映画『レインマン』-午前10時の映画祭を観て参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『レインマン』-午前10時の映画祭を観て参りました。

2022年の目標「月に1本は(映画館で)映画を観る!」。5月・7月と見そびれてしまい、いかんいかんと思いつつ、8月ももうすぐでお終い…の前に、映画館に足を運ぶことが出来ました。

いつもお世話になっている映画館でも午前10時の映画祭をやる!と知ったのは、今年の春のことでした。気がついたら連続で上映されていた「ゴッドファーザー三部作」が終わっていて、しばらくは「これはぜひ観たい!」というものが無かったのですが、これから後半は、見たい映画が続きそうです。

さて『レインマン』、1988年の作品です。ダスティン・ホフマン扮するレイモンドの「サヴァン症候群」のイメージばかりが強く残っていたのですが、実は「ロード・ムービー」仕立てであったと、見ている途中で気づき(思い出し)ました。ダスティン・ホフマンがすごかったのはもちろん、若いトム・クルーズがとても良かったです。当時の映画評では「これで演技派に脱皮できるか」というような、少々意地悪な書き方もあったのを記憶していますが、とても魅力的でした。

それにしても、全体的に漂う余韻が心に残る映画でした。当時の映画ってこんなふうだったかな、と。すべてのことを明確にしすぎることなく、かといってわかり難くするのでもなく。程好く曖昧さが残って、制作側の余裕のようなものを感じました。2週間の興行期間中に、もし行けたらもう一度観に行きたいな、と思いました。

午前10時の映画祭、『レインマン』の次は『ドライビング Miss デイジー』です。観たいものがあるときに、できるだけ映画館に足を運びたいと思います。

BIZCOLI10周年記念イベント「届きにくいものの伝え方」にZoom参加。

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BIZCOLI10周年記念イベント「届きにくいものの伝え方」にZoom参加。

BIZCOLIは、公益財団法人九州経済調査協会が運営する「九州における知の集積・交流・創造拠点」で、大人の会員制ライブラリー。図書館、書斎的個室を施設として持つほか、セミナーや勉強会を定期的に開催しています。福岡天神の南側にあり、わたしは現時点では定期的な利用を見込めないので会員にはなっていませんが、オープン開催のセミナーにたびたび参加しています。

今回のセミナー「届きにくいものの伝え方」、サブタイトルは「ブックディレクターが語る、本と人が出会う仕掛けづくり」。講師は有限会社BACH(バッハ)代表でブックディレクターの幅允孝(はばよしたか)氏。書店や図書館での選書や書棚づくりのディレクションをなさっている方です。上の写真は、現在わたしが読書中の諸々。

以下、備忘。


  • 本、書店、図書館=知らないモノに偶然出くわすセレンディピティ。
  • 現在の「本」の意味。
  • 本は「没入」に時間を要する→忙しい日常とは「別の時間の流れ」をいかにフレーミングして差し出すか。
  • ほんとうに何か知りたいときは(インターネットではなく)紙の本に立ち返る。
  • 紙の本は書き直しが出来ない(とってもたいへん)=責任が生ずる=いい加減なものは世に出難い。
  • 本と接している時間は、自分でコントロールできる。読む・止まる・戻るがしやすい。
  • インターネットは(自分で決めているように見えて)アルゴリズムに支配されている。
  • 現代は、人間の意志よりもシステムが上位に来ている社会=受動。
  • 自分の意見は自分で決める。「本」はそのための役目を担うことが出来る。
  • 「シェア」優位の世のなかで、本は「一人(孤独)」の貴重な時間を持てる=深く潜り込める=1対1の精神の受け渡し。
  • 世界が変われば、本の立ち位置も変わる。本は、読者がいてこそ、本であり得る。
  • 本も眠っているだけでは意味がない→どうやって表舞台に出すか?
  • 昔は、図書館の価値=蔵書数。
  • 現在リアルに存在する図書館(書店、本)は、意味があって存在している=選択の結果。
  • 本の提案方法=なぜその本が、今ここにあるのか?を説明する方法。
  • 本を選ぶ=自分の好きな本を共有したいと願うこと。
  • 1996年を頂点に、本の売り上げは減少←→1996年以降、タイトル数(新刊の出版数)は増大。
  • 商品としての本=書店/人にどのように影響を与えるか、としての本=図書館。
  • 本を読む時間へのフレーミング。ブックカフェ、ブックホテルなど。
  • いかに時間を本に振り向けさせるか?
  • 「ジム=運動する場所」と同様に「図書館=本を読む場所」として、足を運ぶことでモチベーションと時間を確保。
  • 昔は生活のいろいろな場所に本を読む隙間があった。今は残念ながら無いので、本を読む意識を発揮できる場所が必要。
  • その場所ならではの最適な本の分類、選書、配架。
  • その人が両手を伸ばした範囲、の外側にある本を手に取ってもらうための、結び目づくり(共通点の提示)。
  • 前に進むだけが善ではない。
  • 編集型本棚=NDC分類ではない並べ方の本棚にすることで、未知の本に偶然出くわす可能性を高める。
  • 「○○本」なぜこの本がここにあるか、の解説を添えて。
  • まず1人が反応する1冊、を、大切に選ぶ。
  • (冊数は少なくても)コンセプトを決め、すべてそこに合わせていく=予約システム、本、分類、什器…
  • 最初にその館ならではの「選書テーマ」をつくる。
  • 本を届かせるための「サイン」をいかに作っていくか。
  • いろいろな文脈を考慮し始めるようになる前に、子どもに「本物」をたくさん見せる重要性。
  • 現在、絵本だけは売れている→幼年童話・児童書へのジャンプが少ないのが課題。
  • 読んでもらう(受動)→自分で読む(能動)へのジャンプ。
  • 「文章を読む」への耐性・筋力を鍛える。読書の筋力は、あらゆるテキストとの向かい合い方に通じる。
  • 選んだ本をどう差し出すか、も重要。
  • 本を贈るときは複数冊。
  • 選書のコツ:テーマを先に(複数)つくる→そのテーマに入るものを選んでいく。
  • 選書のコツ:具体的な相手を決めて、その人に届けたいものを選ぶ。
  • ナナメの視点も大切。

