九響の定期プログラム「名曲・午後のオーケストラ」を聴いて参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九響の定期プログラム「名曲・午後のオーケストラ」を聴いて参りました。

福岡県には九州交響楽団(九響)があります。今年度、初めて定期会員になり、アクロス福岡シンフォニーホールの「年間マイシート」を確保しての、第一回目の演奏会でした。4月に足を運んだ「トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウィーン」のときは、あこがれの「3階バルコニー席」をゲットし、演奏を満喫したものの、舞台上のオーケストラの皆さんの様子が、身体を乗り出さなければほとんど見えないということが判明。その反省を生かして獲得した「年間マイシート」は、舞台正面の3階の最後尾席の端っこです。高い位置から舞台全体が見えて、とても良い席でした。距離的には舞台から遠いので、お一人お一人のお顔まではわかりませんが、全体の動きが見えるのが、とても嬉しい席でした。

さて演奏会は、指揮とヴァイオリンにゲストを迎えての、ブラームス「ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77」に、シベリウスの「交響曲第2番ニ長調作品43」。と言っても、わたしは作曲家の名前を聴いたことある!という程度の知識ですので、ただひたすら音に耳を傾けるばかりです。一曲目、第三楽章まで終わったときには約1時間が経っており、久しぶりにフルで演奏を聴いた身としては、そういえばそうだった!という感動と満足感が沸き上がってきました。20分の休憩中に身体を伸ばして整え、いざ後半。遠くから舞台を俯瞰して見えるので、指揮者の方の動きと、今どの楽器の方が演奏しているのかを連動してみることが出来たのが、とても興味深かったです。

ヴァイオリンの郷古廉さんは、有名で人気の高い方のようですね。後日、彼の演奏を見たいがためにこのチケットをとった!という友人がいたことがわかり、そうだったのね、と感心したところでした。知識無しで鑑賞を楽しむ愉しみは、美術も音楽も同じことで、わたしの得意とするところです。大満足のコンサートでした。また次回も楽しみです♪

おまけに…どうでもよいことなのですが、今回、「クラシックの演奏会には、男性も結構いらっしゃる」ということに気が付きました。大雑把な感覚ですが、男性女性が半々くらいのように思いました。ミュージカルや演劇、歌舞伎では、(特に博多座での印象になりますが)9割超女性客!という環境になることが多かったので、これは新鮮。個人的に「へぇ~!」な気づきでした^^

読書『互換性の王子』(水鈴社)からはじまっての、雫井脩介著いろいろ。

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読書『互換性の王子』(水鈴社)からはじまっての、雫井脩介著いろいろ。

いつものカメリアステージ図書館新刊棚での出会いに加え、SNSでお友だちが紹介してくれる「この人の小説が面白かったよ!」情報により、このところ「知らなかった!読んだことなかった!」人気作家さんの存在が増えてきています。面白いのは、お名前を知らなくても、著者名で検索してタイトルを見ると、「あれ、なんか見たこと(聞いたこと)があるような…」という本が出てくること。やはり人気作家さんの本は映像化しているものがたくさんあって、映画情報やら配信情報やらで目にしたり耳にしたりしているのだなぁと、あらためて思います。

先日読んだ雫井脩介さん。こちらは図書館新刊棚での発見でしたが、その本が面白かったので、さかのぼって蔵書検索。数冊まとめて借りてきました。何度も同じことを言っていますが、こういうとき、ほんとうに図書館って便利でありがたいなぁと思います。で、まずはお名前の読みを確認、「しずくいしゅうすけ」さんなのですね。読めませんでした。

