花祭窯の神無月の庭。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の神無月の庭。

台風の影響で潮枯れした庭を心配していたのは、先月末のこと。

それからひと月と経たないうちに、復活の兆しを見せる植物の皆さんの強さに感動している今日この頃です。

マリーゴールド

↑まずはマリーゴールド。実は中心の茎が台風の強風でポッキリと折れてしまっていたのですが、折れて倒れた先から根付いて、あれよあれよという間に緑の葉っぱが伸び出し、つぼみがたくさんついた!と思ったら、ついに開花いたしました。すごいです。

キンモクセイ

↑こちらはキンモクセイ。これも台風のあとは葉っぱがほとんど落ちてしまい、今年はさすがに無理かな、と思っていたところでした。ところが先週末から香りがふんわりとしてきて、あれ?と思ったら、我が家のキンモクセイでした。現在満開です。

ハナモモ

↑こちらはハナモモ。春に咲くハナモモですが、潮風で葉っぱが枯れたあと、緑色の葉っぱが出てきたと思ったら、花が咲きました。植物に詳しい友人に聞いたところ、ダメージを受けた後に、季節外れの花や実をつけようとするのは、種の保存の本能だそうです。

柘榴

↑ザクロもだいぶ色づいてきました^^

植物の生命力に驚きつつ喜びつつ、です。

我が家の食器棚は、花祭窯資料の宝庫。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

我が家の食器棚は花祭窯資料の宝庫。

上の写真は、美しく整理整頓されているとはお世辞にも言えない我が家の食器棚。使っている器の八割から九割は藤吉憲典の器で、あとは土ものと漆器とガラスと…ということになります。磁器以外のものも、知り合いの作家さんのものであったり、お取引先のギャラリーさんが扱っていらっしゃるものであったりします。こんなふうに、あたりまえに「いい器」を使うことが出来るのは、この仕事が生業であるゆえの贅沢。この点だけは、子どもに好い環境を用意してあげることが出来たかな、と。

ただ、藤吉の器を使っているとはいっても、ばっちり数を揃えているようなものはほとんど無く、ご覧のようにバラバラです。創業時から現在まで、サンプル崩れや半端もの、ちょっとお客さまには出せないな、というようなものが一つ、また一つと増えて、我が家の食器棚の中身を構成しています。

これまでに作ったものがある、ということは、そのまま形や文様の資料がそこにあるということ。そのなかでも自然と「よく使う器」というのは決まってくるもので、棚の手前に並ぶのは使いやすい器ということになります。器の使い勝手が並びに現れるというのは、無意識の結果だからこそなお、説得力を持ちます。

ときどき棚の奥から「そういえばこんなの作ったな~」というものが出てきたり、「あの器があったはず!」と探せば見つかったり。作家に言わせれば「昔作った未熟な仕事を見るのは恥ずかしい」のだそうですが、当時は当時で、できる限りの全力を傾けて作っていますから、未熟ながらも一生懸命さが伝わってきて微笑ましいものです。

ここ数日、ダンナが我が家の食器棚を眺めているのは、11月下旬からスタートする、南青山の百福さんでの個展に向けて、今まさに食器をたくさん作っているから。以前つくったものも、今作ればはっきりと進化を感じるものが出来上がります。それでこそ「セルフ写し」をする価値があるというもの。藤吉の器の愛用者の一人としてのわたしは、「また作って欲しいもの」をさりげなく食器棚の前方に配置して、制作意欲につながるよう環境整備(!?)です。

香椎宮献茶式と、報恩寺の野点。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

香椎宮献茶式と、報恩寺の野点。

南方流の秋は野点茶会。香椎宮での献茶式のあと、場所を報恩寺に移しての野点です。どちらも約3年ぶりの開催となりました。

前日はいつもの通り、朝から準備でした。上の写真は、野点の炉の設営が概ね出来上がったところ。円覚寺の紋章である三つ鱗文の幔幕が張り巡らされ、戦国時代の野営での茶会の雰囲気はこんなふうだったのかしら、と想像の膨らむ設えです。このあと、毛氈(もうせん)を敷いてお客さまの席を作れば、お茶席の出来上がりです。

