「アーティスト&アート関係者のための英文メール講座」でお勉強♪

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「アーティスト&アート関係者のための英文メール講座」でお勉強♪

書籍『英語でアート』(マール社)の一読者としてスタートした、株式会社アート・アライアンス 宮本由紀先生とのご縁。「これぞ、今のわたしに必要な本!」に出会ったのは、2018年2月のことでした。

福岡で開催された出版記念講座に参加したのが、同年4月。ここでお会いして直接お話を伺い、ますますファンになったのでした。

その後、対面・オンラインでの美術英語関連講座やアートエデュケーションの講座に参加したり、コロナ禍前には藤吉憲典のメディエーターをご相談したりと、たいへんお世話になっています。「著者と一読者」としてスタートしたご縁ですが、由紀先生のお人柄で、このようにお付き合いが続いていることを、ほんとうにありがたく思います。

さて、由紀先生の講座に参加するのは久しぶりでした。「アーティスト&アート関係者のための英文メール」と、ピンポイントです。このように目的を絞った英語学習機会を得ることは、日々のビジネス英語をどうにかこうにか遣り繰りしているわたしにとって、実務的に大きな助けとなります。書籍『英語でアート』でもその内容は充実しているので、わたしはデスク上に常備して、いつでもすぐに手に取れるようにしています。今回の講座ではさらにパワーアップするということで、期待満々で参加いたしました。

まずは講座前日に送られてきたレジュメにびっくり。60枚以上に及ぶボリュームで、内容もぎっしり詰まっていました。この資料だけでも、受講料をはるかに上回る価値があります。由紀先生の講座は毎回中身がぎっしりで、いつも「今お話しできることを全てお伝えします」というスタンスなのです。

以下、備忘。


  • SNSチャットではなくメール。保存性、検索性。
  • 美術館スタッフ≠ギャラリースタッフ。メールの書き方も変わる。
  • 相手が答えやすい、答えたくなるメールとは?
  • 話し出す前に、書き出す前に、まずは「英語マインド」への切り替え。
  • 結論ファースト。
  • どこ(国・地域)宛か?→災害等の有無確認→前置きでお見舞い。
  • 「1 mail, 1 question」「1 mail, 1 subject」。
  • yes or noで答えられるようにする=具体的な提案で文章を作る。
  • 添付ファイル×、画像埋め込み◎。
  • レジュメ、ポートフォリオのテキスト部分はメール本文に載せてしまう。
  • 印刷物◎、CD・DVD・USB等×。
  • 催促メールは出して良い。
  • could would may = polite English
  • 「件名」でできる限り要件を伝える。
  • 実際に会う=信頼関係。
  • 写真を添えたメールで近況報告、掲載誌の郵送、クリスマスカード等グリーティングカードの送付。
  • サイズ表記:cm (mm)とin 併記。
  • パブリックドメインに入っている画像は気にせず使える。
  • 美術館のダウンロードフリー画像を使う。
  • 最近の傾向としてメール末尾に「Pronouns」記載。例)Pronouns : she/her/hers

アート・アライアンス 宮本由紀先生「アーティスト&アート関係者のための英文メール講座」より


とまあ、備忘的にまとめるとこのようになりましたが、なにしろ60ページ分/約2時間半の講座でしたので、ここに書ききれないのがほとんどです。今回も即日役立つ内容てんこ盛りで、大満足でした。ありがとうございました!

アート・アライアンス 宮本由紀先生の講座情報は、フェイスブックページから最新情報をご覧いただくことが出来ます。

https://www.facebook.com/artalliance.tokyo

講演会「成熟した欧州・フランスの視点から探るビジネス機会」を聴いてきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

講演会「成熟した欧州・フランスの視点から探るビジネス機会」を聴いてきました。

九州フランスパートナーズクラブ主催の講演会。このところなにかとウェビナー続きでしたので、現地開催ということが嬉しくて、足を運んでまいりました。講師は20年以上フランス・欧州と日本でコンサル業と教育活動をなさっているというNagata Global Partners代表の永田公彦氏。花祭窯の事業としてのフランス市場には、現時点では関心はないものの、講演会タイトルにあるようにフランスをはじめとした「欧州の視点」を学べるといいな、と思っての参加でした。

