「丁寧に作られたおいしいもの」をいただくと、涙が出てきたり、笑いが出てきたりする。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「丁寧に作られたおいしいもの」をいただくと、涙が出てきたり、笑いが出てきたりする。

福岡県内は引き続き「マンボウ」下です。コロナ禍で会食機会の設定に神経を使うなか、「誰かと一緒にご飯を食べる」のは、今や気軽な楽しみというよりは、とても贅沢な時間になってきています。機会が減るほどに、「どなたとご一緒するのか」「どんなお店でお食事をいただくのか」、要素選択の重要性がどんどん増すのを感じます。そして、今は飲食機会に顕著にあらわれつつあるこの傾向は、すぐに「モノ」の選び方にも波及するように思います。

さてそんななか、久しぶりのランチ女子会。勉強会つながりで長年お付き合いのある女性経営者のお友だち数人と、ご一緒することができました。場所は宗像のフレンチの名店FRANCE-YAさん。信頼する方々と、信頼するお店でのお食事会です。

気心の知れた皆さんとの近況報告。「おしゃべりは控えめに」のなか、交わされる会話は心にしみてくるものですね。そこに、気持ちを解きほぐすようなおいしいお料理。心も体もほっこりと温まって、涙ぐんだり笑ったり。場を作り上げる料理の力を感じる、とても幸せな時間となりました。

「丁寧に作られたもの」を手に入れると、丁寧に使おうと意識が働くので、長持ちにつながる。とブログにアップしたのはつい数日前のことでしたが、このたびは「丁寧に作られたおいしいもの」をいただくと、心も体もフルに五感で喜ぶと実感。分野を問わず、丁寧な仕事をする方々が周りにいらっしゃるので、とても恵まれています。あらためて、ありがたいなぁと思いつつ。

読書『キャクストン私設図書館』(東京創元社)ジョン・コナリー著/田内志文訳

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読書『キャクストン私設図書館』(東京創元社)ジョン・コナリー著/田内志文訳

いつものカメリアステージ図書館の新刊棚で見つけた本。タイトルに「図書館」とついているのを見ただけで迷わず手に取り、表紙の雰囲気に惹かれて中身をろくろく確認もせずに借りてきた一冊。こんな選び方が気軽にできるのが、図書館の良いところです。そしてこのような選び方でも、中身を読んで期待を裏切られることの方が少ない今日この頃。今回も大当たりでした。選書を担当する司書さんに感謝です。

さて中身は中編が4篇。表題にもなっている『キャクストン私設図書館』が冒頭に入っていました。ページ数にして70頁と短いながらも、まあ面白くて引き込まれました。古典的名著の登場人物が、実在の人物として目の前に現れたら…考えただけでもドキドキする舞台設定です。続く3つの中編も1日のうちに読破。サスペンスっぽかったり、おどろおどろしかったり、非日常を感じるストーリーながらも、本好きにはなんとなく親しみも感じるもので、不思議な読後感がありました。

上の写真は、前回ロンドンに行ったときにシャーロックホームズミュージアムで手に入れた、シャーロックホームズの名刺。『キャクストン私設図書館』では、シャーロックホームズも現実の世界に現れてきます。

読み終わって解説をみれば、本書は同著者の『失われたものたちの本』なる小説のスピンオフ版であったと判明。これは「元」である本を読みたい!と、さっそくカメリア図書館で蔵書検索をかけたら出てきました。即予約。ほんとうに便利ですね。

著者は1968年アイルランド生まれということで、わたしとほぼ同い年。今回読んだ中編集ではストーリーの舞台に英国が登場し、知った地名がいくつも出てくるのも嬉しく読みました。初めての著者でしたが、今後注目していきたいと思いました。すぐに著者名を忘れてしまうので、「ショーン・コネリーではなく、ジョン・コナリー」と覚えることに。ともあれ、まずは『失われたものたちの本』を楽しみにいたします。

コラム「日常の禅語」は、素人による素人のための禅語考。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

コラム「日常の禅語」は、素人による素人のための禅語考。

お友だちが経営する株式会社Natu Rise(ナチュライズ)さんが発行するニュースレターに、コラム「日日是好日」の提供をスタートしてもうすぐ3年になります。毎月A4に1ページ分の文章。そのなかで読者の方々の意識が「ストレス解消」や「心地よさ」に向かうきっかけとなるテーマ提供を心がけています。

というのも、ナチュライズさんはその商品を通して「健康を実感する幸せ、こころが安定している幸せをぜひ感じていただきたい」と願っておられるから。最初にコラム執筆の打診をいただいたときに、その熱意をとても感じました。文章を通して、心と体が快い状態に近づいていくお手伝いが少しでも出来ればと。

