こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
読書『立ち上がる時(上・下)』(講談社)メリッサ・デ・コスタ著/山本知子訳
いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。なんとなく既視感のある上下巻が並んでいたので、手に取りました。家に帰って本を開いて、既視感の理由が判明。今年のお正月休み中に読んだ『空、はてしない青』の著者でした。出版社も訳者も同じで、表紙の雰囲気も似た感じ。上下巻もの、というのも一緒です。
上下巻ありますので、まあまあなボリュームです。が、ページをめくる手が止まらず、わりと一気に読みました。激しい愛の物語であり、再生(回復)の物語です。主人公は40代の舞台俳優フランソワと、その愛人(のち妻)で20代のエレオノール。俳優として人生の絶頂にいたフランソワが、交通事故により下半身不随となり、それを支えるエレオノールとともに、舞台に戻るまでの物語。と書くと簡単ですが、まあ上下巻のボリュームのなかに、これでもかというほどの波風が立ちます。主人公二人の感情の起伏がジェットコースターのようで、先が気になり続けました。
一気に読んだ=面白かったのですが、読みながらなんだか違和感が付きまとっていました。実は前回『空、はてしない青』を読んでいたときにも同じようなことが気になっていたのですが、そのひとつが、本文中で「ここが大事だよ!」的な部分を太字にしているところ。太字やマーカーが文中にすでに入っているのは、最近の実用書やビジネス書でもよく見かけますが、わたしはあまり好きではなく、小説でこれをされると尚更です。
そしてもうひとつは、著者のあとがきを読んで違和感の理由がわかりました。あまりにも描写がはっきりと限定的であったことです。著者ご本人に言わせると、それは「映画的」に読んで欲しい=読者が画を正しくイメージできるように、ということなのですが、そういう部分はある程度読む側にゆだねて欲しいところだなぁ、と思いました。読み手を書き手の意図(イメージ)そのままに導こうとするスタンスが、ちょっぴり残念でした。そういえば映画でも、最近は「説明しすぎ」と感じるものが少なくありません。小説では特に「行間を読む」も読み手の楽しみだよね、と思いつつ。
って、がっつり楽しく読んだくせに何言っているのか、という感じですが(笑)。著者の思惑通り、映画にした時のイメージがはっきりと浮かびます。映画化されるのかもしれませんね。そのときはぜひ観に行きたいと思います^^
