読書『アンジェリク 緋色の旗』(講談社)藤本ひとみ

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『アンジェリク 緋色の旗』(講談社)藤本ひとみ

まだまだ続きます、一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」(笑)。『マリリン・モンローという女』『シャネル CHANEL』『皇妃エリザベート』『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』に続いては、『アンジェリク』。

フランス革命の時代を「国王側」から描いたのが『マリー・アントワネット』なら、同じ革命を「国王ではないもの」の側から描いたひとつが『アンジェリク』。この国・この時代に対する著者の熱い思い入れが伝わってきます。別の視点から描かれた同時代のストーリーを続けて読むことで、点が線につながる感じとでも言いましょうか、世界史に疎いわたしも、少しは理解が深まったような気がします。

「国王ではないもの」とは、さまざまな階層の貴族であり、経済力をつけたブルジョワジーであり、労働者であり、農民であり、そのどこにも入れない者たちであり。上から目線の『マリー・アントワネット』の物語とは一転して、『アンジェリク』は地を這うような人間臭さのあふれるストーリーでした。

そのなかに秘められた「どう生きるのか」の問いが、この本の主題であったように、わたしには感じられました。主人公アンジェリクがなんども自問する「仕事がなくては食べていけない。食べていけないということは、生きていけないということだった。だが、この仕事でいいのだろうか。これを選んでいいのか。この道を歩いていって本当にいいのだろうか。」の思い。これが中心にあったと感じました。

一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」、まだしばらく続きそうです^^

映画『アンナ・カレーニナ』の美術に感動。

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映画『アンナ・カレーニナ』の美術に感動。

「読んでいなかった名作を」シリーズで『アンナ・カレーニナ』を読んだのは、昨年初めのことでした。ずいぶん前に読んだような気がしていましたが、まだ1年ちょっとしか経っていませんでした。古くはグレタ・ガルボ、ヴィヴィアン・リー、ソフィー・マルソー、その他にもいろいろと映像化されていますが、今回私が見たのは2012年の米英合作版。

新潮文庫上・中・下巻で合計2000ページ越えの超大作。どうしたら2時間ほどの映画に収まるのだろうとドキドキしましたが、余計な心配でした(笑)ストーリーに必要な要所をきちんと抑えていたからなのでしょう、無理に端折った感じはせず、引き込まれました。

舞台を思わせる場面展開、美術の使い方、そして美しい映像。ヴィジュアル的に、とても満足感のある映画でした。わたしが特に目を惹かれたのが、機関車の象徴的な使い方と、舞踏会での艶やかなダンスシーン。そういえば、アンナとヴロンスキーの出会いのシーンにはじまり、アンナが自死に至るまで、重要なシーンは機関車とともにあったのだと、映画を見てあらためて思いました。

また舞踏会での社交ダンスシーンが、とても印象的でした。舞踏会のシーンはいろいろな映画で目にしますが、「踊り自体」に釘付けになったのは、初めてだだったような気がします。特に手の動きが、とても不思議で美しい動きでした。そして、このシーンに込められたたくさんの意味。セリフで冗長に語らせなくてもこれだけ伝えることができるのだと、感嘆しました。

さかのぼって過去に映画化されたものを見てみたいと思った半面、本作がとてもよかったので、そのイメージを保つには、別のアンナ・カレーニナは観ない方がいいかもしれませんね。そう思わせるくらいのインパクトでした。映画館で見たかった映画です。

読書『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』(角川書店)藤本ひとみ

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読書『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』(角川書店)藤本ひとみ

一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」継続中。『マリリン・モンローという女』『シャネル CHANEL』、ちょっと時代をさかのぼって『皇妃エリザベート』(1837-1898年)、さらに約100年さかのぼり『王妃マリー・アントワネット』(1755-1795年)。前半『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』が読んでいて辛くなるストーリーだったので、少し休憩して気持ちを整えてから、後半(続き)である本書に手を伸ばしました。

少女時代よりもさらに追い詰められていく後半生、どんなに辛いストーリーだろうと思いきや、『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』でのマリー・アントワネットは、少女時代にはなかった意志や強さを持って描かれていました。その悲劇的なストーリーにもかかわらず、読み手の同情を寄せ付けない強さを感じました。

