読書『大日の使途』(PHP研究所)川越宗一著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『大日の使途』(PHP研究所)川越宗一著

川越宗一著作の追っかけ継続中です。本書は16世紀キリスト教伝来のお話。日本史の教科書で顔なじみのフランシスコ・ザビエルが来日した時に、その案内を務めたといわれる「ヤジロウ」なる人物が主人公です。読了後、この人は実在したのかしら?と素朴な疑問が頭に浮かびましたので、少し調べてみたところ、鹿児島県の公式サイトに関連記事を発見。

鹿児島県/キリスト教伝来の地

あっさりとした表記ではありますが「1549年(天文18年),日本最初のキリスト教伝道者フランシスコ・ザビエルの一行が鹿児島に上陸しました。彼らを案内したのは鹿児島人アンジロウ(ヤジロウ)でした」(鹿児島県公式サイトより)とあり、実在の人物がモデルであったことがわかりました。

川越宗一氏の著作を何冊も読むなかで、しばしば「キリスト教」が登場するのですが、読むほどに「布教」の名目の背後にある欲、植民地支配的な実質的な目的が見えてきて、なんだかなぁ、やっぱりそうだったんだよなぁ、という気分になります。そうだと思ってはいても、キリスト教に限らず、宗教の表の顔と裏の顔に、うんざりしてしまいます。宗教間での争いや弾圧の被害に巻き込まれるのが、素朴に救いを求める末端の人々であるというのは、国家間での戦争に民間人が駆り出され攻撃を受けるのと同じように見えます。

本書のなかで、仏教だろうとキリスト教だろうと、デウスだろうと大日だろうと、その信心を拠り所にして心が救われる人がいるならば、誰が神であろうと良いというようなセリフがあり、本来そうであるはずだよなぁと思いながら読みました。

『大日の使途』(PHP研究所)川越宗一著

2026年映画5本目は『プラダを着た悪魔2』。

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2026年映画5本目は『プラダを着た悪魔2』

楽しみにしていました。上の写真は、年初に「今年観たい映画」として挙げていた3作品ですが、嬉しいことにコンプリート♪少し前に「金曜ロードショー」で20年前の前作が放映されましたので、予習。画面越しに見るアン・ハサウェイはすごく若かったんだなぁ、と再認識しましたが、当時22~23歳ぐらいだったようですね。そして予習といえば、メリル・ストリープ演じるミランダのモデルといわれている、アナ・ウィンターのメットガラ(DVD)を、3回観てから臨みました(笑)。

5月1日の公開初日は、平日金曜日とはいえゴールデンウィーク中の「ファーストデイ」でしたので、人が多いかもしれないなぁ…と思っていましたら、近年まれにみる(わたしが観る映画にしては)多さでした。50人を超えていたのではないかしら。公開前のプロモーションにものすごく力が入っているのは感じていましたので、その効果もあるのだろうなぁと思いつつ、ともあれ映画館に足を運ぶ人が一人でも増えると嬉しい今日この頃。

さて『プラダを着た悪魔2』、痛快で面白かったです。20年を経て、ジェンダー、レイシズム、ハラスメント、サーキュラーエコノミーなどなど、時代の意識がどれほど変化しているかを感じさせるシーンが随所に散らばっていて、エンターテインメント性の高い華やかさのなかに、社会派な雰囲気をまとっていたのが印象的でした。とはいえ、やはり見どころは最高のファッションをまとう登場人物たちの格好良さ。なかでもわたしが一番素敵だと思ったのは、スタンリー・トゥッチ演じるナイジェルのおしゃれな佇まいと存在感でした。また、実際のメットガラでもパーティーシーンで目を引いていたレディ・ガガが、「レディ・ガガ」として特別出演していたのが、おおー!という感じでした。

