春の桜に秋の菊-菊の器のご予約ご相談は今。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

春の桜に秋の菊-菊の器のご予約ご相談は今。

桜の文様の器-福岡は桜の開花宣言。と、桜の器をご紹介したのは昨日のことでした。ところが、今からのご注文では桜の季節に間に合いません。では、今予約を入れるとちょうど良いのは?ということで、春の桜と並び人気の秋の菊の器ご紹介です。

肥前磁器は中国大陸からの磁器文化にたくさん学んでおり、その影響を大きく受けています。中国では菊は皇帝の花であり、もっとも縁起が良いとされる重陽の節句(九月九日)の花。やきものにもたくさんの文様が描かれ、菊を模った形の器もたくさんあります。

染付菊花文飯碗 藤吉憲典

↑飯碗↓中鉢に同じ文様。古典的な菊文様のひとつですが、気品と迫力を感じるモダンなデザインです。

染付間取芙蓉手中鉢、染付菊花文中鉢、 藤吉憲典

↓見込の文様は葡萄ですが、器の形が菊型。型押しした後に陽刻で花弁を削り出すことにより、形の美しさが際立ちます。

藤吉憲典 染付葡萄文菊型皿

↓こちらは生地が仕上がったところ。ここから素焼き、染付の絵付、釉薬をかけて本窯焼成で、上のように出来上がります。

藤吉憲典 菊型小皿

↓蕎麦猪口にも菊は多様に描かれています。こちらは花束のような「熨斗菊」文様。

染付熨斗菊文蕎麦猪口 藤吉憲典

↓赤絵(上絵)の菊も華やかです。

染錦間取春秋文徳利(柿右衛門調) 藤吉憲典

↓花の真ん中にだけ上絵の黄色を入れた贅沢な文様。ほんの少し色を挿しただけで、パッと鮮やかさが増します。

染錦菊花文中鉢 藤吉憲典

↓こちらも蕎麦猪口の菊。波との組み合わせで描かれた、縁起の良い「波菊文」。

染付波菊文蕎麦猪口 藤吉憲典

花祭窯のオンラインショップ蕎麦猪口倶楽部では、在庫切れの蕎麦猪口・小皿豆皿の予約注文を受け付けることも可能です。ご予約をいただいてから制作に入るので、3か月から4か月後のお届けとなります。季節の器のご用命は、制作期間を見込んでご連絡いただくと、ご希望の季節に間に合うよう制作できます。気になるものがございましたら、ぜひ早めにご相談くださいませ。

桜の文様の器-福岡は桜の開花宣言。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

桜の文様の器-福岡は桜の開花宣言。

年々早くなっているような気がする桜の開花宣言ですが、気象庁のサイトを確認してみたところ、今年は平年に比べると早いものの、昨年よりはゆっくりだったようです。そういえば息子の小学校入学式の日は、春の嵐で桜の花びらが散っていたのが印象的でしたが、その9年後の中学校卒業式の日もまた、春の嵐で桜が散っていました。

肥前磁器には桜の器がたくさんあります。文様として描かれているのはもちろん、花弁をかたどった器もあり、秋の菊と並ぶ人気文様です。その種類は蕎麦猪口だけでも数百種と言われていて、「器でお花見」ができるほど。そのいくつかをご紹介いたしますね。

桜の蕎麦猪口 藤吉憲典

藤吉憲典の蕎麦猪口のなかでもロングセラーの桜散し文。2種類の上絵の紫色が品良く人気です。

藤吉憲典 桜箸置き

桜の花びら型の箸置きは、裏返すと染付の花びらが散っている贅沢。

藤吉憲典 錦桜散し文蕎麦猪口、錦桜散し文箸置き

箸置きと名前はついていますが、このように豆皿としても使えます。コーヒーに合わせてキューブ型のお砂糖を載せても可愛い。

藤吉憲典 染付桜散し文チロリ

染付の桜が散った手つきの酒器(チロリ)は、お花見の宴にぴったりです。

藤吉憲典 染付波桜文片口

網桜文の片口。どうしても酒の器が多いのは、ご愛敬。

ちなみに、花祭窯のオンラインショップ蕎麦猪口倶楽部では、在庫切れのものの予約注文を受け付けることも可能です。ご予約をいただいてから制作に入るので、3か月から4か月後のお届けとなります。季節の器のご用命は、制作期間を見込んでご連絡いただくと、ご希望の季節に間に合うよう制作できます。気になるものがございましたら、ぜひ早めにご相談くださいませ。

