読書『忘らるる物語』(角川書店)高殿円著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『忘らるる物語』(角川書店)高殿円著

いつものカメリアステージ図書館から、高殿円さんの追っかけ継続中です。本書は2023年刊行ですので、少し前に図書館の新刊棚に並んでいたはずですが、そのときには、わたしの目に留まらなかったようで…。図書館の「た」の棚「高殿円」さんの並びで発見した一冊です。まだまだ未読本がずらりとありますので、次はどれを読もうかな、と、嬉しくなります。

それはさておき、本書『忘らるる物語』。いやぁ、ちょっと、びっくりしました。「上流階級」シリーズや「シャーリー・ホームズ」シリーズのような、コメディタッチのイメージが強くなっていたところに、ガツンと深刻なテーマを、笑いに包むことなく提示されてしまいました。角川書店公式サイトでの紹介文には、『女が産み、男が支配する世界を変える「忘れられた物語」とは? 破格のエンタテインメント巨編!』とあります。

物語は、何千年という時のながれのなかで、希望を持ち続けることを最後まで説き続けています。わたしが実際に本などで見知る歴史は、それに比べたらとても短いわけですが、そのなかでも同じようなことを繰り返す人の在り方に、あきらめの気持ちも強くなってきているわけで、なんともいえない気持ちになりました。もちろん本書はフィクションです。ですが、現実世界で繰り返されてきた愚行と、その背景というか根っこにあるものを並べてイメージすることは容易く。

うん、高殿円さん、すごいです。でもかなり重かったので、次は笑いながら読めるものを選びたいと思います^^

『忘らるる物語』(角川書店)高殿円著

郷育カレッジ講座「知識要らずの美術鑑賞」を開催しました。

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郷育カレッジ講座「知識要らずの美術鑑賞」を開催しました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。今年も福岡市美術館さんのご協力を得て、「知識要らずの美術鑑賞」講座を開催して参りました。現地で参加者の世話役をしてくださるのは、福岡市美術館の教育普及プログラム担当の学芸員さんと、美術館ボランティアガイドの方々です。今年は、例年よりも参加定員を増やすことができました。福津市から福岡市美術館までは、市の公用バスを利用しての移動です。その定員を、コロナ禍後は用心して少なめに人数制限していたのですが、バスの正規の定員まで広げることにより、昨年までより10名ほどアップ。おかげさまで、今年は参加ご希望者の抽選漏れ人数を減らすことができたと思います。

さて当日のわたしの主な仕事は、移動のバス車中での簡単なレクチャー。「知識要らずの美術鑑賞」のタイトルは、わたしが一般向けに分かりやすいように考えたものであり、そのなかで実施されるプログラムは「対話型鑑賞法」を用いたものです。福岡市美術館の学芸員さんとの事前の打ち合わせで、対話型鑑賞法で大切なことについて、皆さんに解説しておいて欲しいというようなご要望がありましたので、バス移動の時間を使いました。

到着後は、福岡市美術館の教育普及担当スタッフさんにお任せです^^。対話型鑑賞のグループは4~5名で、7グループ。それぞれにボランティアガイドさんが一人ついてくださり、常設展示室での鑑賞を行います。それぞれのガイドさんが選んだ3つの作品について、各グループでの対話が始まると、最初は遠慮がちだった参加者の皆さんも、3作品目になると活発な発言が増えてきて、和気あいあいとした声が聞こえてきました。仕掛け人としては、思わずニンマリする瞬間です。

対話型鑑賞の時間が終わったら、自由観覧時間。こちらは文字通り自由に、それぞれに気になるものを観に行っていただく時間です。対話型鑑賞は一つ一つの作品をじっくり見るので、時間内では3つが限度になりますし、集中力が続くのもそれぐらい。でも「せっかくここに来たのだから」ということで、「自分が見たいと思うもの」を探しに行ってもらうのも、良い時間になると思います。帰りのバスの中では、皆さん楽しそうに近くの席の方とおしゃべりがはずんでいました。

というわけで、今年も無事講座を開催することができました。参加者の皆さん、福岡市美術館教育普及担当学芸員さん、ボランティアガイドの皆さん、そしてバスの手配はじめこまごまとした雑務をこなしてくださる市職員さんに心より感謝です^^