映画『プラダを着た悪魔2』

読書『海神の子』(文藝春秋)川越宗一著

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読書『海神の子』(文藝春秋)川越宗一著

いつものカメリアステージ図書館から借りてきた一冊です。川越宗一著読書5冊目は、「国性爺(こくせんや)合戦」。国性爺って、なんか聞いたことがあるような気もするけど、何?誰?が、正直なところでした。で、ググりましたら、近松門左衛門の人形浄瑠璃の演目で、のちに歌舞伎の演目にもなっているとのこと。「歌舞伎演目案内」のサイトでは、「鎖国されていた江戸時代にあって、海外を舞台に、日本の血を引いた主人公が中国大陸で王朝の復興をめざし挙兵するというほかに類を見ないスケールの大きな話」と紹介されていました。

中国の海賊の父と日本人の母との間に生まれた混血児である、主人公の福松(のちの国姓爺こと鄭成功)。全編を通してそのひたむきな姿が心に残りました。「行き場のない者たちのための、居場所をつくる」という思いは、本人にとって切実なものであり、切実さゆえにだんだんと空回りするようになっていく姿は、切ないものがありました。それにしても現在の長崎県のエリアは、鎖国の時代において公にも非公式にも海外との交流の入り口であったのだなぁと、あらためて感じます。わたしは10代のときに長崎県に8年間住んでいましたが、本書の題材となった国姓爺も、その前に読んだ梅屋庄吉も知らず…ということで、ちょっと長崎勉強し直さねばと思いはじめました。

川越宗一氏のおかげで、小説を通して日本の近現代史への理解が、もちろん題材は偏っていますが、少しづつは広がっているように思います。と同時に、これまで全く読んでいなかった「司馬遼太郎」に、そろそろ手を伸ばそうかなぁ…そんなタイミングがついにやってきたのかなぁ、という感じになってきました。連休中に、図書館で考えたいと思います^^

『海神の子』(文藝春秋)川越宗一著

読書『地べたから考える』(筑摩書房)ブレイディみかこ著

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読書『地べたから考える』(筑摩書房)ブレイディみかこ著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から。筑摩書房の「ちくまQブックス」です。公式サイトによると、ちくまQブックスは「10代のためのノンフィクションシリーズ」だそうで、それで子ども向けの本の並びにあったのね!と合点しましたが、大人が読んでもぜんぜん良いと思います。というか、ぜひ大人にも読んで欲しい一冊です。

ブレイディみかこさんは、ちくまQブックスのサイトでの本書紹介欄では、その肩書がライター・コラムニストと書いてありましたが、エッセイストとして知られているのではないでしょうか。英国の「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始し、日常にひそむ社会の問題をエッセイの形で発信し、最近は小説も書いていらっしゃるようです。福岡のローカル紙・西日本新聞でもたまに連載があり、読者としては楽しみのひとつ。お子さんの姿を通して社会問題を描いた『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)が有名です。と言いつつ、まだわたしは両書とも呼んでいないのですが^^;。

さて本書。「アンソロジー」ということで、著者がこれまでに書いたエッセイのなかから、選りすぐられた15編を読むことができます。巻頭の「はじめに」に「生きるための問いは立てるものではなく、立ってくるものであり、すでに立っているもののことだ。」と書いてあります。そのすでに立っている問いに対して、見ないふり無かったふりをしないで向き合うことが、著者のスタンスであり、この「Qシリーズ」の意図でもあるのだろうな、と思いました。

英国における階級社会のありようを見ることで、日本における(無いものとごまかされてきた)階級社会のありようが照らし出されていると感じました。著者のパートナーの言葉に、自分たちの息子が親の一人がイエロー(日本人)であるという理由で、いつかいじめられる時が来るから、幼い時から格闘技を習わせているというのがあり、なるほどこういうのは日本と変わらない感覚かもしれないと理解できるエピソードでした。英国での生活では階級社会であるのがあからさまであるにもかかわらず、生まれも育ちも現在も「労働者階級」であると自認する著者にとって、日英どちらの方が生きやすいかという問いに対しての解は、著者が英国に住み続けているという事実が語っています。

