九産大特任教授の緒方先生から、「博物館浴(RT)」の説明リーフレットが届きました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九産大特任教授の緒方先生から、「博物館浴(RT)」の説明リーフレットが届きました。

※本文中(RT)は商標登録済みであることを示しています。

九州産業大学美術館を中核館とする、『「健康社会」実現を目指した、国際的「博物館浴(RT)」ネットワークによる社会課題解決事業実行委員会』から、博物館浴の解説リーフレットが届きました。A4サイズの4ページ構成。簡潔にまとまっていて、初めましての方にも「博物館浴とはどういうものか」がわかるようになっています^^

わたしが2013年に博物館学芸員資格課程を修了したあと、2016年から文化庁「ふくおか博物館人材育成事業」の学芸員技術研修会に参加したのが、九州産業大学特任教授・緒方泉先生との出会いでした。以来ほぼ毎年、緒方先生が束ねる学芸員の研修会に、館に所属しないフリーランスの立場ながら参加させていただいています。2018年からは文化庁「大学における文化芸術推進事業」博物館マネジメント人材育成事業の研修会に参加し、2021年以降は「博物館リンクワーカー人材養成講座」参加するなかで、「美術は(美術館・博物館は)地域でどのような役割を担うことができるか」を、考える機会をいただいてきました。「アート・エデュケーター」としての仕事や使命をじっくり考える機会です。

今回配布されたリーフレットでは、日本と世界の「博物館と健康・ウェルビーイング」の取り組みが、ここ10年ほどでどのように進んでいるか、その必要性・価値がわかりやすく紹介されています。緒方先生が2020年からスタートし、継続中の実証実験で証明されつつあることも、簡潔に示されています。実際に「リラックス効果」が生理的な数値の測定結果として現れていることは、これらを根拠として美術が活用される機会が増えることを示唆しています。個人的には、世の中に「役に立つ」ことだけがすべてではなく、美術は一見役に立たないものの代表格であり、それで(実利的でないという位置づけで)よいのだ、というスタンスこそが大切だと思っていますが、実用的価値への関心をきっかけとして美術愛好家が増えるなら、それはそれで歓迎すべきことかもしれません。

「博物館浴」を取り巻く今後の取り組みと、実証実験結果に、これからも注目してまいります^^

読書『知の編集術 発想・思考を生み出す技術』(講談社現代新書)松岡正剛著

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読書『知の編集術 発想・思考を生み出す技術』(講談社現代新書)松岡正剛著

少し前にお友だちとおしゃべりしていたときに名前が出てきた「知の巨人・松岡正剛」氏。お名前はどこかで聞いたことあるけれど、どこでだったかしら、と思いながら、松岡正剛氏の概略を教えてもらっていたのでした。解説を聴きながら、同様の内容をどこかで聞いたことがあったような、と思ったまま数か月。実は「読んで」いたことが判明。

先般「再読書」でとりあげた、田中優子先生の『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』の文中にちらほら、そして巻末あとがきにがっつりと、松岡正剛氏のお名前が出てきていました。あらまあ、こんなところで目にしていたのね!です。俄然興味がわいてきましたので、本屋さんで探してみたところ、著者名で蔵書検索すると大量に出てきました。初心者であるわたしには、まずは軽めに新書版が良いかなと思い、本書をチョイス。

で、読み始めたのですが…まったく軽くありませんでした。難しい、いえ、書いてある内容はそんなに難しくはないのかもしれませんが、語り口が哲学的というのでしょうか、読み進めるのに、ずいぶんと時間を要しました。なんだか試されている感じです。そして時間を要しても、なかなか頭に入ってこない。文中にしばしば「編集稽古」なるものが挿入されていて、実際に自分で「編集作業」をやってみながら体感するようになっています。が、やってみてもわかったようなわからないような、ということはわかっていないのだな…という状況です(笑)。

ただ、本書で言う「編集」が、一般的に使われる「本や雑誌の編集」的なニュアンスにとどまらない、少々乱暴な言い方をすれば、生きることそれ自体が「編集」という言葉で説明できるのかも…ということだけはわかりました。そして誰もが日々無意識に「編集」を積み重ねているということも。たぶん、そんなことが書いてあるのだと思います。だからどうなの?というところまでは、本書を一回読んだだけではわたしには難しく。突き詰めて考える気持ちがないと、本書に書いてあることをしっかり飲み込むことはできないだろうな、という読後感です。

