読書『ガチョウの本』(河出書房新社)イーユン・リー著/篠森ゆりこ訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ガチョウの本』(河出書房新社)イーユン・リー著/篠森ゆりこ訳

上の写真の鳥が「ガチョウ」なのかは定かではありませんが(笑)。いつものカメリアステージ図書館新刊棚より、タイトルと表紙に惹かれて借りてきました。中国出身のアメリカ人作家による、フランス人の主人公の、フランスとイギリスを舞台とした小説です。と、このように書くとずいぶんと国際的な雰囲気があるのですが、華やかでも無ければ冒険的でもない、すぐそこにあると感じられるストーリーでした。

主人公はフランスの田舎に住む13歳の少女。あとがきで著者が、12歳から14歳の女の子の、特有な時期の話が書きたかった、というようなこと書いていました。そんな時期を過ごしたことのある大人は皆、本書を読めば著者の言わんとすることがわかるのではないかと思います。子どもでもなく大人でもない。現実と空想の境目がまだ少し入り混じっているけれども、そろそろそれがお終いになるような時代。わたしの実感としては、11歳から14歳という感じでしょうか。思い出せば、自分自身の取り扱いも、女の子同士の友情というか関係性も、なんとも面倒くさい年頃だったと思います。

そうした少女の特有の時期を扱ったお話ですから、国がどこであろうと関係ないのですね。日本人だけじゃないのだと、こんなところに普遍性があるのだと、気づかされました。著者をして「中国出身のアメリカ人である自分がフランス人のお話を書ける」と言わしめる本書に登場する少女たちの姿は、日本人読者たるわたしにも、じゅうぶんに理解できるものでした。だからこそ、翻訳されて各国で出版されるのですね。

文章から、著者のやさしさが滲み出ているような感じがする本でした。本著者の本を、もっと読んでみたいと思いました。

『ガチョウの本』(河出書房新社)イーユン・リー著/篠森ゆりこ訳

ずっと捨てられずにいた、昔使っていたバッグの革が、アップサイクルでいい感じに復活―その1。

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ずっと捨てられずにいた、昔使っていたバッグの革が、アップサイクルでいい感じに復活―その1。

なんでも長々と使う性質です。壊れるまで使う、壊れたら修理して使う。靴やバッグをはじめとした革製品はその最たるものかもしれません。ブーツのひとつなどは、もう何回「かかと(ヒール)」を付け直したことか、積み重ねた「かかと修理代」が、購入時の本体価格を上回っているかもしれません。

本日の話題の「バッグ」はワタシがサラリーマン時代(かれこれ30年以上前)に購入したなかで、一番気に入っていたものです。気に入っていたからこそ、当時法人営業職で外回りをしていたわたしは雨の日も風の日も持ち歩き、文字通り「使い倒し」ました。日々の手入れはクリームをつけて塗るぐらいで、仕事を辞めてから革のクリーニングに出したりしましたが、本体はキズやひび割れやシミがたくさんできてしまい、ちょっと使い物にならない状態に。ところが内側のポケットに使われていた革は、とてもきれいな状態でしたので、これは!と、取り外してとっておいたのでした。

お友だちの革職人さんが、ランドセルのアップサイクルをなさっていると聞き、ランドセルじゃなくてもやってもらえるかどうか尋ねたところ、「できますよー!」と快いお返事をいただき、託すことにいたしました。実はずっと、くるくる巻くタイプのペンケースが欲しかったのです。

アップサイクルペンケース

アップサイクルペンケース

出来上がったのは、シンプルで扱いやすいペンケース。ふだん持ち歩くものの本数と径を確認してポケットを作ってくださいました。これで、バッグのなかでペン類が迷子になることは無いはず!です。

とっても嬉しかったので、調子に乗って第二弾をお願いすることに。そう、同じバッグの革が、もう一枚あったのです。次のオーダーは「キーケース」。どのように出来上がるか、とても楽しみです。

新しいことをしようとすると、自分の知らない仕事がたくさんあることが、実感としてわかる。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

新しいことをしようとすると、自分の知らない仕事がたくさんあることが、実感としてわかる。

最近仕事の相談で、興味深いプロの方とお会いしました。印刷やさんと、スキャニングやさん。どちらも福岡市内にある事業者さんです。自分が詳しくない分野の話を知りたいときは、足を運んでプロの仕事場に伺い、顔をあわせてお話を伺うのが一番ですね。抱えていた課題に対し、的確な方法にスムーズに辿り着きました。移動時間を考慮しても、足を運ぶことで早い解決につながったと思います。