九州国立博物館の特別展「最澄と天台宗のすべて」に行って参りました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

九州国立博物館の特別展「最澄と天台宗のすべて」に行って参りました。

コロナ禍を理由に足の遠のいていた九州国立博物館。振り返ってみれば前回観覧は「室町将軍 戦乱と美の足利十五代」で、なんと約3年ぶりでした。今年はもっと足を運びたいとの決意を込めて「九州国立博物館メンバーズプレミアムパス」をゲット。1年間の有効期間中は九国での特別展を4回まで、九州・東京・京都・奈良の国立博物館の平常展を何度でも観ることが出来る優れものです。

平日とはいえ会期終了まであと3日という時期でしたので、人が多いかもと少し心配しましたが、杞憂でした。入場者が極端に少なかったというわけではなく、会場内のいたるところに「空いているところから見てください」的な表示があり、うまい具合に人が分散。来場者がそれぞれ周りに目を配り気を配る結果ですね。運営側の意図がきちんと機能していると感じました。おかげさまで快適に観覧することが出来ました。順路に沿うように促す制約は、一見合理的なようでも、特定の場所に人が集まってしまったり流れが滞ってしまったりして、逆効果なことも多いのです。

展示内容のなかで特に目に止まったのは、最澄の筆による「天台法華宗年分縁起」(滋賀・延暦寺)をはじめ、般若心境などの書の数々。一文字一文字丁寧に書かれた気持ちの良い字が並んでいるのを観ると、そのまま読んで理解することは出来なくても、なんだか嬉しくなるから不思議です。なかでも金と銀で一行づつお経を書いた「紺紙金銀交書法華経」(滋賀・延暦寺)は目を引きました。

その他には、サイの角で作った工芸仏具の「犀角如意」(滋賀・聖衆来迎寺)の美しさ、見事な頭の形に立派な福耳を持った「性空上人座像」(兵庫・圓教寺)の強烈なインパクト、遊び心満載の「空也上人像」(愛媛・浄土寺)の面白さ、きらびやかな箱に繊細な彫りが仕込まれた「金銀鍍宝相華文経箱」(滋賀・延暦寺)が特に気に入りました。不動明王好きとしては、重文レベルの不動明王にたくさん会うことが出来たのも、大きな収穫。ぐるりと裏側まで、あるいは左右を空けて側面を観ることが出来るように配置している展示も多かったので、側面や裏側に入り込み、立体を大いに楽しみました。

特別展を堪能したあとは、4階の平常展「文化交流展」が毎回の楽しみです。3年ぶりとあって、前回訪問時から展示替えされている展示室も多く、見どころ満載でした。いつものことながら「田中丸コレクション」「坂本コレクション」で肥前磁器の名品をたくさん見ることが出来たのが嬉しかったです。やっぱり古い柿右衛門は良いのがあるなぁ…などと思いつつ。最後はお気に入りの第6室で仏像や彫像を拝見して、大満足で帰路につきました。

次は4月スタートの特別展「北斎」に合わせて行こうと思います。

電車で大宰府旅-天満宮と九州国立博物館を満喫。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

電車で大宰府旅-天満宮と九州国立博物館を満喫。

お友だちから「大宰府散策きっぷ」なる贈り物をいただきました。そういえば大宰府天満宮には長いことお参りしていないな、九国で開催中の「最澄と天台宗のすべて」ももうすぐ会期が終わっちゃうな、三連休は人が多いだろうから行くなら今日だな、ということで電車に乗りました。

