読書『ジートコヴァーの最後の女神たち』(新潮社)カテジナ・トゥチコヴァー著 、阿部賢一訳 、豊島美波訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ジートコヴァーの最後の女神たち』(新潮社)カテジナ・トゥチコヴァー著 、阿部賢一訳 、豊島美波訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から。今回は目を引く洋書がいくつもあって、どれから読もうか迷いました。そういう時は表紙買いならぬ表紙借り。このような選び方をしていると、借りるときに勝手に抱いた「こんなお話かな?」のイメージが、読み始めて大きく覆されるということが、しばしばあります。本書はまさにそんな本でした。

舞台はチェコとスロバキアの境にある辺境の地。それまでチェコスロバキアと呼んでいた国が、チェコとスロバキアに分かれたのは、1992年のことでした。その少し前、ベルリンの壁が壊される様子をテレビのニュース映像で見た記憶は、わたしにはわりと鮮明に残っています。ソ連邦も崩壊し、学校の教科書で学んだ世界地図・地球儀の表示がどんどん変わるのを体感していた時期で、そんなことがあるんだと感じたものでした。本書の主人公はそのほんの少しあとの時代に生きています。

いわば現代の「魔女狩り」が語られるストーリー。本書では魔女ではなく「女神」ですが。「つい最近のこと」であるのに、まず驚かされました。新潮社の公式サイトで、著者が「あえて言えば7割以上は、実際の資料(史料)に基づいている」と書いていらっしゃいましたので、もしかしたらノンフィクションとして出す方法もあったのかもしれないと思うと、なお興味深くなりました。一方で、小説として出した方が、より多くの人に伝えられることもあるよな、とも思いました。フィクションの要素を足す必要があったと著者が感じた理由が、なんとなくうかがえました。

著者は美術史家でもあるということです。新潮社サイトにあった「歴史のベールをはぎ取る物語」という紹介文は、まさにその通りだと思いました。チェコを舞台とした小説は、初めて読んだかもしれません。プラハを中心に芸術の国のイメージが強く、行ってみたい国のひとつですが、その歴史的変遷は複雑であったことを、垣間見る一冊でした。

『ジートコヴァーの最後の女神たち』(新潮社)カテジナ・トゥチコヴァー著 、阿部賢一訳 、豊島美波訳

再び、英字新聞「The Japan Times Alpha」で英語学習♪

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再び、英字新聞「The Japan Times Alpha」で英語学習♪

英字新聞「The Japan Times Alpha」に追い回されています。と、ブロブにアップしていたのは、2021年のことでした。その年末に「教材チェンジで気分一新!」のために解約したジャパンタイムズアルファを、再び教材として購読することにいたしました。前回から4年ほど経っていますので、また新たな気持ちで学習に取り組みます。

教材として活用する側の自分たちの現在の状況としては、まずコロナ禍下での自粛からすっかり国内引きこもりになっていたわたしが、そろそろ海外に行こうという機運になり、英語をもう少しレベルアップせねばと切迫してきていることがあります。そしてもう一つ、ダンナが英会話を習い始めてからもうすぐ2年が経ちますので、4年前に比べたら、だいぶ英文も読めるようになっているのではないだろうか!?という期待。

実際のところ、ビジネスの場面では通訳さんを伴うことがほとんどですので、わたし自身にもダンナにも「流暢な英語をしゃべることができる」状態は求めなくても大丈夫です。ただ、やはりまったく分からない、まったく伝えることができないというのは、あまりにも不便なので、下手なりに意思疎通を図る努力を、というところ。

あの手この手で、だらだらと(というのは変な言い方ですが)身の回りに「英語」の環境をつくることによって、めざましい英語力アップ!にはならなくても、なんとなく「英語を話す」ことに対する心理的ハードルを低い状態にキープすることができると感じています。「英語を発語する」を誘発しやすい状態をつくるのが、一番大事。ジャパンタイムズアルファが毎週届くのも、その一助になるのではないか、という目論見です。

で、久しぶりに開いたジャパンタイムズアルファ。いいですね。英文記事の下に、引っかかりそうな単語の意味がまとめられていたり、日本文で要約が載っていたりと、読みやすく工夫がされています。ダンナも「これなら少しは読めそう!」と。まずは興味のあるジャンルの記事から読み進めていくのが一番です。