小さな過ち、些細な選択ミス、少しの油断が積み重なって、知らず知らず困難な立場に追い込まれているところへ、革命という時代の流れが抗いようもなく押し寄せてくる。誰が悪いとも言えない、ただそういうタイミングであったのだと感じました。誰もがその流れのなかで翻弄されていたのだろうと。

登場人物たちが、とても魅力的でした。わたしがこれまでに読んでいる藤本ひとみさんの著書では、登場する女性がいつも(欠点も含めて)とても魅力的に描かれているのですが、本書では男性の登場人物の存在感を強く感じました。マリー・アントワネットの恋のお相手フェルセンはもちろんのこと、解釈次第では悪者にされそうな夫・国王ルイ16世の複雑さの描写がとてもよかったです。

映画も観たいし、舞台も観に行かねば!と思わせる、マリー・アントワネットの物語でした。

久しぶりにEC(Electronic Commerce)の勉強会。

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久しぶりにEC(Electronic Commerce)の勉強会。

お友だちが「少人数での勉強会どう?」と声をかけてくださって、実に久しぶりにオフラインでの勉強会に参加してきました。

ここ一年は、ビジネスでの学びもオンラインでのセミナーや勉強会ばかり。なかでも技術的な勉強会は、Zoomを使ってマンツーマン形式で学ぶことがほとんどでした。少し前にこのブログにも書いた「よろず相談」もそのひとつ。ピンポイントで「今知りたいこと」を専門家から学ぶことができて効率的だった半面、思いがけない方向に派生していくことは、ほとんどありませんでした。

さて少人数勉強会。参加者各々が持っている課題を解決していく過程で、自分の仕事においての課題と重ねて考えることができるのが、一人で学ぶのとは大きく異なる利点です。自分が気づいていなかったテーマが明らかになったり、課題解決方法としてまったく思いがけない提案があったり。やっぱり一人で黙々と考えているだけでは、世界が狭くなるなぁ、と痛感しました。

「これを知りたい」と思ったときに、直線的に答えが返ってくるのは気持ちの良いものですが、「別の課題を持った自分以外の人」が同じ場所にいることで、そこから解が多様に広がっていくことの面白さを久しぶりに実感した少人数勉強会でした。なにげない無駄話のなかにも、ヒントがたくさん。これが大人数になってくると、広がりすぎて訳が分からなくなるので、わたしにとっては、少人数がちょうどよいようです。

以下、備忘。


  • 写真がきれいならオーバーレイは外した方がベ良い。テキスト載せたいなら画像に入れてaltで残す。
  • EMS送料はその都度試算するのではなく、方面と重さでパターンを作成し選べるように。
  • タグ→サイト内検索に有効。タグを正確に、該当するものはすべて入れ直す。
  • コレクション(カテゴリー)、タグをうまく使う。
  • FB、インスタ→海外向けEC。
  • デジタルコンテンツ制作:Udemyなど参照。
  • コンテンツ+モノの組み合わせ販売。
  • Paypay払い増→ソフトバンクペイメント。
  • 手軽に画像制作→Canva。
  • それは本当に必要か?このタイミングで業務・仕組みの見直し。

おかげさまで、出かけるときには考えてもいなかった方向での事業の可能性を見出すことができました。やっぱり顔を合わせて学ぶことで生まれてくるものがありますね。誘ってくれたお友だちに心より感謝!です^^

読書『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』(角川書店)藤本ひとみ

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読書『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』(角川書店)藤本ひとみ

一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」継続中です。『マリリン・モンローという女』『シャネル CHANEL』、ちょっと時代をさかのぼって『皇妃エリザベート』(1837-1898年)、さらに約100年さかのぼり『王妃マリー・アントワネット』(1755-1795年)にたどり着いたところです。西洋史をもとにした小説で知られる藤本ひとみさんの著書のなかでも、このあたりの時代は特にお得意なのではないかというイメージがあります。