実は、昨年ロンドンに行ったときに、同じようなことを、アテンドさんが言っていました。藤吉憲典の作品を扱ってくださるギャラリーは、英国王室が顧客リストに名を連ねる、いわゆるアッパークラスの人たちが集まる場所です。そこでのパーティーの翌日に、電車で30分ほどの場所にある「労働者階級のエリア」に連れて行ってくれました。そこには、福祉的な観点で工芸の担い手が活動できる場所が公に設立されていて、たくさんのクリエイターが制作活動をしていました。同じロンドン市内でも、その二つの場所の間には、地理的にも心理的にも(線は目に見えなくても)明らかな境界がありました。ただそこでアテンドさんに言われたのは、労働者クラスエリアにはそこでの世界・生活がきちんとあって、アッパークラスがうらやましいとか、そのような発想は無いのだということ。今回本書を読んで、アテンドさんがおっしゃったことが、あらためてよくわかったような気がしました。

『地べたから考える』(筑摩書房)ブレイディみかこ著

読書『不完全主義』(かんき出版)オリバー・バーグマン著/高橋璃子訳

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読書『不完全主義』(かんき出版)オリバー・バーグマン著/高橋璃子訳

昨年末、正月休み用にと購入していた中の一冊。気が向いたときに少しづつ読んでいたら、思いのほか読み進まず、読了が今になりました。メールマガジン「ビジネスブックマラソン」で紹介されていて、気になっていた本です。この手の自己啓発本を購入するのはとっても久しぶり。自分のためというよりは、これから社会に出ていく息子に贈ろうかな、その前に内容を読んでおこうかな、という感じでした。

以下備忘。


  • 現実を思い通りにコントロールする能力が人生の充足感や達成感に結びついているわけではない
  • まちがっていたのは、そもそもの目標
  • 情報過多
  • 意識して思いだせなくても、それはたしかにそこにある
  • 自分の戦うべき戦いを選ぶ
  • 小さくて明確な仕事を淡々と片付ける
  • 「自分を広げる」方向性
  • そのためにはまず、自分に正直になる
  • 今いる場所で、手持ちのスキルやリソースで、あなた自身にできること
  • ルールに人生を捧げない
  • 良い仕事をするためには、休息と快適さが欠かせない
  • 人間が万能でない以上、問題は必ずある
  • 充実した人生を送りたいなら、何よりも「力を抜く」ことを覚えたほうが良い
  • 他人にしたくないことを自分にしない
  • 「インスピレーションは素人のためにある。我々プロはただ現場に行き、仕事をするだけだ」(アーティスト チャック・クロースの言葉)
  • 他人のネガティブな感情は、結局のところ、その人自身の問題でしかない
  • 思い通りにいかないほうが満足度が高い
  • 完璧主義とは、傷つくことを避けようとする脳の働き
  • 集中力を高めない
  • 今ここにある、これがあなたの人生だ。
  • 「現在」の価値
  • まず自分に時間を割り当てる
  • 問題はいつだってなくならない
  • 今起こっていることの価値は、いつかのために取っておくことよりもその場で体験することにある
  • 体験から何かを得ようとしない
  • ただ生きているから生きているのであって、そこに言い訳も大儀も必要ない
  • これも人の手でやったこと。
  • 「どうなるかわからない」という状態を受け入れられるかどうか
  • 功利的にメリットの大きさを計算しなくても、自分のやるべきことがただ直感的にわかるときがある
  • 何も克服できなくても、そのままで人生を生きてしまえばいい

期待以上に面白かったです。50代の今だから言っていることがよくわかる、という部分もあるとは思います。ビジネス系自己啓発本にこれまで書かれてきたような思い込みに対して、さらりと否定してみせるあたりが痛快でした。特に「意識して思いだせなくても、それはたしかにそこにある」というのは、まさに我が意を得たり。この言い回し、今後どんどん使わせてもらおう!と思いました^^

巻末に載っている「読書案内」がまたとても興味深かったのですが、残念なことに「未邦訳」の参考文献が多く。ただ、紹介されても実際には全部は読めないだろうなと思えば、とりあえず邦訳されているものを読みはじめるぐらいでちょうど良いのかもしれません。