そして前に購読していたときからそうだったのですが、オンラインでの教材提供がとても充実していますので、今回はこちらをもっと活用できるようになりたいと思っています。まずは「スマホにイヤホンをつける」ところからです(笑)。紙の新聞が届くタイミングで、オンラインコンテンツの活用を促すメールマガジンも到着。ここからスムーズにオンライン学習へとつながる習慣を定着させたいと思います。

The Japan Times Alpha

読書『地図でスッと頭に入る三国志』(昭文社)渡邉義浩監修-中国ドラマから興味が広がる。

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読書『地図でスッと頭に入る三国志』(昭文社)渡邉義浩監修-中国ドラマから興味が広がる。

「ダンナが中国ドラマにはまっています」と書いたのは、2023年5月のことでした。その後もブームは続いています、というかもはや、藤吉家の習慣として定着したといえるかもしれません(笑)。さまざまな群像ドラマがあるなか、やはり「三国志」は人気題材のようです。これまでにタイトルやサブタイトルに「三国志」とついたドラマは2本あって、現在3本目が放映されています。

三国志といえば、わたしが大学生時分に、ファミコンの「三國志」が流行っていて、徹夜でロールプレイに興じる友人たちがたくさんいました(「信長の野望」派もいましたね…)。が、残念ながら当時のわたしはファミコンにも三国志にもまったく興味が無く、三国志のお話に触れる機会を持ちませんでした。テレビで人形劇があったり、横山光輝著の漫画があったり、吉川英治著の小説があったり、映画もあったわね…ということを知ってはいるけれど、という感じ。

ところが今回の中国ドラマを見始めたら、時代背景や地理、登場人物の相関図が猛烈に知りたくなってきたのです。そこでとりあえずその手の本が無いかしらと調べたところ、まさに帯に「地図と図解で勢力関係がわかる」と書いてある本書を発見!さらに運良く最寄りの書店に在庫が1冊あることもわかりましたので、すぐに取り置きをお願いして確保することができました。ラッキー♪

で、『地図でスッと頭に入る三国志』。まさに「こんなのが欲しかった!」そのものでした。人物相関図と地図とで、ドラマのなかで展開されていることの背景が、少しは見えてきた、ような気がします。読めば読むほど、その複雑な力関係の変化に、この手の図解書無しには、把握できないわ…との思いが強くなりました。

昭文社さんといえば真っ先に思い浮かぶのは、『マップルマガジン』。地図本です。が、このような本も出版なさっているのですね。公式サイトをウロウロしたところ、本書のタイトルにもある「地図でスッと頭に入る」シリーズがいろいろと出ていました。興味深いテーマがいくつもありましたので、これを機会にぼちぼち集めていきたいと思います。

『地図でスッと頭に入る三国志』(昭文社)渡邉義浩監修

読書『図書館と向き合う』(青弓社)高野一枝著

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読書『図書館と向き合う』(青弓社)高野一枝著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。正式タイトルは『図書館と向き合う まちづくり・読書バリアフリー・デジタル活用』です。中身が一目瞭然ですね。そのタイトル通り、図書館を通したまちづくり・読書バリアフリー・デジタル活用の事例がたくさん載っています。いわば事例集。著者は、公共図書館のシステム構築に長年携わってきたということで、その経験から書き上げられた本書は、今まさに図書館運営や図書館活用を担っている方々へのヒント集となりそうです。

わたしは今春まで福津市立図書館協議会の委員を務めていました。本書で紹介されている内容は、その協議会の会議内でしばしば出てきた課題と重なるところがたくさんあって、なるほどそのようなアプローチがあったかと、うなずきながら読みました。どこの図書館も、地域社会も、似たような課題を抱えていますね。本書では「まちと向き合う」「やさしさと向き合う」「情報と向き合う」「デジタルと向き合う」「仕事と向き合う」の5つの章立てで、それぞれの課題に向き合っている方々の事例を取り上げています。

図書館運営にかかわる、あるいは図書館運営に関する決定権を持つ人たちすべてに読んで欲しい一冊だと思いました。

ちょうど今日届いたメールマガジン「BBM(ビジネスブックマラソン)」で、佐藤優さん著の新刊書『定年後の日本人は世界一の楽園を生きる』が紹介されていたのですが、そのなかに書かれている内容として『日本には、図書館という「オアシス」が身近に存在する』という一文があると知りました。「オアシス」とはうまいこと言ったものですね。まさに!と思うと同時に、これからも、より多くの人にとっての「オアシス」であり続けるために、図書館も変化し続けてゆかねばなりません。