エリザベート、マリー・アントワネットの物語を生み出している背後に控える「ハプスブルグ家」。2019年秋から2020年初にかけて国立西洋美術館で「ハプスブルグ展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」が開催されていました。ちょうど同じタイミングで東京に出張していたことを思い出し、足を伸ばして観に行けばよかったと、今頃悔やんでいるところです(笑)ハプスブルク家が蒐集したコレクションと、王家の人々の肖像画の数々。エリザベートマリー・アントワネットも、絵画でその姿を確かめることができます。そういえば2017年に福岡市博物館で開催された「神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展」ルドルフ2世も、ハプスブルグ家です。上の写真はその展覧会でのもの。

さて『王妃マリー・アントワネット<青春の光と影>』、読んでいて辛くなってくるストーリーでした。国の意思を背負って14歳で嫁ぎ、政治の道具として政争に巻き込まれていく女の子の物語。マリー・アントワネットの恋の相手フェルセンのいうとおり、「マリー・アントワネットには、客観的な視点が欠けているのだ。自分の行動を冷静に分析することができない。これを正すためには、誰かがそばにいて助言してやらなければならなかった。」のに、誰もいなかったのであり、「このヴェルサイユは陰謀の巣で、王妃様のような方が住むには危険すぎるところ」で「今の王妃様には、誰か力になってくれる人間が必要」だったのです。フェルセンが助け舟を出したときには、もう遅すぎたのでした。

この物語は『王妃マリー・アントワネット<華やかな悲劇のすべて>』に続いていきます。ここからギロチン台へと進んで行くことがわかっているだけに、まさに悲劇そのものの物語が展開されることがイメージできます。ちょっと一休み入れて、気を取り直してから続きを読もうと思います。

読書『世界は贈与でできている』(NEWS PICKS PUBLISHING)近内悠太

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読書『世界は贈与でできている』(NEWS PICKS PUBLISHING)近内悠太

本書も、ご近所のマイ図書館「福津市カメリアステージ図書館」の「新書棚」で発見。禅問答のような面白さで、一日で読了しました。ずいぶん哲学的な文章だなぁ、と思ったら、著者は気鋭の若手哲学者でおられました。さらにこのタイトル、どこかで見たことがある気がしていましたが、メールマガジン「ビジネスブックマラソン(BBM)」で以前に紹介されていたことを思い出しました。書評を拝見して気になったものは、やっぱり頭の片隅に残るものですね。

一日で読了と書きましたが、その実、非常に読みごたえがありました。前半(第1章「お金で買えないもの」の正体、第2章 ギブ&テイクの限界点、第3章 贈与が「呪い」になるとき、第4章 サンタクロースの正体)までは、自分の実体験に照らしてもよくわかり、納得しながらどんどん進みました。特に、お金で買えるものになったとたんに価値が下がってしまう現象の正体や、親子の愛情(関係性)を「贈与」の概念で解説するくだりは、すんなりと理解できるものでした。

後半(第5章 僕らは言語ゲームを生きている、第6章「常識を疑え」を疑え、第7章 世界と出会い直すための「逸脱的思考」、第8章 アンサング・ヒーローが支える日常、第9章 贈与のメッセンジャー)は、前半で出ている結論を強化する論考が、あの手この手で並んでいる印象でした。そのために登場するのが『サピエンス全史』であり、マルクスであり、映画「ペイ・フォワード」、フロイトの理論をもとにした岸田秀の「親からの呪い」論、「鶴の恩返し」、サンタクロース、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム、シャーロック・ホームズ、カミュ、小松左京…などなど。

この後半については、正直なところ、一度読んだだけではよくわからないところもあり、わたしには再読が必要です。何度も読み返しながら、自分の考えをまとめていきたいと思える本でした。

ともあれ、久しぶりに「哲学的な問い」に向き合う本となりました。個人的にこういう問答は嫌いではないことを、再確認しました。時代の大きな転換期にあると思われる今のタイミングで、出会う(読む)ことができたことが嬉しい一冊です。

読書『皇妃エリザベート』(講談社)藤本ひとみ

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読書『皇妃エリザベート』(講談社)藤本ひとみ

引き続き、一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」開催中。『マリリン・モンローという女』『シャネル CHANEL』に続いては、時代をさかのぼり『皇妃エリザベート』です。