『不完全主義』(かんき出版)オリバー・バーグマン著/高橋璃子訳

読書『トロイの女たち』(早川書房)パット・パーカー著/北村みちよ訳

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読書『トロイの女たち』(早川書房)パット・パーカー著/北村みちよ訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から。なんとなく既視感があって借りて参りました。読みながらも、いくつかの描写に「このシーン知ってるかも」の既視感。読み終わっても、既視感の原因には気が付かなかったのですが、ブログを書く段になって「もしかして…」で、以前に同著者の本を読んでいたことに気が付きました。読書『女たちの沈黙』(早川書房)パット・パーカー著/北村みちよ訳、です。早川書房の公式サイトによると、本書『トロイの女たち』は『女たちの沈黙』の続編。

舞台は『女たちの沈黙』に引き続き、今から3千年以上前に起きたと言われているトロイア戦争です。中世から近世のあいだ、トロイア戦争は神話だと考えられていたものが、1870年代のトロイア遺跡発掘から史実の可能性を見直され、研究が続いているのだそうです。本書は、古代ギリシアとトロイア王国(現トルコ)との戦いを描いた叙事詩『イリアス』を、女たちの側から描いた物語。全三部作のうちの第一部『女たちの沈黙』、第二部『トロイの女たち』という位置付けで、このさきに完結編となる第三部が続くようです。「訳者あとがき」でも、この続きを日本の読者に届けたい!という気持ちが伝わってきましたので、早川書房さんに期待して待ちましょう。

さて物語は、有名な「トロイの木馬」による作戦が、いよいよ決行されるシーンから始まります。読みながら頭のなかで、木馬が宮殿内に運び込まれ、木馬のなかから兵士たちが飛び出すイメージが、鮮明に浮かび上がってきました。勝敗が決した後、戦いの「戦利品」あるいは「奴隷」としてやり取りされる女たちの運命と、そのなかで生きていく彼女たちのそれぞれの立場・ぞれぞれの思いが、ストーリーの核となっています。無力感のなかでもできることをなそうとする、登場人物の女性たちの静かな気概と誇りに頭が下がる場面がいくつもありました。

歴史上の出来事を小説にしたものは昔からたくさんありますが、近年、語り手・目線を変えて描き直したものが、洋の東西を問わずたくさん出てきているそうです。そこには時代の要請もあるのだろうと感じます。人種を変えて、宗教を変えて、性別を変えて…これまで「語り手」となり難かった人たちに語らせたらどんなストーリーになるのか。複数の視点が提示されることで、視野が広がり想像力が鍛えられるように思います。

『トロイの女たち』(早川書房)パット・パーカー著/北村みちよ訳

2026年映画4本目は、シェイクスピア夫妻の物語『ハムネット』。

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2026年映画4本目は、シェイクスピア夫妻の物語『ハムネット』

映画の予告編で『ハムネット』が流れて、これは観ねば!と思っていました。原作本があると知り、まずはいつものカメリアステージ図書館でゲット。張り切って借りてきたのですが、文体によるものかストーリーによるものか、理由は判然としないものの、なんとなく読み難くて進まず途中でギブアップしてしまいました。

さて『ハムネット』。美しい映像と登場人物の生き辛さが息苦しいストーリーに、シェイクスピアの息子「ハムネット」のけなげな姿。中盤からずっと涙腺緩みっぱなしでした。まず1580年台の英国の地方は、このような感じだったのね、と、興味をそそられました。ストーリーは、ハムネットの妻・アグネスを中心に描かれています。ラストに登場する、劇場でシェイクスピアの作品が演じられるシーンは、こんなふうに演劇が楽しまれていたのね、という根っこを垣間見たような気がしました。シェイクスピアファンでなくても記憶にある有名なセリフ「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」も、シェイクスピアの口から出てきます。