なにより、この講演会の告知チラシの文面が良かったのです。曰く「戦後の日本は(中略)、新興国アメリカの影響を強く一方的に受けてきました。他方、日本と欧州は、中世から今日まで双方向で学び合う関係にありました。」とはじまります。たしかに、鉄砲伝来・南蛮貿易にはじまり、江戸時代には日本の文化芸術が欧州にわたってパリのアートシーンに多大な影響を与え、明治維新の頃には科学技術を欧州に学んだ歴史をあらためてなぞってみると、「欧米」とひとくくりにはできない「アメリカとは異なる」欧州の姿が見えてきます。

敗戦後の70~80年で与えられたアメリカ文化と、約500年に渡るヨーロッパとの交流。単純に比較することはできませんが、アメリカ偏重の結果として今あるほころびを、ヨーロッパを学び直し見直すことで修正していくべきという講師の論説は、なるほどうなずけるものが少なからずでした。ただ、同様にもう少し深く考えると、約500年のヨーロッパとの交流に対して、大陸(中国)や朝鮮半島(北朝鮮・韓国)との文化的交流は少なくともさらに1000年以上遡ることに思い至ります。ということは、学び直し見直すべきはむしろ、大陸や朝鮮半島との交流であるのかもしれないと、個人的な結論として辿り着き。

そして今回の講演で得た新しい知見としては、SDGs=サステナブル社会に向けての取り組みの、フランスでの具体的な事例紹介がありました。先日のジェトロの海外ビジネス研修でも話題になりましたが、今やこの視点を持たずには、欧州とのビジネスは考えられないということ。今回のお話では、市民や企業が日々取り組む活動が、日本に住むわたしのイメージをはるかに超えているものも多々ありました。SDGsについて、日本での推進方法は「流行りもの・イメージ先行」な感が否めずにいましたが、フランスでの地に足の着いた取り組みの数々は、事業者としても一消費者としてもすぐに見習いたいものがいくつもありました。

なかでも、スーパーマーケットでの販売方法が、計量販売にどんどん移行していて、袋や瓶を持って買い物に行くというお話には、とても共感しました。日本でも、江戸時代の頃はもちろん、ほんの数十年前までは、そのような文化があちらこちらにしっかり残っていたと思うのです。わたしは子どもの頃東京に住んでいましたが、ボウルを手に近所のお豆腐屋さんにお使いに出かけていたことを思い出しました。フランスでは、売り場面積の一定割合以上を計量販売にすることが法制化され、次第にその割合を増やしていっているとのこと。ちょっと買い物に行ってみたくなりました。

そんなわけで、通常のビジネスセミナーとはちょっと違った角度からのお話は、頭の体操になりました。やっぱり会場に足を運んで話を聴くのはいいですね。

読書『おもみいたします』(徳間書店)あさのあつこ著

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読書『おもみいたします』(徳間書店)あさのあつこ

あさのあつこさん=『バッテリー』。わたしはテレビドラマも映画も観ていませんし、本も読んでいませんでしたが、それでもすぐに連想できるほどに、イメージが定着しています。なので、本書『おもみいたします』の表紙を見たときにまず「時代小説!?」の意外性を感じました。ところが、ちょっとググってみてびっくり、2006年に『弥勒の月』という時代小説を出して以来、何本も書いていらっしゃったようです。そもそも『バッテリー』に限らずあさのあつこさんの著書を読むのは、これが初めてでした。

江戸の庶民文化・生活を垣間見るような物語は、読むうちに『鬼平犯科帳』やら『御宿かわせみ』やらの世界観と重なりました。時代小説は、その主人公を中心としていくつもの物語を展開し、シリーズ化しているものが数多くありますが、『おもみいたします』の主人公である「天才的揉み師」お梅もまた、そのような主人公となり得そうな、魅力的なキャラクターでした。連続テレビドラマ化できそうな感じがします。