が、当日はあいにくの空模様と、天気予報。香椎宮での献茶の儀式の間はお天気は持ったのですが、野点については、大事をとって報恩寺のお堂のなかでのお茶会に変更となりました。急に降り出されたらたいへんですから、仕方がありませんね。それでも扉を全て開け放った本堂は、外の景色とつながって、野点のような雰囲気となりました。

昭和22年から続く献茶式が中断の3年間を経ての再開とあり、とても嬉しいお茶会でした。とはいえ、わたしはといえば、お運びのお手伝いでお菓子の出し方を間違えたり、お薄の出し方を間違えたりと、集中力を欠き反省の多いお茶会となりました。基本的な事柄で、今までに何度もしてきたことなのに、身に付いていない不甲斐無さ。でもその都度「藤吉さん、そこ間違えてますよ」と、その場で指導してくださる先生方があり、おかげさまでなんとか助かりました。

お茶会が終わり、お片付けも済んで帰路につく頃には、本降りになっていました。ともあれ、お片付けまではお天気がもってくれたので、ラッキーでした。来年は外で野点ができるといいな、と思いつつ。

国宝鳥獣戯画と愛らしき日本の美術@福岡市美術館。

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国宝鳥獣戯画と愛らしき日本の美術@福岡市美術館。

鳥獣戯画展を観に福岡市美術館へ。今回の展覧会は、週末のみ入場時間指定でした。わたしは平日午前中に伺いましたので、予約無しでしたが、比較的ゆっくりの人出。会場が混みだす前に、2周して観ることができました。

ここ何年か、鳥獣戯画的な日本画のブームが続いているような気がいたします。展覧会タイトルの通り、目玉は国宝に指定されている、京都・高山寺所蔵の「鳥獣人物戯画」でした。ただ、実のところわたしが本展覧会で個人的に一番気に入ったのは、木彫り(木造彩色)の子犬。鎌倉時代のものです。同じ空間に、やはり木彫りの神鹿と馬があり、これらもとても良かったです。

平面(絵画)のものでは、会場終盤で力を感じる掛け軸が並んでおり、思わず駆け寄ったところ、仙厓さんでした。福岡市美術館の所蔵品です。我が家に複製品のある「指月布袋図」は、出光美術館所蔵のものが原本ですが、同じタイトルのホンモノを拝見し、やっぱりいいなぁ、と感動。生き生きと筆が走っています。

その他に気に入ったものとしては「獣類写生帖」1冊に「鳥類写生帖」2冊。江戸時代のものですのでそれほど古くはありませんが、色が鮮やかで、資料として欲しくなる可愛らしさでした。この3冊は福岡県立美術館の所蔵ということ。これらの資料をはじめ、今回展示されていたもののなかに、実は身近に所蔵されているものがかなりあることがわかり、とても嬉しくなりました。

波折宮三十六歌仙絵展@なごみ、観て参りました。

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波折宮三十六歌仙絵展@なごみ、観て参りました。

今年に入り、わたしの生活習慣に入り込んできた、ご近所観光案内施設「津屋崎千軒なごみ」。おかげさまで、「日常」がますます面白いものになりつつあります。

なごみのフェイスブックで【波折神社の三十六歌仙絵 展示中】というのを見つけ、さっそく覗いて参りました。


江戸時代に全国に広まったと言われる、平安時代の和歌の名手・三十六歌仙を板に書いた『三十六歌仙絵』。波折宮所蔵の三十六歌仙絵は、制作年は記録になく不明ですが、津屋崎が海運で最も栄えた頃のものと推測され、33面が現存しています。

(なごみフェイスブックページより)

そのなかでわたしが一番気に入ったのは、この写真真ん中の「伊勢」の絵と歌。

波折宮三十六歌仙絵展@なごみ

33枚並んでいる絵は、すべて下の方に裾絵とでもいう文様が入っていました。磁器の絵付でもよく使われる地文の文様と共通するものが数多くあり、面白く思いながら拝見。歌が詠まれたのは平安時代ですが、『三十六歌仙絵』が流行ったのは江戸時代。日本の磁器文化が広まったのも同じ江戸時代であり、なるほどと思いました。

徒歩三分でこうしたものを拝見できる嬉しさ。福津市には美術館が無いのが残念ではありますが、小規模でもそれに代わる場所があれば、それだけで豊かな気持ちになるのを実感します。なごみでの今後の展示企画に勝手に期待している今日この頃です。

