「没後190年 木米」@サントリー美術館、観て参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「没後190年 木米」@サントリー美術館、観て参りました。

上の写真は、「撮影厳禁」の会場内で唯一のフォトスポット。前回サントリー美術館で観たのは「智積院の名宝」でしたが、その時にチラシを発見し、足を運べたら嬉しいなぁと思っていた「木米展」に来ることが出来ました。

江戸の文人・木米。文人とは、中国から伝わった概念であり、中国文人は「詩書画三絶」つまり「詩」と「書」と「画」において優れていることを理想としたとされています。木米に置き換えてみれば、「陶芸」「書」「画」の三絶ということになるのかしらと、木米展の展示キャプションにあった「詩書画三絶」の文字を、検索してみたところ、以下の解説を見つけました。

詩と書と画に優れることを意味する詩書画三絶は中国文人の理想であった。書画と併称されるように絵画は書と密接な関係があり、書と画は根本的に一致すると考えられてきた。詩文は直接的に画題を絵画に提供する場合もあるが、両者は情景描写という点で共通することから、画を「無声詩」、詩を「有声画」と呼んできた。

(人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要より 藤田 伸也氏「南宋画院の詩書画 : 三絶の視点から」の一部を引用)

    この通りに理解すれば、画を嗜むことはすなわち詩を嗜むことと同意ともいえそうです。

    ともあれ「陶工であり画家」という木米の生きた道は、今まさに磁器作家・藤吉憲典が突き進もうとしているところであり、たいへん興味深い展覧会でした。木米が書画を本格的に発表し始めたのは50代後半ということで、この辺りの共通点も面白く。

    展覧会の感想としては、陶芸にしても書画にしても、木米の作品から伝わってきたのが、生真面目さと努力の跡であったということです。きっちり一生懸命にやってきたことが伝わってくる作品群をみれば、木米は天才とはとても言えないと思いました。展示作品を見る限り、文人のイメージに漂う浮世離れした感じはまったくなく、書画の線の細さと余白の無さは、生真面目な性格を思わせました。

    会期は残すところあと10日ほど、3月26日(日)まで。ちょうど東京出張に合わせて足を運ぶことが出来、ラッキーでした。

    「没後190年 木米」サントリー美術館

    読書『絵で見て分かる伝統建築の図鑑』(秀和システム)斉藤武行著

    こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

    読書『絵で見て分かる伝統建築の図鑑』(秀和システム)斉藤武行著

    いつものカメリアステージ図書館新刊棚。素敵な本を見つけました。古民家に住んでいますので、伝統建築への興味はあります。けれども、これまでに見つけたその手の本には専門的な用語が多過ぎたり、学術的であったり、少々とっつきにくいものが多く、結果、耳で伝え聴いた古民家についての知識に頼った状態でした。本書はタイトル通り「絵」「図」がてんこ盛りで読みやすく、個人的に「押さえておきたい!」と思っていた知識がきちんと入っておりました。即、購入リスト入り^^

    1章「日本の伝統建築の歴史」、2章「日本の伝統建築物」、3章「伝統を支えた職人たち」、4章「日本の伝統建築に使われたものたち」、5章「建築と儀式」。なかでも3章の「伝統を支えた職人たち」と4章「日本の伝統建築に使われたものたち」の情報は、今後、花祭窯の古民家を説明するのにあたり、とても役に立ちそうです。

    津屋崎千軒には、明治~昭和初期に同じ筋の大工さんが建てた古民家が何件か残っていて、花祭窯の古民家もその1軒です。いずれの建物も、商家として建てられたからこそ、見栄を張り贅を尽くした作りが随所にあります。建具、欄間、鏝絵、卯立…ふだん身近にあって見慣れていますが、本書を読んで、あらためてその技術の素晴らしさと貴重さを思いました。文化財登録こそしていなくても、文化財に住んでいるようなものかもしれません。

