書道部12月は、色即是空。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

書道部12月は、色即是空。

2018年ラストの書道部でした。 周りでは「お歳暮」とか「迎春」とか、季節を感じる文字が飛び交っておりましたが、 今回はあらかじめ書く字が決まっていなくて、さてどうしようかな、と。

今年後半の私的トピックのひとつに、ダライ・ラマ法王の来福があったこと、先日読んだ『サピエンス全史』に考えさせられたこと、このところ般若心経の音読を再開していることなどから、「色即是空」に決定。良い書き納めとなりました(^^)

さて

年明け2019年1月2日は、毎年恒例、お友だちならどなたでもお越しいただける「書初め大会」です。お正月だけど、特に出かける用事が無い!という皆さまのお越しをお待ちしております(笑)ご参加希望の方は、花祭窯までお気軽にお問い合わせくださいませ。

読書『わたしたちが孤児だったころ』(早川epi文庫)

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

読書『わたしたちが孤児だったころ』(早川epi文庫)

カズオ・イシグロブーム、続行中のふじゆりです。発刊された順番を考えずに読んでいたのですが、直前に読んだ『充たされざる者』のイメージとの既視感を覚え、思わず順番を確認していました。

『充たされざる者』が1995年、その次作が2000年の『わたしたちが孤児だったころ』で、偶然ですが、わたしの読んだ順番と合っていました。なるほど納得です。

『わたしたちが孤児だったころ』の訳者あとがきで「語り手でもある主人公が嘘をつく」というような解説があり、それが独特の世界観を生み出しているのですが、この世界観は『充たされざる者』で極端にしつこく(笑)描かれていたもので、その名残が『わたしたちが孤児だったころ』にもあったなぁ、という感じでした。

「語り手でもある主人公が嘘をつく」 。そのために物語のあちらこちらに矛盾やほころびが生まれ、読み手は違和感に苛まれます。この違和感に対峙しながら読み進めるのは、モヤモヤを楽しむ余裕が無いと難しいかもしれません。これは『充たされざる者』のほうが顕著ですが。

語り手でもある主人公が嘘をつくのは、「嘘をついてやろう」という意図のもとではありません。もちろん語らせているカズオ・イシグロさんには大いなる意図があるのですが(笑)。いわば語り手の「記憶の取り違え」や「思い込み」をベースに話が進む。決して本人には嘘をついているつもりはない。だからこそ読者は袋小路に迷い込む…。

でも、これは実は、自分の人生を見つめる自分の目線そのものだということに、気づかされてハッとしました。実際どうであったか、ではなく、その時自分はどうとらえていたか、ということ。そのことが自分にとっては事実よりも最も重要であったということ。

過去の事実は変えることはできないけれど、その事実をどう認識するか、捉え方・解釈を変えることはできる。そんなことも考えさせられる本でした。

福岡県立美術館

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

福岡県立美術館。

先日、学芸員の研修でお世話になった福岡県立美術館。気がつけば何年振り?の久しぶりの訪問でした。

特別展が開催されることの多い3階展示室と、館収蔵品のコレクション展などが開催されることの多い4階展示室。今回は4階展示室でスタートした『コレクション展3 特集:おしゃべりな絵画と寡黙な絵画』を観てきました。

今回の展覧会を担当した福岡県立美術館学芸員さんによるギャラリートークに参加。わたしはふだん展覧会を見る際、できるだけ言語情報を入れたくないので、めったにギャラリートークに参加しません。が、久しぶりの「解説を聞きながらの鑑賞」は、学芸員さんの熱意が伝わってくる、あたたかい時間となりました。

近年はどの館でも特別展には「イヤホンガイド」が用意されていることが多いですが、せっかく解説を聞くのならば、有名人によるアナウンス的解説音声よりも、実際に関わった学芸員さんの生の声で聞いた方が、伝わってくる熱量が違うよね、と感じました。

