読書『自負と偏見』(新潮文庫)ジェイン・オースティン著/小山太一訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『自負と偏見』(新潮文庫)ジェイン・オースティン著/小山太一訳

いつものカメリアステージから借りて参りました。個人的「読んでいなかった古典名作」シリーズの一冊です。あれ?『高慢と偏見』じゃなかったっけ?と思ったら、原著は同じで、ちくま文庫から出ているのが『高慢と偏見』なのですね。新潮文庫版は『自負と偏見』。出版社により、訳者により、使う言葉や解釈が微妙に異なってきますね。同じ出版社でも、時間を経て別の訳者による「新訳」シリーズが出て、それまでのものと比較できるのも、古典の面白さなのかもしれません。

さて、初オースティンです。なにかの本で『高慢と偏見』は読んだほうが良い、と書いてあるのを見た記憶があり、ただそれだけで借りてきました。何に書いてあったのかなぁ。そんなわけですので、ストーリーはまったく知りませんでした。ですから、読み始めてびっくり。『自負(高慢)と偏見』のタイトルから勝手にイメージしていたのは、哲学的なちょっと屁理屈ばったものかもしれない…だったのですが、実態は、昼ドラ顔負けのラブロマンス!?だったのですね。

登場人物のキャラクターそれぞれにあくが強すぎて、「過剰」な空気感がストーリー全体を覆っていました。感情移入できる相手がなかなかいないぞ、と最初は思いましたが、気が付けば、何人もの登場人物のなかに少しづつ自分に重なるものがあり。そして重なるのは自分の「嫌な部分」だったりするものですから、なんとも決まりの悪い思いをしながらの読書となりました。

文庫の巻末に、訳者による「ジェイン・オースティン略年譜」が付いていて、時代背景をイメージするのにとても参考になりました。桐野夏生さんの解説も面白かった。なるほど、どのような時代だったのか、を考えてストーリーを思い返すと、単なるラブロマンスのドタバタ劇とは異なったシビアな側面が見えてきました。桐野夏生さんが「極端なキャラクターの登場人物こそが小説を面白くする」というようなことを、巻末のあとがきに書いておられて、説得力がありました(笑)。

映画になっているのかしら、と調べてみたら、『プライドと偏見』のタイトルで2005年に映画化されていたようですね。さぞかし感情の起伏の激しい映画になったのではないでしょうか。観てみたいような、観たくないような、です^^

「医療とアート」について思うこと―ARTnews JAPANのシリーズ記事から

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「医療とアート」について思うこと―ARTnews JAPANのシリーズ記事から

この2026年10月から、このブログに「気になったニュースから」のカテゴリーを追加しました。スタートしたばかりで記事数が少ないので、頑張って連続で上げて行きたいな、と思っています。ニュースソースとしては、新聞・雑誌・ウェブコンテンツなど。記事について思ったことをつらつら書くスタイルです。出典元を記載しますので、関心のある方はぜひ元ネタにあたってみてくださいね。

ふたたび、ARTnews JAPAN(アートニュースジャパン)の記事から。【医療とアートの最前線】なる連載物を見つけました。最新記事のタイトルは、『認知症にアートは「効く」のか──イギリスの「Arts for Dementia」が示す創作の力』。「アートと健康」については、福岡では「博物館浴」を提唱する九州産業大学地域共創学部・特任教授の緒方泉先生のもと、比較的早い時期から学びの場がありました。毎年のシンポジウムでは、英国での最新の取り組みをお聞きすることができ、とても恵まれた環境だと思います。

さて『認知症にアートは「効く」のか──イギリスの「Arts for Dementia」が示す創作の力』の記事。ワークショップへの参加者が、手や身体を動かして参加する「創作活動」についての記述に興味が沸きました。ワークショップがどのように進められるのか、そこで助言をするアーティストたちがどのようにかかわっていくのか、そしてその結果として、どのような成果・効果が見込まれるのか。

わたしがこれまでに学んできたところでは、音楽療法では、実際に楽器を使ったりという身体的なアプローチでしたが、美術分野では、回想法などのアプローチ、すなわち体を動かすというよりは「観て、話す」が多かったです。なのでこの記事で、陶芸、彫金、モザイクなどの「モノをつくる」を取り入れる方法、その過程で出てくるさまざまな課題を垣間見ることができたのは、とても良かったです。