さて『互換性の王子』に続けて読んだのは、『望み』(KADOKAWA)『検察側の罪人』(文藝春秋)『クロコダイル・ティアーズ』(文藝春秋)の三冊。

いやもうどれも面白かったです。引き込まれて週末一気読み。すごいな、と思ったのは、これまで読んだ四冊がそれぞれまったく別物だということ。そんなの当たり前、とおっしゃる向きもあると思いますし、確かにそうなんです。が、同じ作家さんが書いたものは、ジャンルやアプローチがまったく違っていても、その方のクセというか「心のなかにある引っ掛かり」がたびたび本の中に顔を出すのを見つけることがあるのも事実。雫井脩介さんの前に読んでいた、中山七里さんの場合は、それがわりと如実でした。奥田英朗さんも、そうですね。多作でジャンルも異なるなかに、同じテーマが通底しているのを、読みながら感じます。

どちらが良いとか悪いとかいうことではなく、そういうものが出てくるのがふつうだろうと思いこんでいたもので、それが発見できなかったことにちょっと驚いたのでした。今回の選書がたまたまだったのかもしれませんが、「ミステリー」というほかは、かなり趣の異なるストーリーであったのも、新鮮でした。いずれも面白かったです。

雫井脩介さんの本もまた、まだまだ読んでいないものがたくさんですので、これからも楽しみが続きます。図書館でコツコツ借りて参ります^^

読書『互換性の王子』(水鈴社)雫井脩介著

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読書『互換性の王子』(水鈴社)雫井脩介

いつものカメリアステージ図書館新刊棚で発見。タイトルの面白さと表紙の絵の面白さに釣られて借りて参りました。雫井脩介(しずくいしゅうすけ)さん、初めましてでした。とっても面白く、ちょっと調べてみたら、この方も映像化作品多数ということで、かなりの人気作家さんなのですね。先日から読みはじめた中山七里さんといい、我ながら「知らなかった!」が多過ぎると気が付かされる今日この頃。

さて『互換性の王子』、出版社・水鈴社のサイトでは「異母兄弟がビジネスと恋で火花を散らす、一気読み必至のエンターテインメント!」と紹介してあります。たしかに、一気読みしました。企業小説としての面白さが大きかったので、「恋」のストーリーは必要なのか!?と個人的には思わないでもありませんでしたが、これは映像化の際には必須要素なのかもしれませんね(笑)。

社内での後継者争いに、飲料メーカーとしての競合との争い。そんなことあるのか!?な設定や出来事も、フィクションだからと片付けられず、事実はもっと熾烈でえげつないのかも知れないと思いながら読みました。ラストがハッピーエンドなのは、出来過ぎのような気もしつつ、それこそ「フィクションだから」と納得できました。最近イヤミス=嫌な感じのする終わり方をするミステリーをたくさん読んでいたので、王道っぽいエンディングに、ちょっとホッとしました。それにしても、主要人物二人の名前が「成功(なりとし)」に「実行(さねゆき)」。成功と実行とは、面白いつけ方だなぁと妙なところに感心しつつ。

たまたま手に取った本からはじまる読書の面白さ。読みたい作家さんがどんどん増えてきて、嬉しい悲鳴です。こういうときに図書館の存在はほんとうにありがたいですね。過去作から読み進めて参ります。

『互換性の王子』(水鈴社)雫井脩介

読書:『護られなかった者たちへ』から始まって、中山七里著いろいろ。

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読書:『護られなかった者たちへ』から始まって、中山七里著いろいろ。

読書好きのお友だちが「今、ハマっている作家さん」として名前を挙げているなかに、中山七里さんのお名前がありました。今このブログを書くために、著者のウェブサイトを見ておこうと思い、見つけましたら、中山七里さん、男性だったのですね。

中山七里オフィシャルウェブサイト

つい先ほどまで、わたしはなぜか女性だと思い込んでおりました。もともと初めての著者の小説を読むときには、余計な先入観無しで読みたいので、必要以上に著者の情報を入れないようにしています。それにしても10冊ほども読んだのに、ずっと女性が書いたものだと思い込んでいたとは、我ながら驚きです。お名前の響きで勝手に思い込んだのだろうと思うのですが…。