読書『Ifの総て』(新潮社)島田雅彦著

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読書『Ifの総て』(新潮社)島田雅彦著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。タイトルを見ての「ん?」と、「島田雅彦」さんの著者名で手に取りました。このタイトルを見てまず思ったのは、たしか『イヴのすべて』って本があったよね?ということ。次に考えたのは、つまりパロディ?ということ。わたしのなかで島田雅彦氏といえば、はるか昔にテレビで見た「詩のボクシング」であって、当時の、容易に近づけないような鋭さと、人を食ったような雰囲気の、魅力的なイメージがいまだに鮮明です。と言いつつ、そういえばわりと最近に新著を読んでいたなぁ、とブログを遡ったら、『大転生時代』を一昨年読んでおりました

さて『Ifの総て』。まったくパロディなどではありませんでした。そして、小説の形を借りているとはいえ、「ここまで書いたのね」とちょっと驚きました。1985年の日航機墜落事故にはじまり、戦後処理から現代にいたる日米関係、そもそもなぜ日本は戦争を始めたのか…と遡ります。そしてそれらは、過去の歴史批判にとどまらず、だから今日本が突き進んでいる危うい道を、今生きているわたしたちがなんとか止める努力をしなければ、という呼びかけとなっています。森永卓郎さんが亡くなる前に出された本を思い出しました。

新潮社さんの公式サイトでの紹介には、「島田ワールド全開のエンターテインメント超野心作!」とあります。主人公がタイムトリップをする物語、という位置づけは、まさにエンターテインメント。ですが、それ以上に社会小説でした。同サイト内の書評で、思想家の内田樹氏が『「あり得た歴史」についての歴史研究があり得ない以上、それはフィクションとして書かれるしかない。本書はそういうフィクションである。』と書いていらっしゃいます。この書評の文章だけ読むと、なにがなにやらわからない感じですが、本書読了後に読みましたので、ああなるほど、と感じました。

文章を書く人の強さに、頭が下がる今日この頃です。

『Ifの総て』(新潮社)島田雅彦著

読書『知的生産のセンス』(日本経済新聞出版)楠木建著、山口周著 

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読書『知的生産のセンス』(日本経済新聞出版)楠木建著、山口周著

経営学者・経営思想家である楠木建氏と独立研究者である山口周さん、二人の「知的生産者」による、白熱の対談録です。「白熱の対談録」とは、日経BPでの本書紹介文の中での言葉ですが、その通り、お二人の熱さが伝わってくる対談でした。山口周さんの「対談型」著書としては、『人文知は武器になる』(文春新書)山口周/深井龍之介著を読んだのが、つい3か月ほど前のことで、立て続けに唸らされております。

以下、備忘。楠木建氏の発言は(楠)、山口周氏の発言は(山)。


  • センスはその人に固有の判断と選択、さらにはその背後にある基準(楠)
  • 本質的な問題の創出には、人間の価値観や直感が不可欠(山)
  • スキルは本来的に「要素分解」。(中略)センスのベクトルは逆で、「統合」(楠)
  • 要素分解が行きすぎると、センスが阻害される。(楠)
  • 「仕事は結果責任を伴う」のに対して、「作業は結果責任を伴わない」(山)
  • 全体性をつかむセンシングの能力(山)
  • センスとは自分自身の内部で完結している能力ではなく、外側にあるものを感じ取る力であり、だからこそ現場に出て環境にさらされることで鍛えられる(山)
  • 「直接経験の蓄積」(山)
  • 天才はオリジナルより上手にパクるので天才(山)
  • (センスは)仕事経験の中で自分で磨いていくもの(中略)そこでは五感を使った直接経験が不可欠(楠)
  • 体の反応は正直(楠)
  • キャリアは最終的に地頭や適性の問題ではなく「好きか、嫌いか」の問題で決着する(山)
  • 「情報の豊かさが注意の貧困をつくる」(ハーバート・サイモン)(楠)
  • 「身体反応=ソマティックマーカー」による選択(山)
  • 「自分が一番作業しやすい空間や配列」(山)
  • 「いい感じの偶然を引き寄せる」がインプットの要諦(楠)
  • 心が穏やかでないとインプットもアウトプットも上手くできません(山)
  • アウトプットまでつながってこそのストレージ(楠)
  • すべてのインプットが自分の中で消化・発酵して、引用や参照ではなく、すべて「自分の言葉」として出力されている(山)
  • 過去の優れた知的生産者が考えた過程を追体験することで、ある種の構や構えのようなもの、勘所のようなものを参照することはできる(山)
  • 「師弟関係を通じてしか得られない身体知」(山)
  • 「面白がる」(楠)
  • 何かを好きになるとは、直感でそれをつかまえに行くことだ。(中略)何の役に立つのか、どこに価値があるのかと理由を求めてしまうのは、本質的な生き方から離れてしまっている(小林秀雄の考え方)(楠)
  • 芸風こそセンスの集大成(楠)
  • 「機が熟す」(山)
  • 「時間の長さ」よりも、やはり「回数の多さ」(山)
  • 「手を動かす」という身体化と「いったん目の前に見える形で置いてみる」という客体化(楠)
  • 自分のためにやるのは趣味、自分以外の誰かの役に立って初めて仕事になる(楠)
  • 「動機は自分、評価はお客」(楠)
  • 頭のなかで出来上がったものを可視化していく(山)
  • 現場でフィードバックに常時さらされていることが、アウトプットの価値に対するセンスを働かせる上で欠かせない(楠)
  • 「何をやらないか」の見極め(山)
  • 自分自身が心の底から面白いと思えるものしかアウトプットとして出さない(山)
  • 常にアウトプットし続けていないとダメ(楠)