目の見えない揉み師はお梅は、視覚以外の感覚に優れていて、その感覚を軸に物語は広がっていきます。お梅を守る存在として、妖怪というか、精霊というか、異世界との間に存在するものが側にいることが、単なる時代小説ではなく少々ファンタジーな味付けとなっていました。それがあくまでも非現実的な味付けとはならず、さらっと受け入れられる辺りが、物語の力なのだと思います。

触ることでしか見えないものもあるという感覚、「見えない=かわいそう」ではないのだという当事者の想いは、全盲の人類学者・広瀬浩二郎先生の研修を受けたときに少しばかり体感的に理解しましたが、本書では物語だからこそ伝わってくるものもありました。

そういえば現在公開中の映画『藤枝梅安』は、鍼灸師。あん摩や針灸がこの時代に民間療法として人々の生活に根付いていたことが伺えます。

おもみいたします』(徳間書店)あさのあつこ

読書『豆』(家の光協会)有元葉子著

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読書『豆』(家の光協会)有元葉子著

図書館で本を借りるとき、一度にだいたい5~6冊借りるのですが、たまにそのなかに料理本が1冊入ります。今回目に留まったのが『豆』。ちょうど前日に、畑をしている友人からきれいな大豆を頂いていたので、アンテナが向いていたのでしょうね。

なんとなく表紙に既視感…と思ったら、以前に、同じ「家の光協会」から出ている有元葉子さんの『乾物』を借りていたのでした。表紙タイトルの右側に「有元葉子の和の食材」と書いてあるシリーズもの。本書では、サブタイトル的に「大豆、黒豆、白いんげん豆、白花豆、うずら豆、とら豆、青えんどう豆、そら豆、小豆、ささげ」と文字が並んでいます。

我が家でふだん料理で使う豆類の筆頭は、やはり大豆。それから黒豆、ひよこ豆、という感じです。そういえば小豆は餡子になっているものを購入するようになり、家で茹でることがすっかりなくなりました。缶詰や真空パックになった「茹でた豆」が気軽に手に入る時代、最近の個人的ヒットは「大豆・金時豆・青大豆・黒大豆」の4色を茹でて冷凍したもの。冷凍庫に常備して、手軽に豆を料理に使っています。

本書では、豆を使った料理レシピがたくさん紹介されていますが、一番最初に大豆の下ごしらえの方法が載っているのが嬉しいです。このところ「適当に水に浸けて、適当に茹でる」ことが増えていましたので、久しぶりに下茹での方法を確認することができました。「大豆はしっかり茹でないと!」と思い込んでいましたが、じゅうぶんに水に浸けておけば、茹で時間は1時間ほどでも大丈夫のようです。

素晴らしいと思ったのは、レシピだけでなく、豆についての、文字通り豆知識がちりばめてあることと、食材としての豆に対する想いが、著者の言葉で綴られていることです。大豆のページでは、「日本の代表的な豆が大豆です」とし、「もしも大豆がなかったら、おいしい和食は食べられないでしょう。」「大豆のえらさに気づいて、外国産に頼らず安心な国産大豆がもっとできることを願っています。」(『豆』(家の光協会)より)と続きます。我が家は1年に30キロ近くの味噌を作って食べる大豆立国ならぬ大豆立家なので、有元さんの言葉はとても響きました。

『豆』(家の光協会)有元葉子著

JETROの「中小企業海外ビジネス人材育成塾」基礎研修最終日でした。

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JETROの「中小企業海外ビジネス人材育成塾」基礎研修最終日でした。

昨年11月にスタートした研修も、必修の基礎研修がすべて終わりました。残すは3月に任意のフォローアップ研修があるばかり。

思えば、提出期限の短い宿題はたくさん出るわ、並行して「英文ビジネスe-メール編」と「輸出商談編」の2コースの「貿易実務オンライン講座」を受講するわ、Zoomでミラノとつないだ専門家相談の機会があるわと、基礎研修を受講している時間以外のフォローも充実で、久しぶりに「ガッツリ学んだ!」実感の濃い研修期間でした。