それはさておき、まず最初はいつものカメリアステージ図書館で蔵書検索。著者名で検索をかけたところ、たくさんの著作タイトルが上がってきました。そしてそのタイトル新刊の方から、ずらりとついた「貸出中」マーク。最新刊などは、予約11人待ちとなっていました。一人2週間の貸出期間として、22週、5カ月以上待ちということになります。なるほど人気作家さんですね。まずは待たずに読める旧作から、ということで最初に読んだのが『護られなかった者たちへ』でした。

その後、『棘の家』『人面島』『ラスプーチンの庭』『境界線』『夜がどれほど暗くても』『嗤う淑女』『いつまでもショパン』と、読んでみました。一か月も無い間にこれだけ読めたのは、ひとえに面白くてどんどん読み進んだから。

こうして少しまとめて読むと、著者のなかにある、ある種の「引っ掛かり」とでもいうようなものが見えて参ります。これはどなたの場合でもそうなのですが。中山七里氏の著書を読んで見えてきたキーワードは「貧困」「身近な政治の限界」「メディアの暴力」「3.11東日本大震災」「匂い」そして「音楽(クラシック)」。一見まったく異なる背景をもって書きはじめられた小説も、いずれかのキーワードに収束していくような感じを受けました。

そういえば、昨年2023年は、やはり読書家のお友だちからの紹介で「奥田英朗」氏にハマり、一年でけっこうな量を読んだのでした。

奥田英朗氏も多作だと思いましたが、中山七里氏もまだまだ読んでいない本が山積みです。スタートダッシュでたくさん読みましたので、ここから先はゆっくり読んで行きたいと思います。

中山七里オフィシャルウェブサイト

三日三晩の土用干し、とは参りませんが、梅仕事の進捗状況。

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三日三晩の土用干し、とは参りませんが、梅仕事の進捗状況。

北部九州地方の梅雨入りが発表されました。例年よりもずいぶんゆっくりだったようです。一昨日まで続いた晴れも、昨日の雨を境に、週間天気予報は曇/雨マークが並んでいます。そこに突入する前の貴重な晴れ、ということで、今朝から梅干を干しています。

「ビン干し梅干し」方式を取り入れるようになってから、土用干しに神経質にならなくなりました。手抜きといえばそうですが、毎年のことなので、気楽に作れることのほうがありがたく。土用干しを簡略化した「ビン干し」梅干しのつくり方をわたしに教えてくれたのは、『梅ぢから』という一冊の本。もう10年以上『梅ぢから』一冊。基本的な梅仕事がひと通り載っています。

ビン干しの方法は、上の写真の通り、梅干を仕込んだビンをそのままお日さまの当たる場所に置くだけ。梅干を広げて干すと、とっても良い香りが広がるのは知っていますので、その魅力は理解しつつ、一つ一つ並べるのは、とっても時間と手間のかかる仕事でした。大きなざるを広げる広いスペースも必要ですしね。それに比べると、まずは楽に、晴れていればいつでもできるのが、ビン干しの良いところ。そしてなによりも、天気の急変に慌てなくて良い、というのが一番です。ビンのふたを開けて干しますが、お天気が心配なときはラップをしておけば、上からお日さまは当たるけど雨は入らない、という便利さがあります。

毎年梅干を漬けているので、今年付けた梅を実際にいただくのは2年後3年後。梅干つくりをはじめた最初の頃に、一度カビさせてしまったことがあって、それ以来、塩の分量をレシピよりも多めにしていますが、年数がたつごとに熟成して味がまろやかになりますので、いただく頃には塩分の強さもだいぶ和らぐという算段です。

美味しく出来上がりますように♪

『梅ぢから びん干し梅干しから梅酢みそまで』(農文協)藤清光/中山美鈴 著

今気が付きましたが、農文協から出ていましたね。農文協から刊行された本は、つい先日も紹介したばかり。なにげにお世話になっていますね。

読書『モノのお手入れ お直し 作りかえ』(翔泳社)暮らしの図鑑編集部編

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読書『モノのお手入れ お直し 作りかえ』(翔泳社)暮らしの図鑑編集部編

