仙厓さんカレンダー-月替わりで仙厓和尚の書と画が目の前に現れる面白さ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

仙厓さんカレンダー-月替わりで仙厓和尚の書と画が目の前に現れる面白さ。

「仙厓さんカレンダー」の話題は、これまでも何度かこのブログにアップしています。わたしの仕事スペースのカレンダーは仙厓さん。仙厓さんは、江戸時代の禅僧であり画家であり、わたしが茶道を習う円覚寺は、仙厓さんが長年住職を務めていた博多聖福寺の塔頭であり、勝手に縁を感じています。仙厓さんの書画のコレクターとしてもっとも知られているのは出光佐三翁で、出光美術館には作品が多数収蔵されています。その出光美術館が制作しているカレンダー。

2月に入り、めくって、画を見て、書を読み、解説を読んで、「おお!」となりました。仙厓さんの書画は、禅の教えをわかりやすく説くものでありながら、可笑しみがあってまったく説教臭さを感じないのが魅力です。2月の画のタイトルは「丹霞焼仏画賛(たんかしょうぶつ)」。禅宗画の有名な画題のようです。書いてある言葉は「若言焼仏 堕落眉鬚(焼仏というがごとく、眉鬚堕落す)」。唐の僧・丹霞が、寒いなか暖をとろうと木像(仏像)を焼いたところ、それを糾弾した寺の執事の眉や鬚が抜け落ちた、という解説がついています。

仏像とはいえ、見方を変えればただの「木」。偶像崇拝よりも、そのときもっと大切なことがあるだろう(この場合は寒さをしのぐこと)、ということだそうです。たまたま数日前に、2004年の映画『デイ・アフター・トゥモロー』を観たわたしは、そのなかにあった「図書館の大切な蔵書を燃やすシーン」とイメージが被り、「おお!」となったのでした。『デイ・アフター・トゥモロー』ストーリーご存じない方は、ググってみてくださいね。

毎月めくる楽しみのある仙厓さんカレンダーです^^

読書『モナ・リザのニスを剝ぐ』(新潮社)ポール・サン・ブリス著/吉田洋之訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『モナ・リザのニスを剝ぐ』(新潮社)ポール・サン・ブリス著/吉田洋之訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から借りて参りました。「アート小説」と呼ばれる分野でわたしがこれまでに一番衝撃を受けたのは、なんといっても原田マハさんの『楽園のカンヴァス』でした。あのあたりから国内でも「アート小説」と呼ばれるようなものが増えてきたように思います。その後もマハさんの著作はほぼすべて読破しましたし、別の著者の著作も読んできていますが、今回久しぶりに「おおー!」というものに出会い、かなりワクワクしています。

本書のタイトルを見て思いだしたのが、『最後のダ・ヴィンチの真実』でした。2020年11月に読んだノンフィクション。これを読んでいたことは、『モナ・リザのニスを剥ぐ』の物語をより深読みする役に立ったような気がします。どちらも、美術作品の価値について、考えさせられる物語です。

内容とは別に、なんとなく文章の調子に既視感があるな、と思いながら読んでいました。新潮社の公式サイトで本書の紹介欄を見て納得。著者は本作がデビュー作(!)ということでしたが、訳者の吉田洋之さんの文章を、過去に『青いバステル画の男』『赤いモレスキンの女』(いずれも新潮社)で読んでいたので、なんとなく既視感を感じたのだと思います。わたしにはとても読みやすく、親近感の持てる訳でした。新潮社サイトでの、本書への書評(東京都美術館館長・高橋明也氏による)も読みごたえがあります。美術愛好家、美術館関係者の方々には、きっと響くところがあると思います。

それにしても、ポール・サン・ブリス氏はこれがデビュー作であり、映像作家・アートディレクターでもあるということですので、これからまたアート小説を書いてくれるのではないかと、とっても期待しています^^

『モナ・リザのニスを剝ぐ』(新潮社)ポール・サン・ブリス著/吉田洋之訳

佐賀・七山へ、手漉き和紙をつくる紙漉師さんに会いに行ってきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