最終日の昨日は、約半年をかけてブラッシュアップしてきた海外向け事業計画の発表と、今後の成果に向けての決意表明。発表準備は約1時間という短時間で、自分の資料を作るのにはやや焦りました。発表時間は質疑応答含め8分で、コンパクトにまとめるスキルも求められ。ですが、ともに学んできた皆さんの発表を聴くのは、とても楽しく刺激的な時間になりました。

皆さんの発表を聴いて面白かったのは、最終段階に近い2月の「専門家面談」を経て、大きく舵を切り直した事業者さんが何社もあったこと。このタイミングからすべてをまた練り直すことになった方もあり、それでも発表内容を伺えばなるほど変更が胎落ちするものばかりで、これぞ机上で終わらない実践的な事業計画策定だと感じました。

Zoomの画面越しとはいえ、この仲間とともに学べたことは、わたしにとって貴重なことでした。研修期間が終了したあとも連絡を取り合い、お互いにブラッシュアップしていける存在になれたらいいな、と切に思いました。このような機会を作ってくださったJETROさんに心より感謝申し上げます。ありがとうございました!

読書『ええじゃないか』(中央公論新社)谷津矢車 著

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読書『ええじゃないか』(中央公論新社)谷津矢車

いつものカメリアステージ図書館新刊棚、なんとなく手に取った一冊です。先日読んだ『ヘルンとセツ』が大政奉還後の明治維新の話なら、本書はその大政奉還前夜の幕末の混乱期のお話。意図せずして、その時代の市井の空気を垣間見る二冊を、立て続けに読むことになりました。上の写真は、読了後のイメージ。

幕末から明治維新の時代について、歴史に名前の残る方々の物語はたくさんありますが、わたしが読んだこの2冊は、登場人物が地べたに生きる人々であった(たとえそれが武家・旧武家の人物であっても)という点で、これまで認識していたものと大きく異なって見えました。

「ええじゃないか」の騒動については日本史の授業でも習いましたが、それを引き起こした時代の空気がどういうものであったのか、本書を読んで初めて分かったような気がしました。著者がnoteで「歴史の波に洗われて忘却されてしまった人々がその担い手」と書いておられましたが、まさにそのことが、近代史における「ええじゃないか」の特異性を物語っているのだと思いました。フィクションですから、諸説あるうちのひとつを根拠とした物語であるというのはもちろんですが。

政治に対して市民が「声を上げる」「行動を起こす」ことは、民主化された現代においては権利として法律上認められているとされているものの、実際にそれを通そうとするにはたいへんな労力がかかるものであり、結局は声を上げない人が多数だと思います。「ええじゃないか」はそうした権利が認められない時代にあって、何かを具体的に求めるというよりは、「もう今の政治にはうんざりだ」という気分が形になったものに思えました。

そのような「気分」に対しては、身分や立場を超えて共感できるものがあり、だからこそあらゆる人を巻き込んでいったのだろうし、先導する者が居ない不気味さがあったのだろうと思います。変化のスピードが速すぎて、いろいろなことが起こり過ぎて、自分の力ではどうにもできないことが多く無力感を感じる今の時代も、もしかしたらそんな気分が生まれ、カタチになる素地が十分に出来上がっているのではないかと思いました。現代の「ええじゃないか」は、どのような形で生まれるのだろうか、と。

著者の谷津矢車氏は、歴史もの・時代小説を専門とする小説家とのこと。わたしは今回初めて著書を読みましたが、登場人物それぞれに対する愛情を感じるストーリー展開が、読了後に温かい気持ちを残してくれました。他の著作も読んでみたいな、と。谷津矢車氏ご本人がnoteで情報発信をなさっていますが、その文体から伝わってくるふんわりとした感じも、好感を持てました。

『ええじゃないか』(中央公論新社)谷津矢車

読書『ヘルンとセツ』(NHK出版)田渕久美子著

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読書『ヘルンとセツ』(NHK出版)田渕久美子著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚。なんとなく手に取りました。ほんとうに、なんとなく。「ヘルンとセツ」と言われてもなにひとつピンとこず、家に帰ってページを開いて、「小泉家」「島根」「ハーン」と単語が目に入ってきてようやく、「小泉八雲」の名前に思い至りました。上の写真は我が家の近所の神社の様子ですが、ヘルン(ラフカディオ・ハーン)もこのような神社のお祭りに感動していたのだろうな、と。

