こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
読書『謎の毒親-相談小説』(新潮社)姫野カオルコ著
いつものカメリアステージ図書館新刊棚。タイトルと著者名で迷わずゲットした一冊です。姫野カオルコ、新井素子の両氏は、まぎれもなくその存在自体がわたしに影響を与えています。ではお薦めの本は?と聞かれると、自分でも呆れるほどに「当時何を読んだのか、本のタイトルを一切覚えていない!」ので、なんだかなぁとも思うのですが。
姫野カオルコさんは1958年生まれ、1990年に小説デビュー。新井素子さんは1960年生まれ、1980年(あるいは1977年)小説デビュー。自分より10歳ほど上の彼女たちの存在は、大学卒業から社会人1~2年目のわたしの目には格好良く映り、お二人に対するあこがれのようなものがあったのだと思います。それから30年ほど経って、また著書に出会える嬉しさ。
さて『謎の毒親』。新潮社のサイトには「親という難題を抱えるすべての人に贈る衝撃作。」と紹介してあります。すべての人が程度の差こそあれ、またタイミングの違いこそあれ、そして親が存命か否かの違いはあれ、「親という難題」に向き合わねばならないときがあるように思います。でもそれが幼少期であればあるほど、子どもには立ち向かう術あるいは回避し逃げる術はなく、ずいぶん後になってから、自分なりに消化する場を求めることになるのだと思います。
主人公が小学生から中学生、高校生へと成長していく中で「この家を出なければ!」と決意し、考え抜いて辿り着いた「確実に、波風立てずに出ていくための方法」は、わたし自身の経験とも重なるところがあり、ああ、やはりこういう方法に辿り着くんだと、なぜかホッとしました。主人公の「痛ましい目にも遭わず、酷たらしい目にも遭わず暮らして」来たことで親を肯定しながらも、子どもだったときの心情を吐露する姿は、ただただ「吐き出せる年齢になり、吐き出せる場所(聞いてくれる、信頼できる人たち)を得ることが出来てよかったね」と思わせるものでした。
最後に、「本書の「投稿」はすべて事実に戻づいていますが(中略)フィクションとして構成したものです。」としてあります。使い古された言い方にはなりますが、事実は小説より奇なりの言葉を思い出させる読書でした。