いつものカメリアステージ図書館、こちらは新刊棚よりセレクト。昨日ご紹介した本もそうですが、今の自分のアンテナが「日常の暮らし」に向いていることがわかります。

サブタイトルに「繕って長く使う、自分らしく整えるアイデアとヒント一六〇」とあります。一番上の写真は目次ページの一部ですが、ここを眺めただけでも使えそうなアイデアがたくさんで、ワクワクしてきます。もちろん「これ知ってた!もうやってる!」というものもありますが、それも含めて一覧できること、分野が多岐にわたっているのが魅力です。個人的には、ちょうど気になっていた「万年筆のお手入れ」「衣類を染め直す」「古布ではたきを作る」を、まず実践してみることを決定。

これは保存版です。手元において、必要の都度開きたい本です。いわば生活用の事典。図書館で借りて中身確認→購入、のパターン。購入前に中身をじっくりチェックできるのは、図書館のおかげです^^

『モノのお手入れ お直し 作りかえ』(翔泳社)暮らしの図鑑編集部編

読書『自然の力で夏をのりきる暮らし術』(農文協)農山漁村文化協会編

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読書『自然の力で夏をのりきる暮らし術』(農文協)農山漁村文化協会編

いつものカメリアステージ図書館。最近特にお気に入りの、貸出カウンター横の特集コーナーには、季節ごとの特集お薦め本が並んでいます。スーパーマーケットのレジ横の「ちょっと買い足しコーナー」よろしく、「次いで借り」を促してくれます。ぱっと見、10-20冊も並ぶかな?というくらいの小さなコーナーですが、優れものです。

今回は、梅雨から夏にかけての暮らし術的なテーマに変わっていました。その前は健康特集のような感じのタイトルが並んでいたのです。

どうやら月2回はテーマが変わっているような感じがします。貸出期間が2週間ですので、2週間ごとに変えていれば、返却と貸出でカウンターに立ち寄るたびに、毎回新しい「レコメンド」をチェックすることができる計算ですね。素晴らしい!わたしはすっかりはまっています。今度司書さんに戦略を聞いてみたいと思います^^

さて『自然の力で夏をのりきる暮らし術』。じわじわと気温が上がってきている今、まさに読みたいタイトルでした。サブタイトルに「エアコン半減でも 手づくりローテクアイデアで 夏を涼しく・楽しく!」とあります。2012年の刊行。ここ10年余りの間に、暑さ対策への考え方・常識とされるものは多少変わってきているところもあると思いますが、エアコンをけちるということではなく、自然な涼しさを取り入れる知恵は、学びたいところです。

まず「涼しさの原理」の解説からはじまるところが、本書の本気というか、実用性を感じさせました。緑のカーテン、雨水利用、すだれなどの日除けの使い方など、これまでにも聞いたことがあるものの、ちゃんと理解していなかった知恵を、学び直すことが出来たのは大きいです。実際に自分の住まいでなにをどう取り入れることができるか、楽しんでできるところからはじめよう!と思いました。我が家の場合は、まずは「すだれ」をもっと生かせそうです。本書の後ろの方には、暑さをのりきる飲み物や料理の知恵が載っていて、これまた「試してみよう」と思えるものがいくつも。なにをするにも、自分が楽しみながらできる要素がないと続きませんよね。そのことをわからせてくれる本でもありました。とりあえずゴーヤの苗を買ってこようかな^^