まずは印刷やさん。ふだんの名刺印刷や簡単な冊子印刷やはがき印刷の類は、オンラインでいつもお世話になる事業者さんが決まっています。が、先日訪問した印刷屋さんでは、一言に印刷やさんといっても、仕事の種類・仕事への関わり方はさまざまで、会社や人によって事業の範囲やレベルが大きく異なるのだという側面を、垣間見せていただきました。まずは初めましてのご挨拶、と思って訪問したところが、そのまま具体的に話が進み、仕事をお願いすることになりました。誰かからの紹介(すなわちお墨付き)ということでもなかったので、あまりにスムーズな展開に、少々驚きました。テンポよく行くときはこんなふうですね。

どうやってその印刷やさんを発見したかというと、インスタです。自分たちのやりたいことに合った提案をしてくださる技術と感性を持った方が福岡にいないかと、インスタで探していてヒット。自分たちの考えていることを具現化してもらえそうだと感じてアポを取り、訪ねて行ったのでした。「自分たちの考えていることを具現化してもらえそうだと感じて」というのは、もっぱら直感(笑)。ただその直感を支えるものとして、インスタにアップされている画像、書かれているテキストの内容、誰がフォローしているか、という情報がありました。最近の若い子はインスタ上で検索をかけるという話を前々から聞いていましたが、なるほどこういう感じなのかな、と思いつつ。

そしてその仕事を進めていただく上で必要な外注先として、紹介していただいたのが、スキャニングやさんでした。コピーやスキャンをしてくださる会社です。例えばキンコーズなどもそうですね、そのもっとプロフェッショナル版とでもいいましょうか。スキャニングやさんとの出会いは、印刷やさんでの打ち合わせ中。「この部分は外注した方がいい」という仕事をできるところを探すのに、印刷やさんがその場でいくつか電話をかけ、ネットで情報を確認し、あっという間に外注の手配まで道筋をつけてくださいました。善は急げでそのままそのスキャニングやさんへ足を延ばし、課題が一つ解決。スキャニングやさんとのおしゃべりのなかで、今後の仕事でもサポートしていただける場面がありそうだということもわかりました。

そんな素敵な方々との仕事の第一弾がどのような形で現れるのか、わたしたち自身が一番ワクワクしています。こちらでもご報告できるのを楽しみにしています。

読書『関心領域』(早川書房)マーティン・エイミス著/北田絵里子訳

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読書『関心領域』(早川書房)マーティン・エイミス著/北田絵里子訳

このところすっかりわたしのなかで鉄板となりつつある、いつものカメリアステージ図書館新刊棚、そして翻訳本といえば早川書房、の組み合わせです。といっても、早川書房を狙って選んでいるわけではなく、読み終わってから確認するとそうだった、という感じです。本書もまったく予備知識無く手に取った一冊。ただ、なんとなくタイトルに既視感があるなぁと思っていたら、映画化されていて今年の5月に日本でも封切られていたということですので、どこかでポスターか何かを見かけたのかもしれません。

さて物語は、ヒトラー政権下のナチスドイツ。加害者側であるナチス・ドイツの軍人とその家族を中心とした登場人物を、アウシュヴィッツ強制収容所を舞台に描いています。景色、数字、色、においの淡々とした描写で、常軌を逸した残酷さが延々と語られていました。なぜそのようなことになってしまったのか、という疑問が物語の底辺に流れているのを感じつつも、このようなことがどこででも起こり得るということ、現に起こってきたということを、突き付けられる読書でした。

巻末のあとがきに、映画は(多くのものがそうであるように)原作とはまた異なるものに仕上がっているということが書かれていましたが、それでも、それぞれに読み・観るべきものとして紹介されていました。第76回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞、そして2024年のアカデミー賞で〈国際長編映画賞〉〈音響賞〉を受賞し、「今世紀最も重要な映画」と評されたそうです。わたしは、本書を読み終わったばかりの現時点では、これを映像で見るのは避けたいという心持ですが。