九州国立博物館に行くときはいつも車なので、電車で大宰府に向かうのは初めてのことでした。滅多に無い機会にワクワク…ちょっとばかり「乗り鉄」要素があるのです(笑)。今回のルートは次の通り。

  • 福間→博多(JR鹿児島本線)
  • 博多→天神(福岡市営地下鉄)
  • 西鉄福岡(天神)→二日市(西鉄大牟田線)→大宰府(西鉄太宰府線)

西鉄電車に乗るのも久しぶりでした。太宰府線は初体験。花祭窯の最寄り駅・福間から到着まで、1時間半ほど。途中乗り換えは3回ありますが、いずれもスムーズでした。車内もさほど混まず、ちょうどよい感じの電車旅。

電車で大宰府旅-天満宮と九州国立博物館を満喫。

西鉄太宰府駅

太宰府天満宮の入り口には「合格おめでとうございます」の立て看板が。学業の神様・菅原道真公にあやかろうと、お正月からこちら、たくさんの受験生がお参りに来ていたことでしょう。大学受験の合否もおおよそ明らかになるこの季節に、お礼参りにいらっしゃる方々へのご挨拶かと思いますが、その大胆な看板に思わず笑み。

電車で大宰府旅-天満宮と九州国立博物館を満喫。

朝からの雨も上がり、幸いそれほど人も多くはなかったので、参拝の列に並んでお参りしてきました。大宰府といえば「梅」ですが、ほぼ散ってしまったあとで、少し早咲きの桜が迎えてくれました。

電車で大宰府旅-天満宮と九州国立博物館を満喫。

最後は、梅が枝餅のお店「笠の家」の喫茶室で、温かいコーヒーと梅が枝餅をいただいてほっこり。人気の「奥の茶房かさの家」は満席でしたので、お向かいにある「笠乃家」さんで、雨上がりの坪庭を眺めつつゆっくりしました。

電車で大宰府旅-天満宮と九州国立博物館を満喫。

そういえば若い頃は一人でぶらぶら電車旅をしていました。ここ20年ほどは、一人旅といえば仕事の出張ぐらい(笑)。今回はお友だちからの贈り物で、思いがけず贅沢な一日となりました♪長くなりましたので「最澄と天台宗のすべて」レポートは、また次回。

花祭窯の弥生の庭-露地の手入れをしていただきました♪

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の弥生の庭-露地の手入れをしていただきました♪

久しぶりにプロの手をお借りしました。手入れをしてくださったのは、花祭窯の露地を作ってくださった、ガーデナー・造園家のガーデンアルテさん。2015年に茶室に合わせた露地(和の庭)をつくっていただいて以来、年に1回ぐらいの頻度でメンテナンスをお願いしています。

気がつけばサザンカの木がずいぶん大きくなっていました。彼女の手を通すと、見違えるようにすっきりと美しく整います。たびたび手入れのアドバイスはいただくものの、やはり自分ではうまくできず、頼るべきは信頼できるプロですね。毎度のことながら、その仕事ぶりに感嘆。一夜明けた今朝は、雨に枯山水の石が映えてきれいです。

花祭窯の露地
お茶室に続く飛び石周りもすっきり。
花祭窯の露地
タマシダがいい感じです。
花祭窯の露地
ジンチョウゲが満開です。
花祭窯の露地
ハナモモのつぼみがたくさん。
足元もすっきりしました。
花祭窯の露地
空いているスペースはカノコユリの場所。

本格的に暖かくなる前に、手入れが出来て良かったです。これからの新緑、花の季節がますます楽しみです。

お茶のお稽古再開。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

お茶のお稽古再開。

まるっと2年ぶりの初釜の喜びの後、福岡県内に「まん延防止措置…」のコロナ対策が発令されたため、またもやお茶室に通うことが出来ずにおりました。先日ようやく解除されて、お茶のお稽古も晴れて再開です。