『自然の力で夏をのりきる暮らし術』農山漁村文化協会編

お茶、いよいよ奥点前「天目(てんもく)」のお稽古に入りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

お茶、いよいよ奥点前「天目(てんもく)」のお稽古に入りました。

茶道南方流に入門したのは、2013年のことでした。2012年に佐賀花祭から福岡津屋崎に移転して来て、30代のときに3年ほどだけ習ったお茶を習い直そうと、教室を探していて見つけたのが、博多の禅寺円覚寺で「南方録」をもとに禅茶の稽古をしている南方流でした。

茶道南方流

もともと流派にはまったくこだわるものではなく、窯元おかみの仕事上必要なことが最低限身に付けばとはじめた茶道。佐賀時代は、同じ町内で裏千家の先生(正式には先生の先生)をしている方のご厚意で、まったくの初心者でありながら先生方に混ざってお稽古をつけていただいていたのでした。たった三年ではありましたが、その時に茶道の所作の基本にあるもの=動きと精神性を学ぶことの意味・価値を、体験として教えていただきました。

さて茶道教室。ネットで探していたのですが、南方流のサイトで目にした茶道精神がなんとなくしっくり来たので、体験に足を運んだのが第一歩でした。お師匠さん=和尚さんが直々に説明をしてくださり、「やっぱり自分に合いそうな気がする!」と、即座に入門を決めたのでした。その後は、素晴らしい先生方・先輩方に囲まれて、お稽古を続けています。お茶に限らず、お稽古事を継続できるかどうかは、学びの内容もさることながら、現実的にはそこでの人間関係が大きく影響すると思います。そういう意味でも、南方流(南方会)に入門したことは、わたしにとってこれ以上ないベストな選択でした。

2019年3月に、最初の免状である「初伝披露懐石」で、日頃の成果を披露する懐石茶会の亭主を務めました。この時、茶会を終えてご挨拶に伺ったときに和尚さんにいただいたのが、「スタート地点に立ちましたね」の言葉でした。

初伝披露懐石を務めたあとは、「奥点前」と呼ばれるお稽古に進みます。ところが翌年からコロナ禍下となり、お稽古が進みにくい状態が3年ほど続きました。それでも少しづつ少しづつ、先生方がお稽古の機会を作ってくださいました。おかげさまで、奥点前のお稽古を進めてくることが出来ています。

「天目」は、南方流では基本的に納めるべきお点前の一番最後のものと説明をいただきました。もちろん、その他にも場面に応じてさまざまなお点前がありますので、まだ習ったことの無いものがたくさんあります。まずは「天目」を目指してお稽古を積んできた後で、さらに展開があるというように理解しています。その天目のお稽古を自分がするようになるとは、なんだか実感がないというのが正直なところなのですが、ともあれこの春から天目のお稽古がはじまりました。

天目はそもそもお茶碗の種類の名前。そのお茶碗を載せる「天目台」を使ったお点前は、南方流では専ら「献茶」の儀式の際に行われています。いわば非日常的なお点前です。お稽古をはじめて気が付いたのは、とにかく袱紗を捌く回数が多いこと。そういえばお炭手前の御稽古を始めたときに「掃除ばっかりしている」という印象があったのを思い出しました。先生方も冗談半分に「何回袱紗捌きがあるか、数えておきましょうか」とおっしゃられるほど、とにかく「捌いて、拭いて」すなわち「清める」所作が繰り返されます。

この春からスタートした天目のお点前のお稽古は、これから丸一年かけて続きます。今はあたふたしているお稽古が、一年後には多少なりとも落ち着いていることを願いつつ、精進いたします。

読書『人生100年、長すぎるけどどうせなら健康に生きたい。』(光文社新書)藤田紘一郎著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『人生100年、長すぎるけどどうせなら健康に生きたい。』(光文社新書)藤田紘一郎著