氏はイシス編集学校なるものを立ち上げており、ご本人が亡くなった後も続いています。そしてなんと、田中優子先生は、ここの学長でいらっしゃいました。ともあれ、ちゃんと読んだ!と言える状態ではありませんので、少し時間をおいて再読したいと思います。その時は「そうそう!」と腹落ちできることを期待して。

『知の編集術 発想・思考を生み出す技術』(講談社現代新書)松岡正剛著

「私は誰か」「私は何を知っているか」「私は誰を知っているか」。

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「私は誰か」「私は何を知っているか」「私は誰を知っているか」。

今年四月に読んだ本『Effectuation エフェクチュエーション』。つい先日、友人とやりとりしていて、あの本のタイトルは「エフェクチュエーション」のあとに『優れた起業家が実践する「5つの原則」』と続くけれど、起業家とかビジネス分野に限らず、ふつうに個人の生き方・考え方に置き換えても、当てはまるところがあるよね、という話になりました。

「エフェクチュエーション」という耳慣れない名前で「5つの原則」をまとめて差し出してくださったから、なんだか新しい考え方のように見えましたが、そこに書いてあることは、実はずっとなんとなく「心当たりがある」ものでした。道理で、最初に読んだ時から「腑に落ちることだらけ」という感覚が付いて回ったのですね。

なかでも、ひとつ目の原則として挙げられている「手中の鳥の原則」は、たとえば「(自分資産の)棚卸し」と言い変えたら「ああ!それならやったことある!」という人も多いのではないでしょうか。おそらくビジネスパーソンには馴染みのある考え方かな、と。かくいうわたしも、花祭窯を創業する際に、自分たち(ダンナとわたし)について、まずこれを書きだす作業を何度もしたなぁと、思い出しました。本日のブログタイトル「私は誰か(Who I am)」「私は何を知っているか(What I know)」「私は誰を知っているか(Whom I know)」です。「私」は場合によって「私たち」にもなります^^

日々の仕事のなかで、わたしたちはおそらく無意識に「手中の鳥の原則」を使いまわしているのだと思います。が、きちんと意識して書きだすことは、ここ何年もしていない!ということに気が付きました。というわけで、久々にさっそくやってみることに。年齢を重ねている=経験・体験を積んできた分、書き出せる内容はずいぶん増えています。もちろん、なかには失ったものもあります。取り掛かったは良いけれど、思いがけず膨大な作業になりつつあり、内心ちょっぴり「しまった!」という気もしないではありません(笑)。ともあれ、どんな鳥が何羽ほどいるのか、楽しみながら見つけたいと思います。

『Effectuation エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』(ダイヤモンド社)吉田満梨・中村龍太著

再読書『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)田中優子著

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再読書『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)田中優子著

NHK大河のおかげで一躍有名人になりつつある、蔦屋重三郎。かくいうわたしは、こんな人がいるとは、数年前までまったく知りませんでした(笑)。急に関連本が目につくようになって、昨年までに何冊か読んだ関連本のなかで、個人的に一番「彼がやったこと=江戸文化の編集・キュレーション」を考える糸口になったのが、本書でした。江戸時代といえばこの方!な、田中優子先生の著書です。

もう今から8年も前のことになりますが、当時法政大学総長であった田中優子氏の講演会「グローバリゼーションと江戸時代」が福岡のオータニで開催されて、法政大学の公開講座で誰でも聴講できるとあって、そのテーマに惹かれてそそくさと出かけてきたのでした。1時間と、さほど長くない時間ではありましたが、お話の面白さと語りの格好良さにファンになりました。

今まさに、シルクスクリーン作品という「版画作品」に取り組むにあたり、「版画作品ならではの価値」を突き詰めるヒントを得るべく、読み直しです。


  • 集め、結合し、見立て、競わせ、俳諧化する
  • 絵画の媒体(メディア)が大きく変わったのだ。絵画は屏風や襖や掛け軸といったインテリアに使われるものから、本や一枚絵や組絵になった。
  • 大きな家に暮らしていなくとも、たとえ長屋住まいであっても、手元に置いて眺められる絵になった
  • 複製芸術であるから値段も安くなった。つまりは芸術が庶民のものになった
  • 技術(わざ)と編集
  • 極めて微細で微妙な線で描くので、高度な技術の絵師と彫師と摺師が必要になった。
  • 色を使わない空摺り
  • 絵画に引けを取らない上質の分野
  • 単に絵が繊細で上手いだけではなく、彫り、摺りという版画技術への限りない敬意
  • その経緯とは、自分の筆で描いたその極めて繊細な線を、必ず実現してくれるという信頼
  • 「編集」とは(中略)単に、売れることだけを計算して企画することでもない。
  • 「何を世に出したいか」
  • 編集者は自分が何を見たいか、何を読みたいか、の視線が明確でなければならない。
  • 蔦屋重三郎が江戸文化を編集する手際は、その知識に人々を導くことではなく、その核心に触れてもらい、楽しみ、それぞれの想像力に火をつけること
  • 編集の究極がディレクション、つまり方向を指し示し、ヴィジョンを見せることである