Arts for Dementiaのペニー・フォステン氏が、ワークショップの目的を「セラピーではない」とし、『その目的はあくまで「アイデンティティや好奇心、喜びを探求する楽しみ」であり、患者も介護を担う家族も、「病気に支配されがちな日常から離れ、認知症患者というレッテルから自由になること』(ARTnews JAPANの記事より)としていることに、目を開かされる思いでした。

緒方泉先生による「アートと健康」へのアプローチでは、2018年に「博物館と高齢者の健康・幸福感」のテーマがまず掲げられました。2020年のコロナ禍を経て、あらゆる世代に向けての、より緊急かつ重要な課題として「博物館と健康・幸福感」がテーマになってきています。一番上の写真は2025年度のシンポジウムのもので、この時の大テーマは、「博物館と医療・福祉のよりよい関係」でした。ARTnews JAPANの記事を読みながら、身近で同様のテーマを学ぶ機会をいただいていることのありがたさを、つくづくと感じました。

読書『燃えよ剣』(新潮社)司馬遼太郎著

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読書『燃えよ剣』(新潮社)司馬遼太郎著

これまたいつものカメリアステージ図書館から、長期休館につき多めに借りてきたなかの一冊。ついに、司馬遼太郎さんに手を伸ばしてしまいました。わたしのなかで司馬遼太郎さんの棚と山崎豊子さんの棚が、図書館で手に取る際に「要注意!」な棚です。その理由は、ファンの方々なら察していただけると思いますが、冊数が多いこと。何年か前に、山崎豊子さんについては、3巻以内で完結するものを読む、ということをやりました。両氏とも、1~2冊で終わるものを探すのが難しい(笑)。

さて『燃えよ剣』は、上下巻二冊ですので比較的短めで、まずはここからです。司馬遼太郎作品はこれが初めてのはずなのに、読み始めて100ページほど進むうちに、既視感を感じました。そして200ページほど読み進めたころには、既視感の正体がわかりました。三谷幸喜脚本の『新選組!』はこれを底本としていたのですね。とっくにご存じの方々には「なにを今頃」かもしれませんが^^

そうと気が付いてからは(気付く前からかもしれませんが)、脳内イメージは、近藤勇は香取慎吾、土方歳三は山本耕史、沖田総司は藤原達也…と、すっかり三谷脚本の顔ぶれです。そういうこともいくらかは影響したのだと思いますが、まあ面白くて、ページの進むこと進むこと。先日京都御所を散策していたのも、思いがけずタイムリーでした。「蛤御門」って、この前通ってきたばっかりやん!的な。

ともあれ著者の、土方歳三への愛情の強さがめちゃめちゃ伝わってきました。江戸末期からの流れを「新選組」から眺めることができたのは、わたしにとってこの時代を少しでも理解する手助けになりました。ところどころで、史料(資料)に遺っている注釈的な内容が、「○○にはこのように書いてある」というように本文に挟み込まれるのが、とても良かったです。物語の中に、著者自身の言葉が割り込んでくることになるので、書き方によっては、読み手がジャマに感じてしまうリスクもあると思うのですが、ジャマになるどころか臨場感を増す役割を担っていたと、わたしは思いました。これが作家の「腕」なのでしょうね。

司馬遼太郎初読み、大満足でした。次もできるだけ冊数の少ない本を探さなければ…。

読書『異常に非ず』(新潮社)桜木紫乃著

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読書『異常に非ず』(新潮社)桜木紫乃著

いつものカメリアステージ図書館から、図書館が一週間ほど休みなので、多めに借りよう!と手を伸ばしたのは、久しぶりの桜木紫乃さん。約一年ぶりでした。いっとき集中して読んだ時がありましたが、重いものが多いので、たまに手を伸ばすぐらいが、わたしにはちょうど良いのかもしれません。

昭和54年に大阪で実際に起きたという銀行立てこもり事件をもとにした、フィクションです。昭和54年=1979年、わたしは10歳で、子どもではありますが同じ時代に生きていました。そのような事件があったということは、まったく覚えていませんが。巻末に参考文献として『破滅―梅川昭美の三〇年』(毎日新聞大阪社会部編)のタイトルがあり、これが、実際のルポであったことがわかります。

