祝・開校20周年!令和4年度「郷育(ごういく)カレッジ」パンフレットが出来上がりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

祝・開校20周年!令和4年度「郷育(ごういく)カレッジ」パンフレットが出来上がりました。

今年度2022年の郷育カレッジ講座一覧のパンフレットが出来上がりました!今年はなんと「カレッジ」が開校して20周年という記念年です。今年も引き続き感染症対策を最優先にするため、派手にお祝いすることは残念ながらできませんが、講座の中身はとっても充実しています!毎年外せない人気の定番講座に加え、時代に沿った新規講座、リニューアル講座が目白押しです。

7月16日(土)の開講式からスタートする今年度の特集テーマは、「わがまち福津再発見」。数ある講座のなかで、わたしの個人的なイチオシは、福津市の8つの「郷(さと)」を歩く「ふくつ散歩」です。ふくつ散歩講座がスタートしたのは、数年前にさかのぼりますが、今年度ようやく8地域すべてのエリアが揃いました。福間、南福間、神興、神興東、上西郷、宮司、津屋崎、勝浦の8エリアを、地域の「郷(さと)づくり」の方々のご案内でお散歩します。

わたし個人を振り返ってみると、郷育カレッジの運営委員に入ったのは、2016年。その前2014年~2015年の二年間は、社会教育推進を検討する郷育推進委員を務めましたので、福津市の社会教育に関わるようになってから9年目に入ります。この9年間、時代の変化のスピードはとても早く、特にこの2年コロナ禍下での変化は、社会教育を取り巻く環境をも大きく変えました。そんななかで、市職員の方々と運営委員の諸先輩方とご一緒に、社会教育に関わることが出来ているのは、とても学びが多く幸せなことだと感じています。

市と市民が一緒になって作り上げる、福津市ならではのスタイルの社会教育講座。福津市民の方、福津市に通学通勤なさっている方ならどなたでも受講できます。福津市内にお住まいの方は、6月の市報と一緒にパンフレットが入ってくるので、是非チェックしてみてくださいね。パンフレットが入らなかった方は、福津市の郷育課にお問い合せ下さいね。

令和4年度郷育カレッジ講座一覧

読書『総理の夫』(実業之日本社)原田マハ著

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読書『総理の夫』(実業之日本社)原田マハ著

久しぶりの、原田マハさん。ブログをさかのぼってみると、2017年頃から「原田マハさんの追っかけ読書」をしています。『キネマの神様』『楽園のカンヴァス』からはじまり、彼女が書いた著書は、エッセイ以外たいがい読んだつもりでおりましたが、抜けているようです。これもその一冊。

『総理の夫』(実業之日本社)原田マハ著

田中圭さんと中谷美紀さんで映画化されています。映画を観に行った息子が「面白かったから」と買って持っていた文庫本を借りました。息子曰く「本の方が断然面白い!」。上の写真は、主人公が鳥類学者ということで、鳥。

主人公『総理の夫』の日記形式でのストーリー展開は、心の声ならではの面白さがあり、テンポよく進みます。総理大臣を描くとあって、いろいろとリサーチもたいへんだっただろうな、と思えました。わたしたちがふだん窺い知ることのできない政治家の生態の、細かい描写の面白さ。「スピーチライター」を主役にしたマハさんの著書、『本日は、お日柄も良く』(徳間文庫)を思い出させました。

文庫ですが、446ページと分厚いです。が、軽妙な口語体にのせられ、さらに「日本初の最年少・女性総理誕生」への野次馬的な興味も重なり、サクサクと読みました。主人公が「今これを読んでいるあなた!」と呼びかけ、読み手を登場人物として巻き込むスタイルが奏功しています。ストーリーを覗き見しているような読み手としての立ち位置が、絶妙でした。