先日読んだ『女の子たち風船爆弾をつくる』を読んだ時も感じたのですが、今、こうした過去の戦争本が新刊でどんどん出てきているのは、やはり時代の空気への危機感があるように思います。本書を読みながら『女の子たち風船爆弾をつくる』と『戦争は女の顔をしていない』を思い出していました。

本書の著者の書くものに興味を惹かれましたが、残念ながら日本語訳が刊行されている本は、今のところ少ないようです。あとがきで武田将明氏が(東京大学教授)、本書を契機に、マーティン・エイミス著作がもっと日本語訳で出てくることを期待していると書いておられましたが、わたしも一読者として楽しみにしておきたいと思います。

『関心領域』(早川書房)マーティン・エイミス著/北田絵里子訳

おくんちやら音楽祭やら、イベント続々―いつもよりちょっぴり賑やかで楽しい秋の津屋崎千軒です。

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おくんちやら音楽祭やら、イベント続々―いつもよりちょっぴり賑やかで楽しい秋の津屋崎千軒です。

9月から秋祭りシーズンがスタートしています。その一番手はちょうどひと月前に行われた「在自の金毘羅さん」で、続いて下旬には宮地嶽神社の秋季大祭がありました。

ここ津屋崎千軒では、10月も週末がにぎやかです。まず先週末は、お膝元「波折神社のおくんち」でした。今年は住んでいる地区が「当番」でしたので、行列の中心となる男の人たちには、それぞれ「役目」が与えられ、ダンナも槍を担いで出演(!?)しておりました。わたしはお茶会が重なったので、見ることは出来ませんでしたが。

そして翌週末となった昨日は「手づくり市」。趣味の方、プロの方、その間の方、いろんな人が手作り品を販売するマーケットです。実行委員さんが手づくりで行う手づくり市。規模が大きくなったり小さくなったりしながら継続されていますが、今年は津屋崎千軒内の4-5か所を会場としてこじんまりといい感じに開催されていました。歩いてすぐのところでのイベントなので「足を運ぶ」というほども無く、出店しているパン屋さんにお昼ご飯を買いに行ったり、お散歩がてら近所のお友だちとおしゃべりしたり、のんびりと楽しむことができるのは、とてもラッキーです。ふらっとのぞいたところに、藍染をしているお友だちが出していた素敵な作品と出会ってしまい、思いがけない出費になってしまいましたが(笑)。お天気に恵まれて、和気あいあいとした雰囲気に満たされていました。

毎年この手づくり市と前後の日程で開催されるのが「音楽散歩」。こちらも実行委員さんたちによる手づくりイベントです。どちらも花祭窯が津屋崎に移転してきて程ない頃からずっと続いていますので、コロナ禍下の中止はあったものの、10年以上続いているかな、というイベント。津屋崎千軒内の数か所をステージとして、いろいろなジャンルの音楽が聞こえてきます。我が家は居ながらにして音が聞こえてくる立地なので、毎回わたしは、聞こえてくる音が気になったら外に出る、という感じで楽しんでいます。ただ今年は、豊村酒蔵さんで九州交響楽団から弦楽四重奏がいらっしゃるということで、これは聞きたいかな、と思いつつ。

今も外からは、リハーサルと思われるサンバのリズム(?)のパーカッションと笛の音が聞こえてきます。ワクワクと楽しい秋です♪

追補:酒蔵での九響の弦楽四重奏は、演者との距離が近く、とっても素晴らしかったです♪

こだわっているとか詳しいとかではぜんぜん無いけれど、日本茶も中国茶も紅茶も、お茶が好き。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

こだわっているとか詳しいとかではぜんぜん無いけれど、日本茶も中国茶も紅茶も、お茶が好き。

ここでいう「お茶」は、茶道のお茶ではなく、ふだんの飲みものとしてのお茶です。タイトルの通り、強い思い入れやこだわりがあるわけではなく、詳しい知識があるわけでもなく、仕事柄気になったときにちょっと本を探して読んでみる程度なのですが、お茶が好きです。上の写真は、今手元にあるお茶缶を並べてみたもの。いつの間にか缶が増えています。気がつけばありがたいことに、お友だちや家族がどこからかお土産を買ってきてくれるときに、お茶を選んでくれるようになりました。おかげさまで気分に合わせていろいろなお茶を楽しんでいる今日この頃です。