佐賀・七山へ、手漉き和紙をつくる紙漉師さんに会いに行ってきました。

「新しいことをしようとすると、自分の知らない仕事がたくさんあることが、実感としてわかる。」と記事にしたのは、昨秋10月のことでした。それからもう4か月近くになると思うと、するすると進んでいるように感じる藤吉憲典の新作分野への取り組みも、それなりに時間と手間をかけていることがわかります。

そんななかでありがたいのが、信頼できる方から、信頼できる方を紹介していただけること。今回は、書画用に使う和紙を求めて、「紙漉師」を名乗る手すき和紙職人さんに会いに行って参りました。佐賀には15年ほど住んでいましたので、もちろん七山の地名は知っています。現在は唐津市七山ですが、合併前は七山村でした。佐賀県内に住んでいたときも遠いイメージのあった七山ですが、福岡の都市高速道路から西九州道で唐津方面につながったため、思いのほか近かったです。ここ津屋崎からでも約一時間半で到着しました。

山のてっぺん!と言いたくなるような場所に、目的の工房はありました。多様な種類の紙を見せていただき、材料のことやら制作方法のことやら、どのように活用されているかなど、いろいろとお話して教えていただきました。月並みな表現ですが、手間のかかる仕事ですし、奥が深いですね。藤吉憲典もようやく理想的な和紙に出会えたようで、大きな収穫でした。

藤吉憲典の新作分野=書画作品とそのエディション作品であるシルクスクリーン作品の構想は、多様な職人さんの力を借りてはじめて実現するものです。これまでにはなかった手順が必要になり、それがとても嬉しい形でつながってきているのを感じています。

さて七山での仕事が終わったら、江北・花祭へ。厳木線と呼ばれる山道を使って、七山から山を越えて約1時間で到着しました。しばらく草刈りに行けていなかったことを反省。カボスが完熟状態で残っていたのを収穫し、ずいぶんと育った侘助の見事な花を愛でることが出来ました。少し暖かくなったらまずは草刈りからです。

花祭の侘助(ワビスケ)

企画展『古代ガラスと津屋崎古墳群』@カメリアステージ歴史資料館 を見て参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

企画展『古代ガラスと津屋崎古墳群』@カメリアステージ歴史資料館 を見て参りました。

カメリアステージ図書館の1階にある歴史資料館は、展示エリアは広いとは言えないまでも、空調管理のできる特別展示室があるなど、展示設備がちゃんとしています。図書館に行くついでに歴史資料を見ることができる、それもまあまあ良い環境で観れるというのは、実はかなり嬉しいことです。そして毎年この季節、年度末を目前とした時期に、その年の発掘調査の報告展示があったり、研究成果をテーマ展示にしてくれたりするので、それがまた、とても嬉しいのです。

今年度(令和6年度)の企画展は『古代ガラスと津屋崎古墳群』。副葬品として古墳から発掘されたガラス玉は、日本各地で見つかっていますが、今自分が生活をしている近くでそのようなものが見つかるというのは、なんだかワクワクするものです。今回の展示では、組成により色の異なる玉の種類や制作技法、作られたエリアと日本へ伝わってきたルートの解説などを知ることが出来ました。

展示ケースの上には、キャプションボードに丁寧な図説の解説が掲示してあり、展示内容や展示意図がわかるようになっています。その同じ内容が、持ち帰れる資料「展示解説書」として一緒に置いてあるのがまた親切でした。最近はどの館でもペーパーレス化が進み、解説等はウェブ上で確認できるようになる一方、紙媒体での資料配布が無くなりつつあります。「紙派」のわたしにとっては、カメリア歴史資料館での資料配布はありがたいことです。

企画展に合わせて関連イベントとして、福津市文化財課の学芸員さんによる「古墳に副葬されたガラス玉と交易」と題した歴史講座も開催されました。わたしはスケジュールが合わず参加できませんでしたが、こういう講座が市民に対して開かれるというのは、これまたとてもありがたいことです。

