塗香(ずこう)はじめ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

塗香(ずこう)はじめ。

塗るお香で塗香(ずこう)。パッとイメージしたのは源氏物語の世界。自分が使うようになるとは、ほんの少し前までまったく思ってもいませんでした。

もともと香りを身に着けるのはあまり得意ではなく、香水はもちろん、香水より軽めのコロンも、上手に使えません。なんなら化粧品だけでなく洗剤も、香りのあるものは苦手。アロマオイルを使うことはたまにありましたが、知見が必要なので、必要最低限の使い方になり…という具合でした。

そんなところへ「塗香」という選択肢が現れました。お香は、花祭窯でお客様をお迎えするときに使っていますし、お茶の席でも必ず登場するもの。蚊取り線香だって、蚊除けのお香ですから、わたしにとっては、ふだんから身近なものです。そういえばほんのいっとき「匂い袋」を持ち歩いていたこともありましたが、それもすっかり忘れていました。

塗香は粉末状のお香で、少量を直接手や身体に塗って使います。もともとは心身を清める目的で作られてもので、お坊さんが身に着けるものであったとか。邪気払いに用いられる白檀をベースに作られるのだそうです。

さてこのたびわたしが手に入れたものは、やはり白檀をベースに、沈香、丁子、桂皮などがブレンドされたもの。お香やさんで嗅いでみて気に入ったのは、どうやら沈香の香りだったようです。ややスパイシーな感じもするのは、さまざまな生薬を調合しているから。香りの効果だけでなく、なんとなく心身に良い影響がありそうな気がして、嬉しくなる単純なわたしです。

実際に塗香を使い始めて最も気に入ったポイントは、香水のように香りが長く残ることがないので、気軽に身に着けることが出来ること。ほとんど気になりません。塗るというよりは、粉末を擦り込む感じで、それがまたお清めっぽい感じだなぁと自己満足しています。ともあれまだ使い始めたばかり。暑い夏の清涼剤的な役割を期待しつつ、です。

出来ない自分をすんなりと受け入れることが出来る、お茶室。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

出来ない自分をすんなりと受け入れることが出来る、お茶室。

昨日はお茶のお稽古でした。博多の禅寺・円覚寺で南方流に入門しています。コロナ禍で2年間のお休み期間を経て、今年の3月からようやく再開したお茶のお稽古。「ウィズコロナの新様式」は、お茶のお稽古においても同様で、南方会でもいくつもの新たなルールが設けられています。ですから前とまったく同じにはなりませんが、再開から3か月を過ぎてようやく、「お茶のお稽古のある日常」が戻ってきた実感をかみしめつつあるところです。

わたしにとって、お茶のお稽古に出かけることは、お点前の作法を倣うこと以上の大きな意味があることを、あらためて実感しています。タイトルの「出来ない自分をすんなりと受け入れることができる」は、昨日のお稽古でつくづくと感じたこと。

お稽古に足を運ぶことが出来なかった2年間、薄茶を点てていただくぐらいのことは、自宅で一人でもできることと、頭ではわかっていても、できませんでした。やっと花祭窯のお茶室徳り庵に座ることが出来たのは、お稽古が再開してから。

そんなことをおしゃべりしていたら、先生がポツリと「いえいえ、わたしだってそうですよ、気持ちが向かないときはそういうものです」とおっしゃってくださいました。そして、先生もまたお稽古が休みの間にお点前についての考え方をまとめようと思い、時間もたっぷりあったのに、結局まったく手を付けることが出来なかったのだとおっしゃいました。

実はその間、先生が入院闘病なさっていたことを、その場にいた人は、皆知っていました。にもかかわらず、そのことには一言も触れず、わたしたちが安心できる空気を作ってくださったお心遣い。その場にいたみんなが、「お稽古できるはずだったのに、しなかった自分」を責めるではなく、そのままに認めることが出来たように思います。

この一件はわかりやすいエピソードですが、このような場の空気が常にあるのが、円覚寺でのお茶のお稽古。できない自分を素直にそのまま受け入れることができる場所であり、そんな自分を温かくも厳しくも受け入れてくださる先生方がいらっしゃることが、とてもありがたいのです。

津屋崎千軒の七月は山笠月。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

津屋崎千軒の七月は山笠月。

2019年以来の津屋崎祇園山笠再開を喜んだのは、つい先日のことでした。

花祭窯では、毎年この季節に山笠の三流を描いた絵皿を飾ります。藤吉憲典作。写真左から、岡流、新町流、北流。

津屋崎祇園山笠

そして、津屋崎千軒内ではあちらこちらで山笠の展示がスタートしました。今日も千軒内の路地には、長法被姿の方々がちらほらと。

藍の家

津屋崎祇園山笠 藍の家

毎年開催している藍の家での山笠展示では、装束や昔の写真など、さまざまな資料(史料)を見ることが出来ます。

津屋崎祇園山笠 藍の家

今年はなんと、撮影スポットまで登場。

津屋崎千軒なごみ

津屋崎千軒なごみ

なごみでの展示も力が入っています。

今年は山車は動きませんが、飾り山を拝むことはできます。お祭りの空気を楽しみに津屋崎千軒散策、いかがでしょうか。暑さが厳しいので、早め早めになごみのカフェで涼みながら、ゆっくり楽しんでくださいませ。

やっと、山笠!