『図書館と向き合う』(青弓社)高野一枝著

読書『第七問』(白水社)リチャード・フラナガン著/渡辺佐智江訳

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読書『第七問』(白水社)リチャード・フラナガン著/渡辺佐智江訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。このところ近現代を舞台とした良書にたくさん出会っています。「新刊棚」はとても小さなスペースですが、訪れるたびに興味深い新刊に出合えるので、探す手間が省けて、自分以外の人の選書を楽しむことができるのが、とても魅力的です。

さて『第七問』。読み始めてしばらくして「???」となりました。ひとつには、いくつかのストーリーが章毎に新たに立ち現れてくること、そしてもうひとつには、「語り手」と著者が重なること。手掛かりを求めて裏表紙の説明書きを読んだところ「ベイリー・ギフォード賞」受賞とあり、どんな賞なのかを調べました。これは英国で選定される英語のノンフィクション図書賞だそうで、なるほどノンフィクションだったのね!とわかり、少々混乱が収まりました。

著者のお父さんの日本での捕虜労働につながる話、著者の母国オーストラリア・タスマニアの歴史にまつわる話、『宇宙戦争』で知られるSF作家H・G・ウェルズの『解放された世界』にまつわる話、著者自身がボートの事故で死に直面した話、と、一つだけとっても重厚なテーマが、次々と立ち現れます。最初は「???」だったそれらが、次第にひとつの方向に向かってまとまっていくさまを読むのは、わたしにとってすごい読書体験となりました。

後半に向かって、読者に投げかけられ続ける鋭い「問い」は、古今東西の「わたしたち」に向けられた痛烈な批判であり、出口の無いしんどさを感じさせられました。著者は小説でもブッカー賞をとっており、フィクションでもノンフィクションでも卓越した作品を書いている、稀有な作家のようです。タイトルの『第七問』の意図するところは、とても哲学的で、わたしにはよく考えることができませんでした。著者の別の作品=小説も読んでみたいと思います。

『第七問』(白水社)リチャード・フラナガン著/渡辺佐智江訳

読書『ジェイムズ』(河出書房新社)パーシヴァル・エヴァレット著/木原善彦訳

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読書『ジェイムズ』(河出書房新社)パーシヴァル・エヴァレット著/木原善彦訳

西日本新聞書評コーナーで見つけて気になり、本書を読むために、マーク・トゥエインの『ハックルベリー・フィンの冒険』を遡って読んだという、こんなふうに、ある種の手続きを踏んでまで読んでみようと思った作品は、久しぶりでした。というわけで、期待大!で読み始めましたが、その期待を上回る読書となりました。

『ジェイムズ』は、米国文学『トム・ソーヤーの冒険』で知られるマーク・トゥエインが書いた『ハックルベリー・フィンの冒険』を、語り手(主人公)を変えて書いた小説です。『ハックルベリー・フィンの冒険』は、主人公である、貧困層に生まれた白人ハックと黒人奴隷ジム(ジェイムズ)の冒険物語。もともとはハックの視点で描かれた物語を、『ジェイムズ』ではジムの視点で描き直しています。著者は、アフリカ系アメリカ人作家のパーシヴァル・エヴェレット氏。

興味を持ったものの、わたしは『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んでいませんでしたので、まずは『ハックルベリー・フィンの冒険』を読むところからスタートしたのは上述の通りです。あらすじが頭に入ったところで、いざ『ジェイムズ』へ。『ハックルベリー…』もそうでしたが、冒険小説というよりは、社会小説。そして「アイロニー(皮肉)」という意味では、『ジェイムズ』の過激さは『ハックルベリー…』の比ではないと感じました。読み手たる自分のなかにあった無意識の思い込みと、甘さ・浅さを突き付けられる、ハードな読書体験となりました。

本書の著者パーシヴァル・エヴェレット氏の著書は、日本ではあまり刊行されていないようですが、米国では20作以上の長編を発表していらっしゃり、高く評価されているとのことです。俄然興味がわいてきました。ほかに訳書が出ていないか、ちょっと探してみたいと思います。

『ジェイムズ』(河出書房新社)パーシヴァル・エヴァレット著/木原善彦訳

読書『最果ての子どもたち』(早川書房)ニコラ・マチュー著/山木裕子訳

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読書『最果ての子どもたち』(早川書房)ニコラ・マチュー著/山木裕子訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。フランスの権威ある文学賞「ゴンクール賞」をとった作品だということで、そういえば先日読んだ本は「ゴンクール賞ノミネート」と紹介してあったような、と思い出しました。やはりカメリアステージ図書館新刊棚から借りた『小さな嘘つき』がそうでした。どちらも早川書房さんからの刊行です。