久しぶりの原田マハさんの小説、やっぱり面白かったです。読みおとしがまだあるかもしれませんので、ちょっと調べ直してみようと思います。

読書『対岸のヴェネツィア』(集英社)内田洋子著

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読書『対岸のヴェネツィア』(集英社)内田洋子著

今年のゴールデンウィークに初めて読んで、すっかり気に入った内田洋子さんの著書。

これまでどちらかというと、エッセイは避けていたジャンルでした。まったく読まないわけではありませんでしたが、エッセイはあまり好きではない、と思っていたのです。が、著者・内田洋子さんの肩書は「エッセイスト」…つまり、単にこれまでに好きだと思えるエッセイ(あるいはエッセイスト)に出会っていなかっただけ、だったようです。

『対岸のヴェネツィア』(集英社)内田洋子

今回も気持ちよく読みました。ヴェネツィアには行ったことがありません。けれども、読みながら脳内に現れるイメージに、とっても既視感。なぜかしらと考えて、ふと思い当たりました。塩野七生さんの『小説 イタリア・ルネッサンス  1 ヴェネツィア』の世界観です。

塩野七生さんの小説の舞台は文字通りルネッサンス時代。対して内田洋子さんが書いているのは、ごく最近のヴェネツィアです。にもかかわらずイメージがまったく違和感なく重なるのは、ヴェネツィアの歴史・景色の「変わらない部分」の大きさゆえだろうと感じました。干潟を含む街全体が世界遺産に指定されているとあり、これからもその「変わらなさ」が守っていかれるのでしょうね。

さて内田洋子さんのエッセイ。街も、人も、いろいろな関係性も、おしゃれに描かれていながら、きれいで楽しいことばかりの上っ面な感じではなく、ちょっと嫌なところ、ダークな感じも書かれているのが魅力です。そしてなによりも、説教臭くない。人の弱いところ、ダメなところが、とてもいとおしく描かれていると感じます。

そうそう、わたしがエッセイ嫌いになった理由の一つは、若かりし頃読んだ数冊のエッセイから、教訓や価値観の押し付けを感じることがあったからなのでした。特に、あからさまでは無く巧みに「わたし(著者)の(感性の)正しさ」を押し付けてくる感じのあるものが、とても嫌でした。誰とは言いませんが、複数名(笑)。

行きたい場所のひとつ、ヴェネツィア。けれども、本を読む限りでは、やはり住みたいとは思えなさそうです。というのも「暮らす」と考えたときに、どうにも湿気に太刀打ちできそうにないような気がするのです。それもまぁ、足を運んでみたらどうなるかわかりませんが。

『対岸のヴェネツィア』(集英社)内田洋子

再読書『美術館っておもしろい!』(河出書房新社)モラヴィア美術館

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再読書『美術館っておもしろい!』(河出書房新社)モラヴィア美術館

フルタイトルは、『美術館っておもしろい! 展覧会のつくり方、働く人たち、美術館の歴史、裏も表もすべてわかる本』(河出書房新社)モラヴィア美術館阿部賢一・須藤輝彦 訳。約1年半前に図書館で発見し、読んで気に入って手に入れた本です。

「読んで(見て)面白い絵本」であるだけでなく、アートエデュケーターとして仕事をするときに、実際に役に立つ内容が多いため、ことあるごとに開いています。今回、思うところあり再読&まとめ。


  • 美術館を開いていく試み=入場料を無料にする、カフェを併設する、本を出すetc…
  • 芸術や教育には大きな力が秘められている=人と人との垣根を取り払い、相互理解をもたらすもの。
  • 来館者が求めているのは、美しさだけではありません。教養を深め、夢中にさせてくれる物語も展示品に求めているのです。
  • ドイツ帝国最後の皇帝ヴィルヘルム2世は、完全武装した軍隊よりも思想の方が力が強いのを知っていました。→教育や文化の支援にも大金を投じました。
  • ムセイオン(芸術の女神ムーセの神殿)→芸術と驚異の部屋→絵画陳列室→スタイル・ルーム→抽象の部屋→ホワイト・キューブ
  • 街に美術館があることは文化的成熟度を表し(中略)とはいえ、それは、巨大な建物の大美術館である必要はありません。
  • 身のまわりの物事に関心がある人、美しいものを求めている人、ふだんとは違う角度から世界を見ようとする人は、皆、美術館の鑑賞者です。
  • 美術館は創造的でユニークな人たちを引きつける磁石そのもの