「届きにくいものの伝え方~ブックディレクターが語る、本と人が出会う仕掛けづくり」より


楽しく学びが盛りだくさんで、あっという間の1時間半でした。このような機会を提供してくださったBIZCOLIさんに感謝。ありがとうございました。

読書『1989年』(平凡社新書)竹内修司著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『1989年』(平凡社新書)竹内修司著

訳あって現代史、より具体的には自分が生まれてから社会人になるまであたりの歴史を調べることになり、現代史の本を探していたところ、このタイトルを発見。深く考えずに、手に取りました。読みはじめてすぐ、思いがけない話題展開に少々驚き、あらためてタイトルを見たら

『1989年 現代史最大の転換点を検証する』

とありました。最初手に取ったとき、サブタイトルがまったく目に入っていませんでした。ただ、もし内容がわかっていたら、手に取らなかった本かもしれません。

1989年に起こった出来事といえば、昭和天皇逝去(=平成スタート)、天安門事件、ベルリンの壁崩壊。たしかに、歴史の転換点と言える大きな出来事ですね。当時わたしは大学生でしたが、実感としては自分のことと結びつけて考えていなかったというのが正直なところです。大学の授業でも、これらの事件について授業のなかで私的な見解を述べる先生はほとんどいなかったと記憶しています。今考えると、どうしてそんなに無関心でいられたのか、その方が不思議な気がしますが。

図らずも、少し前に読んだ『グッバイレニングラード』や『オリバー・ストーン オン プーチン』を読んでいたからこそつながった部分も多くありました。

本書では、1989年の出来事を、そこに至る歴史的背景から紐解いて検証しています。この年の事件、この時代の背景に横たわっている大きなテーマは「社会主義」「共産主義」。昭和天皇の逝去そのものは関係がありませんが、生前の昭和天皇が社会主義をどう考えていたか、という点において、著者は見逃せない記述をしています。

著者本人が「あとがき」で言うには、本書の内容はほとんどが引用で成立しているとのこと。とはいえ、それぞれの元資料には論文なども多く含まれており、それらを精読してまとめ直すことによって、新書という形で読みやすくしてくださるのですから、門外漢にとっては大変ありがたいものです。1989年の出来事を説明するために、ルネッサンスまで遡り、産業革命があり、というところからはじまります。

わたしがさがしていた当初の目的(昭和史)とは少々趣の違った内容の本でしたが、今の世界情勢を考えるのに重要なポイントとなる歴史的出来事を紐解くものであり、一気に読みました。1989年を説明するのにルネッサンスまで遡るのは、極端なようであって、まったく極端ではありませんでした。ずっと歴史はつながっていて、ひとつの出来事・事件はある日突然起こるのではないということが、あらためて示されたように思いました。