江戸幕府から明治政府への激動期、歴史の表舞台には登場しない、地方の人々の様子が伝わってくる物語でした。なかでも「士農工商」の身分制度崩壊がもたらした悲喜こもごもは、わたしはこれまで深く考えたことがありませんでしたので、少なからず驚きをもって読みました。制度崩壊によって、チャンス到来と頑張る人、生きる気力をなくす人。いつの世も、民が国の政治に振り回されるのは「仕方がない」ことなのかもしれませんが、やはり近現代における「明治維新」と「第二次世界大戦敗戦」による価値観の大転換は、あまりにも厳しい現実だったのでは、という思いをあらたにしました。

それにしても、西欧化に突き進む日本に対する、ハーンの諭すセリフの数々が刺さりました。今の時代に生きる我々に必要な視点が、そこにあると感じました。特に「日本は神道と仏教が喧嘩もせず、仲良く並び立てる国です。一方、欧米はひとつの神だけが正しいのだと言い張る国であり、そこには、個人主義がはびこります。自分さえ良ければいい、自分の国だけが大きくなればいい、そうした考え方を招きます」(『ヘルンとセツ』より)のセリフは、考えさせられました。

実は、読み終わって初めて著者名を確認しました。田渕久美子さんって聞いたことがあるなぁ…と、著者プロフィールを拝見して納得。NHK大河ドラマ『篤姫』『江』をはじめ、脚本家として有名な方でした。著作もたくさんあるのですね。『ヘルンとセツ』面白くてサクッと読了しましたので、ほかの著書も読んでみようかな、と思います。

本書を通して描かれる島根出雲の地が、とても魅力的に思えました。わたしは島根は津和野あたりにしか足を運んだことがありませんが、ずっと行ってみたいと思っている足立美術館もあることですし、ゆっくり滞在の旅を計画したいところです。

ヘルンとセツ』(NHK出版)田渕久美子著

久しぶりのお茶のお稽古で、気分晴々。

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久しぶりのお茶のお稽古で、気分晴々。

約2か月ぶりにお稽古に参加して参りました。12月は外せない仕事のスケジュールが稽古日に重なり、1月は初釜茶会には参加したものの、稽古日は暴風雪により博多に出れずと、すっかりご無沙汰してしまいました。

穏やかなお天気となった昨日は、お稽古の開始時間に合わせてお茶室に入りました。既に何人もの方がお見えになっていたので、まずは皆さんのお点前を拝見。ちょうどわたしと同じお点前をなさっている方がいらっしゃったので、拝見しつつ復習です。

現在わたしがお稽古をしているのは、奥点前のひとつ「盆点て」。ひとつのお点前を1年間通してお稽古することで身に着けていきます。コロナ禍下でのお稽古お休み期間を経て、盆点てのお稽古を再開してから、この春で一年になります。が、未だ「身に付いた」という感覚とは程遠く。進んでは戻り、の繰り返しです。

そんなわたしに呆れた顔もせず、淡々と稽古をつけてくださる先生方には、ほんとうに頭が下がる思いです。そして、炉の前に座り、ひとつひとつの所作を確認しながらお点前をしていくと、それが間違えながらではあっても、終わったときにはとてもすっきりとした気持ちになるのですから、ほんとうに不思議です。

思うに、一つ一つの所作に集中するときには、日頃常に頭の片隅にある仕事のこともすっかり吹き飛んでいるのが、良いのだと思います。間違えながらやっていても、「今のこの動作」に集中できているときは、大丈夫なのですね。同じようなミスでも、集中できていないときには、即座に先生から「心ここにあらず」と声が飛んできます。

そんなわけで、久しぶりのお稽古で、頭の中がすっきりとリフレッシュ。やっぱりお茶は良いですね♪

読書『世界を魅了する日本の現代陶芸』(光村推古書院)ジョーン・B・マービス著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『世界を魅了する日本の現代陶芸』(光村推古書院)ジョーン・B・マービス著