福岡県立美術館でお薦めしたいのは4階にある『美術図書室』。3万冊以上の美術図書を自由に閲覧できるということですが、個人的には、近所の図書館や書店では見つけにくいアート系の月刊誌・季刊誌などが並んでいるのが嬉しいです。また、これも書店ではなかなか見つけることのできない全国の展覧会図録を探すことができるというのも嬉しいですね。

 

連続講座第5回「美術館de音楽療法」

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

連続講座第5回「美術館de音楽療法」

博物館マネジメント人材育成事業」の一環である連続講座「2025年問題に向けた高齢者の健康と博物館の役割」。第1回目「コラージュ」、第2回目「園芸療法」、第4回目「回想法」に続いて、第5回目「音楽療法」に参加してまいりました。

写真は、今回の会場となった福岡県立美術館。開催中の「バレルコレクション」、足を運びたいなと思いつつ、当日はガッツリ音楽療法を学びました。これまで3回受講した連続講座のなかでも、最も実験的な試みの講座でした。

指導してくださったのは、福岡女子短期大学音楽科の井上幸一先生。ほとんどの参加者が日頃は音楽は聴くだけの素人状態から、「即興的アンサンブル」を完成させるところまでしっかりと導いてくださいました。

以下、備忘。


  • 社会的・文化的関わりから音楽療法を捉える「コミュニティ・ミュージックセラピー」の考え方
  • (単にリラックスする、というようなレベルではなく)意図的、計画的に音楽を使用する
  • 音楽は時間芸術である
  • 音楽による非言語的コミュニケーション
  • ソーシャルアートとしての音楽
  • 触媒としての音楽
  • 音楽の構造のなかで「リズム」は本能的・情動的レベルで、人間が最初に取得し最後まで残るもの。
  • 理論的背景にあるのは「医学モデル」「精神分析モデル」「行動療法モデル」「人間主義的心理学」「同質の原理」
  • 精神分析モデル→音楽は無意識のレベルに働きかける
  • 同質の原理→浄化作用(カタルシス)をもつ

(「美術館 de 音楽療法」福岡女子短期大学音楽科 井上幸一先生 より)


座学ののち実験的に挑んだのは「絵画のイメージを音(即興的アンサンブル)で表現する」という、冷静に思い返せばかなり「無茶ぶり」な内容でした(笑)

この活動を通して最も大きく感じたのは「ふだん自分が何かを表現し伝えようとするときに、いかに『言語』という手段に頼っているか」ということ。そして、言語という手段に安易に頼るがゆえに、「きちんと伝える」ためにすべきことがないがしろになっていたかもしれないという反省。

広義での「鑑賞=見ること」について、あらためて考える機会となりました。

 

 

東長寺でダライ・ラマ法王。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

東長寺でダライ・ラマ法王。

写真は別の日の東長寺。明らかに季節が違いますが、ご容赦を。

「ダライ・ラマ in 福岡」。今にも雨が降り出しそうな二十四節気の小雪。ダライ・ラマ法王の声を聴きに行って参りました。

ダライ・ラマ14世のお話を聴く機会に恵まれたのは二度目。一度目は13年前子どもがお腹のなかにいたときに、熊本・玉名にいらっしゃると聞いて、こんな機会一生に一度あるかないかだ!と佐賀から車を走らせたのでした。

今回は博多・東長寺とあって、まさか二度目の機会があるなんて、しかもこんなに近くにいらっしゃるなんて!と申し込んだのでした。13年を経て、おかげさまで無事にここにおります、という気持ちで会いに行きました。

チベット語でのお経の奉納では、ここ数年の日本の自然災害による被災者の方々や被災地のことを思って祈ってくださいました。続く法話では、「禍」のときにどうそれを乗り越えるのか、心の持ちようについて説いてくださいました。

13年前のときのお話は(あくまでも、わたしの記憶に残っているものですが)「自我と無我」のお話でした。今回は「空(くう)」のお話。般若心境のなかにも現れる「空」ですね。

空(くう)である。すなわち、すべてのものには微塵たりとも実体性が無い、ということ。実体があると勘違いするから、そこに執着その他が生まれるというお話は、なんとなく分かるような気がしました。