自分のことでいっぱいいっぱいだった学生時代が、実は世界的に見ればそのような時代であったということ。それぞれのニュースを伝えるテレビの映像を断片的に記憶していますが、なるほどそういうことが起こっていたのかと、今更ながらに思い返すと不思議な感じです。

読書『行動経済学ってそういうことだったのか』(ワニブックス)太宰北斗著

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読書『行動経済学ってそういうことだったのか』(ワニブックス)太宰北斗著

お盆読書のラスト4冊目は、小説ではなく実用書。サブタイトルに『世界一やさしい「使える経済学」5つの授業』とあります。裏表紙には「エピソードとクイズから楽しく学べる!」とあり、その通りでした。著者は名古屋商科大学商学部准教授(本書執筆時)。著者曰く、商学部学生への実際の授業でも使う定番ネタを中心に解説ということで、わかりやすく興味をそそりました。

行動経済学。経済心理学と読み替えることもできるかな、と思いました。人間の心理が行動に影響し、その行動が経済学的にどんな結果をもたらすか、とでもいったものです。経済学は、ここでは単純化して「損得勘定」というように位置づけられています。マーケティングのセミナーで出てきそうな分析も多々あり、これは商売をしている人には必須の科目だと思いました。

人間心理がもたらすエラー、非合理。例示される数々のパターンが、自分あるいは周りの人に心当たりのあるものばかりで、苦笑いしながら読みました。どんな時に、どんな心理が働いて、判断を間違ってしまう可能性が高まるのか。これを知っていたからといって、必ず回避できるようになるとは言えませんが、知らないよりは少しはエラーを減らせるに違いありません。

わたしは大学では経済学部経営学科でしたが、当時は「行動経済学」という科目は無かったと思います。あったら取っていたはず…。でも、科目としての行動経済学はありませんでしたが、今こそもう一度受講したいような、面白い授業がたくさんあったのを思い出しました。お勉強が、実生活での仕事とつながる醍醐味。そろそろ経済学もリカレント(学び直し)の機会を持ってみようかな、と思える読書となりました。

『行動経済学ってそういうことだったのか』(ワニブックス)太宰北斗著

お盆前後の1週間で4冊読破は、良いペースだったと思います。ふだんからダラダラと(笑)本を読んでいますが、「この期間にこれを読む」と決めて読むのも、ある種の目標達成モチベーションが働いて、良いですね♪

↓お盆読書はこちら↓

読書『サウンド・ポスト』(筑摩書房)岩城けい著

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読書『サウンド・ポスト』(筑摩書房)岩城けい著

お盆読書3冊目は、初めて読む岩城けいさん。作家紹介を拝見したところ、太宰治賞はじめ、たくさんの受賞歴をお持ちです。カメリアステージ図書館のおかげで、知らなかった作家さんの本に、気軽に手を伸ばすことが出来るありがたさ。

上の写真は、ヴァイオリンつながりで古澤巌さんのコンサートメニュー。

↓お盆読書1冊目、2冊目はこちら↓

さて『サウンド・ポスト』。主人公=お父さんが日本人、お母さんがフランス人、そして舞台はオーストラリア。ストーリーとしては、父と娘の物語。父と娘と、彼らを支える人たちの物語でした。ヴァイオリン、音楽がストーリーの中心にあり、音楽知識の細かい描写もありますが、かといって音楽のお話ではありませんでした。

見た目(外見)と、ことば(母語)と、音楽と、人種差別と、偏見と、経済格差。オーストラリア在住という著者の問題提起が芯を貫いているように感じました。エンディングに向かって、少々急ぎ足で力業、と感じられるようなところもありましたが、全体としてはとてもよかったので、著者のほかの本も読みたいと思いました。さっそく図書館で検索すると、数冊ヒット。つくづく便利ですね♪

『サウンド・ポスト』(筑摩書房)岩城けい著

読書『うえから京都』(角川春樹事務所)篠友子著

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読書『うえから京都』(角川春樹事務所)篠友子著

お盆読書2冊目は、角川春樹事務所出版のエンターテインメント。タイトルに惹かれて手に取りました。著者の篠友子さんのデビュー作で、2022年7月第1刷となっていますので、出来立てほやほやだったようです。痛快で、336ページを一気にあっさりと読むことが出来ました。