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やっと、山笠!

夏といえば山笠!の津屋崎祇園山笠も、二年続けての延期でした。

今年は山を動かさず飾るだけではありますが、とにもかくにも催行が決まりました。山(山車)の飾りつけを行い、展示するのみ。直会(なおらい)と呼ばれる各種打ち上げ=宴会も禁止です。というわけで、今年も裏方のごりょんさんの出る幕はありませんが、ともあれお祭り復活の第一歩。

先週末には、小屋掛けが行われました。ダンナも朝7時前から山に竹や笹を取りに行くチームに入り、そわそわ。いよいよ始まったなぁ、という感じがいたします。いつもの場所に背の高い山を入れる小屋が建つと、懐かしい景色になんだか感無量。ちょっとそこまで、と路地に出れば、久しぶりにお会いする方々も多く、あちらこちらでご挨拶。

7月17日の山笠当日に向かって、これから毎週末、長法被姿の方々が近所をウロウロして、津屋崎千軒にも活気が出てくることでしょう。嬉しいです。

読書『中原中也全詩集』中原中也(角川ソフィア文庫)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『中原中也全詩集』中原中也(角川ソフィア文庫)

久しぶりに中原中也。初めて中原中也の詩にふれたのは、小学生低学年の頃だったと思います。おそらく教科書に詩が載っていたのだと思うのですが、今となっては定かではなく。ただただ「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」にノックアウトされたのが、最初の出会いです。

その後、中也に執着していたわけではありませんでしたが、進学した大学が「湯田温泉」にありましたので、どうしたって「中原中也」の影が見え隠れするのです。まあ、それを言ったら「種田山頭火」もそうなのですが。30年ほど遡る当時「金子みすゞ」は実は現在ほどメジャーではなく。これは、金子みすゞについての本を読むとどういうことかすぐにわかりますので、また別の機会に。とにかく湯田温泉の街を歩いていると、中也や山頭火の気配がするというのは、面白いものでした。山口という場所はとても不思議なところで、わたしは大好きです。

さて大学を卒業後はまたしばらく中也のことは忘れていましたが、思い出させてくれたのが、息子の誕生。『にほんごであそぼ』です。NHKのEテレ子ども向け大人気の同番組。そのなかに「サーカス」「よごれちまった悲しみに」など、中也の詩がいくつも出てきて久しぶりに再会したのでした。

と、個人的に十数年周期で中原中也の詩を読んできたところへ「全詩集」があるという話を聞いて、飛びついたのがつい先月のことでした。上の写真は、中也の写真としてはあまりにも有名なもので、本書の表紙です。それにしても、いつ見てもアップに耐える美形ぶり。肝心の「全詩集」は厚さ3センチを超えるずっしりとした文庫で、まあ、読みごたえもばっちりです。

ざっと全編読んでみて思ったのは、わたしにとって響く詩は、昔も今もあまり変わらないということ。「サーカス」「汚れちまった悲しみに…」「生ひ立ちの歌」「早春の風」「湖上」「一つのメルヘン」「また来ん春…」「月夜の浜辺」。

未発表の詩もたくさん載っているのですが、これはどうなのかな、と思いました。この手のモノを読むときにいつも思うのですが、故人には選択権が無く、ただ、まだ出すべきでないから未発表だったのではないかしらと思うと、読んではいけないような気がするのです。と思いつつ、目を通してしまいましたが。

巻末の大岡昇平による「中原中也伝」が読み応えありました。

梅雨のはしりの花祭窯の庭。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

梅雨のはしりの花祭窯の庭。

花祭窯の小さな露地では、柘榴の木に初めて花がつきました!と書いたのは、ついひと月ほど前のことでした。その後次々に花がつき、嬉しくてやや興奮気味(笑)。そのザクロの花も、ふだん下から気を見上げていると、なかなか花がついているのに気がつきにくいのですが、2階の縁側から見下ろすと良く見えるのです。

というわけで、今回は2階から眺めた露地の様子を撮ってみました。

柘榴の木。葉っぱも新芽が赤いので、ちょっと紛らわしいのですが、ところどころに鮮やかな赤が見えるのが、ザクロの花です。

花の近くによると、こんな感じです。

南天の花も、今が満開。この感じだと、今年はたくさん実がつきそうです。

花桃の実も見事についています。毎年「食べれるのかしら」と思いつつ、試したことがありません。

ドクダミの花。そろそろドクダミチンキづくりです。

Meet Me at Artのアートエデュケーションに「見る・知る・触る、やきもの(陶磁器)」プログラムをリリースします。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

