2024年九州産業大学国際シンポジウム 博物館と医療・福祉のより良い関係 に参加いたしました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

2024年九州産業大学国際シンポジウム 博物館と医療・福祉のより良い関係 に参加いたしました。

2019年から毎年開催されている、九州産業大学緒方泉教授が率いる、「大学における文化芸術推進事業(文化庁)」の国際シンポジウム。今年も参加することが出来ました。会場を設けて現地開催したのは最初の2019年だけで、そのあとはコロナ禍下でZoom開催となりました。この経験がそのまま生かされていて、今回も引き続き、日本・英国・米国をつないでオンラインでの開催でした。同じ場所に一同が介するからこそ得ることのできるものももちろんあると思いますが、オンラインによって比較的リラックスした雰囲気で開催できるというのも、大きな成果なのだと思います。また今年は全国から優に100名を超える参加者があり、これもまたオンラインだからこそ、かもしれません。

今回のテーマは「社会課題と向き合う博物館」。2023年度の学芸員技術研修会でも、博物館リンクワーカー人材養成講座でも、この一年間は、これがテーマになっていました。登壇者は、英国ダリッジ・ピクチャー・ミュージアムと米国ケアリングカインドから。米国からは「博物館のアクセス指導者(access educator)」という職種が20年以上も前からあることと、その役割と成果を知ることが出来ました。また毎回、最新の取り組みを報告してくださるロンドンのダリッジ・ピクチャー・ギャラリーからの発表は、今回もとても刺激的でした。

以下、備忘。


  • social impact
  • 大切なのは、わたしたちの行為の内容や意図ではなく、その効果。
  • 博物館が実際に人々の生活や人生を変えられるとしたら、まず人々の生活や人生の一部になる必要がある。
  • 子ども・若者への一貫した支援の必要性。
  • 学校における資源(人的・物的)不足を、美術館が補う。
  • 教員のサポート。
  • マインドフルネス・リラクゼーション・創造的問題解決。
  • 学校現場における創造的資源不足。
  • 移行期に人が持つ感情:未知の世界に対する緊張感・興奮・恐れ
  • slow looking
  • 作品への没入を促す瞑想への手引き。
  • 日常から解放された自由な時間のなかで、何が起きるのか。
  • access educator
  • connect2culture®
  • 認知症患者の支援と、その介護者の支援。
  • Meet Me at MoMA
  • 文化団体のネットワーク構築。
  • プログラムの評価を行う仕組み。

毎年このような素晴らしい機会を用意してくださる緒方先生に、心より感謝いたします。ありがとうございました!

映画『ラーゲリより愛をこめて』を観てきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『ラーゲリより愛をこめて』を観てきました。

年末に2023年の映画ベスト3を出しておりましたが、2024年も引き続き「だいたい月に1本ペース」の映画鑑賞を目指して参ります^^

その1本目となったのは、いつものカメリアステージ図書館が主催する映画上映会。これまでにもたまに開催されていたのは知っていましたが、古い邦画やアニメーションが多かったこと、タイミングが合わなかったことなどで、足を運んだことがありませんでした。会場は、図書館に隣接する「カメリアホール」。500席以上を有する立派なコンサートホールです。スクリーンの位置が舞台の後方に設置されるため、どうしてもちょっと遠くなってしまう感じは否めませんが、図書館の隣ですから、花祭窯から徒歩圏内。こんなに近所で映画を観ることができるとは、ありがたいことです。

『ラーゲリより愛をこめて』は、つい最近、2022年の映画でした。邦画好きの我が家の息子が公開後すぐに観に行っており、「号泣ものだよ」と称した一本です。わたしは気になりつつも観ていませんでしたので、思いがけず嬉しい機会となりました。