中国からの中国茶、台湾からの中国茶、ネパールからの紅茶、チャイ、近所のお茶屋さんで買ったほうじ茶と麦茶に、長崎から取り寄せた無農薬栽培の緑茶の粉茶。中国茶も白茶、緑茶、紅茶、黒茶とあるので、ほんとうにさまざまです。つい先日まではとても暑かったので、冷蔵庫に麦茶を常備するとともに、体の熱を冷ますといわれる白茶や緑茶をメインにいただいていました。10月に入ってからは麦茶はお終い、お茶も体を温めるといわれる紅茶や黒茶を多く淹れるようになりました。

「お茶の美味しい淹れ方」的な本やYouTubeを発見するたびに、こんな風に時間をかけて丁寧に入れたら、もっともっとおいしいのだろうなと思います。そう考えると、大雑把なわたしのお茶の淹れ方は、見る人から見れば「もったいない!」のだろうなとも思います。そんな思いもあるものの、毎日のことなので自分のペースで楽しむことになっています。プロの楽しみ方と、素人の楽しみ方、どちらもあっていいよね、と。

今朝は少々肌寒かったので、チャイの葉っぱをたっぷり使ってミルクティーを入れました。美味しかったです^^

アップルパイとかマロンパイとか、お気に入りのパン屋さんで秋を感じる。

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アップルパイとかマロンパイとか、お気に入りのパン屋さんで秋を感じる。

近所にお気に入りのパン屋さんが出来たので、ホームベーカリーでパンを焼くことがなくなりました、というブログを書いたのは1年半ほど前のことでした。ちょうど、ホームベーカリーが故障したタイミングと重なった、というのもあるのですが。上の写真はそのパン屋さん・ポムドテール福津さんのインスタの画面を拝借したもの。

パン屋さんのおかげで、食卓の楽しみが増えています。というほど頻繁に通っているわけではありませんが、週1回か、2週に1回かは、足を運んでいるかな、というところ。美味しいから買いに行くのはもちろん、わたしにとっては、自転車で通える距離にあるのも大きなポイントのひとつです。

今日は、季節限定のマロンパイを目指して出かけたところ、マロンパイと並んでアップルパイも発見。迷わず指名したところ、レジのお姉さんが「アップルパイは、今日からの販売なんですよ!」と嬉しそうに教えてくださいました。実はマロンパイは先日発売したと聞いて買いに行ったところ、「もう売り切れちゃいました」といわれたので、今日は朝一番に足を運んだのでした。アップルパイまで手に入れることができて、ラッキー♪です。

こんなにおいしいスイーツ系のパイが近所のパン屋さんで手に入ると、ケーキ屋さんでなくてもOKとなりがちであり、そういえば最近めっきりケーキ屋さんに足を運んでおりません。ケーキ屋さんはケーキ屋さんで重用なのですけれど、ね。手に入れるまでの物理的距離にもかなり左右されているな、と自分を省みる今日この頃です。

ともあれ、おいしくて季節感を感じるパイをおやつにいただき、すっかり嬉しくなりました。いつまでもご近所にあってね、と願いつつ。

八月末の台風で少々破損が生じていた数か所の修繕が無事完了しました@花祭窯。

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八月末の台風で少々破損が生じていた数か所の修繕が無事完了しました@花祭窯。

花祭窯の工房兼ギャラリーは、昭和元年に出来上がったという建築物で、築約100年の古民家です。花祭窯のある津屋崎千軒内では、良い材を贅沢に使い、腕の良い大工さんが建てた古民家が数件遺っていて、文化財認定されている「藍の家」「豊村酒蔵」がその代表です。

津屋崎千軒民俗館 藍の家(国登録有形文化財)

豊村酒造 旧醸造場施設(国指定重要文化財)

津屋崎千軒内の近所には同じ筋の大工さんの仕事がいくつか現存していて、花祭窯の建物もそのひとつです。そのような貴重な建物ですので、出来るだけ昔の姿を残すような方針で、必要に応じて修理をする形で維持しています。

今年八月末の台風は、福岡宗像エリアでは当初の予報で心配されていたよりは、進路も被害も大したことがなく、ホッとしていたところでした。花祭窯でも、被害というほどの大きなものはありませんでした。が、強風の影響で、いくつかの不具合が発生しているのを発見。すぐにお友だちから信頼できる工務店さんを紹介していただき、点検・修繕をお願いいたしました。