さて『最果ての子どもたち』読み始めてすぐに、いつの時代の話かが気になりました。1990年代の話だと分かり、納得すると同時に漠然とした暗い気持ちになりました。主人公は、かつて製鉄で栄えた「限界都市」に生まれた少年アントニー。彼が14歳のときからの8年間の青春を描いています。いわば思春期から大人へと成長を遂げていく期間。昔読んだ中島らもの本のなかに「息をするだけでも恥ずかしい」自意識過剰なお年頃、というような表現があったのですが、まさにそんな感じです。そこに出自のコンプレックスが加わって、登場人物それぞれの苦悩、痛々しさが読んでいる間中付きまといました。

『最果ての子どもたち』は、早川書房の公式サイトによると「青春小説」のジャンルですが、「青春」の文字の清々しさはまったくありませんでした。読みながら、少し前に読んだ『テスカトリポカ』を思い出しました。これも「貧困(富)」と「格差」が起点となるストーリー。現在の世界を覆う資本主義の仕組みに対する問題提起をする小説が、このところよく目に留まります。こうした本に出合えるのも、カメリアステージ図書館新刊棚のおかげです。

『最果ての子どもたち』(早川書房)ニコラ・マチュー著/山木裕子訳

読書『ハックルベリー・フィンの冒険』(研究社)マーク・トウェイン著/柴田元幸訳

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読書『ハックルベリー・フィンの冒険』(研究社)マーク・トウェイン著/柴田元幸訳

いつものカメリアステージ図書館から借りてきました。我が家ではローカル紙の「西日本新聞」を購読しています。年々紙面が減って薄くなってきているような気がするのは由々しきところですが(笑)、地域色が強いのはもちろん、地方紙だからこそ書ける特集などがあって、けっこう楽しめます。いくつかあるわたしの楽しみの一つに、毎週末の見開きの書評コーナー「おすすめ読書館」があります。上の写真は、そのウェブ版。紙で購読していると、無料でウェブ版も利用できます。

ある日、その書評欄で見つけた『ジェイムズ』(河出書房新社)がめちゃめちゃ気になりました。『ハックルベリー・フィンの冒険』で、主人公ハックと一緒に冒険する黒人奴隷ジムの視点から、その冒険を描き直したというもの。これは読んでみたい!と思ったものの、そもそも元となる『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んでいないということに思い当たりました。実のところ、その前作となる『トム・ソーヤーの冒険』さえも読んでいません。まずは『ハックルベリー・フィンの冒険』だけでも読まなければお話にならない!と、図書館へ駆け込みました。

さて『ハックルベリー・フィンの冒険』。とても興味深く読みました。行間から、時代背景が色濃くにじみ出ていて、訳者の方の工夫がしのばれました。けっこうな長編ですね。「冒険」のタイトルに対して勝手に抱いていたイメージと中身がまったく違っていて、いい意味で裏切られた感がありました。『トム・ソーヤーの冒険』もこんな感じなのかしらと疑問に思いつつ。ハックルベリーは冒険小説というよりは、むしろ社会派小説という印象を持ちました。読むのに想定以上に時間がかかりましたが、面白かったので、途中挫折はせず。

無事完読できましたので、準備は整いました。次はいよいよ『ジェイムズ』です。新刊ながら、こちらもいつものカメリアステージ図書館で発見することができましたので、さっそく予約。すでに図書館に入っていたことが嬉しく、いつものことながら感度の高い選書に感謝です。読むのがとても楽しみです^^

『ハックルベリー・フィンの冒険』(研究社)マーク・トウェイン著/柴田元幸訳

2025年の映画7本目は『レッド・ツェッペリン:ビカミング』。

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2025年の映画7本目は『レッド・ツェッペリン:ビカミング』

SNSのフィードに上がってきた友人の投稿に「レッド・ツェッペリンの映画を観てきた」とあるのを発見し、「えっ!そんなのあったの!?」となり、大急ぎで調べたのでした。福岡県内の上映館は5カ所のみ、すでに上映終了となっているところもありドキドキでしたが、アクセスしやすいところでは、ららぽーと福岡内にあるTOHOシネマズで上映されていることがわかり、いざ「初・ららぽーと」へ。上の写真は、入場時にもらったレコード型のうちわ^^