『美術館っておもしろい! 展覧会のつくり方、働く人たち、美術館の歴史、裏も表もすべてわかる本』(河出書房新社)より


読書『ダンヒル家の仕事』(未知谷)メアリー・ダンヒル著/平湊音訳

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読書『ダンヒル家の仕事』(未知谷)メアリー・ダンヒル著/平湊音訳

ダンヒルといえばライター。ダンヒルの創業者アルフレッド・ダンヒルの末娘であり、経営者として、ダンヒルが「タバコ屋さん」から世界的ブランドへと展開するのに立ち会った著者。本書を通して、19世紀末から20世紀を通しての英国・ロンドンの変遷が伺えました。産業構造の変化、社会的な制度・意識の変化、伝統的な価値観・家族観の変化…。馬車が走っていた時代から、二つの大戦を経て、本書が執筆された1979年へと続く物語は、さしづめ英国から見た近現代史のひとつといえそうです。

女性が経済的に自立するということ。事業を継ぎ守り伸ばしていくこと。この時代の働く女性としての視点ではもちろんありつつ、ダンヒルの娘だったからこその仕事観・家庭観が伺えます。子ども時代も仕事をするようになってからも、特に私生活ではずっと順風満帆であったとは決して言えない環境ながらも、ポジティブな姿勢を保ち続ける強さ。その根底には「ダンヒル家の一員である自分」への誇り、信頼感・肯定感があったのだろうと感じました。

煙草はじめ主に男性向けの嗜好品からブランドをスタートした会社。世界展開していくにあたり、その命運を握る一人であった女性が語るダンヒル家のお話は、華やかながらその影も色濃く感じました。とくに事業を始めた張本人である著者のお父さんアルフレッド・ダンヒル氏にとって、事業が大きくなることが必ずしも幸福につながらなかったのが、切ないかぎりです。終盤で著者が「家族経営の店が、国際的なマーケティングを行い、すべての資本主義諸国で商品を売るような企業になる必要があったのでしょうか。そもそも、これは望ましい発展なのでしょうか。」と書いている、その問いが常に胸中にあったのでしょうね。個人の美意識や発想に基づき、職人の優れた技芸が実現するクオリティと、その対極にある大量生産。前者で支持を得た事業が、それを大きく広げようとしたときに必ずぶつかる矛盾と葛藤のストーリーでした。

『ダンヒル家の仕事』(未知谷)メアリー・ダンヒル著/平湊音訳

銀座2丁目にあるというダンヒル銀座本店。次回上京時に、その美意識と技術に触れるために覗いてみようかな、と思います。

続・「藍の家」築120周年特別記念講演会「私たちはどこからきて、今どこにいて、これからどこへ行くのか」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

続・「藍の家」築120周年特別記念講演会「私たちはどこからきて、今どこにいて、これからどこへ行くのか」

講演会が開催されて、参加してきたのは4月下旬のことでした。

その後、当日配布された資料、なかでも年表的資料を再確認する機会がありました。上の写真は、鯉のぼりが見事な5月の藍の家。以下、備忘。


  • 津屋崎の地名由来諸説。
    • 市町村名語源辞典によると、「断崖の岬」「湊の施設」。
    • 浦人が河原ヶ崎に漂着した木彫りの仏像を拾い上げ祠を点てて「通夜」をした。
    • 波折神社の発祥:沖で嵐にあった漁夫三人が一心に祈ったところ瀬織津姫大神、住吉大神、志賀大神の三神が現れ大波を鎮め(=波を折り)救われた。船上に三つの石が現れたので霊石として祀り波折神社と称した。←神徳あらたかと昼夜分かたず祈ったため「通夜」崎。
  • 古墳時代:新原奴山古墳群=古代胸形(宗像)の君一族の墳墓。
  • 1231年教安寺開祖行音自阿上人。
  • 1274年文永の役、1281年弘安の役。
  • 1587年豊臣秀吉の九州国割り。筑前→小早川隆景(のち小早川秀秋)、豊前→黒田孝高。
  • 1600年~黒田藩時代、朝鮮通信使。
  • 1602年黒田長政家臣の佐治与助、士官を断り津屋崎に酒造業を願い出。
  • 1640年義民六人衆処刑。津屋崎・勝浦浜の網場争い。
  • 1651年佐治家、醸造スタート。
  • 1663年勝浦の潮入に新塩田開発。
  • 1666年藩直営の勝浦塩田スタート。
  • 1706年津屋崎の塩入に新塩田開発。
  • 1741年藩直営の津屋崎塩田スタート。
  • 1743年讃州の大社元七が初めて塩を焼く塩浜仕法一切を伝授。
  • 1812年伊能忠敬が勝浦津屋崎を測量。
  • 1882年津屋崎製塩同業組合。
  • 1894年日清戦争。
  • 1897年津屋崎町制。
  • 1904年日露戦争。翌年日本海海戦。
  • 1905年塩専売法公布・施行。
  • 1911年~塩田廃止。