この2年の間に「感染防止対策をとりながらお稽古をする方法」を模索してくださった先生方のおかげで、安心して参加できる環境となっていました。いつもの四畳半のお茶室ではなく広間でのお稽古になったり、すべてご自服でいただくことになったり、いくつかの変更はありましたが、とにかく円覚寺に足を運んでお稽古ができることの幸せ。

作法あれこれをすっかり失念しており、まずはウォーミングアップで薄茶のお点前から再開しました。ひとつひとつ、基本の所作を確認しながらゆっくりペース。作法を忘れてしまっているのは仕方がないとして、せめて立ち居振る舞いだけでも丁寧にと、ご挨拶、襖の開け閉め、歩き方、立ち方座り方、道具の扱い方に気持ちを向けました。

南方流の茶道訓には七つの教えがあり、そのなかに「茶式(ちゃしき)論ずべからず」「茶礼(されい)守るべし」というものがあります。お点前の決まり事通りにきちんとできなくても、礼を尽くしたふるまいを心がけることはできる。できることをきちんとしていくことの大切さです。

ほかの方のお稽古を拝見し、自分でもやってみて、手を動かすうちに、少しづつ少しづつ、感覚が戻っていくのを味わいました。それにしても、久しぶりのお茶室でもリラックスして稽古に臨むことが出来るのは、先生方の寛容で余裕のあるお姿があればこそ。幸せな環境だなぁ、とつくづく思います。

とはいえ、初伝免状所持者としては、もう少し自覚を持たねばならないかもしれません。頑張ろう。

「磁器婚式に記念の品を」のご相談。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「磁器婚式に記念の品を」のご相談。

わたしが磁器婚式なるものがあることを知ったのは5-6年前のこと。それまで知りませんでした(汗)。当時、ちょうど自分たち夫婦の20年とも重なっていて「へぇ~!」と思い、「結婚20年のお祝いは磁器婚式」とブログにアップしたのでした。

昨日のこと、親しい友人が「今年磁器婚式なので、祈念に何かと思って。相談にのってもらえますか」と訪ねてきてくれました。お祝いの品のお手伝いができるのは、とても嬉しいことです。何がいいかなぁ、と一緒に考えることに。最近のご夫婦の共通の楽しみとして、日本酒の美味しさに目覚め、家での晩酌が好い時間になっているご様子。ならば藤吉憲典のお得意の酒器がいいでしょうと、片口とぐい呑みのセットをつくることになりました。ある程度のご希望を聞いたうえで、「作り手にお任せ」で承りました。

これまでにも藤吉の器をお求めになり使ってくださっていますので、どのようなものをお好みで、どのように使ってくださっているかがわかっています。そういうお客さまの場合には、このような半オーダー的な制作もご相談にのることが出来ます。記念日は数カ月先ということで、つくる側としても、出来上がりが楽しみなご注文となりました。

ところで「なぜ『磁器』なのだろう」というところで、自分なりに考え(あるいはこじつけ)てみました。

磁器婚式=結婚20年記念にふさわしい「磁器の特性」

  • 白い生地=ウェディングカラー。このうえに染付のブルーや赤絵のさまざまな華やかな色が映えるのです。
  • 結びつきが強い。磁器は、原料となる陶石(磁土)の性質と高温での焼成により、粒子がしっかりと結びついています。土もの(陶器)に比べて割れにくいのは、この硬度の強さによるもの。
  • 何百年何千年と長持ち。割れものでもあるけれども、大切にすれば色あせず長く受け継ぐこともできます。

こんなところでしょうか。金婚式・銀婚式に比べると知名度の低い磁器婚式。これから少しづつ定着していくと嬉しいです♪

「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」

ゴーギャンの絵画のタイトルの邦題として有名なこのフレーズ。言い回し(日本語訳)は少しづつ異なることがありますが、ここでは集英社から出ている『ART GALLERY 現代世界の美術 4 ゴーギャン』に掲載のタイトルを使っています。1897年死を決意したゴーギャンが描いた大作だと言われています。久しぶりに画集を引っ張り出して見ています。