    津屋崎千軒にある唯一の登録有形文化財・藍の家では、運営するボランティアスタッフの皆さんが、そのつくりを実際に見ながら詳細に解説してくださいます。わたしにとってはあまりにも身近で、前回ご説明を聞いてからずいぶん時間が経っていますが、本書片手にあらためて解説をお聞きしたら、また新たな発見がありそうです。

    『絵で見て分かる伝統建築の図鑑』(秀和システム)斉藤武行著

    津屋崎千軒お雛さま巡り。

    こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

    津屋崎千軒お雛さま巡り。

    三月三日は雛祭り。津屋崎千軒でお雛さまといえば、登録有形文化財である古民家「藍の家」。毎年この季節になると、広いお座敷に古いお雛さまが所狭しと並びます。そして今年は、津屋崎千軒なごみでも、豪勢な七段飾りのお雛さまが二つ飾られています。上の写真は、なごみのお雛様。藍の家、なごみともに、3月3日を前に飾り付けが完了したとの報を受け、さっそく見に行って参りました。

    まずはなごみ。空間がパッと華やいでいました。ともに七段・フルスペックの立派なお雛様。雛段飾りのなかでも、個人的におススメの見どころは、なんといってもミニチュアのお道具です。わたしはどうしても、お人形よりも道具に目が行きます。おままごと遊びの源流はここにあるのでしょうね。なごみのお雛様のなかでは、可愛らしくも豪勢な牛車が特に目に留まりました。

    なごみのお雛様
    なごみのお雛様

    つづいては、恒例の藍の家。今年も古いものから近年のものまでさまざまなお雛様が並びます。手作りの「下げもん」が華やかに空間を飾るのも、例年通り。毎年見て、毎年思うのは、飾り付けが大変だっただろうな、ということ。

    藍の家のお雛さま

    金の色どりが華やかなお雛様。揃衣装の五人囃子の存在感が大きいです。

    藍の家のお雛さま

    本殿が凝った作りのお雛様。手前の御膳セットも素敵でした。

    藍の家のお雛さま

    展示の面白さ。ユーモアが感じられます。

    藍の家のお雛さま

    背景の屏風に映えて、重みを感じるお雛様。

    おかげさまで眼福のひとときでした。なごみから藍の家まで、お散歩がてら「お雛さま詣で」おススメです♪

    桜の器の季節です。

    こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

    桜の器の季節です。

    ここ北部九州では2月下旬に春一番が吹いて、三寒四温を繰り返しながら、春が近づいているのを肌で感じる今日この頃です。春といえば桜。肥前磁器の古典には、桜の文様のついた器がたくさんあります。藤吉憲典もまた、桜の器はたくさん作っておりまして、このところお問合せが増えて参りました。

    ただ、残念ながら現在在庫のあるものはほとんどありません。今お問い合わせいただいて、来年の桜の季節に間に合うようにおつくりする、という感じになっております。お客さまの立場に立って考えれば、できればこの春の食卓で使いたいというのが、正直なところだと思います。けれども状況をご説明すると、皆さん「来年の楽しみに」とおっしゃってくださり、ありがたく嬉しい限りです。

    コロナ禍を経て、室内でお花見会食を楽しむ方々が増えているようです。桜の器で食卓をコーディネートし、料理やお酒を楽しみながらお花を愛でる。なんとも贅沢ですね。そんなコーディネートのご相談を頂くのは、器作家としてはとても光栄なこと。藤吉憲典の桜の器が、お花見会食を盛り上げる一端を担うことが出来れば幸いです。