第二次大戦終戦後のシベリア抑留の物語。原作は辺見じゅん著『収容所から来た遺書』で、事実をもとに描かれた物語だということです。主人公・山本幡男を演じた二宮和也くんはもちろん、俳優さん一人一人の存在感が胸に迫ってくる映画でした。シーンのタイミングごとに「194○年 戦後○年」のテロップが現れ、そのたびに、戦争が終わって何年経っても何も終わっていなかった現実が重くのしかかってきました。どうしてそんなことが許されたのか、敗戦国には何の権利も残されていなかったのだろうと、腹立たしさと無力感を感じながらの鑑賞でした。ラストの方で、北川景子扮する山本の奥さんが手にした新聞に、かの有名な「もはや戦後ではない」の文字が躍っているシーンでは、当時このセリフをはらわたが煮えくり返る思いで聞いていた(読んでいた)人たちの存在を思わずにいられませんでした。それにしても二宮くんの、静かななかにも凄みのある演技が、すごかったです。渡辺謙と共演した『硫黄島からの手紙』のときも感じましたが、圧巻でした。

さて上映会の出口では、原作本を置いて図書館スタッフさんが貸し出し予約の受付を声掛けしていらっしゃいました。本と映画。「本→映画」もあれば「映画→ノベライズ」もありますから、図書館主催の映画上映会というのは、理に適っているのです。これからもどんどん、このようなイベントをしてくれたらいいな、と思いつつ。わたしはまだ原作を読んでいませんでしたので、貸し出し予約を入れておこうと思います。

読書『新古事記』(講談社)村田喜代子著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『新古事記』(講談社)村田喜代子著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から。『新古事記』のタイトルに、昨年読んだ町田康著の『口訳 古事記』を連想し、勝手にそのようなものだと思い込んで借りてきた一冊です。今気が付きましたが『口訳 古事記』も講談社さんからの発刊でしたね。

さて『新古事記』。事前情報無しに読みはじめ、すぐに「思っていたの(古事記の新訳版とか意訳版とか)と違う!」とわかりました。が、ストーリーと文章に引き込まれてそのまま読み続け。

第二次世界大戦日米開戦後のアメリカにおける原爆開発の物語です。開発者たる科学者たちのお話ではなく、その妻たちのお話。半分ほど読み進んだところで「あとがき」をチェックし、これが実際に科学者の妻であった人の手記をもとにした物語であることを知りました。

原爆開発チームに入った科学者とその家族が、世界と隔絶したニューメキシコの大地に続々と集まり、ひとつの街が出来、その最終実験、投下、チームと街が解散するまで。主人公はその開発チームに参加している若き科学者のパートナー(のち妻)であり、日系三世であることを公にはせずにきた女性で、その目線で描かれる物語は、一見穏やかに流れる時間のなかに小さくはない緊張感や不安がつきまとっていました。

主人公が受付兼看護助手として勤める動物病院は、研究者の家族たちの犬(犬もまた大事な家族の一員)のために設けられていて、そこに「うちの子」を抱えてやってくる奥さんたちの緊張や不安もまた、直接的に描かれないからこそ切実に伝わってきました。自分の夫がここで何をしているのか知らされず、箝口令が引かれた暮らしのなかで、いかにして平静を保つか。科学者たちは科学者たちで、自分たちの研究開発が目指す結果の重さに耐えながらも、家族に対してさえ、事実を話すことが出来ない。

その抑圧的な街での暮らしの結果が、犬の出産ラッシュだったり、人間の結婚ラッシュと出産ラッシュだったりして、なんだか生き物の根幹を見せつけられるようでもありました。犬たちの姿を通して見えてくるものが、物語のなかで大きな役割を果たしていました。

村田喜代子さんのお名前は知っていましたが、著作を読んだのは、おそらく今回が初めてでした。とても文章がやわらかくて引き込まれましたので、これから過去作遡って読んでみたいと思います。

続・英語でアート!のマンツーマンレッスン。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

続・英語でアート!のマンツーマンレッスン。

『英語でアート!』(マール社/佐藤実・宮本由紀共著の由紀さんに、期間限定のマンツーマンレッスンを受けています、と書いたのは昨12月のことでした。

つい先日5回講座の3回目が終わり、残すところあと2回です。60分間の英語でのコミュニケーションを通してつくづくと感じるのは、先生の言い回しや言葉の選び方の美しさ。同じようなことを伝えるにも、どんな単語を使うか、どんな言い方をするかによって印象がまったく変わること、洗練された言葉遣いとはどういうことかを強く感じる時間となっています。レッスン中は、なるほど!と思うのですが、これが自分の中に定着しないことには、とっさに口から出てくるようにはなりません。