ちょっぴり読んだ原作本では、序盤でシェイクスピアとその父親との確執が激しく描かれていたのが印象的でした。なので、映画中のシェイクスピアと息子ハムネットとの会話にあらわれる、男親と子との絆のようなものが、シェイクスピアにとってどれだけ大切なものであったかを強く感じました。映画を観終わった今、再度『ハムネット』の本にチャレンジしてみようと思います。

映画『ハムネット』

九州EC勉強会「WEB上のコミュニケ-ション設計」に参加してまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九州EC勉強会「WEB上のコミュニケ-ション設計」に参加してまいりました。

九州EC(九州ECミーティング)は、経営者やECに取り組む方々が幹事となり、事業運営に役立つ情報交換・提供を行う会です。完全ボランティアで続いている、稀有な勉強会組織。毎回、充実したテーマと講師による勉強会を博多で開催してくれるので、ほんとうにありがたい存在です。昨年はなかなかスケジュールが合わずに参加できなかった回が多かったので、久しぶり!でした。今ブログを見直してみたら、ほぼ一年ぶり。

講師は、株式会社アルビオンで国際ブランド推進室でANA SUIやPAUL&JOEの公式ECサイトを運営する榊原隆之氏。アルビオンといえば従業員数3000名を超えるまあまあ大手さんですし、ANA SUIやPAUL&JOEは、百貨店に売り場を持つ有名ブランドのひとつ。これまで九州ECで、大手のメーカーさんや商社さんの担当者さんが登壇なさることはあまり多くはなかったと思います。ですが「百貨店での対面コミュニケーションをWEB上でも再現」する取り組みの根本にあるお客様本位の考え方は、規模の大小を問うものではなく「なるほど~!」の連続でした。

以下、備忘。


  • 実店舗の「買い物」の行為のなかで一番の楽しみは?「どれにしようか迷ったり店員さんに相談したりしているとき」→その楽しみを最大化する仕組みをつくる。
  • 事業者目線と顧客目線の「ズレ」を合わせていく。
  • 相談しやすい雰囲気づくり=相談の入り口はすぐに見つかるか?相談しやすいか?
  • コミュニケーションの語源communicare=分かち合い。
  • ウェブ上のコミュニケーション設計の第一は、「問い合わせ対応」ではなく「相談にのる」。
  • お問い合わせの数・質→マイナスのコミュニケーションにかかるコスト(無駄なやり取りに費やすコスト)を切るために、仕組みをつくる。
  • 増やしたいのは、購入を前提とした積極的な相談。
  • チャットボットでの問い合わせ対応は、参照資料・データを正しく揃えておけば、ハルシネーションの起こりようがない=人による対応よりもむしろ正確。
  • 人の出番は「(アルビオンさんでは化粧品やブランド品の)プロフェッショナルでなければ対応できない相談」。

九州EC勉強会「WEB上のコミュニケ-ション設計」より


前提となっている「買い物の一番の楽しみは、どれにしようか迷ったり店員さんに相談したりしているとき」というのが、個人的にはあまりよくわからない(笑)のですが、そういう人の方が多いのだろうな、ということは想像できるので、自分がわからないお客様心理を知るという意味でも、勉強になりました。「人の出番は、その道のプロでないと対応できない部分」というのは、ほんとうにそう思いますし、そこに注力できる仕組みを作ることが、気持ちよく仕事をする環境につながると思いました。

次回九州ECも楽しみです^^

九州交響楽団2026年度幕開けは「英国セレクション」でした♪

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九州交響楽団2026年度幕開けは「英国セレクション」でした♪

昨年九月の定期演奏会で、指揮者の太田弦さんが熱愛する英国クラシックを初めて聞きました。今年度最初のプログラムには「幕開けは満を持して」のタイトルがあり、今回も英国セレクションとのことでした。クラシック素人のわたしとしては、そもそも知っている曲目や作曲家の数が限りなく少ないので、ほぼ毎回が新たな出会いです。上の写真は、福岡シンフォニーホールのあるアクロス。