再読は「何に目を向けて読むか」によって、得られるものが変わってくることを認識する機会になります。欲しい答えや、欲しい答えにたどり着くためのヒントがたくさんの読書となりました。

九月の九響定期演奏会「太田弦、薫り高い英国の音」に行ってきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九月の九響定期演奏会「太田弦、薫り高い英国の音」に行ってきました。

前回足を運んだ九州交響楽団の定期演奏会は北九州でしたので、久しぶりのアクロス福岡シンフォニーホール。祝日の午後を贅沢に過ごしてまいりました。

九響の定演では、ときどき開演10分前から「プレトーク」があり、クラシック素人のわたしにとっては、これが楽しみの一つでもあります。演奏会がはじまる直前に、指揮者自ら舞台に出てきて、マイク片手にこれから始まる演奏に関連するお話を、簡潔にレクチャーしてくださる。お話してくださる内容もさることながら、指揮者の方が観客に対してそのようなサービス精神を発揮してくださるということ自体が、すごいことだと毎回感じます。

今回の、九響首席指揮者・太田弦さんのお話は、なるほど演奏する側の方々はそういうことも考えなければならないのかと、新鮮なものでした。どうやら「英国の音」であるブリテンやエドガーの音楽が、太田氏は大好きなのだけれど、これらを演奏会で特集することはマニアックな選択であり、「お客さんが来てくれなかったらどうしよう!」と思っていらっしゃったとか。ベンジャミン・ブリテンなる作曲家がいかなる人物かを熱く語り、そして「わたしの選曲についてきてくださって、ありがとうございます」と、観客に向かって頭をおさげになる姿を見て、ほんとうに好きなんだなぁと思いました。

なるほど、わたしはクラシックについて「何も知らない」状態で臨んでいるので、作曲家が誰か、演奏される曲目が何かで、聴きに行くかどうかを決めるという選択肢がまったくありませんでした。けれども、知識のある方・何度もたくさん聴きに行っている方には、そのような選択方法があるのですね。そんなことも感じたプレトークでした。

指揮者の心配をよそに、観客席は今期の定期演奏会で一番の入りだったようです。たしかにパッと見た感じでも、かなり埋まっていました。祝日のお昼ということもあってか、高校生らしき若い方々の姿が、いつもより多く見えたように思います。わたしの席があった列も、わたし以外はみんな若者でした(笑)。横に座ったのは部活帰りらしき体操服姿の高校生男子数名で、前傾姿勢で前のめりに舞台を見つめ、大きな拍手を送っている姿に、素晴らしいなぁ、と嬉しくなりました。

さて演奏会は、今回もとっても満ち足りた気持ちで終わりました。「知らなくても楽しめる」のは、音楽でも美術でも同じだなぁとつくづく思います。

今年は豊漁!?秋刀魚(サンマ)用のお皿がちゃんと活躍しております。

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今年は豊漁!?秋刀魚(サンマ)用のお皿がちゃんと活躍しております。

少し前のこと、料理屋さんをしているお友だちとのやり取りで、今年はサンマが大きくて脂がのっている、と聞き、そういえば去年はサンマを一尾も食べていなかった!と思い出したのでした。そうか、今年はどうやら豊漁なのね、と思いつつ出向いた地元のお魚センターうみがめで見つけたのは、福岡の魚市場「長浜市場」から届いた生サンマと、地元の干物やさんが仕込んだ新物の塩サンマ。この辺りではサンマは獲れませんので、いずれも北海道産です。

アジやイワシと同様、サンマも「いくらでも獲れる」時代ではなくなり、一尾100円で購入していた時代は遥か遠く。それでも食卓に届くまでのことを考えれば、旬を味わえることはとても嬉しいことです。さっそく地元の干物やさんが仕込んだ新物の塩サンマを購入しました。焼きながら、油のジュージューと落ちる音と、美味しそうな匂いに、『目黒のさんま』のお話を思い出し、ニヤニヤ。