ということで、以下「おお!」な言い回しの備忘。


  • He finds importance in his “animal boxes” creations, which draw inspiration from the beauty of nature and the charm of old antique objects.
  • Nature is a constant source of inspiration for him.
  • He hopes that viewers will appreciate the beauty and diversity in the natural world through his work.
  • The graceful forms and delicate details in the pieces reflect the harmony that can be found in nature.
  • I hope viewers can sense the harmony in his work.
  • I personally find a delightful and lighthearted in his work.
  • He is influenced by many artists spanning different periods, using various mediums across genres.
  • He appreciates both old and new art.
  • Perhaps all of these works are unconsciously fixed in his mind.
  • Fantastical human hybrid such as mermaids and invented creatures, are often recurring subjects.
  • Many of these creatures are inspired by manga comics and animation.
  • He tries to bridge the gap between his fantastical ideas and the real world by creating whimsical characters.
  • If he were to chose only one period, it would be the Renaissance.
  • While there isn’t a specific intention, he appears to excel in creating small, palm-sized works.
  • However, this year, he is venturing into the creation of larger pieces compared to his usual scale.
  • His trip to Carrara last year may have inspired him to work on a grander scale.
  • This change will make things interesting for both the artist and the viewer, providing diverse perspectives.
  • Usually his works come from an inner aesthetics.
  • There was only one instance when he reacted to an incident in the world around him.

自分がふだん使う可能性の高い表現を自分仕様で学ぶことは、とても理にかなっていて実用的です。あとは、これらの表現が自分の口から自然に出てくるようにしたいところ。そのためには、繰り返しいろいろな場面で使うに限りますね。書いて、話して、使っていきたいと思います。

九州EC勉強会で、ガードナー株式会社さんの「独学と内製」を学ぶ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九州EC勉強会で、ガードナー株式会社さんの「独学と内製」を学ぶ。

久しぶりの九州EC参加でした。九州EC(九州ECミーティング)は、経営者・ECに取り組む方々が幹事となり、事業運営に役立つ情報交換・提供を行う会です。現在も完全ボランティアで続いている、稀有な勉強会組織です。花祭窯は2000年からECをスタートしていますので、キャリアの長さだけはありますが、事業としてECをメインに取り組んでいるというわけではありません。ですが、九州ECの勉強会はEC担当者向けの勉強会というよりは、経営者感覚を磨く勉強会の色合いも強いので、毎回深い学びがあります。

さて今回講師をしてくださったガードナーベルトのガードナー株式会社さん。専務を務める福山さんのお話は、終始熱量が高く、とても面白い勉強会でした。お話の結論としては、自分以上に自分の会社に必死になれる人間はいない、というところ。「バカ」とか「狂気」とか「やれるもんならやってみろ」などの単語が飛び交い、その背後にある自社や自社商品への愛情の深さに大きくうなずきながらお話を聞きました。

そして今回の勉強会の凄さ面白さは、講師からほとばしる情熱の力に加えて、そこに集まってきていた参加者の熱量の高さによって増幅されていました。これは九州ECの勉強会ではよく感じられることなのですが、コールアンドレスポンスというか、話の内容に対する感度の高さによって、学びが深まるという次第。その度合いがとっても大きかったです。途中講師が「ちょっと僕の話を聞いてください!(笑)」と叫ぶほど、皆がそれぞれに反応を返すという、自由で活気ある時間でした。

毎回素晴らしい講師の方を呼んで学びの機会を提供してくれる九州EC幹事の皆さまに、心より感謝です。

「デザイン開発ワークショップ」に参加しました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「デザイン開発ワークショップ」に参加しました。

福岡県商工部新事業支援課さんからご案内をいただき、「デザイン開発ワークショップ」なるものに参加することにいたしました。「デザイン」という言葉が使われる場面は、もともと使われていた物理的なデザインを意味するものから、概念的な分野へと広がってきていますね。「デザイン思考」という言葉がもうずいぶん前に流行ったような気がしていましたが、流行りで終わらず定着してきているということかな、と。今回わたしが参加した目的は、まさに思考のデザインを学ぶこと。それもただ概念を学ぶのではなく、「何をどう売っていくか」「その方法をどうデザインするか」まで具体的に落とし込むことを目的としています。昨日はその4回講座の初回でした。