そして「平らかな心」を保つことこそが「禍」を乗り越えるのに役立つということ。菩提心=利他の心を高めていくことが大切であるということ。これらを会得するために、般若心経を唱えることが必ず力になるということ。

というわけで、単純なワタクシ、しばらくお休みしていた「朝から声に出してお経を読む」を、復活しようと思います。

チベット語を日本語に通訳してくださった女性の方がすごいな、と思いました。話し方が前回と同じような印象だったので、同じ方だったのかもしれません。チベット語で仏教の専門領域のことばが次々と出てくるお話を、そこにいる人たちにわかりやすくその場で日本語にして伝える技術。すごいなぁとつくづく思いました。

ところで「ダライ・ラマ法王に会いに行きました」と書きましたが、実際にはお堂の奥でお話をなさった法王の姿はわたしの席からはまったく見えず、入場される際のお姿をかろうじてちらりと拝見しただけとなりました。それでも、その場に行くことができて良かったな、と思います。

感謝。

 

連続講座第4回「博物館 de 回想法」

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

連続講座第4回「博物館 de 回想法」

博物館マネジメント人材育成事業」の一環である連続講座「2025年問題に向けた高齢者の健康と博物館の役割」。第1回目「コラージュ」、第2回目「園芸療法」につづく第3回目が「アニマルセラピー」だったのですが上海出張と重なり参加できず。第4回目の「回想法」に参加してまいりました。

写真は会場となった福岡市博物館。常設展示で、地域の歴史を世代ごとの目線で追える仕組みが面白い博物館です。当日はとっても良いお天気でした。

美術館・博物館が地域に貢献できること、地域と博物館資源を考えたときに、もっとも具体的・有効的に歴史民俗的資料が生かされる方法のひとつが回想法といえるのではないかと確信した一日でした。

以下、備忘。


  • 「博物館」と「教育」「福祉」の連携をいかに実現するか。
  • 市民が博物館を自分たちの「道具」としていかに使うか。
  • ライフレビュー(個人回想法)とグループ回想法。
  • グループ回想法で地域回想法。地域ケアとしての取り組み。
  • テーマ・内容・道具
  • 場の提供とサポート。
  • アート回想法ワークショップ。
  • お出かけ回想法。
  • 記憶の展示。
  • 持続性=行政の手を離れても持続可能か。
  • 「体に良い博物館」「脳に良い博物館」の効能。
  • 語る材料を得るための「地域の博物館」。
  • 私的刺激としての博物館資料。
  • 傾聴力。
  • 共有する時間の濃さ→チーム力→関わりから生まれる積極性。

今回の研修では、グループワークの際に学芸員、医療関係者、福祉関係者がそれぞれの現場から語る時間がしっかり確保されており、理想と現状を話し合うなかでいろいろと考えさせられました。

 

好い字だなぁ。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

好い字だなぁ。

とダンナが言うので、なにかと思ったら、お友だちからいただいたプーアール茶の箱に入っていた説明書きでした。

中国語なので、なんと書いてあるのか、意味はわからないものの、ぱっと見た感じ、とてもいい感じ。と。これ自体はもちろん印刷物であるのだけれど。

見てみると、たしかに読みやすくて(中国語は読めないけれど)、やわらかさがあって、ビジュアル的にスーッと入ってくるような字。

こういう字を目指したいな、と思ったできごとでした。

 

宿題:やきもの(磁器)の話。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

宿題:やきもの(磁器)の話。

あるところから「やきもの(磁器)の話をしてください」という宿題をいただきました。「わかりました!構成を考えてみます」とお返事して、考えているところですが、さてどういう話からスタートするのが良いものかと思案しています。

聴きに来る方は、どんなことを知りたいかしら。どんなことに興味があるかしら。聞いて面白いのはどんなエピソードかしら。話を聴いたあとに、もっとやきものを使うのが楽しくなるようなお話をしたいな…。

これまでに小学校などで子ども向けに「産業」「職業」としての話をしたことはありますが、一般の方々に向けて、やきもの(磁器)を知ってもらうための話をしたことはありませんでした。