いつものカメリアステージ図書館では、貸出カウンター横に、季節ごとの特集お薦め本が並んでいます。わたしにとっては、スーパーマーケットのレジ横の「ちょっと買い足しコーナー」と全く同じ効用があります。借りる本を決めてカウンターで手続きしている間にタイトルが自然と目に入るので、「これも借ります!」と、ほぼ毎回「ギリギリでさらに1冊追加」している次第。図書館の利用状況を測る指標のひとつに「貸出冊数」がありますので、その数字を伸ばすのに、間違いなく貢献しているコーナーでしょう。特集テーマは1カ月より短いスパンで変わっているのかな、という感じで割と頻繁に変わっている印象なので、その都度新しい発見があります。

で、先日そのコーナーで目についたのが本書。今回は食養生はじめ健康情報系のタイトルがずらりと並んでおりました。そのなかで本書に手が伸びたのは、タイトルではなく著者名が理由でした。藤田紘一郎先生といえば、ムシ=寄生虫博士として有名な、免疫学の研究者。わたしは子どもがアレルギー体質だと分かったときに、その手の本をたくさん読み漁ったのですが、そのなかでとても面白かったのが、この先生の著書の数々だったのでした。久しぶりに手に取った本書には寄生虫の話は出て参りませんが、先生の本の面白さは、内容やテーマのみならず、その軽妙でわかりやすい文章にもよるものだと理解する読書となりました。サクッと読めます。

さて『人生100年、長すぎるけどどうせなら健康に生きたい。』サブタイトルに「病気にならない100の方法」とある通り、目次にはその100の方法が並んでいます。第一部が「食事編」として1~69まで、第二部が「生活習慣編」で70~100まで。目次を眺めただけでも「「腸に良いもの」ばかり食べると、腸が悪くなる」「無理して「朝型生活」を送らなくていい」「定年後はストレスフリーにならないよう気を付ける」「医学の常識には半信半疑でいる」と、なかなか刺激的な文字を見つけることが出来ます。本文中にもそのような「藤田節」が散見されます。わたしが特になるほどと思ったのは、「私は医者ですが、病気を探すための検査は受けないことにしています。」というくだり。気になる方には、ぜひ本書全文を読んで本意を探ってみてくださいね。

『人生100年、長すぎるけどどうせなら健康に生きたい。』(光文社新書)藤田紘一郎著

読書『護られなかった者たちへ』(NHK出版)中山七里著

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読書『護られなかった者たちへ』(NHK出版)中山七里著

お友だちが「今、ハマっている作家さん」として、中山七里さんのお名前を挙げていたので、気になりました。読んだことがありませんでしたので、さっそくいつものカメリアステージ図書館で蔵書検索。著者名で検索をかけたところ、出てくる出てくる、たくさんの著作タイトルが上がってきました。図書館活用の第一歩は、検索・予約・リファレンスですね。

「こんなにたくさん本を出している人気作家さんなのね!」と、驚きつつ、自分が読んでいる範囲の狭さ=まだまだ読むべき本がたくさんあることに喜びつつ、少々まとめて借りて参りました。

さて『護られなかった者たちへ』。ミステリーの形ではあるものの、その謎解き以上に、背景にある現代日本のひとつの問題点を考えさせられる物語でした。こういうのを社会派ミステリーというのでしょうか、NHK出版のサイトでは「日本の社会福祉制度の限界に挑んだ問題作!」と紹介してありました。物語中盤辺りから、事件の動機につながるものがだんだんと明らかになってくるのですが、明らかになるにつれて腹が立ち、非常に考えさせられました。

犯人が最後にSNSに残している叫びが、響きます。フィクションの形を借りた切実な訴え。読了後、この本をいったい誰に読ませたらよいのか、読ませるべきなのかと考えている自分がいました。

後日、何気なく息子の本棚に目を向けたところ、中山七里著の文庫がいくつか並んでいました。身近に読者がいたとは気づかず(笑)。『護られなかった者たちへ』は、阿部寛と佐藤健で映画化もされていたのですね。タイトルに何となく見覚えがあるような気がしたのは、そういうことだったかと思いつつ。これは、見ねばなりません。

『護られなかった者たちへ』(NHK出版)中山七里著