出光の陶片室に対して、古伊万里や宋時代の青磁などいくつかの分野においては、現在うちにある陶片の顔ぶれも決して引けを取るものではないと感じて嬉しくなりました。

出光美術館の陶片室は、古陶磁を学ぶための展示室として、昭和41年の開館と同時に開設されたのだそうです。小山冨士夫氏の尽力によるものと聞いて、なるほどと思いました。 小山氏は出光美術館の理事でもいらっしゃるのですね。

ますます陶片ミュージアムへのモチベーションが上がってきました(^^)

眼福で胸いっぱいになったところで、しばしロビーから皇居を臨む景色を楽しみました。フリードリンクのお茶が用意されているのが、嬉しい心遣いでした。東京の出光美術館での染付展は3月24日(日)までです。

学芸員研修 in 宗像

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

学芸員研修 in 宗像

一年間受講してきた2018年度の学芸員研修の仕上げに、講座に参加した学芸員が所属する館を実際に観に行き考察を深めよう!というバスツアーが計画されました。その最終回が宗像~福津でした。

当日は世界遺産ガイダンス施設としての海の道むなかた館見学からスタート。 特別展「漫画×考古学『宗像教授帰省録』」 開催中で、いいタイミングでした。

海の道むなかた館の西谷正館長による世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の解説講義のあと、「地域学芸員」と呼ばれるボランティアスタッフさんによる展示解説を経て、3D映像による沖ノ島の映像を体験。その後、ディスカッション。

今回は学芸員を目指す学生さんのご参加も多かったのですが、「展示方法」についてのグループディスカッションでは、キャプション・光源・展示台の高さ・壁面の活かし方・ユニバーサルデザインについて、鋭い意見がいくつも出ました。

お昼ご飯の後は「宗像大社神宝館」で世界遺産から出土した国宝ザクザクの展示を堪能。ここでも展示方法についての考察をしながら観覧。個人的には、むなかた館も神宝館も、ともに映像資料が展示を補足する資料として大きな役割を果たしていることをあらためて感じました。

宗像を後にして、一路、花祭窯に向かいます。ここからは、わたしの担当(笑)バスの車中では世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群新原奴山古墳群を車窓から眺めつつ解説し、これから向かう「津屋崎千軒」エリアマップを配って、地域が抱える課題について皆さんに情報提供。

短い時間ではありましたが、豊村酒造、藍の家、花祭窯という狭いエリアでの視察を通して、地域共創・コミュニティ再生における文化や博物館の役割を考えてもらえたら、という意図をもって案内をしました。

おかげさまで、参加者としても、案内者としても充実した研修となりました。貴重な機会をくださった九州産業大学の緒方泉先生に感謝申しあげます!

陶片拾い。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

陶片拾い。

このところ「津屋崎陶片ミュージアム」の記事を更新することができていませんが、相変わらずダンナ・藤吉憲典はせっせと陶片を拾ってきます(笑)

昨日は久しぶりに「丸っと一日陶片拾い」を楽しみました。先日、佐賀県立美術館・博物館での「博物館教育」研修会でお世話になった、日本での美術館教育の第一人者・齋正弘先生が遊びにいらしての、陶片拾い。

陶片拾い初体験の齋先生、福間海岸の端っこから津屋崎海岸の端っこまで、ひたすら下を向いての砂浜歩きです。あいにく(陶片探しにとっては、あいにく)ここ数日は風がそれほど強くなかったので、あまり上がっていないかもしれません、という前置きをしつつ。風が吹いて波が高く、海底を混ぜっ返すような天気の後だと、陶片はじめいろいろなものが砂浜に上がってきます。

が、ビギナーズラックというのでしょうか、最初の浜で見つけたのは、縦横5-6センチある初期伊万里とみられる陶片でした。これに気をよくして、どんどん歩きます。

途中、見ること・探すこと・観察することの面白さや、これだけでかなり面白い美術教育ができるよね、という話、花祭窯で計画している「陶片ミュージアム」構想のことなど、ざっくばらんにおしゃべりしつつ。でもほとんどは無言で夢中で探しました。