きっかけは数日前に花祭窯に遊びにいらっしゃったお客さま。建築・都市・デザイン専門の研究者でおられる氏は、ご近所の登録有形文化財・藍の家を文化財として申請する際の調査に関わった方であり、このたび建築120年を迎える藍の家の記念行事に講演を頼まれたとのことで、津屋崎千軒内を踏査しておられたのでした。そうして立ち寄った花祭窯が、その大きな一歩になったと喜んでくださいました。

津屋崎千軒の街並み・建築物を再評価するにあたって、その氏が使ったのが、この「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」。そのような心境で仮説を立て、歴史を紐解いていきたいとのこと。ここ福津・津屋崎には、地域の歴史を研究する地元の方々がたくさんおられ、勉強会も盛んで、すでにいろいろな形でまとめられてもいます。ですが「建築・都市・デザイン」という視点で見つめることで、また面白い考察が期待できるのは間違いありません。

今からとても楽しみな「藍の家120年記念イベント」日程は、下記の通り。歴史や街並みに興味のある方は、ぜひチェックしてみてくださいね。


1)藍の家120歳を祝って 2022年3月19日午後1時~「古くて新しい、藍の家再発見!」山田由香里氏(長崎総合科学大学工学部教授)

2)特別記念講演会 2022年4月23日(土)午後2時~「私たちはどこから来て、今どこにいて、これからどこへ行くのか」藤原惠洋氏(九州大学名誉教授)

詳細お問い合せは、藍の家(電話0940-52-0605)へ。

再読書『The Book of Tea 茶の本』(IBCパブリッシング)岡倉天心

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

再読書『The Book of Tea 茶の本』(IBCパブリッシング)岡倉天心

『読書大全』からリストアップした「2022年に読みたい本」のなかに、鈴木大拙著『禅と日本文化』があります。1936年にアメリカ、イギリスの大学で行われた講義「禅と日本文化」をまとめたもの。これを読もうと思ってふと思い出したのが、本書・岡倉天心の『茶の本』です。どちらが先だったのかしらと思って確認したところ、『茶の本』が1906年で、先なのですね。というわけで『禅と日本文化』の前にこちらを再読することに。

