こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
読書『消失』(集英社)パーシヴァル・エヴェレット著/雨海弘美訳
いつものカメリアステージ図書館新刊棚から借りてきた一冊。「パーシヴァル・エヴェレット」の著者名に既視感があって、著者プロフィールが載っているかなと裏表紙をめくったところ、『ジェイムズ』の文字が目に入り、そっか!去年読んだ『ジェイムズ』の人ね!と納得。即借りです。
読み始めるとすぐに、今度はストーリーに既視感。あれ?と思い、もう一度裏表紙をめくったところにある著者プロフィールを確認して、読み直しました。そこには「本書を原作とした映画『アメリカン・フィクション』が2023年に公開され」とあり…昨年末、飛行機の中で観た『アメリカン・フィクション』の原作小説であることが判明。映画を観た後の備忘ブログに、わたしは「観はじめてすぐに頭に浮かんだのは、少し前に読んだ、小説『ハックルベリー・フィンの冒険』を皮肉った(?)『ジェイムズ』でした。」と書いていたのですが、それもそのはず、原作者が同一人物だったのですね(汗)。
というわけで、思いがけず面白い感じでつながった読書。映画では、人種差別・貧困格差・LGBTQなど現代の社会問題を主題としながら、社会派コメディという感じに単純化されて描かれていました。それはそれで、とても分かりやすく面白かったのですが、原作本は、知的ユーモアで皮肉な笑いをふりまいているとはいえ、とてもじゃないけれど「コメディ」と片付けることはできない深刻さを感じさせるものでした。タイトルも原作は『消失(原題:ERASURE)』ですので、まったく異なりますね。映画はなんとなく光が見えるような終わり方をしていましたので、そういう映画のつくり方を含めて『アメリカン・フィクション』だったのかな、と。
本書は、2023年の映画化で脚光を浴びたことと、『ジェイムズ』のヒットを経て実現したのでしょう。邦訳が出たのは今年2026年ですが、本国では2001年刊行と書いてありましたので、『ジェイムズ』よりも前だったことになります。巻末にある訳者の「あとがき」にもありましたが、本書の舞台は1990年代半ばで、それを2001年に書いたものが本国で共感を持って受け止められたのは、15年経ってもまったく同じ問題を抱えていたということなのだとわかります。さらに10年ほどあとの映画化のときも、邦訳となった2026年の今でも、「今の問題」として認識させられるものであり、その間(約四半世紀!)の人種差別的な環境・風潮・意識の「変わらなさ」を考えさせられました。
映画で観たものを小説で読みなおす楽しさは、限られた時間内に収めるために単純化されたものの後ろに、どれほどの複雑なものがあるのか(原作者は書いていたのか)を、知り直せるところにあると思います。今回、思いがけずそんな「読み直し、知り直し」ができて、良かったです。パーシヴァル・エヴァレット著作、未邦訳のものがあるようですので、これから遡って日本でも刊行されると嬉しいです。