昨今、大工さんはあちらこちらに引っ張りだこで、ずっとお忙しいようです。優先的に対処すべき個所からはじめますね、という工務店の社長さんの言葉にお任せです。お天気の良い日に着々と進めてくださいました。思っていたよりも早く昨日すべてが完了。台風前と比べて、見た目にはほとんど変わらない感じで、しっかりと仕上げてくださいました。

安心してお任せできるありがたさ。心より感謝です^^

まずやる、あとで直す―思いついたことを、まずは形にするべく動いてみる秋です。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

まずやる、あとで直す―思いついたことを、まずは形にするべく動いてみる秋です。

アート作品の貸し出し事業を準備中です、とアップしたのは、ちょうど一週間前のことでした。こちらは現在、保険会社さんから動産保険についての質問事項回答待ちの状態。ここがクリアになったら、あとは規約を完成してスタートです。

続いては、「アートカード」を活用した教育普及プログラムを検討中です。秋はいろいろと思いつきやすい季節なのかもしれません。先日受講した博物館学芸員技術研修で、アートエデュケーションツールとしての「アートカード」の可能性が広がり、まずは実際にカードを作ってみることに決定。現在、デザインを起こしている最中です。

調べてみると、国立系の博物館をはじめ、学校向けの教育普及プログラムとして、アートカードを活用している館が、けっこうあることがわかりました。アウトリーチ(出前講座)、貸し出し教材としても、人気があるようです。調べているなかで、カード実物を使うものだけでなく、「デジタルアートカード」なるサービスを展開している会社も発見。画面上で活用できるものです。デジタルアートカードを導入している館の取り組みもいくつか見てみました。スマホやタブレットなどの端末さえあれば、いつでもどこでも利用できることや、物理的な制限が無いので、何人もが同じタイミングで一斉に使うことができるのが、良いところ。ただわたし個人的には、実際に手に取って使うことのできるアートカードの魅力に軍配が上がりました。

善は急げで「カード」を制作してくれるところがあるものかと調べたところ、これまた、あるのですね。印刷会社さんのなかに、「かるた」や「トランプ」や「タロット」などのカードを制作する会社をいくつか見つけることが出来ました。一般的な印刷物との違いは、1つのデザインを複数枚印刷するという前提ではなく、デザインの異なるカードをセットで印刷すること。ある印刷会社では、1セットを54枚までと設定し、1セット当たりの印刷料金が決まっていました。セット数が増えれば、その分1セット当たりの金額が安くなる仕組み。

花祭窯のアートカード。こちらも出来上がり次第、ブログでご紹介いたします。一番楽しみにしているのは、わたし自身です^^

読書『小さくも重要ないくつもの場面』(白水社)シルヴィー・ジェルマン著/岩坂悦子訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『小さくも重要ないくつもの場面』(白水社)シルヴィー・ジェルマン著/岩坂悦子訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から。10月に入ると図書整理日のために1週間ほど休館になると聞いたので、9月末に大量に借りてきていた中の一冊です。

なんとなく詩的な文章で、テンポの静かな美しさを感じながら読みました。これは訳者の方の力ですね。わたしはフランス語はさっぱりですが、原著のフランス語の文章が、さぞかし美しかったのだろうなとイメージしました。その美しさを損なうことなく日本語に置き換えるのに、訳者の方はものすごく神経を使ったのだろうな、と。

自分はいったいどこから来たのか、どこに向かっているのか、居場所に辿り着くことができるのか。母親・父親の存在の曖昧さが、自己の存在にかかわる根源的な疑問となり、その疑問と漠とした不安を抱えて生きていく主人公と、兄・姉妹たちと家族の物語です。主人公の成長していく姿は、危なっかしい場面の連続でしたが、その一方で、父親や母親が異なっても続いていく家族のつながりの強さは、不思議ながらも心強く、光を感じさせるものでした。

読み終わって、つくづくとこのタイトルが沁みました。どんな人生も「小さくも重要ないくつもの場面」の積み重ねというか、繰り返しというか、なのだな、と。

著者のシルヴィー・ジェルマンさんはフランスの方。著書『マグヌス』が有名だそうで、日本語訳されているのは、その『マグヌス』に続いて、本書が二冊目ということです。これは『マグヌス』に遡って読まねばなりません。図書館にあると良いのですが。