いえ厳密には、花祭窯にいらっしゃるお客さまや、個展会場でお会いする方々に、個別にはたくさん話をしているのです。その場合は、先方からの質問がベースになっていることが主なので、自ら体系立てる必要が無かったのですね。

というわけで、ちょっと整理整頓。


  • 肥前磁器の歴史
  • つくり方・原料のことなど
  • 磁器の特徴(陶器との違い)
  • 肥前磁器に描かれる文様の話
  • 蕎麦猪口の話
  • 使い方の話
  • 選び方の話(特に作家ものと呼ばれる器について)

まだまだあるような気がしますが、あらためて考えるとなかなか出てきません。これはもう、実際に「どんな話が聞きたいですか?」とおたずねするのが一番ですね(^^)

 

 

【開催報告】世界史を建築家の視点で学ぶ! 第4回ロマネスク・ゴシック

こんにちは。Meet Me at Art ふじゆりです。

【開催報告】世界史を建築家の視点で学ぶ! 第4回ロマネスク・ゴシック

写真は株式会社藤井設計室のフェイスブックページからお借りした、ゴシック建築のひとつ、フランス・シャルトルの美しい大聖堂。

株式会社藤井設計室・藤井昌宏氏のトークが炸裂する「世界史を建築家の視点で学ぶ」勉強会。おかげさまで、宗像メイトムでの第4回目を無事開催いたしました。

藤井さんのお話がなぜ特別に響くのか。その理由は、藤井さんの「その地を実際に踏んできた」ところによるお話の力強さと、例えば一つの建築物について語るにしても広範囲からの視点をもってトークが繰り広げられる「博識」によるものだと思います。この講座で得られる「なるほど、それがこうつながるのか!」という自分のなかでの発見が、一番の魅力かもしれません。そしてなにより、これらを伝えていきたいという藤井さんの使命感と情熱を感じます。

以下、備忘(^^)


  • 現代から古代までさかのぼって(約4千年)、つながりをもって追うことができるのが、建築の歴史の魅力。
  • なにかを新しく作ろうというときに、過去の例に学ぼうとするのは古今東西同じこと。
  • 研究・学問の機関としての教会や寺社。この側面は洋の東西を問わず同じ。
  • 「ゴシック」とは「ゴート族みたいな」という意味であり、わかりやすく言えば「粗野な感じ」。
  • 中世の街・カルカソンヌ(フランス)。経済システムとして成立する街づくり・教会づくり。
  • チェコのプラハはゴシック建築で花開いた街。
  • ゴシックの時代は、構造と装飾が一致している最後の時代。
  • フランスのモン・サン・ミシェル(11-15世紀)は、ゴシックの象徴的な景色。

なかでも中世の街が残るカルカソンヌの「街をつくるにあたり、まず教会や街(城壁)をつくるための建築材料の工場をつくるところから始め、工業で材料と資金を生み出しながら街をつくっていった」という説明が心に残りました。

今、行ってみたい街は、カルカソンヌとプラハです(^^)

 

お茶の幸せ。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

お茶の幸せ。

写真は、上海でお土産にいただいたプーアール茶を淹れたところ。美しく深い琥珀色とわたしの好きな香りと味わいで、至福の一杯でした。いえ、正確には三杯いただきました(笑)このお茶をいただきながら、上海の藤吉憲典個展でご来場のお客さまにお抹茶を点てて差し上げたときの、皆さんが喜んでくださったご様子を思い返しておりました。

仕事で海外に出るようになって(その海外が、ロンドンであったり台湾であったり上海であったりするからなおのことかもしれませんが)あらためて、日本の抹茶だけでなく、中国茶も、紅茶も、それぞれのお茶文化をそれぞれの国で大切に培ってきていることを感じています。「お茶を飲む」という行為は、その前後の時間・空間を含めて、字面のイメージをはるかに超える「ふくよかさ」を生み出すものであると思いました。

寒さに向かう季節、温かいお茶を入れてホッとする時間を楽しんでおります。