会場は西小倉駅から徒歩3分ほどの、西日本工業大学地域連携センター。上の写真は、そこからほど近い小倉城。実は西日本工業大学の存在を知らなかったのでしたが、システム工学・建築学・情報デザインに特化し、地域連携・産学官連携を推進して地域貢献することを使命とし、工業の町北九州地域の要望に応えて設立された大学なのだそうです。今回ワークショップのコーディネーターは、その西日本工業大学デザイン学部教授・梶谷克彦先生。

受講生として参加した企業は、花祭窯を含めて3社。そこにコーディネーターの先生と、アドバイザーとしてデザイン関係の専門家が2名、福岡県の新事業支援課さんから2名のスタッフが参加。運営側の人数の方が多いという、受講者にとっては非常に手厚い体制であることに、まず驚きました。

さてワークショップ第一回目。まずは参加者の自己紹介からスタートし、各社の課題の共有へ。参加の三社は、広義でいえば皆「製造業」であるという共通点はありながら、まったく分野の異なる三社でした。当然、課題を理解してもらうにはその前提となる事業内容の説明から必要なわけで、2時間の予定を大幅に超えて盛り上がりました。皆さんのお話は面白く興味深く、わたしにとって貴重なブレスト機会となりました。

そしてもう一つ驚いたのは、コーディネーター・アドバイザーのお三方の姿勢で、必ずこのワークショップ期間中に三社の課題解決を成し遂げようという強い意思が感じられました。それはそれぞれが発する言葉の端々に現れていて、とても新鮮な印象でした。よく考えてみたら、「初めまして」から2時間×4日=8時間のワークショップで各社の課題を解決に導くというのは、なかなかハードルの高いことです。これは、初回で2時間を大幅に超えたのも仕方がないかな、と。県の職員さんは少々お困りの様子ではありましたが(笑)。

次回は3週間後の2月5日。楽しみです^^

読書『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)高瀬隼子著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)高瀬隼子著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。シュールな装丁が目に留まり、手に取りました。「うるさいこのおとのぜんぶ」と、タイトルの音の流れもなんだか心地よくて、これは借りてみよう、と。実際に読んでみると、中身にもずっとシュールな感覚が漂っていました。

主人公が小説家で、その主人公が書いている小説のストーリーがなかに入っている、二重構造的なつくりです。「作家小説」というジャンルなのですね。ボーっと読んでいると「あれ、これはどっちのストーリーだ?」となり、読み返すこと数回。これは著者の意図したことなのかわかりませんが、そんな行ったり来たりも含めて、不思議な面白さがありました。

本名の自分と、ペンネームの自分。読者や周りの人が知りたいのは本名の自分なのか、ペンネームの自分なのかと考えをめぐらす主人公の葛藤が、伝わってきました。小説を知ってもらいたいけれど、本名の自分のことを知ってもらいたいとは思っていない。でも小説をたくさんの人に読んでもらうのに、本名の自分を出すことが役立つなら、という葛藤。本を出版したことは知っていたはずなのに、著名な賞を受賞した途端、雑誌などのメディアに出た途端、騒ぎ出す友人知人(あるいは覚えてもいない人)たち。その昔「有名税」という言葉が流行ったことを思い出しました。

著者の小説家としての体験がそのまま生きているのだろうな、と思わせるストーリーで、芥川賞を受賞するとなるほどこのようなことが起こるのね、という野次馬的興味をそそられる一面もありました。タイトルで感じたイメージ、日本語の音の流れが気持ちの良い感じは、本文内でもやはりそうで、高瀬隼子さんの本は本著が初読みだったのですが、もっと読んでみたいと思いました。本書の前作が、芥川賞受賞作ということで、次はその『おいしいごはんが食べられますように』を読んでみたいと思います。このタイトルもまた、日本語の流れが心地よいですね。

『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)高瀬隼子著

読書『甘くない湖水』(早川書房)ジュリア・カミニート著/越前貴美子訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『甘くない湖水』(早川書房)ジュリア・カミニート著/越前貴美子訳

新年最初の読書は、イタリア・ローマ生まれの作家さん。昨年末ラストの読書もイタリアを舞台とした小説でした。どちらもいつものカメリアステージ図書館新刊棚で直感的に手に取ったもので、読みはじめてからイタリアなのだと分かったもの。この偶然を、今年もイタリアにご縁があるということね!?と、勝手に好解釈。