久しぶりに出した「サンマ皿」に載せれば、ジャストサイズです。別にサンマ専用ではありませんから、他に使っても良いのですが(笑)。いやぁ、ご飯が進みました。こういうものが一番おいしいよね、と言いつつきれいに平らげ、魚が美味しい日本に住んでいる幸せを感じるひととき。この秋はあと何回いただくことができるかしら、楽しみです^^

郷育カレッジ講座「知識要らずの美術鑑賞@福岡市美術館」を開催しました。

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郷育カレッジ講座「知識要らずの美術鑑賞@福岡市美術館」を開催しました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。今年も福岡市美術館さんのご協力を得て、「知識要らずの美術鑑賞」講座を開催いたしました。美術鑑賞講座自体は2021年からスタートして5年目ですが、福岡市美術館(以下、市美)へ足を運んでの開催は2023年からですので、3年目です。今年もたくさんのご応募をいただき、参加者は抽選での受講決定となりました。現地で美術鑑賞のナビをしてくださるのは、福岡市美術館の教育普及プログラム担当の学芸員さんと、美術館ボランティアガイドの方々。

市美までは、福津市の集合場所から公用バスで1時間ちょっと。その時間を使って、バスのなかでは、昨今の美術・美術館の役割や、美術館の活用法、「鑑賞」の目の訓練方法などを、簡単にレクチャー致しました。到着後は4名づつのグループに分かれて、各グループにボランティアガイドさんが一人付き、「対話型鑑賞」のスタートです。ガイドさんがそれぞれに選んだ3点の作品に対して、グループ内で対話をしながら鑑賞していきます。

講座で利用するコレクション展示室は、近現代美術がある2階の展示室と古美術がある1階の展示室の二カ所です。1階の古美術の企画展示室では、「仙厓展」が始まったところで、見ごたえのある掛け軸がずらりと並んでいました。鑑賞用の作品をどう選ぶかは、ガイドさんによって異なりますが、題材として使いやすいものは重複している傾向があります。グループ内で意見を活発に出してもらうためには、どのような「問いかけ」をするかも肝であり、ガイドさんの力量にゆだねられます。各グループとも参加者の皆さんが積極的に発言しているご様子を見ることができたのが、良かったです。

「美術館」を持たない福津市。できれば市内でこのようなツアーができると良いのですが、近隣市町村に足を運ぶことで見えてくるものもあります。草の根的に美術の教育普及を続けていくことで、いつか「福津市に美術館」の動きになったりしたら面白いな、と思いつつ。ともあれ今年も無事講座を終えることができました。

参加者の皆さん、福岡市美術館教育普及担当学芸員さん、ボランティアガイドの皆さんに心より感謝です^^

今年も在自(あらじ)の金毘羅さんから、秋祭りシーズンスタート。

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今年も在自(あらじ)の金毘羅さんから、秋祭りシーズンスタート。

9月9日重陽の節句はおくんちの日でもあり。津屋崎近辺では秋祭りの先頭を切る「在自の金毘羅さん」が、今年も無事奉納されました。出立を告げる花火の音が聞こえて、金毘羅さんの大名行列が歩きだしことがわかると、あとは「何時ごろに、近くの接待所に到着するか」が気になってソワソワしだします。今年は「行程表」が配布され、ある程度の到着時刻予測ができましたが、それでも接待所周辺には、早々に集まったご近所さんたちがウロウロソワソワ^^

夕方17時半ごろの到着だろうということで、わたしも17時を回ったあたりで接待所隣にあるみんなの縁側 王丸屋さんへ。玄関先のベンチをお借りして腰掛けて、行列の到着を待ちます。待っている間は、井戸端会議タイム。笛や太鼓の音が聞こえてきて、道路の向こうに行列の先頭が見えてくると、にわかに接待所当番の皆さんが動き出します。大人にはビールやお茶、子どもたちにはサイダーやコーラなどを冷やして準備してあります。暑いなか大名行列の衣装を着けて歩くので、さぞかし喉が渇くことでしょう。接待所で、しばしの休憩です。

行列が到着すると拍手が上がります。行列の中ほどに賽銭箱が引かれていて、そこにお賽銭を入れて低頭すると、神主さんがお祓いをしてくださいます。大名行列を見るのも楽しみなら、お祓いをしてもらうのも楽しみ。無事頭上をさらさらと祓っていただき、大満足です。行列の後姿を見送って、帰途に就くときには皆笑顔になっています。姿が見えなくなってからも、お囃子の音は響いていて、それがまた嬉しい。お祭りの力は偉大ですね。

これから先ご近所では、宮地嶽神社のおくんち、波折神社のおくんちと続きます。楽しみです^^

花祭窯は2025年も、中学生職場体験学習の受け入れ事業所となりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯は2025年も、中学生職場体験学習の受け入れ事業所となりました。