ストーリーは、日本を刷新しようと京阪神(京都府・大阪府・兵庫県)が手を結び、首都分散を目指して東京に向かう、その手を結ぶまでを中心に描いたもの。もともと反目しあっていた京都と大阪、それを眺める兵庫と、各府県を代弁する登場人物のキャラクタライズが面白く、関西圏に住んだことがある者にとっては「あるある!」あるいは「ありそう!」の連続でした。

著者の願いが入っているお話なのだろうと思いつつ、「日本は今のままでいいとお思いですか?」というようなセリフを何度も登場させるあたり、読む側にも問題提起しています。そう思えば、単純に痛快エンターテインメントという評価だけで片付けてしまってはいけないのかもしれません。

『うえから京都』(角川春樹事務所)篠友子著

ちなみに、↓お盆読書1冊目はこちら↓

読書『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

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読書『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

お盆休み。といっても、いつもの週末に、ほんの一日分長くお休みを取るだけで、そのうち一 日お墓参りをするのぐらい。いつもより少し読書時間が取れると嬉しいな、と思い、いつものカメリアステージ図書館新刊棚から小説系を多めに借りて参りました。

本書『吞み込まれた男』は、誰もが知っている「ピノキオ」の物語の、スピンオフ版とでも言いましょうか。ピノキオを彫ったピノキオのお父さん=ジュゼッペ爺さんを主人公にした物語です。クジラ(巨大な魚)に吞み込まれたジュゼッペ爺さんの、腹のなかでの格闘と葛藤が、本人の日記形式で語られていきます。その日記を通じて、爺さんの人生、人となり、ピノキオ誕生の背景が明らかになっていきます。

それにしても「書く」という行為の偉大さ。極限状態にあって、書くことによって自分を保とうとし、少しづつ蝕まれていく様子もまた文字として残る、というようなお話は、これまでにも何度も小説で読んだことがあります。本書でもあらためて「書く力」と、それを信じている筆者の想いを感じました。

昔話や童話を解釈し直して書かれた物語が一時期流行ったことを思い出しました。本書の書き方は、その手のアプローチとはまたまったく異なりますが、誰もが知っているお話であることは共通点。お馴染みのお話が、主人公を変えて書くとどうなるか!?とても興味深い結果をもたらすことを、体感した読書となりました。ほかの物語でも、やってみたら面白いだろうことは確実。ちょっとチャレンジしてみたくなりました。

『呑み込まれた男』(東京創元社)エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳

そういえば、「禅の十牛図」に会いました。

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そういえば、「禅の十牛図」に会いました。

上の写真は、藤吉憲典が数年前に作った干支の丑(牛)。

先日の東京出張の折に、ワタリウム美術館で開催中の鈴木大拙の展覧会に出かけ、そこで「禅の十牛図」についての展示を発見。禅の導師・鈴木大拙にちなんだ展覧会ですから、不思議なことではありませんが、今年はじめのお茶会の際に、初めて「十牛図」についての解説を聞いたところでしたので、グッドタイミング!と思ったのでした。

尋牛(じんぎゅう)
見跡(けんせき)
見牛(けんぎゅう)
得牛(とくぎゅう)
牧牛(ぼくぎゅう)
騎牛帰家(きぎゅうきか)
忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
返本還源(へんぽんげんげん)
入鄽垂手(にってんすいしゅ)

正直に言えば、お茶会の際に教えていただいた「十牛図」の解説が、言葉としては頭に入っても、今ひとつよく理解できていませんでしたので、少しでも手掛かりがあれば、という気持ちで展示を拝見しました。

ワタリウム美術館で開催中の鈴木大拙の展覧会 十牛図
ワタリウム美術館で開催中の鈴木大拙の展覧会 十牛図キャプション

いわく


禅の「十牛図」

臨済宗の伝統のなかで、悟りへと至る10のプロセスを10の図と詩文で表現したもの。

順に

  1. 「尋牛」牛を尋ねる。
  2. 「見跡」牛の痕跡を見つける。
  3. 「見牛」牛そのものを見る。
  4. 「得牛」牛を実際に手に入れる。
  5. 「牧牛」牛を飼いならす。
  6. 「騎牛帰家」牛を使いこなし、平安のうちに家に帰る。
  7. 「忘牛存人」到家忘牛。家に戻ってくると、牛を手に入れたことも、牛そのものも忘れてしまう」
  8. 「人牛倶忘」牛だけでなく、これまで人として生きてきたこともまた忘れ去られ、すべてが空へと乗り越えられていく。
  9. 「返本還源」あらためて、すべての事物がありのままの根源へと戻る。
  10. 「入廓垂手」人々が生活している市場「廓」に入り、手を下げてそのままいる。