博多湊~席千軒(下関)、芦屋千軒の中継拠点としての浦として栄える。近世は博多港の外港として。塩、米、海産物、農産物の積出港。江戸から明治にかけて小型廻船五十集船による海上運送経済で繁栄。50t前後の小型廻船、九州一円からの集散地博多港と中四国・北陸・北海道・本土各地からの集散地唐戸港(下関)を繋ぐ中継港としての役割。

九州大学名誉教授/竹田市文化振興財団理事長/文化審議会世界文化遺産部会委員 藤原惠洋先生の講演資料、+αより。


こうしてあらためて年号を並べると、津屋崎の歴史から江戸時代を垣間見ることが出来ます。そして、それは花祭窯の生業である肥前磁器の繁栄の歴史と時代が重なっており、なんとも不思議な縁を感じます。

読書『オリバー・ストーン オン プーチン』(文藝春秋)オリバー・ストーン著/土方奈美訳

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読書『オリバー・ストーン オン プーチン』(文藝春秋)オリバー・ストーン著/土方奈美訳

オリバー・ストーン監督と言えば、わたしは『プラトーン』が真っ先に浮かぶ世代です。ベトナム従軍の体験から、いくつもの反戦作品を作っている社会派のイメージ。本書は2015~2017年にドキュメンタリー用に行われた、プーチン大統領へのインタビューを書き起こしたものです。米国内で放映されたそのドキュメンタリーは、「まるでロシアのプロパガンダ映画のようだ」と米国主要メディアから酷評されたとか。

今、このような世界情勢になって、自分がソ連・ロシアの近現代についてほとんど何も知らないこと、自分の頭で考えるための地力・知識が足りないことに焦りを感じています。これを少しでも補うためには、近現代史をもっと知らなければ、と。もちろん本を少々読んだからといって、一朝一夕に理解が進むものではありませんが、少なくとも複数の視座があることがわかるのではと思っています。

そのような手掛かりを求めて読んだ本の1冊が、先日ご紹介した『グッバイ、レニングラード』(文藝春秋)でもありました。それまでにロシア関連の本で読んだことのあるものと言えば、トルストイやドストエフスキーなどの古典小説以外では、元外務省主任分析官である佐藤優氏の『十五の夏』(幻冬舎)ぐらいだったと思います。

あくまでも個人的な考えですが、史実を知りたいと思ったときに、学術的な書籍ではないからこそ書けることもあると考えています。ルポルタージュ、エッセイ、小説など、取材者・執筆者の主観が大前提であったり、フィクションだからこそ紛れ込ませて書ける事実もあるように思います。もちろん、そうした文章のなかから、いかに真意や文脈を読み取ることができるか、が問われますが。

さて『オリバー・ストーン オン プーチン』。ロシア側から見た世界、の視点です。巻頭に「日本語版のための手引き」が載っており、インタビューの内容を理解するために必要なキーワードが解説されています。上の写真はそのなかの一頁。このキーワードをたどっただけでも、知らないことがどれだけたくさんあるかと思いました。逆に言えば、これらのキーワードをいくつか知ることで、少し見えてくるものもあります。同時に、ますますわからなくなることも出てきますが。