読書『利休の闇』(文藝春秋)加藤廣著

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読書『利休の闇』(文藝春秋)加藤廣著

利休関連の小説といえば、山本兼一著『利休にたずねよ』を読んだのが、約5年前のことでした。

本書『利休の闇』は、2015年発刊。存じ上げなかったのですが、著者の加藤廣氏は、丹念な史資料精査と独自解釈が人気だそうですね。「丹念な資料精査」の片りんは、本書内で千の宗久、宗及らによる茶事記録などを多数引用しているところからも伺えました。

宗易(利休)の秀吉との出会いから切腹までのお話です。信長から秀吉の時代へと、秀吉が成りあがっていくなかで、お茶がどのように位置づけられていたのか、戦国時代の茶道と政治の関係があからさまに描かれています。「遊びに過ぎない」はずであったお茶が、政治の道具としてその姿を変えていくさまは、なんとも切なくもありました。

それにしても『利休にたずねよ』のときも思ったのですが、この手の小説を読むほどに、宗易(利休)の人間らしさが印象に残ります。人間らしさといえば聞こえは良いものの、言い方を変えれば「遊び好きで好色で権威欲がある」一人の姿。小説とはいえ、完ぺきな師とは言い難い姿に、「なんだ、そうだったのか」と、ちょっとホッとします。

本書内のエピソードでもっとも「へぇ~!」と思ったのは、宗易から利休へと改名を命じられた「利休」の名の由来でした。真実か否かはわかりません。でも、不本意ながらの改名でも、その後の歴史のなかでは多くの人に改名後の名前で愛されているのですから、それを知ったら本人はどんな気持ちになるかな、と思いました。

利休さんにまつわる本は、茶道の指南書関連のものを読むことが多いのですが、こういう小説をたまに読むと、また視野が広がるような気がいたします。

久~しぶりのお茶のお稽古。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

久~しぶりのお茶のお稽古。

昨日は約1か月半ぶりのお茶のお稽古でした。わたしが入門している茶道南方流は、8月はお稽古がお休みです。コロナ禍を経て、お茶のお稽古が再開したのは3月のことで、やっと頭が「お茶」に切り替わってきたかな、と思いつつあったところで夏休み。

ひと月空くと、またすっかり忘れてしまいます。…と、お点前が身についていない言い訳をしつつ、お茶室へ。見事に忘却したお点前を、辛抱強く伴走してくださる先生に感謝しつつ、なんとかお終いのご挨拶まで辿り着きました。頭で考えることなく体が動くようになるまでお稽古するのが本意と言いながら、その日が来るまでにかかる年月はこれから先いかほどか。

10月は香椎宮での献茶式と野点の茶会、11月には立花実山忌の献茶とお茶会と、秋はお茶会が楽しみな季節でもあります。まだまだお茶をいただく側ですので気楽なものですが、いつかはお献茶もできるようにならなければなりません。しっかりと皆さんのお点前を拝見し、学んでまいります。

聖福寺さんでの献茶のお手伝いに参加してまいりました。

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聖福寺さんでの献茶のお手伝いに参加してまいりました。

9月5日は栄西禅師の命日。日本最初の禅寺と言われる聖福寺開祖の栄西禅師は、日本に「茶」をもたらしたと言われています。毎年、その前日9月4日に聖福寺の開山忌・栄西禅師の供養が行われています。わたしが入門している茶道南方流・円覚寺は、聖福寺さんの塔頭であり、毎年献茶を行っています。わたしがはじめてお手伝いに参加したのは、3年前のことでした。

お手伝いといっても、わたしにできるのは献茶式に使う道具を運ぶぐらいのこと。それでも、式典がスタートする時間にちょうど良いようにお湯を沸かし運ぶタイミングなど、いろいろと学ぶことが多く。また、献茶式の様子を近くで拝見することが出来る、貴重な機会でもあります。献茶のお点前をする和尚様のほぼ真後ろの席でしたので、手元を拝見することはできませんでしたが、無駄のない美しい動きにため息が出ます。