毎回「中学生になにをやってもらおうか」に頭を悩ませる、中学生職場体験学習。市の公式サイト「福津市中学生職場体験」のページを見ると、職場体験学習の目的や、受け入れ事業者に期待されていることを確認できます。 

初めて受け入れてから10年ほどが経ちますが、年数を重ねるにつれて、職場体験の3日間(スタート当初は5日間でした)で何を伝えることができるか、難しく感じるようになってきています。難しいと感じる要因は、3日間という短期で何ができるか、というのが一つ。そして、必ずしも花祭窯の仕事に興味があってきてくれる子ばかりではない、というのがもう一つ。受け入れ回数が増えて、だんだんと中学生のことが見えてくるようになったのも、理由の一つだと思います。

花祭窯は「やきものや」なので、扱うのは「われもの」であり、仕事を知ってもらおうと思えば、実際に触ってもらうことが一番の近道です。「大切に丁寧に扱う」ということが、根本にある仕事。これまでに一度だけ、作業中に作品を割ってしまった生徒さんがあり、そのときの生徒や親御さんたちの気持ち的な負担を考えると、触らせるのに迷いが生じるのが正直なところ。とはいえ、どの職場でも求められるような雑用的な仕事だけでは、これまた物足りないよね、などなど、いろいろと考えてしまいます。

今回、一日目~二日目で取り組んでもらった仕事は「シール貼り」「ハンコ押し」「メモ帳づくり」「梱包材のカット」などの雑用仕事と、図書館での資料集め。図書館での資料集めも毎年恒例で、福津市には二カ所図書館があるので、その二カ所ともを回って、動物関連の資料を集めてもらいます。例年この時期は、ちょうどロンドンでのクリスマス・ショウ向けにアート作品を作っているところなので、そのための資料になります。

そうして慣れてきたところで、展示ギャラリーにある器を拭いてきれいにする作業にも取り組んでもらいました。まずは器の取り扱い方をきちんと説明。そして、実際に作業をしているところを見て気になることがあれば注意をしながら、きれいに器を拭きあげてもらうことができました。おかげさまで展示棚もきれいになり、なんとなく「やきものやの仕事らしい仕事」を体験してもらうことができたかなぁ、という感じです。

試行錯誤の3日間も本日が最終日。毎年恒例の「絵付け体験」でお終いです。中学生が絵付けした器は、本窯焼成後にプレゼント。中学生時代の行事の記念品のひとつになれば嬉しいなぁ、と思いつつ。

藤吉憲典のシルクスクリーン作品事業、版画職人さんとの打ち合わせ♪

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

藤吉憲典のシルクスクリーン作品事業、版画職人さんとの打ち合わせ♪

昨年末から動き出したシルクスクリーン制作企画。2025年度制作予定の、藤吉憲典の描く原画がすべて出来上がりました。版画を刷る和紙は、紙漉師の前田崇治さんが出してくださったいくつかのサンプルのなかから、制作を依頼することを決定。美しく強さのある紙を作ってくださいました。その和紙を持って、シルクスクリーン職人のオイルマウントプリンターズの日高さんのところに、版制作に先立つ打ち合わせに行ってまいりました。

新たな作品を実現するために、技術を持ったプロの方々と協業していく過程は新鮮で、とてもワクワクします。日高さんと顔を合わせて打ち合わせをするのは、これが三回目でしたが、まだたったの三回目だとは思えないほどに、藤吉憲典の意図をするりと汲み取ってくださいます。思えば一回目からそうでした。「表現」において、作り手の思うところを言葉で伝えようとするのは簡単ではないので(だからこそモノで表現しているので)、「阿・吽」で伝わるのは、とてもありがたいことです。

打ち合わせをしていて、ダンナ・藤吉憲典の社会人キャリアの一番最初がグラフィックデザインであったということを、あらためて認識しました。平面デザインの基礎、紙のこと、色のこと、版画技術・印刷技術のことなどなど…を、最初に叩き込まれていることが、何十年か後にこうして直接的に生かされているのですから、つくづくうまいことなっているなぁ、と思います。現在のデザインの世界はほぼデジタルで完結するのだと思いますが、ダンナが仕事をしていた時代は、例えば写植の文字からデザイナーが作る時代であり、そうしたアナログな技術やHow toを体験してきていることも、貴重な糧となっているのがわかります。

今回のシルクスクリーン作品では、12枚の連作が出来上がる予定です。ワクワクが止まりません^^