プーチン大統領の言葉で語られる国際情勢。インタビューで語られていることがすべて事実であるという保証はありません。また仮に事実であったとしても、だからといって現在の軍事的な出来事を肯定できるものでは一切ありません。そのうえでも、自分が「無意識のうちにアメリカ側の世界観を内部化しがちな日本の読者」(訳者あとがきより)であることに気づき、別の視座もあると知ることは、大切だし必要なことだと思いました。

本書内でオリバー・ストーン監督は「私は母国(アメリカ)を愛している。(中略)私は反アメリカでも、親ロシアでもなく、親・平和だ。(中略)世界の先行きに不安を感じるのは、母国(アメリカ)の平和への姿勢に不安を感じるからだ。」と書いています。今、どのような思いでこの状況を見ているのでしょう。すべての国・人が「親・平和」を謳える世になることを願います。

九州国立博物館特別展「北斎」観に行って参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九州国立博物館特別展「北斎」観に行って参りました。

前回、九州国立博物館に足を運んだのは、3月春分の頃のこと。

それからふた月も経っていませんので、「九州国立博物館メンバーズプレミアムパス」をゲットしたのは、わたしにとって大成功だったということです。もちろん北斎を観たいのは大前提として、さらにプレミアムパスを無駄にしたくない気持ちが働いて、積極的に足を運ぶ予定が立ちました。

さて北斎展。今回の目玉とされていた「日新除魔図(にっしんじょまず)」が素晴らしかったです。2017年に九州国立博物館に寄贈されていたそうで、ここでしか見れないということでした。こういうスケッチにこそセンスが出るなぁ、としみじみ思える200枚超の連作。今回の北斎展は、この展示に尽きる!という感じがしました。

個人的に思いがけずヒットだったのは、日本の伝統美術である木版の技術保存・技術者育成をなさっているアダチ版画研究所さんによる木版画制作の解説資料が展示されていたこと。職人さんの「刷り」の様子を撮った動画もありました。昨年来アダチ版画さんの資料を集めていたところでしたので、あまりのタイミングの良さに思わず「おお!」と声を上げてしまいました。冷静に考えれば、北斎と版画は切り離せませんので、別に驚くことでは無いかもしれませんが、こんなところで出会えるとは!ラッキーです。

会場を出たすぐの特設ミュージアムグッズエリアには、アダチ版画さんのブースもあり、木版画の説明をきちんとしてくださるスタッフさんがおられました。北斎版画の復刻もあり、もしこの特別展の鑑賞記念としてミュージアムグッズを買うのなら、俄然おススメです。

さてもうひとつ、ラッキー♪がありました。それは、展示最後に漫画家しりあがり寿さんの、北斎パロディ画が展示されていたこと。雑誌などで何回も見たことがあり、そのたびに大笑いしていました。すごいセンスで、こういうの大好きです。ホンモノを観たのは初めてで、ここで観れるとは思っていなかったので、嬉しいサプライズでした。5月21日には、そのしりあがり寿氏のトークショーも九国で開催されるようですので、お好きな方はぜひ。

特別展「北斎」全体の印象としては、実は「あれ?これでおしまい?」でした。どこの美術館でも、たいていの特別展はお腹いっぱい胸いっぱいになって後にすることが多いのですが、なんだか物足りず…というのが正直な感想でした。途中で展示替えを行うということで、展示数を調整しているのかもしれませんが、少しがっかり。

その物足りなさを埋めるのは、いつもの4階常設展示「文化交流展示室」。前回からふた月ほどしか経っていませんでしたが、すでに展示替えされた部屋もあり(展示替えされていなくても、同じものを何度見ても良いものは良く)見どころたっぷりで大満足でした。期間限定展示の「きゅーはく女子考古部」による「かわいい考古学のススメ」も目の付け所が面白かったです。

約一年ぶり「古澤巌ヴァイオリンの夜」。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

約一年ぶり「古澤巌ヴァイオリンの夜」。

昨年初めて聴きに行った「古澤巌ヴァイオリンの昼と夜」。音色がすっかり気に入り、これは毎年聴きに行かねば!と思ったのでした。今年は連休最終日であり母の日でもある5月8日に開催とあって、自分へのご褒美にチケットゲット。