企画展『古代ガラスと津屋崎古墳群』は、福津市複合文化センター・カメリアステージ歴史資料館(1F)で、2025年3月10日(月)まで開催中です。企画展示エリアだけでなく、通史展示・特別展示室のなかにも、古墳からの出土資料などが展示されています。お近くの方、興味のある方、ぜひご覧くださいませ。

『古代ガラスと津屋崎古墳群』@カメリアステージ歴史資料館

節分の豆まきと、立春大吉。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

節分の豆まきと、立春大吉。

先日久留米であった商談会で、お話した方の一人が中国からいらっしゃっていた方で、「もう春節ですね」なんて雑談をしていたのでした。今年の節分は先週末2月2日。旧暦のお正月、節分とそれに続く立春が、今年のスタート!と感じている方も少なくないようです。

さて節分といえば、毎年恒例、波折神社の豆まき神事です。ここ数年、わたしが「藤吉家代表」として参加することが多かったのですが、今年はダンナにバトンタッチ。波折神社の豆まきは、こじんまりとしていたのがアットホームな感じが魅力です。わたしたちが移住してきた最初の頃は、参加者もあまり多くなく、ご近所に声をかけていました。ここ数年は、年々参加者が増えているので、家族代表を送り出すスタイルといたしました。

参加してきたダンナによると、今年はまたさらに参加者が増えていたということで。でも運営してくださる側も、足を運んだ皆が福豆を持ち帰ることができるよう、いろいろとやり方を模索してくださっているようで、ありがたいことです。各地の豆まき神事を見ていると、参加者が増えすぎて、福豆の奪い合いで殺伐とした雰囲気になっているという話も耳にします。みんなが楽しんで帰れるように、そのうえで地域の人が一人でも多く参加できるのが良いですね。

下の写真は、6年前の波折神社の豆まきがはじまる前の様子。こんな感じで、皆がお互いに場所を譲り合うことが出来れば、豆まきも楽しいのです。

波折神社の豆まき。

今年もダンナが家族分の福豆を持って帰って来てくれたので、良かったです。波折神社の豆まきのあとは、花祭窯の豆まき。我が家の豆まきは昔ながらのスタイルを貫いていますので、家の内外が大豆だらけになります。毎年、翌朝は豆掃除から。掃除が終わったら手帳に「立春大吉」と書いて、春迎えです。

今年も良い一年になりますように!

読書『この星のソウル』(新潮社)黒川創著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『この星のソウル』(新潮社)黒川創著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から借りてきた一冊。新刊棚から本を選ぶときは、「前情報」を持っていない本を手に取ることがほとんどです。そのおかげで、これまで読んだことのなかった作家さんの本を手にすることが出来ます。黒川創さんの著書も、初めまして(たぶん)。タイトルや表紙から勝手にイメージを持って借りてくるので、読みはじめてからのギャップに驚くこともしばしばで、それが楽しみでもあります。

さて『この星のソウル』。1981年と1994年に韓国のソウルを訪れた経験を持つ主人公が、2024年の時点から当時を振り返る物語です。ただし、李朝最後の王・高宗とその王妃である閔妃の生涯とその時代の出来事に触れながら、というのが、一筋縄ではないところ。高宗の妃・閔妃は1895年に日本の官僚と軍人によって惨殺されています。彼らの生きた時代を考えるということは、すなわち日清・日露の戦争のこと、朝鮮を植民地化しようとした日本が彼の地で、あるいは日本国内で、彼の地の人々に対して何をしたのかを、見つめ直すということになります。

日本と朝鮮半島との間で何があったのか、近代史について、韓国や北朝鮮とのかかわりについて、あまりにも無知な自分に気づかされる一冊でした。新潮社の公式サイトでの紹介のなかに「激動の朝鮮史」という言葉が出てきます。それがどのようなものだったのか、主人公の思考のなかにあるものが綴られることによって、読者(わたし)は知ることになったのですが、残酷・残虐な歴史が淡々とした文章で語られることで、その痛みの大きさの計り知れなさを感じました。

黒川創さん、すごいですね。さっそく図書館の蔵書を検索。さかのぼって追いかけたいと思います。

『この星のソウル』(新潮社)黒川創著