以下、まとめ。


  1. 茶は「生の芸術」であり、「現在」と向き合うもの。
  2. 茶において、自己の超越(=無)が起こりうる。
  3. 茶を通じて「不完全」を学ぶ。
    すべてを仕上がったものとはみなさず、そこにいくばくかの想像力を補って臨む。
    目の前に見える景色が不完全であるからこそ、そこに無限の創造力が働く。
心の器
  • 茶道は日常の俗境のなかに美を見出し、それを賛美する心に基づいたもの。
  • その根本は「不完全なるもの」を敬う心。
茶の流派
  • 日本人にとっての茶は、生きる術を教えてくれるもの。
  • すべての動作は単純で自然に行われる。
  • 茶の湯の目標は、主人と客が一体となってこの世の無上の喜びを創り出すこと。
  • 茶室はこの世におけるオアシス。茶室で藝術を享受することによって癒される。
道教と禅
  • 茶道のなかには、人生と芸術についての道教の思想が具体化されている。
  • 「道」は「移り行く経過」にある。
    神と自然が出会うところも、昨日と明日が分かれるところも、我らのうちにある。「現在」とは、移動する「無限」である。
  • この世に生きる術は、(中略)この世をありのままに受け入れ、(悲しみや苦しみの)世の中に美を見出そうとすること。
芸術
  • 偉大な傑作は、何も言わないでおくところに、見るものに考えを完成させる機会を与える。
  • 考えることによって、見るものは自分も実際にその作品の一部になったかのように思わせられる。
  • そこには見る者の美的感情を受け入れ、極限まで満たせるような「虚」がある。
  • 禅:ありふれた日常のことが、精神的なことと同じくらい重要である。
  • 茶:茶道の一切の理想は、人生の些細な出来事の中に、偉大なものを認識することである。
茶室
  • 数寄屋:好き屋:個人の美に対する欲求を満たす空間。
  • 露地:待合と茶室を繋ぐ露地は、瞑想の第一段階。
  • 茶室はこのうえない平和の場所。
  • 躙り口(にじりぐち):謙譲の精神。
  • 茶室の概念:物質に対して、精神が優位でなければならない。
    藝術の活力が生まれる原則にかなうものでなければならない。
    現在の生活にあてはまり、現在をより楽しむものでなければならない。
  • 過去の創造を無視するのではなく、それを自分達の意識のなかに吸収していく。
禅の教え
  • 不完全を完成させたもののみが、真の美を見出すことが出来る。人生や藝術の力は、それが成長する可能性を秘めている点にこそある。
  • 茶室では、自己との関係において、全体の効果を完成させることが、客の想像に任されている。
  • 茶室の簡素さや邪悪なものを遠ざけた佇まいは、浮世から離れた聖域。茶室でのみ、なにものにも邪魔されることなく、美を愛でることに没頭できる。
  • 茶室は休息の場であり、美の精神を自由に交感できる唯一の場。真の風雅を味わうことのできる場。それが難しくなってきている現代こそ、われわれは茶室を必要としている。
芸術鑑賞
  • 芸術の価値は、われわれに訴えかけてくるものがどれほどあるかで決まる。我々が時と場所を超えて心に感じることができれば、芸術は普遍的な言語だと言える。
  • 藝術と考古学を混同してしまうという間違いをおかしてはならない。時代の重みに負けて、美的感覚をないがしろにしてはならない。
  • 現代の日本人は、生活のなかの美を破壊することで、芸術をも破壊している。
活花
  • 無用と思っていたものに多少の使い道があると気づいたとき、人は芸術の領域に入る。
  • 葉と花をあわせて扱う。植物全体の美しさを表現することがその目的だから。
  • 茶人による活花は(中略)意図しておかれた場所から動かされてしまうと、とたんにその意味を失ってしまう。
茶人
  • 芸術では、現在こそが永遠である。芸術を真に理解できるのは、芸術から日々影響を受けるものだけ。
  • 芸術家は芸術家であることを超え、芸術そのものに近づこうとする。それこそが禅の美学である。

『The Book of Tea 茶の本』(IBCパブリッシング)岡倉天心より


読むたびに新しい発見があります。自分が少しでも成長すれば、同じ本から得られるものも、どんどん増えていきますね。次はいよいよ、鈴木大拙著『禅と日本文化』に取り組みたいと思います。

今年もお雛さまの季節がやってまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

今年もお雛さまの季節がやってまいりました。

上の写真は、毎年恒例、我が家のおひなさま、藤吉憲典作の「金襴手雛香合(きんらんでひなこうごう)」。場所をとらない雛香合は飾るのも仕舞うのも簡単で、面倒くさがり屋のわたしにはちょうど良いのです。

豪勢なお雛様を拝見したいときは、ご近所の登録有形文化財・藍の家のお雛祭りへ。毎年観に行きますが、何回見ても見ごたえがあって気持ちが華やぎます。古く貴重なお雛様の数々は、飾るのも仕舞うのも、とても気を使う作業。毎年こうして展示してくださるスタッフの皆さまに、心より感謝です。

以下、藍の家に展示されているお雛様の数々。写真をクリックすると、拡大でご覧いただくことができます。

藍の家のおひなさま

藍の家のおひな様

藍の家のおひな様

藍の家のおひな様

実は一番気に入ったのは、↑この展示↑でした。

見ごたえのある藍の家のおひなさま、ぜひお立ち寄りくださいませ。