    数ある桜文様のなかでも、最近特にの人気のあるものはこちら。

    桜の蕎麦猪口 藤吉憲典
    錦桜散し文蕎麦猪口 藤吉憲典

    藤吉憲典 赤絵桜詰蕎麦猪口
    赤絵桜詰文蕎麦猪口 藤吉憲典
    染錦桜型箸置き 藤吉憲典
    染錦桜型箸置き 藤吉憲典

    いずれも赤絵の良さが生きた、美しい一品。年に一度の出番ですが、だからこそ大切に使っていきたい器になります。

    藤吉憲典の桜の箸置きは、西麻布のお料理屋さん「眞由膳」さんでもお使いいただいております。

    花祭窯の如月の露地。

    こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

    花祭窯の如月の露地。

    気がつけば2月も下旬。この冬は、例年よりサザンカの花が少なかったので、露地が花弁の濃い桃色で埋め尽くされて庭掃除が追いつかない!ということが、あまりありませんでした。それはそれで、楽ではあるものの寂しいな、と思いつつ、目を転じればあちらこちらに新芽やつぼみが。今はまだカラフルとまでは言えない庭先ですが、これからが楽しみです。

    ジンチョウゲ

    年明けからずっと楽しみにしているジンチョウゲ。開花までもう一息です。

    パンジー

    いつも野菜を買いに行く地元産直市場「あんずの里」では、毎年バレンタインデー前後に行くと花苗をひとつプレゼントしてくれます。今年もゲット♪

    冬の間、葉が落ちて目立たなくなるけれど、春が近づくと新芽の緑で存在をアピール。

    気持ち良いほどにまっすぐ上に伸びるスノーフレーク。先月に比べてずいぶんと背が伸びました。

    お正月に切ってきた白梅が終わり、片付けをした週末、入れ替わりに立て続けにご近所さんから切り花をお裾分け頂きました。久しぶりに龍の花器を使っての花生けは、10分かからずにサクサクと進み、自己満足。お花を生けるときって、自分でも驚くくらい短時間で決まるときと、何度活け直してもうまくいかないときとがあります。なぜなのかはわかりませんが。ともあれやっぱり花があると嬉しいですね♪

    藤吉憲典作 雛香合

    活けたときにはつぼみだった百合の花2輪は、数日後に見事に開花。玄関は高貴な甘い香りでいっぱいです。

    読書『おもみいたします』(徳間書店)あさのあつこ著

    こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

    読書『おもみいたします』(徳間書店)あさのあつこ

    あさのあつこさん=『バッテリー』。わたしはテレビドラマも映画も観ていませんし、本も読んでいませんでしたが、それでもすぐに連想できるほどに、イメージが定着しています。なので、本書『おもみいたします』の表紙を見たときにまず「時代小説!?」の意外性を感じました。ところが、ちょっとググってみてびっくり、2006年に『弥勒の月』という時代小説を出して以来、何本も書いていらっしゃったようです。そもそも『バッテリー』に限らずあさのあつこさんの著書を読むのは、これが初めてでした。

    江戸の庶民文化・生活を垣間見るような物語は、読むうちに『鬼平犯科帳』やら『御宿かわせみ』やらの世界観と重なりました。時代小説は、その主人公を中心としていくつもの物語を展開し、シリーズ化しているものが数多くありますが、『おもみいたします』の主人公である「天才的揉み師」お梅もまた、そのような主人公となり得そうな、魅力的なキャラクターでした。連続テレビドラマ化できそうな感じがします。

    目の見えない揉み師はお梅は、視覚以外の感覚に優れていて、その感覚を軸に物語は広がっていきます。お梅を守る存在として、妖怪というか、精霊というか、異世界との間に存在するものが側にいることが、単なる時代小説ではなく少々ファンタジーな味付けとなっていました。それがあくまでも非現実的な味付けとはならず、さらっと受け入れられる辺りが、物語の力なのだと思います。

    触ることでしか見えないものもあるという感覚、「見えない=かわいそう」ではないのだという当事者の想いは、全盲の人類学者・広瀬浩二郎先生の研修を受けたときに少しばかり体感的に理解しましたが、本書では物語だからこそ伝わってくるものもありました。