「エリザベート」といえばミュージカル。宝塚版と東宝版がありますが、どちらも観たことがありません(涙)。福岡には博多座があり、東宝版が来るので恵まれています。が、2016年博多座チケットを撮り損ね、2020年リベンジ!と思っていたら全公演中止となり、現在に至っています。

結果として藤本ひとみさん著の小説を先に読むことになり、時代背景の予習をすることができました。本書中に描かれるエリザベートの劇的な人生は、時代や境遇(出自)に翻弄されたというばかりではなく、彼女の性格がそうさせた側面が強調されていました。登場人物の魅力と、激動の時代背景。映像化への要素が詰まっていますね。

それにしても、藤本ひとみさんが作中に描く女性は、ただ強い、ただ美しい、というのではありません。自分を抑圧するものに抗う姿は、人間的で生々しく切なく、ジタバタもがいています。歴史小説にありがちな「別の世界のお話」な感じがしないのは、登場人物が実在していたからだけではなく、その描き方によるものだと思います。だからこそ時代も立場も異なる読者を惹きつけるのだろうな、と。

ミュージカル「エリザベート」を、ますます観たくなってきました。2020年中止した分が、あらためて博多座に来てくれるといいな、と願いつつ。

読書『シャネル CHANEL』(講談社)藤本ひとみ

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読書『シャネル CHANEL』(講談社)藤本ひとみ

今回の「一人で勝手に藤本ひとみ祭り」は、ココ・シャネル。このところ思いがけず、映像や文字を通して女性の生き方をたどる旅をしています。ジュディ・ガーランド(1922-1969年)、マリリン・モンロー(1926-1962年)ときて、ココ・シャネル(1883-1971年)。シャネルの生きた時代に、ジュディもマリリンもいたのですね。

三人とも「自分の存在価値、居場所」を求めて苦しみもがいて生きています。なかでも藤本ひとみ氏の筆を通して見るシャネルは、「怒り」をエネルギーにしているところに、強さを感じました。「怒る」というのは心身ともに疲れてしまう行為ですが、大きなエネルギーを伴うからこそ疲れるのです。ある時期まで怒りをエネルギーにしていたわたしとしては、これをプラスのエネルギーに転換できたシャネルの凄さに感嘆せずにいられません。

以下、本書中から心に残ったもの。


「すべての逆境はチャンスだ」

自分の体と心、そこから生まれる誇りと愛情。それだけは最後まで残る。

「(前略)僕らは、仕事で成功することでしか地位を築けない。認められるために、この世に自分の居場所を創り出すために仕事を頑張るしかないんだ。」

私は貧困と無知の中で生まれ育った。だが、それが力となったのだ。

「コピーが広がれば広がるほど、オリジナルの価値が上がるのよ。(中略)その時のために、ここではコピーの及ばない完璧なオリジナルを作る必要があるの。オリジナルの良さを知れば、もうコピーを求めることはないわ」

『シャネル CHANEL』(講談社)藤本ひとみ著 より


ジュディやマリリンが時の流れとともに「昔の人」になりつつある今も、「CHANEL」はブランドとして現在を生き続けています。「もの」と、その「ブランド価値」を確立し残していくことの凄さが、そこにあります。ココ・シャネルその人を知らなくても、ブランドとしてのCHANELの名前は知っている。まさに「そこから生まれる誇りと愛情。それだけは最後まで残る」のだと思いました。

読書『マリリン・モンローという女』(角川書店)藤本ひとみ

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読書『マリリン・モンローという女』(角川書店)藤本ひとみ

先日カメリアステージ図書館『桜坂は罪をかかえる』(講談社)に出会い、久しぶりに「藤本ひとみ」著書を手にしたところから、一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」開催中です。わたしが著者に対して持っていたイメージ「大人向けのちょっとドロドロした感じの小説」の本領が発揮されているであろう本を、まとめて借りてまいりました。

まず一冊目『マリリン・モンローという女』。マリリン・モンローの生涯は、アイコン的なエピソードを断片的に読んだことはありましたが、まとまった物語として読んだのは今回が初めてでした。知っているようで知らなかった、マリリンモンロー。かといって、本書は小説であって伝記ではありませんので、これがほんとうの姿だったのかと問われたら、それもまたわかりません。