年末に読んだ『マルナータ』がムッソリーニ政権下、1930年代ごろを舞台にしていたのに対し、『甘くない湖水』は、ストーリーにアメリカでのツインタワーテロ(2001年9月)のエピソードが出てきますので、ほぼ現代。どちらも思春期-青春期の女の子が主人公です。ところが時代設定の違いがあるにもかかわらず、ストーリーの核となる、格差社会に拳を握り締める弱者の叫びは共通であり、読後になんともいえない無力感が残りました。

『甘くない湖水』の「湖水」は、主人公の思春期から青春期を象徴するものであり、「青春時代の苦み」とでも言い換えることができるものです。けれどもここに描かれている「青春時代の苦み」は、単に若さゆえの苦さではなく、経済的弱者であるからこそ倍増される苦みでした。著者も訳者も「あとがき」で書いている通り、本書に横たわっているのは「痛み」そのもの。主人公の行動にひやひやしながらも、一緒になって拳を握り締める読書でした。

『マルターナ』も『甘くない湖水』も、新進の女性作家によるものでした。このような作品が続いて出ているということに、現代のイタリアに暮らす人々が抱えている社会への不安の大きさを見る思いがしました。そしてその不安は、ここ日本でも決して他人事ではなく。海外の良書を日本に出してくださる出版社と翻訳者の皆さんに、心より感謝。今年もたくさんお世話になりそうです。

『甘くない湖水』(早川書房)ジュリア・カミニート著/越前貴美子訳

読書『おとなのOFF 絶対見逃せない2024年 美術展』(日経TRENDY)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『おとなのOFF 絶対見逃せない2024年 美術展』(日経TRENDY)

すっかり年初恒例となった、美術展チェックです。昨年に引き続き、今年も『おとなのOFF』の臨時増刊号をゲット。

展覧会会場となる美術館博物館は日本全国にありますので、なかなか足を運べないのが現実ではありますが、昨年は「これは観たい!」ベスト5に挙げていたもののうち、3つの展覧会に足を運ぶことが出来ました。わたしとしては、上出来です。福岡県内あるいは出張先(東京)での訪問がほとんどですが、意識の片隅に置いておくと、時間を見つけて機会を上手く生かすことが出来ますね。

ではさっそく『おとなのOFF 絶対見逃せない2024年 美術展』に掲載されているもののなかから、「これは観たい!」ベスト5。


1位 キース・へリング展 アートをストリートへ

昨年12月の学芸員研修で、「中村キース・へリング美術館」の学芸員さんに「社会課題と向き合う美術館活動」のお話を伺ったばかりで、素晴らしいタイミングです。

現在、六本木の森アーツセンターギャラリーで開催中ですが、福岡への巡回も予定されています。ありがたいことですね。福岡市美術館 2024年7月13日〜9月8日。楽しみです!

2位 永遠の都ローマ展

こちらも福岡市美術館 2024年1月5日~3月10日。新年5日から始まっていますので、近いうちに足を運びます。カラヴァッジョの「洗礼者聖ヨハネ」が目玉とされています。カラヴァッジョの作品を福岡で、生で観ることが出来る貴重な機会です。今からドキドキしています。

3位 没後50年 福田平八郎

大阪中之島美術館 2024年3月9日~5月6日。実のところ「福田平八郎」と聞いてもぴんと来なかったのですが、作品を見て「ああ!」と心当たりました。「写実に基づく装飾画」と呼ばれているそうですが、色使いとパターンがポップで、魅力的です。ぜひ観に行きたい展覧会です。地元・大分県立美術館での巡回展は2024年5月18日~7月15日。

4位 円空-旅して、彫って、祈ってー

あべのハルカス美術館の開館10周年記念展覧会。160体の「円空仏」が揃うというのですから、なかなか稀有な機会だと思います。会期は2024年2月2日~4月7日ですので、中之島美術館の福田平八郎展と合わせて、大阪展覧会ツアーを計画するのも良いかもしれません。