    そういえば現在公開中の映画『藤枝梅安』は、鍼灸師。あん摩や針灸がこの時代に民間療法として人々の生活に根付いていたことが伺えます。

    おもみいたします』(徳間書店)あさのあつこ

    今年もお雛さま登場♪

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    今年もお雛さま登場♪

    毎年恒例、我が家のおひなさま、藤吉憲典の「金襴手雛香合(きんらんでひなこうごう)」。立春過ぎから、出そう出そうと思いながら、今になりました。

    藤吉憲典 雛香合

    香合サイズのお雛様は、場所を取らず手軽に持ち運び出来、設置も片付けもあっという間なので、今どきの生活空間にぴったりだと思います。手のひらサイズの小ささながら、金彩を施した雅やかな絵付で、存在感はばっちり。長年の定番になってきたので愛着が強くなる一方で、そろそろ新しいお雛様の顔も見てみたいかも、とも思います。たくさんのオブジェを生み出してきた「現在の藤吉憲典」が作ったら、どんな雛香合になるか、考えるとワクワクします。

    さておきお雛様シーズンといえば、ご近所登録有形文化財の古民家・藍の家でのお雛様展示は、楽しみな恒例行事です。近辺の旧家から譲り受けるものも毎年少なからずあるということで、新しい顔ぶれも。こちらも展示が待ち遠しい今日この頃です。

    読書『豆』(家の光協会)有元葉子著

    こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

    読書『豆』(家の光協会)有元葉子著

    図書館で本を借りるとき、一度にだいたい5~6冊借りるのですが、たまにそのなかに料理本が1冊入ります。今回目に留まったのが『豆』。ちょうど前日に、畑をしている友人からきれいな大豆を頂いていたので、アンテナが向いていたのでしょうね。

    なんとなく表紙に既視感…と思ったら、以前に、同じ「家の光協会」から出ている有元葉子さんの『乾物』を借りていたのでした。表紙タイトルの右側に「有元葉子の和の食材」と書いてあるシリーズもの。本書では、サブタイトル的に「大豆、黒豆、白いんげん豆、白花豆、うずら豆、とら豆、青えんどう豆、そら豆、小豆、ささげ」と文字が並んでいます。

    我が家でふだん料理で使う豆類の筆頭は、やはり大豆。それから黒豆、ひよこ豆、という感じです。そういえば小豆は餡子になっているものを購入するようになり、家で茹でることがすっかりなくなりました。缶詰や真空パックになった「茹でた豆」が気軽に手に入る時代、最近の個人的ヒットは「大豆・金時豆・青大豆・黒大豆」の4色を茹でて冷凍したもの。冷凍庫に常備して、手軽に豆を料理に使っています。

    本書では、豆を使った料理レシピがたくさん紹介されていますが、一番最初に大豆の下ごしらえの方法が載っているのが嬉しいです。このところ「適当に水に浸けて、適当に茹でる」ことが増えていましたので、久しぶりに下茹での方法を確認することができました。「大豆はしっかり茹でないと!」と思い込んでいましたが、じゅうぶんに水に浸けておけば、茹で時間は1時間ほどでも大丈夫のようです。

    素晴らしいと思ったのは、レシピだけでなく、豆についての、文字通り豆知識がちりばめてあることと、食材としての豆に対する想いが、著者の言葉で綴られていることです。大豆のページでは、「日本の代表的な豆が大豆です」とし、「もしも大豆がなかったら、おいしい和食は食べられないでしょう。」「大豆のえらさに気づいて、外国産に頼らず安心な国産大豆がもっとできることを願っています。」(『豆』(家の光協会)より)と続きます。我が家は1年に30キロ近くの味噌を作って食べる大豆立国ならぬ大豆立家なので、有元さんの言葉はとても響きました。

    『豆』(家の光協会)有元葉子著

    『炎芸術』153号に掲載されました。

    こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

    『炎芸術』153号に掲載されました。

    2023年2月1日阿部出版さんから発刊の『炎芸術』153号 特集「染付 憧れの青」に、染付作家の一人として、藤吉憲典も取り上げていただきました。

    『炎芸術』といえば、陶芸業界の有名誌。前回取り上げていただいたのは2018年冬でしたので、おおよそ4年ぶりです。長年藤吉憲典を追ってくださっている編集担当者さんに、心より感謝です。ありがとうございます。