そのコラムのなかに<日常の禅語>コーナーがあります。わたしは素人なので、当然、禅の教えを伝えるということではありません。市井の一般人として、なにげない日常のなかでの体験と、出会った言葉とが結びついた話題を提供できればと思っています。日々出会う数々の言葉のなかに、たまたま禅語がある、ということ。禅の道にある方々から見たら邪道に映るかもしれませんが、素人の立場で真面目に向き合っています。

これまでに取り上げた言葉は、日日是好日、市華開五葉、拈華微笑、行雲流水、本来無一物、洗面、歩歩是道場、一期一会、晴耕雨読、〇△□、脚下照顧、不立文字、色即是空、諸悪幕作衆善奉行、一掃除二信心、一、一笑萬人賀などなど。ひとつひとつに、わたしの個人的なエピソードがあります。最初は1年(12のストーリー)で完結と思ってスタートした<日常の禅語>でしたが、まだまだネタは尽きず、書いている本人が一番楽しんでいるところです。

ふじゆりコラム「日日是好日」

ふじゆりの<日常の禅語>は、コラムページ下方でご覧いただくことができます。

「丁寧に作られたもの」を手に入れると、丁寧に使おうと意識が働くので、長持ちにつながる。

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「丁寧に作られたもの」を手に入れると、丁寧に使おうと意識が働くので、長持ちにつながる。

ありがたいことに、ふだんからダンナ・藤吉憲典の仕事が身近にあるので、身の回りに「丁寧に作られたもの」の気配を常に感じます。丁寧に作られたものは長持ちする、というのは、わたしの勝手な思い込みかもしれませんが、こと自分が使っているものに関しては、真と言えそうです。

その一番の理由は、丁寧に作られたものを使うときは、丁寧に使おうという意識が働くから。「いかに丁寧に作られているか」が伝わってくると、使う側としてもそれに応えようと思うのですね。そういう自分自身の傾向に気づくに至り、省みてモノを供給する側として、そのものの背景にある「丁寧な仕事」のストーリーをきちんと伝えることの大切さを、あらためて考えさせられています。

きっかけのひとつは、100年企業である久留米絣の宮田織物さんから購入した靴下でした。odd socks(オッドソックス)と名付けられた靴下は、通常商品の布地作りに使っていらっしゃる上質の綿の残糸を使用したアップサイクル商品。残糸を廃棄処分することなく活用すること、1枚1枚異なる不揃いの色合いになることに、工業製品的な均一の価値ではなく彩りの価値を見出すこと、同じ地元の企業さんとのコラボレーションで商品化を実現すること。靴下が出来上がるまでの「丁寧な仕事」のストーリーが、しっかりと伝わってきました。

そうして手元に届いた靴下を実際に履いたとき、まずストーリーを裏切らない質感を感じて嬉しくなりました。そしてその靴下の色合いが自分のモノだけだという特別感。洗濯をするときにも、表示を確認するまでもなく洗濯ネットを使って洗おうという気持ちが自然と働きました。大切に扱おうという気持ちは、長持ちにつながります。

「サステナブル」とか「エシカル」とか「SDGs」とか、他所から借りてきたような言葉と概念が流行している昨今ですが、難しいことを言わなくても「丁寧な仕事」を突き詰めていけば、そういうことにつながるのだと思う今日この頃です。

10年越しの振り子時計復活。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

10年越しの振り子時計復活。

花祭窯の工房&ギャラリーにお越しくださったことのある方は、見覚えがあるかもしれません。ここ津屋崎に工房を移転してきた時に、ご近所のおじさんが「これはここにあるべきだろう」と運んできてくださったのが、この時計でした。まさに「大きなのっぽの古時計」です。現在の住宅事情では、なかなか設置が難しいサイズです。聞けば、小学校にあったものが廃校になって行き場を失い、捨てられてしまうには惜しいと、おじさんが引き取って倉庫にしまっていたとのこと。

そうして花祭窯にやってきてくれたものの、動きません。ねじを巻いてみたところ少し動きましたが、すぐに止まってしまいました。どうやら機械部分の修理が必要となり。修理できるところが無いかと、人に聞いてみたり、ネットで探してみたりしたものの、なかなか近所に見つけることができませんでした。とにかく大きいので持ち運ぶことが出来ず、それが魅力でありながら、修理となるとネックとなるもどかしさ。そのままお飾り状態で(それだけでも迫力があって魅力的ではありましたが)、わたしたちも半ばあきらめかけておりました。

話が動き出したのは、ほんのひと月前。ご近所の着物リサイクル&レンタルの時代屋さんにおじゃましたときに、壁にかかっている可愛い振り子時計が目につきました。「うちにも大きいのがあるのだけど、動かないのよねー」と言うと、なんと修理できる人を知っていると。とんとん拍子に話が進み、時計修理のプロフェッショナルの手を経て、とうとう再始動となりました。設置後、ボーンボーンとなる音に、思わず拍手。機嫌よく動き続ける状態をキープするには、しばらくは微調整が必要なようですが、それもまた楽しみです。