5位 生誕120周年 サルバドール・ダリ―天才の秘密―

福島県にある諸橋近代美術館。本書で見るまで知りませんでした。ゼビオ株式会社の創立者・諸橋廷蔵氏が収集した作品を展示する美術館。ダリをメインに、ルノワール、マチス、ピカソ、シャガール等19・20世紀巨匠20数人の作品を収蔵しているそうです。会津磐梯山の景勝地に位置するという美術館。ぜひ足を運んで観たいものですが、九州では大分県立美術館 2024年11月22日~2025年1月19日の巡回があるので、そちらで観るのが現実的かもしれません。

3位に挙げている福田平八郎の展覧会も大分県立美術館でありますので、これは大分に足を運べということかもしれませんね。


このほか、『おとなのOFF 絶対見逃せない2024年 美術展』に載っていなかったところでは、福岡アジア美術館で新年1月2日から開催されている「日中平和友好条約45周年 世界遺産大シルクロード展」も楽しみにしていた展覧会。近々博多に出たときに鑑賞予定です。

今年も、ひとつでも多くの「お!」な作品と出会えるのが楽しみです。

読書『マルナータ 不幸を呼ぶ子』(河出書房新社)ベアトリーチェ・サルヴィオーニ著/関口英子訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『マルナータ 不幸を呼ぶ子』(河出書房新社)ベアトリーチェ・サルヴィオーニ著/関口英子訳

2023年末ラストの読書は、イタリアの作家さん。いつものカメリアステージ図書館で、年末年始用に多めに借りていた中の一冊です。これまでにヒトラー下のドイツを舞台とした小説は何度も読んだことがありましたが、ムッソリーニ政権下のイタリアを舞台にした小説は、記憶している限り初めてかな?と。訳者の関口英子さんのお名前に見覚えがあるなぁと思ったら、その1年ちょっと前に読んでいました。

こちらも河出書房新社から出ていました。『「幸せの列車」に乗せられた少年』の時代背景は第二次世界大戦後でしたので、ムッソリーニ政権のファシズムの影響が色濃く残っていたころですね。『マルナータ 不幸を呼ぶ子』の方が少し前の時代になります。

さて『マルナータ 不幸を呼ぶ子』。労働者階級で貧しく、周囲から忌み嫌われながらも人の目を気にせず自分の意志のままに行動するマッダレーナと、ブルジョワ階級で世間体を気にする母親のもと厳しくしつけられて育ったフランチェスカという、性格も家庭環境もまったく異なる二人の思春期の女の子の物語です。二人の少女の関係性は、どの時代にも有り得る話でありながら、ムッソリーニ政権下という時代背景が、二人の生きづらさを、より際立たせる役割を果たしていることが、読んでいてひしひしと伝わってきます。

この時代がどのようなものであったのかと、そこを舞台に設定した著者の意図については、「訳者あとがき」でわかりやすくまとめられています。この訳者あとがき内にある、著者が言ったという「性差別と人種差別が横行し、好戦的な男社会の典型であるファシズムの時代」「女性や、社会の枠組みからはみ出す者たちが声を上げることの難しかった時代」「ファシズム政権下のイタリア社会は、むろん過去のものではあるのですが、現代社会との危うい類似性も感じられる」「彼女たちの生きづらさは、いまの私たちと決して無縁ではない」の言葉たちが、刺さりました。

「言葉の力」=「言葉の大切さ」と「言葉の恐ろしさ」を考えさせられるセリフが物語の随所に出てきて、ひとつの大きなテーマになっています。これはきっと、言葉を生業とする著者にとっての大きなテーマなのだろうと思いました。

個人的には、これまでほとんど知らなかったイタリアのムッソリーニ政権下がどのような社会であったのか、どのように市民が扇動され、戦争につき進んで行ったのか、その一片をうかがい知る貴重な機会にもなりました。そしてその日本との類似性が恐ろしくもありました。そういえば先日読んだ『戦争は女の顔をしていない』はスターリンのソ連でした。そこにも類似性は多々見られ、つまり「国民性」とか「民族性」ということでは無く、「人間」としての本質なのだということか、と考えさせられました。

1995年生まれの著者、本書は初の長編作品だったということ。『マルナータ 不幸を呼ぶ子』では、欲を言えば、ラストシーンがあまりにもよくできすぎていて違和感が残ったので、著者の別の本も読んでみたいと思いました。日本語版がまた出ることを期待しています。