夕方、花祭窯に戻って成果をダンナに報告。拾ってきたひとつひとつの陶片に解釈を付け、またダンナの持っている大量の陶片から、自慢の品の解説を聞くという、マニアックな時間を過ごしました。初体験の1日としては成果もまずまずで、なによりも「陶片を探す」という行為そのものがとても楽しかったとご感想をいただき、思わずにっこり。

おかげさまで、わたしもまた陶片ミュージアム構想を前に進めることができそうです。

津屋崎陶片ミュージアム:H290712染付のお皿。丁寧な仕事。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

津屋崎陶片ミュージアム:染付のお皿。丁寧な仕事。

有田焼の磁器生産は歴史的に各工程が「完全分業」です。そのため、海あがりの陶片も「せっかく形はきれいなのに、絵付がひどい」とか、絵付のなかでも「線描きはこんなに丁寧なのに、ダミ(色塗り)がどうしてこうなる?」とか、「表はきちんと描いているのに、裏が恐ろしく手抜き」とかいうものが、少なくありません。

そんななかダンナが拾ってきた、染付のお皿。

津屋崎陶片ミュージアム:丁寧な染付

唐草も地紋も、見込の松竹梅も、とっても丁寧に描かれています。

津屋崎陶片ミュージアム:丁寧な染付

高台がきっちりきれいに仕上げられていて、お皿の裏側にもきちんと絵付が施してあります。

このように形のつくりも、表も裏も、丁寧になされている陶片を見つけると、無条件に嬉しくなります。関わった職人さん皆が丁寧にいい仕事をしたもの。

こういう仕事を見つけると、つくり手も背筋の伸びる思いがするようです。

ちなみにこの「完全分業」、いまだに佐賀有田の産地では継承されていますが、「高度な専門化を目指した結果」というのは実は表向きで、江戸時代に職人技術の他藩への流出を防ぐための方法として、佐賀鍋島藩が敷いた方針だったというのがほんとうのところのようです。

 

津屋崎陶片ミュージアム:H290707宋・龍泉窯系青磁。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

津屋崎陶片ミュージアム:宋の龍泉窯系青磁。

上の写真は、福津市津屋崎小学校内にある在自西ノ後遺跡(あらじにしのあといせき)の展示です。わかりやすい解説付きで、遺跡がそのまま残っているほか、遺物の展示も行われているので、小学校に足を運ぶ機会があるたびに、思わず見入ってしまいます。

そのなかに「これ見たことがある!」というものがいくつもあるので、今回は、展示されている龍泉窯系青磁と同じ文様のものを、海あがりの陶片から探してみました。

津屋崎陶片ミュージアム:龍泉窯系青磁

津屋崎陶片ミュージアム:龍泉窯系青磁

津屋崎陶片ミュージアム:龍泉窯系青磁

やはり同じものがあがっているのですね。こうしてルーツが明らかになる嬉しさも、陶片の愉しみのひとつです。

青磁の陶片はこれまでにも何回も(笑)

津屋崎陶片ミュージアム:H290620青磁いろいろ。

在自西ノ後遺跡については、こちらにも取り上げています(^^)

津屋崎陶片ミュージアム~青磁の陶片

津屋崎陶片ミュージアム:H290704幕末の金襴手大皿

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

津屋崎陶片ミュージアム:幕末の金襴手(きんらんで)大皿

津屋崎陶片ミュージアム幕末金襴手大皿

別の日に見つかった二つの陶片。同じ大皿の一部と思われます。こういうことがたまに起こるのがまた、海あがり陶片の面白さ。

染付の藍色の部分はガラス質の釉薬の下に描かれているので、海で洗われても絵が落ちないのですが、器の表面に描かれる赤絵(上絵)は消えてしまうことが多いです。赤の色が残った貴重なカケラ。

よく見ると何も描かれていないようにみえる面にも、絵が描かれた跡がうっすらとあるのです。松の木、梅の枝、波が描かれていたのかな。何色が使われていたのかなぁと、気になります。