始まる前のちょっとした待ち時間に、和尚様から、現在のわたし自身のお稽古の進み具合を尋ねられました。今わたしは「盆点て」のお稽古中。盆点ての先のお稽古の進み方と、わたし自身が「献茶」のお点前ができるようになるまでの道筋をざっと教えてくださり、「そのように考えると、今日みたいな献茶を見る目もまた変わると思いますよ」とご指南くださいました。このように入門者一人一人に目を配ってくださることが、とてもありがたいです。

献茶のお点前に続く読経の儀式は、これまた素晴らしい体験でした。仏殿に響く、何十にも重なるお坊様の声は、荘厳な音として体全体に響いてきます。何人ものお坊様が連なって歩きながらお経を唱えるご様子は、ちょっと異次元空間に迷い込んだ感じもして、頭のなかが空っぽになり、すっきりといたしました。

また来年、この機会が楽しみです。

藤吉憲典のボンボニエールが、ふるさと納税返礼品に新登場。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

藤吉憲典のボンボニエールが、ふるさと納税返礼品に新登場。

花祭窯では、工房のある福津市のふるさと納税返礼品に提供協力をしています。

この8月から提供内容の一部が新しくなりました。

ふるさと納税がはじまった当初から人気の蕎麦猪口3客組、5客組に加え、昨年からは牡丹唐草文のマグカップや祥瑞文のマグカップを追加。そしてこの夏からは、藤吉憲典最新作のボンボニエールシリーズが登場しています。

染錦網桜文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦網桜文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦蓮華文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦蓮華文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦牡丹唐草文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦牡丹唐草文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦柿右衛門調ボンボニエール 藤吉憲典
染錦柿右衛門調ボンボニエール 藤吉憲典
染錦蛸唐草文ボンボニエール 藤吉憲典
染錦蛸唐草文ボンボニエール 藤吉憲典
赤絵万暦ボンボニエール 藤吉憲典
赤絵万暦ボンボニエール 藤吉憲典

いずれも、ふるさと納税お申込みを確認してからの制作となり、3-4か月ほどお待たせいたしますので、何卒ご了承くださいませ。

福津市でのふるさと納税の使い道には、世界遺産である新原奴山古墳群の整備をはじめとした文化事業をお選びいただくことが出来ます。

機会がございましたら、どうぞご覧になってみてくださいね。

現在、下記ふるさと納税サイトでご紹介中です。

ふるさとチョイス

ANAのふるさと納税

セゾンのふるさと納税

47CLUB

JALのふるさと納税

「箸置き」文化は、魯山人発だった!?

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「箸置き」文化は、魯山人発だった!?

7月に藤吉憲典個展で東京出張した時のこと。在廊した銀座黒田陶苑さんでは、スタッフの方とのちょっとしたおしゃべりのなかで学ぶことが、たくさんあります。時には貴重な古い資料を拝見したり、書籍や図録を拝読したり。上の写真は、拝見した資料のひとつ、銀座黒田陶苑さんが発行する「今月の一品」より。

そこから今回新たに得た知識のひとつが、「箸置き」文化は、魯山人発だった!?でした。銀座黒田陶苑さんは北大路魯山人の公式鑑定人でもあります。その歴史は魯山人とともにスタートしており、サイトに公開されている社史を拝見すると、関りの深さがよくわかります。箸置き文化が魯山人発祥とはまったく知らず、失礼ながら「ほんとうですか!?」と聞き直してしまいました。

この冊子によると、魯山人が自らの料亭に、お膳を廃したカウンター形式での食事を考案した際に、さてお箸をどこに置こうか?で創作したのが、箸置き(箸枕)だとか。ということは、箸置きの誕生、箸置きを使う文化の誕生はつい最近であったということになります。これにはちょっとびっくりしました。

上の写真では、箸置きを筆架(筆掛け・筆枕)として使用していますが、書道具を考えてみると、たしかに筆架としてのこのようなものは、中国に古くから存在します。古いものに造詣が深く、器も明時代の写しをたくさん作っている魯山人。筆架を、筆ではなく箸を置く道具と見立ててたというのは、なるほどイメージできるものです。

これまで、箸置きは和食文化にもともとあるものとして、深く考えていなかったことに気づきました。近代以降の文化であると思うと、少し見方が変わってきますね。箸置きよりも前にある、筆架の文化に興味が湧いて参りました。