『知的生産のセンス』(日本経済新聞出版)楠木建著、山口周著 より


本にアンダーラインを引いていったなかから、これでもだいぶ取捨選択したつもりですが、大量になりました^^; クリエイティブを仕事にしている、という自覚のあるすべての方におススメの一冊です。

『知的生産のセンス』(日本経済新聞出版)楠木建著、山口周著

博多座に玉三郎さんを観に行ってまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

博多座に玉三郎さんを観に行ってまいりました。

久しぶりの博多座です。たしか前回は勘九郎さんだったような…と思ったら、その通りでした。昨年6月下旬でしたので、おおよそ1年ぶりです。玉三郎さんの公演は、一度は観てみたいなぁと、漠然と思っていました。そんなところへ九月博多座特別公演で、玉三郎さんがいらっしゃるというニュース。チケットは即完売だったということで「そりゃそうよね~」とあきらめていたら、追加公演チケット予約の案内が届き、アクセスしたらゲットできました。ラッキー♪当日は満員御礼、補助席と立見席も出ていたようです。

というわけで、わたしにとっては、初・玉三郎さん。歌舞伎素人ですが、舞台上の画と音に集中するため、毎度のことながら音声ガイド無しで臨みました。もともと9月4日が初日だったのが、追加公演が前倒しで入ったため、思いがけず初日公演。演目は「口上」にはじまり、玉三郎さん自身が自ら箏・三味線・胡弓を奏でる「三曲糸の調べ」、休憩をはさんで映像作品の「夢二慕情」に最後は「長崎十二景」。間に映像作品が入るというのがなんとも斬新に感じましたが、昨今の歌舞伎界ではよくあることなのでしょうか。そういえば今回の公演タイトルには「歌舞伎」の文字は入っていません。竹久夢二を主題とした演目というのも物珍しい感じがしましたが、この「長崎十二景」は、九州の博多座で演じるからこその意味もあったのかもしれません。

まず最初の「口上」で圧倒されました。ただのご挨拶ではありませんでした。「打掛をご覧に入れます」とおっしゃり、舞台上で見せてくださったのですが、そのようなことをするのが歌舞伎役者にとってどういうことなのか、なぜそのようなことをするようになったのかを、きちんと説明してくださいました。無粋を承知で堂々とやってのける粋、とでも言ったらよいでしょうか。その言葉と姿には、伝統芸能を背負う並々ならぬ覚悟と気迫、「お客さまがあってこそ」の偽りのない思いが見えて、思わず涙腺が緩みました。「そうだよね、ちゃんと遺していかないとダメだよね」と、分野も立場も大きく違えど、江戸の文化を継承する仕事の共通点を見出して、勝手に励まされました。

全編を通して美しい絵画、動く絵画を観ているような感覚でした。眼福^^

『九月博多座特別公演 坂東玉三郎 出演』

読書『グランド シャトー』(文藝春秋)高殿円著

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読書『グランド シャトー』(文藝春秋)高殿円著

いつものカメリアステージ図書館から、高殿円さんの追っかけ継続中です^^

文藝春秋の公式サイトでの著作紹介に「 笑って泣ける大阪キャバレー物語」とありました。まさにその文字通り、主人公の泣き笑いの人生が繰り広げられています。先日読んだ『上流階級 富久丸百貨店外商部』が阪急沿線神戸寄りエリアでのお話であったのに対して、本作は現在でいう大阪・JR京橋駅エリアを中心とした物語でした。

こういう本を読むとき、いっときでも大阪に住み仕事で京阪神を歩き回っていたことが、ストーリーに臨場感を与えてくれる恩恵を感じます。地名を聞いて、その場所の景色や空気感が思い浮かぶのは、とてもラッキーなことですね。いずれにしても、著者の関西愛があまりにも溢れていて、なぜかこちらまで嬉しくなります。高殿さんの出身地をみたら、神戸生まれで現在は芦屋に住んでおられるということで。