先日読んだ、映画字幕翻訳のパイオニア・戸田奈津子さんと、米国における日本美術研究の第一人者・村瀬実恵子さんとの対談集『枯れてこそ美しく』のなかで、村瀬さんの教え子の一人が、日本の現代陶芸をアメリカに紹介して大きな成果を上げておられることを知りました。

ジョーン・B・マービスさんと、お名前が載っていましたので、さっそく検索。彼女自身による、日本の現代陶芸をアメリカに広めた経緯をまとめた書籍がすぐにヒットしました。2019年発刊と最近のものでしたので、これは読んでみなければと、手に入れたのでした。

カラー写真が豊富で、展覧会図録のような雰囲気です。テキストは、左側に日本語、右側に英語と、両方で書かれています。対談も含まれており、もとの原稿が日本語で書かれたものと英語で書かれたもの、両方あったようですね。翻訳には「和→英」「英→和」総勢3名の翻訳者のお名前が挙がっていました。これは、アート分野の英語学習にもかなり使えそうです。

日本の陶芸界で近現代名前が挙がる作家が紹介されています。「最近20年間における日本の現代陶芸に対する西洋の関心の盛り上がり、その背景にある様々な要因を、芸術的、経済的、社会的側面から探ってみたい」というのが、本書の第一の目的として挙げられていました。その魅力に日本人だけが気がついていない、とする著者の言葉には、並々ならぬ熱意を感じました。と同時に、「現代アート」に対して「陶芸」の地位が低く評価されることに対するいら立ちも感じられました。

アメリカの方々が日本の現代(近代)陶芸をどう見ているのか、何を見ているのか、その視点を探るのに、分かりやすい本です。また日本陶芸界の近代史をおさらいするのにも、ぴったりの内容でした。今後の海外市場へのアプローチに、このような視点があるということを知っておくことは、とても勉強になりました。

それにしても、戸田奈津子さんが好きで気軽に手に取った対談本『枯れてこそ美しく』から、自分の仕事に直結するようなヒントが広がってきたことの面白さ。やっぱりつながっているんだなぁ、と一人頷きました。

世界を魅了する日本の現代陶芸』(光村推古書院)ジョーン・B・マービス著

読書『青いパステル画の男』(新潮社)アントワーヌ・ローラン著/吉田洋之訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『青いパステル画の男』(新潮社)アントワーヌ・ローラン著/吉田洋之訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。タイトルのリズムと装丁になんだか親しみを感じて、手に取りました。家についてページをめくり、なるほどその理由が判明、昨年読んだ『赤いモレスキンの女』と同じ作者でした。

出版社も訳者も同じということで、既視感があったのですね。

本書『青いパステル画の男』もまた「大人のおとぎ話」と評されています。骨董収集が趣味の男が巻き込まれる不思議な物語。新潮社の本書紹介サイトで、骨董に造詣の深い青柳龍太氏が書評を書いています。とても興味深いので、ぜひ読んで欲しい書評です。本書内、主人公がパリのオークションハウスで「青いパステル画」を競り落とすシーンは、とても切実に描かれていました。そんな象徴的なシーンを中心に、骨董収集に取りつかれた人が陥る悲喜こもごもがとても人間的で、悲しくも面白いのです。

個人的には、主人公が影響を受けた、骨董蒐集家であった伯父の言葉が、とても響きました。いわく「もし君が本物のコレクターになりたいなら、知っておかなきゃいけないことがある。オブジェ、本物のオブジェは、持っていた人の記憶を抱えているということ」(『青いパステル画の男』より)。このセリフは、現代においてアートオブジェを世に出している作家側の人間として、わたしに重く響きました。「本物のオブジェが、持っていた人の記憶を抱えている」ということは、「持っていた人の記憶を抱える力を持っていないオブジェは、本物とは言えない」ということだからです。それが「オブジェに魂がある」ということならば、まさにその通りだと思いました。

このように、自分自身の仕事とのつながりから考えさせられることもあり、とても面白い読書となりました。

『青いパステル画の男』(新潮社)アントワーヌ・ローラン著/吉田洋之訳