となる。

鈴木大拙展 ワタリウム美術館より


うーん。やっぱり、よくわかりませんでした。これは文章を読んだぐらいでは一朝一夕には理解できなさそうです。これから先の宿題がまた一つ増えたような気がいたしました。

郷育カレッジで、プログラミングに挑戦。

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郷育カレッジで、プログラミングに挑戦。

福津市民・福津市に通学通勤する方々のための社会教育システム「郷育カレッジ」。先日は「プログラミング」に挑戦してまいりました。

講座タイトルは「子どもたちの『やってみたい』を応援しよう」。講師を務めてくださったのは、福津市を子どもたちの 好奇心や学習意欲に応えられる街にしていきたいという、「次世代教育推進協会」さんです。

そもそもの講座の目的は、市(行政)・学校・ならいごと教室・保護者が協力して、子どもたちの「やりたい」気持ちに応えられる環境づくりをしようという、次世代教育推進協会さんの活動趣旨を市民の皆さんに理解してもらうことでした。

その座学の後に、今どんなならいごとがあるのかを体験してみましょう、ということで、プログラミング教室と、スポーツへの取り組みの意見交換が行われました。そして、面白かったのが、プログラミング。

子ども向けに実際の教室で使っているという教材をご提供いただきました。レゴブロックを用いた自動車を走らせるプログラミング。プログラミング前の「レゴブロックで自動車を組み立てる」段階で、日ごろ怠けている脳みそを使い、ぐったり(笑)。

組み立てた自動車をパソコン画面で操作して走らせました。実際のコマンド(指令)は既に出来上がっており、わたしたちが行ったのは、画面上でさまざまなコマンドをどう選んで組み合わせるか、という作業。ですので、厳密にはプログラミングそのものの体験とは言えないのかもしれませんが。

「自動車を使ったチキンレースゲーム」を通して、自分たちで組み立てた自動車を走らせ、そのスピードと停車の精密さを競いました。そのなかで、自動車の構造と各コマンドの組み合わせにより結果が変わるという体験は、プログラミングがそのまま数学や物理とつながり、車を使う実生活ともつながっていることを実感できるものでありました。

実際のところ、今からプログラミングを学ぼうという気持ちになるかと問われたら、かなり優先順位が下がります。そんななか、ほんのさわりだけでも、このように気軽にやってみることが出来るのは、とてもありがたい機会。「ちょっと、ためしに」を体験する場としても、郷育カレッジはとっても役立つことを再確認いたしました。

福津市民、福津市内に通学通勤の方は、郷育カレッジを受講することが出来ます。ぜひ機会を見つけてくださいね。

令和4年度郷育カレッジ講座一覧 https://www.city.fukutsu.lg.jp/bunka/kyoiku/2/5086.html

読書『わたし超スキッ!!草間彌生』(美術出版社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『わたし超スキッ!!草間彌生』(美術出版社)

2013年に軽井沢ニューアートミュージアムで開催された展覧会「わたし超スキッ!!草間彌生-世界を感動させた自己愛-」の図録です。上の写真は、わたしのリュックに10年以上ついている、南瓜のキーホルダー。個人的には、草間彌生もその作品も、特別に好きというわけではありません。カボチャのキーホルダーはお友だちからいただいたもの。草間彌生だから、ということでは無く、単純に可愛いくて気に入って、ずっとつけています。ここにも草間作品のすごさが垣間見えます。

訳あってこのところ草間彌生の関連本をいろいろと読んでおりました。本展覧会は2013年、遡ること約10年前に開催されています。図録に載っているものは作品写真も文章も、決して最新の草間彌生に関するものではありませんが、彼女のキャリアをざっと理解するうえで、とても分かりやすい資料でした。

時代を追って紹介される作品は「1.松本~京都~東京」「2.ニューヨーク」「3.ヴェネツィア・ビエンナーレ以前」「4.ヴェネツィア・ビエンナーレ以後」と分類されています。時代ごとのキャプションが短い文章ながらわかりやすく、作品のヴィジュアルと相まってその変遷がとても理解しやすいです。

『わたし超スキッ!!草間彌生』(美術出版社)

この展覧会以降、さらにまたたくさんの作品が生まれ、コラボレーションが生まれ、と、留まることを知らない草間彌生。「今が一番乗っている」ともいわれる世界的な前衛芸術家から、まだまだ目が離せません。