読みながら、なんとも暗澹たる気持ちになりました。心療内科医の海原純子先生が、新潮社の公式サイトで書評を書いています。その文章中に登場する「社会や文化に根差した無意識の心理的束縛、いわばゴースト」「お互いに依存しあう関係から抜け出せずフラストレーションが高まっていく」の記述に、事件を起こした当人の当時の状況だけでなく、現代にも共通するものがあることを思いました。あるいはいつの時代にも、このゴーストは少しづつ姿を変えながら存在しているのでしょう。

本書のタイトルは、「オレは精神異常やない。道徳と善悪をわきまえんだけや」というセリフからついていて、「道徳と善悪をわきまえない」の意図するところを考えさせられました。こうしてひとつのフィクションの形になることで、登場人物がそれぞれの境遇や行動の背後にどのような思いを抱えていたのかを、推し量る足掛かりにもなるのだろうな、と思いました。あくまでも推測の域を出ないのではありますが。

読書『どれか一つは嘘』(集英社)キム・エラン著/古川綾子訳

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読書『どれか一つは嘘』(集英社)キム・エラン著/古川綾子訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。10月上旬に館内整理で1週間ほど休館する、ということで、いつもより少し多めに借りてきたなかの一冊です。韓国の作家さんによる小説は、長いこと守備範囲外でしたが、図書館の新刊棚に入ってくるおかげで、手に取る機会が少しづつ増えてきているように思います。

キム・エランさんの著書は初めまして、でした。それぞれに、しんどい状況、秘密と背景を抱えた、三人の高校生が主人公です。韓国も日本も、「現代」が抱える過酷さは共通するものがあるのでしょう。登場人物の名前こそ、国柄を感じるものでしたが、舞台が日本であってもまったく違和感なく読めるだろうな、と思いました。

タイトルになっている「どれか一つは嘘」は、主人公たちが通う高校で、クラスの先生が提案した自己紹介方法。これがとても絶妙な方法で、なるほどたったこれだけのことでも、気持ちをいくぶん楽にする方法にもなるのだと、思わず感心しました。とっても簡単な仕組みでありながら、絶妙です。なにがどう絶妙なのかは、読んだら感じ取っていただけると思います。

しんどい物語を、とつとつとした文体でつないでいます。著者の目線の優しさが伝わってくるような感じです。加えて、原文では読めないので、確かなことはわかりませんが、翻訳者の方の原著に対する思い入れがあってのことでもあるのでしょうね。毎度のことながら、海外の良書をわたしたちに読めるように差し出してくださる翻訳者の方に、そして刊行してくださる出版社に、感謝です。

毎年秋の恒例茶会、香椎宮での献茶式→野点、でした。

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毎年秋の恒例茶会、香椎宮での献茶式→野点、でした。

毎年秋に行われている茶道南方流の香椎宮献茶式と、報恩寺での野点茶会。南方流のお茶会は「稽古茶会」です。お茶会はその前日の準備とセットであり、お茶会前日と当日に生じる仕事に合わせて係があります。昨年の野点から「席決め係」チームの仕事を仰せつかったワタクシ、今回の野点で1年が経った=お茶会での勤めを1周経験したわけなのですが、いまだ慣れません。一緒に仕事をしてくださる皆さまがいらっしゃるから、なんとかなっている(!?)という感じです。

今回は参加者が50名以上とあって、1席の人数が25名を超える大所帯でのお茶会となりました。準備段階ではどうなるのかしらと思っていましたが、ちゃんとなんとかなるところが、和尚様はじめ先生方の采配の素晴らしさ。しなやかな判断力とリーダーシップで、人としてこんなふうになりたいと思うお手本を、目の前で拝見できるのはありがたいことです。

当日は雨予報も出ていて、一瞬パラパラとすることもありましたが、無事に野点茶会を終了することができました。ところで香椎宮での献茶式は、先代の師匠(和尚様)によって昭和22年からスタートしたということで、来年は80周年だとか。このように長く続く関係性の中に、参加させていただいていることの不思議を感じます。