前半はヴァイオリンのソリストを迎えてのヴァイオリン協奏曲。ベンジャミン・ブリテンの曲は、昨年の演奏会でも聴きました。そのときに受けた正直な印象が「重くて攻撃的で難解」でしたので、少々構えていました。が、今回は重厚な闇と同時にストーリーらしいものを感じることができましたので、聴き手としてほんの少しは耳が慣れてきたのかもしれません。ヴァイオリンのソロの存在感の大きさの凄さが迫ってくる時間でした。

休憩のち後半は、ウィリアム・ウォルトンの交響曲第1番。こちらもまた初めましてではあったものの、前半のブリテンよりはわかりやすかったように思います。もちろん、素人の勝手な思いですが。壮大さというよりは、激しさを感じながらの鑑賞でしたが、個人的に同調できる雰囲気があり、終章に向かうにつれて、涙腺崩壊。まったく知らなかった曲、自分の記憶や体験に紐づく曲でなくても、感情を動かされる凄さがありました。

今回は開演時間1分前というギリギリに席に着いたので、開演前のスペシャル・トークを聞くことができなかったのが残念でした。九響が用意してくださるこのトークコーナーが、素人にとってはとってもありがたく、貴重な素敵な計らいです。ただその一方で、これは音楽も美術も同じだと思うのですが、まったく知識も情報もない状態で作品に対峙する素晴らしさもある(と、わたしは思っています)ので、今回はこれで良かったなぁと思いながら帰路につきました。

今年度は九響演奏会の鑑賞は、今のところ5回を予定しています。また次回が楽しみです♪

読書『見果てぬ王道』(文藝春秋)川越宗一著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『見果てぬ王道』(文藝春秋)川越宗一著

いつものカメリアステージ図書館から。川越宗一著読書4冊目は、やはり近現代史です。西洋の武力支配からの自立を目指す孫文を支え続けたという、長崎の実業家・梅屋庄吉のお話。わたしは長崎県には10代の頃に8年住んでいましたが、そのような人物がいたとは、まったく知りませんでした。いやほんとうに知らないことばかり。

政情が不安定な激動の時代にも、日本と中国を行き来してきた人がたくさんいたこと、私人として両国の橋渡しになってきていた人たちがたくさんいたことを、あらためて思いました。わたしたち自身を顧みれば、海外のギャラリーさんとのお取引をするなかで、政治の影響はどうしても受ける部分が出てきます。ここ数年は、中国渡航へのビザが必要になったり不要になったり、政治家の発言が遠因となって物流が滞ったり、その結果展覧会予定が延期になったり。そんななか、政治とは関係のないところで築かれた私的な信頼関係は、やはり大きいと感じています。上の写真は、花祭窯の近所の津屋崎浜に上がってくる、中国宋時代の青磁の陶片。

これまで読んできた川越宗一氏の著書を振り返ると、明治維新からの立憲体制、キリシタン弾圧、アイヌ、そして本著の孫文…という顔ぶれ。舞台となる時代は江戸末期から第2次世界大戦の間で、やはり著者のこの時代への執着を感じます。時代が被っているので、共通する登場人物の名前がしばしば目に留まるのですが、なかでも「大隈重信」が良く出てくるなぁ、と(笑)。どの著書のなかでも、傑物でありつつ欠点を持ちながら憎めない人物、的に描かれています。大隈重信は佐賀出身の偉人ですので、15年ほど佐賀に住んでいた身としては、なんとなく親近感。

また本書もそうですが、長崎が登場する頻度が高いように感じましたので、著者のご出身地なのかしらと調べてみましたら、1978年鹿児島県生まれ、大阪府出身、京都市在住となっていました。長崎と特別にご縁があるというわけではないのかもしれません。そういえば薩摩藩出身者のお名前もよく登場しています。わたしはずっと、自分が日本の近現代史をじゅうぶんに学んでいないことが気になっていましたが、おかげさまで少しづつ見えるものが出てきました。小説の形になっていると、入ってきやすいですね。まだまだ追っかけは続きます。

『見果てぬ王道』(文藝春秋)川越宗一著