さて『グランド シャトー』。昭和から平成へ続く物語です。戦後の混乱から、キャバレー文化の隆盛と衰退、テレビ文化の登場と、スピード感のある「人情もの」エンターテイメントでした。「楽しいことは、みんな大阪から始まったんやで!」と叫ぶ主人公のパワーと、彼女をはじめ様々な過去を背負って必死に生きる女たち・男たちの姿、「帰れる場所」への思いが混ぜこぜになって、胸に迫ってきました。切ない物語をお笑いに包んで届ける、技(ワザ)を感じました。

いやぁ、高殿円さん、目が離せません^^

『グランド シャトー』(文藝春秋)高殿円著

ワークショップ第1回目-令和8年度ジャンププログラム・ビジネスコース。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ワークショップ第1回目-令和8年度ジャンププログラム・ビジネスコース。

先月キック・オフが行われた福岡県のジャンプ・プログラム、あっという間にひと月が経ち、ワークショップの第一回目が行われました。昨年のサッシンプログラムとの違いは、ワークショップ前に、グループワークの時間が別途1時間半ほど設けられたこと。昨年のプログラムで、個人的に少し物足りないと感じていた部分があるとすれば、セミナー型の受け身の講座が多くて、ワークショップの時間が申し訳程度だったことでしたので、これはとてもありがたい変化です。

今回のテーマは「新規事業開発」。担当講師は、株式会社Schooの金田 一平氏。お話のスマートなのに加え、程好いタイミングでワークをはさんでくださり、面白かったです。以下、備忘。


  • 新規事業は、アイデアではなく翻訳。翻訳とは、相手が動ける形にする(変える)こと。
  • (壁1)誰が払うのか?→困っている人(必要としている人)とお金を払う人は別?
  • (壁3)最初の一件は?
  • 「受益者」「利用者」「導入決定者」「支払者」
  • 社会課題が誰かの予算を使ってでも解決したい問題に変わったとき、初めて事業になる。
  • 最初に「誰が」「何に」「いくらの」お金を払うか。
  • ヴィジョンは大きく、最初の一件は小さく。
  • 「他の人でもできる」のが事業=経営者の能力を、会社の能力に変えることができるか?=反復性。
  • 社会性×事業性
  • 何を、何に、翻訳できるか。
  • 資産=強みの「使い道」を変える。
  • これまで築いてきたものの中で、他者(社)が3年かけても簡単に手に入らないものは何か?→自分の武器。
  • 事実と仮説を分けて考える。
  • 最重要仮説は?

令和8年度ジャンププログラム・ビジネスコース「新規事業開発」株式会社Schooの金田 一平氏のお話より。


現在考えている新規事業について考えたときに、耳の痛い指摘も多く、反省材料をいただくとともに、今後詰めていくための指針を得ることができました。ありがとうございました!

読書『上流階級 富久丸百貨店外商部』(光文社)高殿円著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『上流階級 富久丸百貨店外商部』(光文社)高殿円著

いつものカメリアステージ図書館から借りてきました。お盆休み中に久しぶりに読んだ、高殿円さんの『せどりの女王』がものすごく面白かったので、著者名検索で追っかけです。ありました、ありました。毎度のことながら、図書館ありがとう!ですね。

さて本書『上流階級 富久丸百貨店外商部』は、百貨店の年間売り上げの3割以上を稼ぎ出すという外商部に、初の女性外商員として配属された主人公の成長物語。本書の刊行が2013年であり、ほぼ同時代のストーリーとして書き上げられたのかな、と思います。主に関西を本拠とする百貨店をいくつも取材して書かれたということ。わたしは東京本拠地の百貨店で外商員をしている女性とお会いしたことがあり、それが2021年頃のことだったと思いますので、おそらく本書が出たころは、リアルに百貨店外商部で「女性の登用」が課題になってきていたところなのかもしれないな、と思いながら読みました。

いやぁ、面白かったです。百貨店外商部は言わずもがな富裕層相手の商売であり、そういう方々の生活や行動を、小説のなかででもうかがい知ることは、花祭窯おかみにとっては非常に勉強になります。「ほぉ~そうなのかぁ…」と未知の世界を面白がりつつも、様々な(ときに無謀な)要望を出すお客さまに対する外商仕事の幅広さに、驚きました。本書では、外商だけでなく、お店の売り場における百貨店員の方々の生態も垣間見ることができます。なるほどなるほどと思いつつ、今度百貨店に出かけたら、ちょっと観察してみようかな、という気になりました。