秋の夜長の勉強合宿(宿泊はしていないけど)でした。

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秋の夜長の勉強合宿(宿泊はしていないけど)でした。

自分が学びたいと思っている分野について、「勉強会を計画しているので、参加しませんか?」と、声をかけてもらえるのは、とってもありがたいことです。長年、EC系の勉強会でご一緒してきたお友だちからのお誘いは、自分にとってプラスになるのがわかっているので、スケジュールさえ合えば、迷いなくGOです。

というわけで、10月は少人数勉強合宿からスタート。まずは、マニアックな事業をなさっている方の仕事場拝見からです。実はこの4月にも見学させていただいたので、半年しか経っていませんでした。が、その半年の間に、前回の勉強会で学んだことをご自身の業務の多くに取り入れていらっしゃるのを目の当たりにして、思わずうなりました。あたりまえですが、同じ勉強会に参加していても、どれだけ速やかに自分の仕事に具体的にフィードバックできるかで、違い(あるいは「差」)が出ますね。わたしは生かせていないなぁと思いました。ただ、その分野に関しては「うちの場合はそれでOK」という判断の上なので、それが駄目だということでは無く。

そのあとはご飯を食べながらのざっくばらんな情報交換会。今、参加者の皆さんがそれぞれどのようなことを考えて、どのような動き・取り組みをなさっているのか。会話の端々から、たくさんの検討材料を得ました。特に、海外進出に関しての状況をいろいろと伺うことができたのが、わたしにとっては今後に向かって良い機会となりました。北米、台湾、シンガポールなど、これまでに何度も話が出ては、結果としては事業に結びついていないケースについて、あらためて考え直すきっかけになりました。

ご一緒いただいた皆さまに、心より感謝です。ありがとうございました。

郷育カレッジ講座「鎮守の杜を歩こう」に参加しました。

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郷育カレッジ講座「鎮守の杜を歩こう」に参加しました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。わたしは運営委員でもありますが、受講生でもあります。年度のカリキュラムが決定したパンフレットが発行されたら、自分のスケジュールを見ながら、受講したい講座を選んで申し込むのは、毎年の楽しみです。「鎮守の杜を歩こう」は、郷育カレッジのなかでも定番の人気講座のひとつで、久しぶりの受講となりました。

講師は「宗像植物友の会」の藤井えり子先生。外でのフィールドワークとなる本講座は、数年ごとに場所が変わっています。「鎮守の杜」のタイトル通り、福津市内のあちらこちらにある、寺社の周辺を散策します。寺社の周りには自然が残されているから、ということなのだと思います。今年は、福津市にある世界遺産を構成する「奴山・新原古墳群」近くにある縫殿神社本殿周辺と、沿岸部に近い年毛神社周辺が会場となりました。当日は、朝一瞬雨がぱらつきましたが、幸い気になるほどではなく間もなく止んで、無事予定通りに決行することができました。

バス移動で現地を散策すること約2時間、講師の先生の植物に対する愛と博識とが炸裂しました。通常、バス移動を伴う講座は、受講生の方が勝手にどこかへ行ってしまったり、集団から遅れを取ってしまったり、ということに神経を使います。ですが今回は、講師の先生が率先してあちらこちらに寄り道(笑)。エピソードのある木や花や草が目につくたびに、それぞれに対しての解説がはじまります。一つ一つのお話が面白いので、ついつい時間がオーバーしそうになり、市の職員さんたちは気が気ではなかったかもしれません。

ふだんなにげなく通り過ぎてしまいがちな植物に目を向け、ちょっとした知識を得ることができる、楽しい時間となりました。

読書『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)西村佳哲著

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読書『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)西村佳哲著

今年の開窯記念日にも書きましたが、長年のお客さまからの「弟子はとらないんですか。藤吉(憲典)さんの、やきものの技術と哲学をきちんと遺さないと、ダメですよ。それは、磁器の文化に対する藤吉さんの責任だと思う」の言葉を受けて、模索を始めています。文化を継承する方法論を考えるのに、チャッピーと壁打ちをするなかで、参考になりそうな研究者や組織の名前、関連書籍をいくつか探して来てもらいました。そのなかにあった一冊です。