昨年はひと席づつ飛ばしての座席指定だった宗像ユリックスのハーモニーホールは、今年はふつうに座席指定があり、少しづつコロナ前の日常が戻ってきつつあることを感じました。そういえば昨年のこのコンサートは、わたしにとって、コロナ禍以降やっとホールに足を運ぶことが出来た、最初のコンサートだったのでした。

途中休憩をはさんで約2時間。今年もピアノの金益研二さんと二人での演奏です。昨年の演奏内容を覚えていたわけではありませんが、ずいぶんと選曲・構成の雰囲気が変わっているような印象を受けました。なんとなく、勝手な解釈ではありますが、現在の世のなかの状態への憂いが反映されているようなイメージ。

ただ、それ一色ではなく、ちゃんと安心させてくれるところが流石ですね。前半最後のディニーク「ひばり」、終盤にかけてモンティ「チャルダッシュ」と、「ああ、これこれ!」と、わたしが勝手にイメージしていた「古澤節」を堪能いたしました。

途中休憩の後、一曲目は金益研二さんのピアノソロ。15分の休憩の間に、調律師の方がとても丁寧にピアノを触っておられたのが目に留まりました。これは、今年に入って小説『羊と鋼の森』を読んでいたからこその気づきです。それまではクラシックやピアノを聴きに行っても、あまり気に留めていなかった方々の存在。本を読んでいたからこそ、これが調律師の方の仕事なのだなと気がつくことが出来たのは、とても嬉しいことでした。そしてもちろん、金益さんのピアノも素晴らしく。

次はまた来年、お二人が宗像ユリックスに来てくださいますよう、楽しみにしています♪

読書『グレート・ギャッツビー』(新潮文庫)フィッツジェラルド著/野崎孝訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『グレート・ギャッツビー』(新潮文庫)フィッツジェラルド著/野崎孝訳

ゴールデンウィークの読書旅は、ロシア読書『グッバイ、レニングラード』(文藝春秋)小林文乃著、イタリア(読書『ボローニャの吐息』(小学館)内田洋子著)、英国(読書『英国貴族の城館』(河出書房新社)増田彰久(写真・文))と欧州方面を巡っておりましたが、続いてはアメリカ大陸へ。

我が家にある『グレート・ギャッツビー』は昭和49年初版の新潮文庫。カバーには、1974年の映画『華麗なるギャッツビー』から写真が使われています。映画のギャッツビーといえば、わたしが観たのは2013年のデカプリオ版。ですが、1974年版のスナップを見ても、まったく違和感を感じることなく、小説の世界観がいかにしっかりとイメージされていたかを感じます。

『グレート・ギャッツビー』(新潮文庫)フィッツジェラルド著/野崎孝訳

↑こちらで紹介しているのは、同じ新潮文庫でも1989年版。改訳されている点もあるかとは思いますが、訳者は同じ野崎孝さんです。名著の例に洩れず、複数の出版社から文庫が出ていますので、読み比べてみても面白いかもしれないなぁと思いました。

さて何度目かの読書のグレード・ギャッツビー。映画を観て以来2度目ですが、ギャッツビーはレオ様、ストーリーテラーである「ぼく」は初代スパイダーマン(トビー・マグワイア)に脳内でイメージ変換されてお話が進みます。不思議なのは、最初から最後まで登場しているのは「ぼく=ニック」であるのにもかかわらず、わたしにはモノクローム的にしか印象が残っていないこと。ストーリーテラー=黒子に徹したトビー・マグワイアと、対照的に、色鮮やかによみがえってくる「ギャッツビー」レオ様の美しさ。どちらもすごいな、と本を読みながらあらためて思いました。

何度読んでも切ないですね。個人的な悲劇物語のようでありながら、戦争、格差など、当時の社会問題が色濃く反映されていることを強く思った、何度目かのギャッツビーでした。北米の西部と東部。その違い(格差)がどのようであるのか、行ったこともないわたしには、文中から推し量りながら読み進めるしかありません。そのような背景を補うものとして、巻末の、訳者による解説が、この文庫版の読みどころかもしれません。