花祭窯 時計

10年以上動かすことができなかったものが、動き始める。なかなかに感慨深いものがあります。この10年動かないながらも、この時計はずっと花祭窯の事業もわたしたち家族も、見守ってきてくれたのだと思っています。この先、どのように動き出すものか、なんだかワクワクしています。花祭窯にお越しの機会には、ぜひご覧くださいね♪

読書『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット

『読書大全』からリストアップした「読みたい本」からの1冊。新刊で出たときにあちらこちらの書評欄で話題になっていた本で、手に取ろうかなと思いつつ、そのままになっていた本です。最近、このパターンが少なくありません。わりと最近の本というイメージがありましたが、第1刷が2016年となっていますので、もう5年以上前ということですね。

表紙カバーの折り返しに「お金偏重の人生を、根底から変える。成長至上の次に来る、新しい生き方」とあります。そのような期待をもって読み進めたのですが、残念ながら少し期待外れでした。第5章以降「新しい○○」という章題で話が進みますが、個人的にはあまり新しいと思えず。5年前の初版からさまざまに引用されて、知らないうちに目にする機会がたくさんあったことは考えられますので、そうして目にしているうちに、当時は「新しい」とされたものに馴染んでしまったのかもしれません。

また、ひとつには「仕事」や「働き方」に対する考え方が、想定されている読者層と、わたしとでは大きく異なっていたのかも知れない、と思いました。そしてもうひとつ、先日読んだマイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』のインパクトが大きかったのも影響しています。『実力も運のうち 能力主義は正義か?』で展開されているお話に比べると、少し後退しているというか、表面的な印象がありました。

「お金偏重の人生を、根底から変える。成長至上の次に来る、新しい生き方」といいながら、基本とする価値観がそれほど大きくは変わっていないと感じたこと、いくつも提示されている「人生のシナリオ」のパターンも、結局はある一定層の人たちを基準としていることが見てとれたことが、期待外れの一番の原因だったと思います。

ただ、論じられている内容のほとんどは、ほんとうにそうだよね、と思わせられるもので、そこは反論や否定をするものでは全くありません。特に「見えない資産(無形資産、お金では換算できないもの)」についての考察は、今後だけではなく今までもずっと、人が生きていくうえで大切で重要であったもので、ここにあらためて光を当てることに、大きな意味を感じながら読みました。

ひょんなきっかけで「自分の好きなもの」に気づく。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ひょんなきっかけで「自分の好きなもの」に気づく。

藤吉憲典の器や作品を扱ってくださるギャラリーさんは、皆さん「もの」に対する己の審美眼と価値観をしっかりとお持ちで、お付き合いのなかでいつも学ぶ機会をいただいています。オーナーさんの嗜好や考え方は「わたし(わたしの価値観)は、こんなふうですよ」と、お店のありようや展示ににじみ出ます。それらに対して、自分はちゃんと「わたしはこんなふうです」を提示できているかしらと、問われているような気がします。

先日のこと、岡山のギャラリー栂さんが、ご自身が集めて来られたアンティークを展示するという企画展をなさっていました。フェイスブックを通じてその様子を拝見していましたが、そのなかでひとつのアクセサリーが目に留まってしまいました。

思わず速攻でお問い合せしたところ、どうやらアンティークとは言うものの、それほど古くなく、また思いがけなくお安い値段をつけておられることが判明。写真一枚の印象で買い物をすることはあり得ないわたしですが、即決で譲っていただくことに。それが、上の写真左側のブローチです。ふだんブローチなどつけることはまずありませんし、今までの人生のなかで自分で購入したことも記憶にありませんから、とても珍しいことでした。

手元に届いて実物をよく見ると、なぜ価格が安かったのかがわかりました。それがわかったうえでも、とにかく可愛くて嬉しくてウキウキです。そして、じーっと眺めるうちに、自分が惹かれた理由がちょっとづつ見えてきました。

まず、細工の楽しさ。そして、色。そういえば、同じ色のアクセサリーを一つ持っていたと思い出し、引っ張り出してきたのが上の写真右側のネックレス。ターコイズブルーです。このネックレスも、ひとめぼれで買ったのだったと記憶がよみがえってくると、二つのアクセサリーの共通点=わたしの好きなものが見えてきました。

ふだんほとんどアクセサリーをつけませんが、せっかくだから、たまにはつけないともったいないな、と思いました。好きなものを身に着けることは、「わたしはこんなふうです」を提示することにつながりますね。

学び続けることに定年はない。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

学び続けることに定年はない。

干支の寅、気になってるのよ。わたし、寅だから。」と、ご近所さん。「年女なんですね。おめでとうございます!」と言ったあと、ふと思いました。「あれ?お幾つだったかしら?」と。たしかお仕事を定年退職なさってから、今取り組んでおられるいろいろな地域活動をスタートしたとお聞きした覚えがあって、それからもう何年も経っているから、還暦は過ぎておられる…ということは!?