    今回の特集号、面白いな、と思ったのは、もともとは染付をやっていなかった作家さん、土ものの作家さんとして知られていた方などのお名前が、「染付作家」として何人も上がっていたこと。それはつまり「染付」そのものが、今、注目を浴びているということなのかもしれませんね。今回の特集では、実にさまざまな在り方の染付を拝見することが出来ます。わたしはふだん業界(同業者)情報をほとんど入れず、藤吉の作風もまた世間の流れとは全く関係のないところにあるため、誌面から漂うある種「ブーム」的な雰囲気に、新鮮な驚きを感じました。

    ともあれ染付の魅力が、作る人、使う人どちらにもどんどん広がっていくことは、とても嬉しいことです。作り手からみれば、染付は数ある陶芸表現技法のなかのひとつ。それぞれの表現方法と考え方とが、興味深く拝見できる誌面でした。そんななか、藤吉憲典が提供したのは、祥瑞の三段重箱に、手付きの酒器(チロリ)。いずれも、古典の文様・カタチを用いながら、そのまま写したものではなく、時代をミックスさせています。なので、実は古典にありそうでなかったもの、なのですね。そのあたりの面白さも感じながらご覧いただけると幸いです。

    『炎芸術』153号 特集「染付 憧れの青」 藤吉憲典

    『炎芸術』153号 特集「染付 憧れの青」

    読書『ヘルンとセツ』(NHK出版)田渕久美子著

    こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

    読書『ヘルンとセツ』(NHK出版)田渕久美子著

    いつものカメリアステージ図書館新刊棚。なんとなく手に取りました。ほんとうに、なんとなく。「ヘルンとセツ」と言われてもなにひとつピンとこず、家に帰ってページを開いて、「小泉家」「島根」「ハーン」と単語が目に入ってきてようやく、「小泉八雲」の名前に思い至りました。上の写真は我が家の近所の神社の様子ですが、ヘルン(ラフカディオ・ハーン)もこのような神社のお祭りに感動していたのだろうな、と。

    江戸幕府から明治政府への激動期、歴史の表舞台には登場しない、地方の人々の様子が伝わってくる物語でした。なかでも「士農工商」の身分制度崩壊がもたらした悲喜こもごもは、わたしはこれまで深く考えたことがありませんでしたので、少なからず驚きをもって読みました。制度崩壊によって、チャンス到来と頑張る人、生きる気力をなくす人。いつの世も、民が国の政治に振り回されるのは「仕方がない」ことなのかもしれませんが、やはり近現代における「明治維新」と「第二次世界大戦敗戦」による価値観の大転換は、あまりにも厳しい現実だったのでは、という思いをあらたにしました。

    それにしても、西欧化に突き進む日本に対する、ハーンの諭すセリフの数々が刺さりました。今の時代に生きる我々に必要な視点が、そこにあると感じました。特に「日本は神道と仏教が喧嘩もせず、仲良く並び立てる国です。一方、欧米はひとつの神だけが正しいのだと言い張る国であり、そこには、個人主義がはびこります。自分さえ良ければいい、自分の国だけが大きくなればいい、そうした考え方を招きます」(『ヘルンとセツ』より)のセリフは、考えさせられました。

    実は、読み終わって初めて著者名を確認しました。田渕久美子さんって聞いたことがあるなぁ…と、著者プロフィールを拝見して納得。NHK大河ドラマ『篤姫』『江』をはじめ、脚本家として有名な方でした。著作もたくさんあるのですね。『ヘルンとセツ』面白くてサクッと読了しましたので、ほかの著書も読んでみようかな、と思います。

    本書を通して描かれる島根出雲の地が、とても魅力的に思えました。わたしは島根は津和野あたりにしか足を運んだことがありませんが、ずっと行ってみたいと思っている足立美術館もあることですし、ゆっくり滞在の旅を計画したいところです。

    ヘルンとセツ』(NHK出版)田渕久美子著