フィクションとノンフィクションとの間とでもいうのでしょうか。それは、書き手・読み手の双方に、想像力を働かせる余地が多分にあるということでもあります。以前、『西郷(せご)どん』を書いた林真理子さんがインタビューで、歴史ものを書く面白さを語っていたのを思い出しました。記録に残っている史実と史実の間にある「会話」は、書き手が自由にしゃべらせることができること、そこで登場人物に「何を言わせるか」こそが、書き手の腕の見せ所…というようなことをおっしゃっていました。

さて、『マリリン・モンローという女』、あまりにも切なく、やりきれない気持ちになる物語でした。マリリンの物語というよりは、本名ノーマ・ジーンの物語であり、「ハリウッドスター」の光の部分がまったく感じられませんでした。貧困、愛情への渇望、薬物、今なら「#MeToo」と声を上げるべき業界事情…。

時代背景も含めてなんとなく既視感を感じたのは、少し前に映画『ジュディ虹の彼方に』をDVDで観ていたからでした。もしやと思い二人の生きていた時代を調べてみたら、ジュディ・ガーランドが1922年-1969年、マリリン・モンローが1926年-1962年と、ほぼ重なっていたのですね。わたし自身が生まれるほんの少し前に実在したスターたちの物語は、華やかさよりもやりきれなさの残るものでした。

本を読み終わったときに息子から「マリリン・モンローって誰?」と問われ、説明できませんでした。あらためてマリリン・モンローの属性は「マリリン・モンロー」なのだと思いました。彼女はきっと「ハリウッドで活躍した演技派女優」と説明してほしかっただろうな、と思いつつ。

一人で勝手に「藤本ひとみ祭り」、次の読書は『シャネル』です。

読書『注文をまちがえる料理店のつくり方』(方丈社)小国士朗

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読書『注文をまちがえる料理店のつくり方』(方丈社)小国士朗

発刊当初にあちらこちらの書評で話題になり、読みたいと思いながら手に取る機会を逸していた本です。2017年末に出た本です。

認知症の方々がスタッフとして働くレストランのお話。わたしは常設営業のお店だと思い込んでいたのですが、単発的な試みでした。ただ単発とはいっても、そのノウハウをきちんと資産にして、日本各地・世界各地でこのような取り組みにチャレンジしようとする人たちが現れることを期待し(促し)サポートする仕組みを、本書をはじめとして形に残しているという意味で、より永続的なものにしていると感じました。

この本に出てくるのは認知症の方々でしたが、「認知症の方々に活躍の場をつくる」という直接的なことを超え、「一生懸命生きようとしている人、一生懸命生きている人たちがちゃんと応援される社会がとっても大事」(本書内p298、実行委員長和田さんのことばより)だということが、文章の端々からにじみ出ていました。

「間違えちゃった、ごめんね」「まぁ、いいか」をお互いにできる社会。厳格さよりも、寛容さ。これがどんどん広がっていけば、すべての人の「生きやすさ」につながると思えてきました。クラウドファウンディングチームの方の「このプロジェクトは、特定の人の共感ではなく、社会に共感されるテーマ」という言葉があり、このプロジェクトとこの本が注目されている理由を端的に表していると感じました。

そのうえで「料理店」ならば料理店としてのプロレベルのサービス提供を目指すことの大切さ。それを可能にするための「仕組み」をいかに構築していくかが問われ、それは働く人が認知症であるかどうか、ということとは関係なく重要であるという意識。「注文をまちがえる料理店」を継続的なものにしたり、汎用性を持たせたりするには、最も大切な部分だと感じました。このプロジェクトに関わるすべての人たちの、「プロ」としての気概が伝わってきました。2017年以降の「これから」について、継続させるために法人化する=ビジネス化するという決意を書いてあるのも、とても腑に落ちました。

本書内にふんだんに載っている写真がまた素晴らしいです。その場の空気が伝わってきて、自分もその場に一緒に居てみたいという気持ちになります。誰もが生きやすい世の中を目指すというと、絵空事のように聞こえるかもしれませんが、その可能性を垣間見せてくれる本です。これからも何度も読み返したい本です。