地域のこと、歴史や観光に関わること、現在の地域のこと、それらに関連して広がるいろいろなこと。さまざまな勉強会やセミナーで、その方のお顔を拝見することや、お名前を見聞きすることがとても多いのです。ご近所で出合い頭にちょこっとおしゃべりをするたびに、この方の「学ぶ姿勢」に感嘆させられます。そして学んだことを、実際の地域での活動や課題に落とし込もうとしておられること、ひとつひとつに対してしっかりとご自身の見解もお持ちであるのも、とても魅力的なのです。

わたしは博物館学芸員資格を取得する過程で、生涯学習や社会教育について初めて体系的に学びました。そして福津市の生涯学習の仕組みである「郷育カレッジ」の運営に関わるなかで、その知識や考察を実際の活動として地域に落とし込むことができるようになりました。そうした社会教育の場でお会いする方々は、皆さんいつも学び続けています。

昨今の流行りに「リカレント教育」なる言葉がありますが、そんな言葉がはやる以前から、社会に出た後も学び続ける人・学び直す人はたくさんいるように思います。仕事をリタイアした人だけでなく、仕事をしながら学校に通っている友人もたくさんいます。かく言うわたしも、学芸員資格を取得したのは、40歳からの大学編入でした。

ともあれ「リカレント教育」という言葉に伴い、世代を超えて学びの機会が増えているのは、とてもありがたい傾向です。何のために学ぶのか、ではなく、学ぶこと自体が目的であって良いと思うのです。手段としての学びではなく、学びたいから学ぶ。そしてそれができることは、とても幸せなことだなぁなんてことを、冒頭の会話から連想して考えていた午後でした。

2月3日は節分豆撒き。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

2月3日は節分豆撒き。

季節の行事のなかでも、我が藤吉家が重視するイベントのひとつが、節分の豆撒き。我が家で豆撒きするのはもちろんのこと、ここ津屋崎に越してきてからは、この地域の氏神様である波折神社での豆撒き神事に毎年参加しています。

昨年に引き続き、今年も氏子総代の方々による神事のみとなりました。お参りしたあと、帰りに社務所で「福豆」のお土産をいただく仕組み。わぁわぁと豆を奪い合う(!?)賑やかな面白さはありませんが、みんなが穏やかに福豆をいただいて嬉しそうに帰路に就く様子は、眺めていて幸せな気持ちになる景色です。

風は冷たいながら、青空に神社の旗が美しくなびき、気持ちの良いお天気でした。自転車30秒で豆撒き神事に参加できるありがたさ。いつもは徒歩で出かけるのですが、今日は気がついたら豆撒き神事の時刻になっていて、あわてて自転車で参りました。時節柄、参加者は比較的少なかったのですが、たまにしか顔を合わせないご近所さんのお顔が見れたのも、地域行事のよいところ。

明日は立春、おかげさまで福福しい春迎えとなりました。

映画『フレンチ・ディスパッチ』を観てきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『フレンチ・ディスパッチ』を観てきました。

正式なタイトルは「THE FRENCH DISPATCH OF THE LIBERTY, KANSAS EVENING SUN」邦題で「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」です。長いですね。上の写真は、映画の世界観からイメージが思い浮かんだ、ユトリロの「コタン小路」。『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)「エコール・ド・パリ」の章に紹介されているもので、1910年ごろの作品です。

『フレンチ・ディスパッチ』は、3つのストーリーからなっています。それぞれがシュールというか皮肉が効いているというか、なんとも形容しがたく。フランス語でいうところの、エス・プリというのでしょうか。風刺漫画をパラパラとめくっているような感じで、ただその漫画のつくりが、ものすごく丁寧で細部まで凝っていて、美しいという。

この面白さをどう説明したらよいものか…説明に困って映画の公式サイトを訪問したら、ありました。サイト内「『フレンチ・ディスパッチ』とは?」のページをご覧いただくと、予告動画よりもこの映画の雰囲気がばっちり伝わると思います。

全編ほぼ英語ですが、なかにフランス語でのセリフが出てきて、英語のなかに混じるフランス語の音の響きがなんとも魅力的でした。フランス語のときは、画面に英語字幕が出て、日本語字幕も出ている、という状態ではありますが、それが邪魔になる感じはありませんでした。そしてなんといっても、美術が見どころです。舞台美術のような表現方法や、アニメーションなど、どれもこれもおしゃれで魅力的でした。アート、デザインに関わるお仕事をなさっている方には、特におススメです。

今年の目標「映画を月に1本は観る!」。1月の『HOUSE OF GUCCI』に続き、2月もミッションコンプリートです。