以下備忘。


  • 道具の精度によって、モノづくりの精度が規定される
  • 模倣は基本的な上達法だが、そのポイントはまず観察を通じたイメージ精度の向上
  • 本人の「解像度」の高さが、その人のアウトプットの質を決める
  • 世界を感じ取る解像度のことを思うと、そのフィルターとなる身体について考えざるを得ない
  • 技術には、それを行う身体が伴う。そして高度に調整された身体においては、感覚の中に美意識が育まれる
  • 「こんなもんでいいや」という気持ちで作られたものは、「こんなもんで…」という感覚を、ジワジワジワと人々に伝えてしまう
  • 「考えること」と「つくること」は、いつ頃から分離したのか
  • 小さくて具体的な工夫の積み重ね
  • 自分を大事にすること
  • モノを通じて、それを作った人が生きてきた経験のあり方はわかります
  • モノづくりの基本は、やはり“身体”というアンテナ
  • モノづくりは無数の判断の積み重ねだ。もし、つくり手が自らの判断力に自信を失ったら、一体何がつくれるだろう
  • モノの価値も、結局のところはそれを「つくりたい」という純粋な気持ちの品質にかかっている
  • 放っておいても自然に出るのが個性である
  • 「人は気持ちよく働いているときにいい成果を出す」という、いたってシンプルな事実

2003年9月に単行本として刊行され、2009年に文庫化、わたしが入手したのは2026年2月の第24刷。息の長い本です。帯には「働き方のバイブル」とありました。変化の激しい時代を20年以上も読まれ続けているのですから、すごいことですね。

ワークショップ第2回目-令和8年度ジャンププログラム・ビジネスコース。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ワークショップ第2回目-令和8年度ジャンププログラム・ビジネスコース。

7月のキックオフからお世話になっている、福岡県の中小企業向け施策ジャンプ・プログラム。ワークショップの第2回目に参加して参りました。前回に引き続き、公式のワークショップがはじまる前に、グループワークの時間が別途1時間半ありました。これが、とても良かったです。今回わたしは、自分の考えている新しい取り組みについて説明する時間をいただきました。グループのファシリテーションをしてくださるトーマツのスタッフさん(以下、Iさん)が、素朴な疑問と言いながら核心を突いた問いを投げかけてくださって、それに回答する形で口に出しながら、自分のなかで勝手に整理されていくものがありました。

結果、今回の事業説明用に用意した資料から、だいぶ大きな変更が加わることに。そしてその変更は、ほんとうに自分がやりたいことに近づくためものであるのは間違いありませんので、とてもワクワクしています。わたしが用意した資料に対して、Iさんが連休中に読み込んで準備をしてくださっていたのは明らかで、とってもとっても嬉しくなりました。また、同じグループ内でディスカッションをする皆さんも、「業界的によくわからない」とおっしゃりながら、鋭くも温かい意見や提案を投げかけてくださり、こういう方々との出会いこそが、こういう集まりのありがたいところだよなぁと、つくづく感じました。

さて、ワークショップのテーマは「事業計画・マネタイズモデル」で、講師は有限責任監査法人トーマツの清老 伸一郎氏。お話の合間に、自分で手を動かすワークが何度も盛り込まれ、頭を使う時間となりました。話の内容を「自分事」に引き寄せるのに、手を動かすのは最適ですね。具体的には、最初の1件から1年後の売上目標にむかって具体的な売上構成要素を考え、成長を実現するために考えられるKPIツリーを書いてみて、自分で書いたKPIツリーをもとに、またマネタイズの構成要素に戻って考え直す、というサイクルを繰り返しました。

このサイクルは、実際に事業を進めるうえで同じことをすることになるわけです。ワークでは、最初から正解を目指すのでは無く、というか決まった正解というものは無いので、より自分の理想の状態に近づけていくために、繰り返しこの要素を分解して再検討する作業に慣れていくことを、目的としていたのだと思います。間違えて良い、まずは机上でたくさん間違えて、修正していくことの意味を感じました。紙に書きだす手が止まりがちな部分は、マネタイズのイメージが自分の中で出来ていないということであり、自分が避けて通ろうとしている部分・苦手意識のある部分に気づかされる作業となりました。なかなか難しいワークでした。

「事業計画は、仮説と根拠を編集したもの」「現状と目指すべき将来像とのギャップに気付き、それを埋めるためにはどうしたらよいか?」「無形のノウハウもまた資産である」を、ワークの形で体感できた、良い時間でした。