感情が揺さぶられることが予想されたので、チケットをとった時点で誰も座っていなかった一番後ろの列の席をゲット。幸い周りには誰もいない席となり、没入して楽しむことができました。平日昼間の館内は、20名ほどのお客さんで、わたしより先輩と思しき皆さまでした。それはそうですね。これまで深く考えたことがありませんでしたが、レッド・ツェッペリンのデビューアルバムが出た年に、わたしは生まれていました。洋楽を積極的に聴き始めたのは1980年以降であり、ツェッペリンが解散したのが1980年ですから、リアルタイムには体験していません。なぜ聴き始めたのかは、「こんばんは、渋谷陽一です」の影響にほかならず。

今回の映画は、リアルタイム世代ではない欠落部分を、大幅に補ってくれるものでした。わたしにとってのツェッペリンは、ラジオやCDなど、もっぱら耳から入ってくるものであり、ヴィジュアル的なイメージは、アルバムジャケット以外には無いに等しかったのです。映画館で、大音量で、演奏するメンバーの姿を目に音に浸る体験は、とても嬉しいものでした。ニヤニヤしたり涙が出てきたり思わず体が動いたり、大忙しの2時間。これまでずっとジミー・ペイジを特別視していましたが、本作を見て、4人がそれぞれに天才的であったことがわかりました。一人でも欠けたら成り立たない。解散の理由があまりにもはっきりしていました。

エンドロールが流れて止まり、館内がぼんやり明るくなっても、しばし誰も立ち上がらなかったのが印象的でした。観終わってすぐに、またすぐもう一度観たくなった映画でした。今もまだ、頭のなかに音が響いています。なぜ自分がツェッペリンに惹かれたのか、少しだけわかったような気がしました。

読書『ミシュランガイド東京 2026』日本ミシュランタイヤ発行

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読書『ミシュランガイド東京 2026』日本ミシュランタイヤ発行

これを「読書」とすべきかどうかはさておき。ミシュランガイド東京の最新版、2026年版が発表されましたね。これまでにも、また東京に限らず、藤吉憲典の器を使ってくださっている料理屋さんに、ミシュランの星付き店の料理人さんは何人もいらっしゃいます。ただ実のところ、ミシュランガイドにはほとんど興味がありませんでした。というのも、ミシュラン掲載の有無にかかわらず、味もサービスも素晴らしい料理人さんを何人も存じ上げているので。今回、友人から「○○さんがミシュランの星とってたね!」と電話をいただき、なるほどわたしたちの仕事柄、少しは情報として知っておいたほうが良いのかも…と思ったのでした。

というわけで、ミシュランガイドを初購入。わざわざ本を手に取らずとも、ミシュランガイドの公式ウェブサイトでもお店の名前はチェック可能ですが、やはり紙で持っておきたいのです。その甲斐あって?さりげなく凝った作りの表紙でした。紙の手触りに、ほぉ!と思いながら価格を見てびっくり。けっこうなお値段ですね。でもまぁ、これだけのお店を選び出すために、どれほどの数のお店に足を運んで食事をして検討に時間をかけたのかと考えたら、高くはないのかもしれません。内心、わたしは日本料理と鮨ジャンルだけあればいいのだけれど…と思いつつ(笑)。

お世話になっている料理屋さんのお名前をいくつか発見しました。わたしたちのなかでは、星が付いているからどうだということではありませんが、料理人さんの日頃の精進が評価される世間的な指標のひとつであると考えるならば、「おめでとうございます」というべきものなのかもしれません。ただ一方で、その評価に満足していないだろうなとか、逆に本心ではまったく気にもしていないだろうな、と思うところもあり、微妙です。驚いたのは、掲載されている1店1店の情報量がとても少なかったこと。掲載店数が多いから必要最低限こんな感じ、とでもいうのでしょうか。お店の紹介文を読んでもいまひとつピンとこない、というのが正直なところでした。紹介文の内容よりも、「ミシュランガイドに載った」を価値とする本なのでしょうね。そういうことも、実際に手に取って読んでみなければわかりませんので、買ってみてよかったと思います。

一方で「このガイド本には掲載されていないけれど素晴らしい料理人さん」が何人もいらっしゃることを知っている身としては、そういうお店のことを「大切な友人に口コミで教える」スタンスで、微力ながら情報発信できるといいな、と思いました。

以前に読んだ、フランスの三ツ星シェフが主人公の小説『シェフ』を思い出しました。