本書には続編があります。こちらも読むのが楽しみです^^

『上流階級 富久丸百貨店外商部』(光文社)高殿円著

読書『国宝(上・下)』(朝日新聞社)吉田修一著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『国宝(上・下)』(朝日新聞社)吉田修一著

映画『国宝』を観たのは、昨年7月のことでしたので、約一年前ですね。なんだかもっと前だったような気もします。映画が公開されてすぐのころに、まずは本を読もうかしらと図書館で調べたら、もちろん蔵書としてあるのだけれど「予約待ち」が大人数になっていて、そりゃそうよね、と諦めたのでした。

先日、いつものカメリアステージ図書館で、「戻ってきた本」が載っているブックトラックのなかに『国宝』発見。上下巻ともありましたので、ラッキー♪とばかりにまとめて借りて参りました。映画も3時間近くでしたので、その元になっている小説のボリュームやいかに、です。分厚い2冊組、さぞかし読むのに時間がかかるだろうな、と覚悟しておりましたが、まあ引き込まれて、思いのほか早く読了。

読みながらまず思ったのは、映画を先に観ていて良かった!でした。というのも、文中に歌舞伎の演目に関する解説などが随所にあり、まあまあのボリュームでしたので、映画を観ていなかったら、読むのに一苦労、という感じになっていたかもしれません。わたしが歌舞伎を劇場で観たことがあるのはほんの数回ですので、舞台のイメージも限られていて、演目を言われてもわかりません。でも映画でばっちり取り上げられていた藤娘や曽根崎心中をはじめとした演目は、観ていたおかげで美しいイメージが思い出され、本を読むのに助けになりました。

映画の脚本には入っていなかったエピソードや、書き換えられているもののなかに、小説で読み直すことで無理なく繋がるものがいくつもありました。「あのシーンは、原作ではこうだったのね」というところを知ることができたのは、良かったです。わたし個人的には、小説のほうが良い、映画のほうが良い、というようなものではなく、映画を観た後に小説で答え合わせというか、間違い探しというか、補完することができてよかったな、と。

特にラストに向かって、小説と映画とのギャップを面白く感じました。実は映画を観た後に、わたしは個人的には、国宝受賞後のインタビューシーン(娘による)は、あれは要らなかったよなぁ、と感じていました。あまりにも俗っぽ過ぎるなぁ、と。でもあのシーンは映画用に作られたものだったのですね。小説では「国宝受賞」の事実は語られていますが、あくまでも周りの人の間で語られるばかりで、当の主人公はその事実にかかわらないままに終わります。うん、この方が自然よね、と感じました。一方、小説でのラストシーンがあまりにも劇的な感じで、これはこれでちょっとやりすぎ!?と思ったり。

ともあれ、原作小説読んで良かったです。すごい本でした。

『国宝』(朝日新聞社)吉田修一著

郷育カレッジ講座「戦時下のくらし」を受講して参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ講座「戦時下のくらし」を受講して参りました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。8月の講座として定着してきている一つが、津屋崎千軒民俗館・藍の家で開催される「戦時下のくらし」です。藍の家保存会でここ数年毎年開催なさる企画展示に合わせて、講座を開催しています。講師は保存会代表の古閑由美さん。8月になると、日本各地で戦争関連の企画展示が行われますが、ここ津屋崎千軒の藍の家で開催されるようになったのは、古閑さんが代表をなさるようになってからです。

地域に根付いた戦争体験を、生の声を拾って受け継いでいくスタンスが、戦争を自分事として考えることを促すアプローチになっています。初めて展示を拝見した時に、今住んでいる場所、ご近所の人につながる話であることの意味を強く感じ、ぜひ郷育カレッジ講座をお願いしたいと思ったのでした。幸い快く引き受けてくださり、今年も開催となりました。常に新しい資料を調べ、聞き取りをなさっているので、毎年新しい切り口での資料や情報が増えています。「戦争は一度はじまってしまうと止めるのが難しい。だから絶対にはじめてはいけない」展示に対する使命感がひしひしと伝わってきます。

20名の参加枠は、今回も満員御礼。展示している場所での講座なので、受講人数を増やせないのが悩ましいところではありますが、この場所でやることに意味があると感じます。参加者の皆さんが時折深くうなずきながら、熱心に話に聞き入っておられる様子が印象的でした。講座は終了しましたが、展示は8月26日(水)まで行われていますので、お近くの方には、ぜひご覧いただけると嬉しいです。上の写真は、ちょうどこの日に西日本新聞に掲載された、展示の紹介記事。

藍の家「戦時下のくらし」展 ~2026年8月26日(水)まで。