津屋崎陶片ミュージアム幕末金襴手大皿

このころはお皿の高台が大きいものが多いようですが、それでも尺(約30cm)はあるのではないかと思われるサイズの大皿です。

幕末~明治ごろの金襴手は以前にも紹介したことがありました。

津屋崎陶片ミュージアム:H290301001

津屋崎陶片ミュージアム:H290630土ものの高台。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

津屋崎陶片ミュージアム:土ものの高台。

浜辺を歩いていて、どうしても染付赤絵の磁器が目につくので、それを拾ってくることが多いのですが、土ものもたくさん上がります。実際のところ、江戸期の塩田跡の発掘をお手伝いしていた時に出てきたのは、磁器よりも土ものの方が多かったのでした。

本日は、土もの三つ。ロクロで引いた碗です。三つとも高台がきれいに残っていて、面白いなぁ、と思いました。ロクロでひくと、底に向かうにしたがって生地が厚くなるので、高台周りが(後処理で削りすぎない限り)一番丈夫になって割れにくいのかもしれません。

津屋崎陶片ミュージアム土もの高台

↑土ものの生地の上に、白土で化粧してあります。高台の内側にも釉薬がかかっているのが、土ものには珍しいと思いました。側面には波文様のような彫文様。彫に白化粧ということで技法的には三島手のような感じかと思いきや、現川(うつつがわ)焼にこのような技法があるということで、彫に見えたのは刷毛による文様かも知れません。

津屋崎陶片ミュージアム土もの高台

↑黒っぽい釉薬がかかっています。釉薬をかけたあと、高台際をきれいに剝いだようで、きっちりと色が分かれています。写真はやや白っぽく映っていますが、いかにも粘土っぽい赤い土です。高台なかに見えるヒビは、残念ながら器の内側まで入っていますので、使うと水漏れしたでしょう。碗全体が割れるには至らなかったようです。

津屋崎陶片ミュージアム土もの高台

↑土の感じ、釉薬の感じから、萩っぽいですね。キッチリと仕上げられた高台です。上の二つと異なり、釉薬は流れるまま。釉薬のかけ方ひとつとっても、違いが見て取れて面白いのです。

 

土もののうつわ、これまでにも唐津系の燈明皿の類をご紹介しています(^^)

津屋崎陶片ミュージアム:H29041901明かりの道具

津屋崎陶片ミュージアム:H290331001~明りの道具(ひょう燭)。

 

津屋崎陶片ミュージアム:H290620青磁いろいろ。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

日々増え続ける津屋崎陶片ミュージアムの陶片。本日は青磁です。

津屋崎陶片ミュージアム:青磁いろいろ。

そういえば、このブログで一番最初にご紹介したのも、青磁でした。

津屋崎陶片ミュージアム~宋の青磁~H260614001

中国は宋の時代(12-13世紀)の青磁の数々。宋の貿易商人が持ち込んだ輸入磁器と見られています。

ひとことで青磁といっても、その青の色もいろいろ。彫りこまれた文様もいろいろ。その一端を垣間見ていただけるかなと思い、並べてみました。

津屋崎陶片ミュージアム青磁

青磁というのは青磁釉と呼ばれる釉薬(ゆうやく)をかけて焼成された磁器です。磁器では、ロクロなどで形をつくったのち素焼をし、下絵付(染付)や彫りによって文様を入れ、ガラス質に焼きあがる釉薬をかけて本窯焼成して出来上がります。(赤絵(上絵)のついたものは、このあとにさらに絵付があり、赤絵窯で焼成します。)

津屋崎陶片ミュージアム青磁

同じ釉薬でも、釉薬のかかり方、厚みによって色の出方・文様の出方がかなり変わってきます陶片の良さは、割れているゆえに断面を観ることができること。「けっこうたっぷり釉薬がかかっているね」などと言いながら、このように磁器の生地の表面にガラス質の青磁釉がかかっている様子を見ることができるのも、大きな楽しみのひとつです。