Meet Me at Artのアートエデュケーションに「見る・知る・触る、やきもの(陶磁器)」プログラムをリリースします。

花祭窯のおかみの仕事と、アートエデュケーターの仕事がピッタリと共鳴するプログラムがデビューします。自分でいうのはなんですが、ついに真打登場といったところ(笑)。その名も「見る・知る・触る、やきもの(陶磁器)」(仮)。あまりにもそのままなので、何か良いネーミング無いかな、と思いつつ。案がありましたら、ぜひお知らせくださいませ。

自分の専門分野である、やきもの(陶磁器)による美術教育普及プログラム。ずっとぼんやりとした構想はあったものの、ここにきてプログラム化を具体的に進めた背景には、きっかけとなる二つの出来事がありました。ひとつめは、福岡市美術館の教育普及専門学芸員さんとアウトリーチについてのやり取りをする機会があったこと。アウトリーチとは、いわば「出張美術館/出張美術教育」。地域の学校や公民館などで、美術教育をしたいけれどもご利用者が館に足を運びにくい場合などに、美術館の方から出向くというものです。近年特に公立の美術館・博物館では教育普及の重要性が言われるようになり、アウトリーチ用の教材ボックスに力を入れる館が増えています。

さてその福岡市美術館の教材ボックスのなかに「やきもの」がありました。教材内容、プログラム内容ともに、非常にシンプルでわかりやすく構成されていて、難しく考えていた自分が「専門バカ」になっていたことに気づきました。陶磁器の産地がいくつもある九州のなかで、このようなアートエデュケーションが行われることの価値と必要性を、あらためて客観視することが出来ました。材料も知識も既に豊富に手元にありますので、これはすぐ形にしよう!となりました。

きっかけの二つ目は、四月に行われた「藍の家」築120年記念イベント特別記念講演会「私たちはどこからきて、今どこにいて、これからどこへ行くのか」。

この講演の後、参加者有志と講師の藤原先生が津屋崎千軒の歴史を辿る「まち歩き」をしました。花祭窯の前も通って古民家についての解説をするということでしたので、そのタイミングに合わせて、津屋崎千軒と陶磁器の海の道のこと、肥前磁器(伊万里)の陶片の話などをご紹介したところ、「こういう話こそ、ぜひ小中学生の授業に取り入れて教えてあげて欲しいですね」と喜んでいただけたのでした。

そういえば息子が小学生4年生の時、担任の先生からのご相談で、社会科の一環として小学生120名への陶磁器講座をしたのでした。そのとき実施したことは、まさに「見て」「触って」「知る」。子どもたちの、興味津々の表情が思い出されます。

Meet Me at Artの「見る・知る・触る、やきもの(陶磁器)」。小学生~中高生への美術教育兼地域の歴史を学ぶ機会になりますし、やきものや歴史に興味のある大人にとっても知的好奇心をくすぐり教養を深めることのできる内容です。プログラム概要はこれからアップいたします。5月末までにはご覧いただけるようにできるはず。興味のある方は、ぜひお気軽にお問合せ、ご相談くださいね♪

花祭窯ならびに藤吉憲典の紹介用ツールは、それを使う場所ごとにカスタマイズして作ったほうが良い。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯ならびに藤吉憲典の紹介用ツールは、それを使う場所ごとにカスタマイズして作ったほうが良い。

当たり前といえばあたりまえですが、さまざまなプレゼンテーションの場面に合わせて、日本語版・英語版、窯色強め・作家色強め、食器色強め・アート色強め…などなど、その都度アレンジしながら作っています。その一方で、地域における花祭窯の紹介ツールをつくれていないなぁと思いながら、すっかり後手後手になっておりました。ちょっぴり反省をしていたところに、2022年4月から津屋崎千軒の入り口となる「なごみ」が、観光案内所として本気を出す感じがとっても伝わってきたので、まずは「なごみ用」を制作。

花祭窯案内(なごみ用)

今回はまず第一弾。フィードバックを受けながら、その都度改善してまいります♪

続・「藍の家」築120周年特別記念講演会「私たちはどこからきて、今どこにいて、これからどこへ行くのか」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

続・「藍の家」築120周年特別記念講演会「私たちはどこからきて、今どこにいて、これからどこへ行くのか」

講演会が開催されて、参加してきたのは4月下旬のことでした。

その後、当日配布された資料、なかでも年表的資料を再確認する機会がありました。上の写真は、鯉のぼりが見事な5月の藍の家。以下、備忘。


  • 津屋崎の地名由来諸説。
    • 市町村名語源辞典によると、「断崖の岬」「湊の施設」。
    • 浦人が河原ヶ崎に漂着した木彫りの仏像を拾い上げ祠を点てて「通夜」をした。
    • 波折神社の発祥:沖で嵐にあった漁夫三人が一心に祈ったところ瀬織津姫大神、住吉大神、志賀大神の三神が現れ大波を鎮め(=波を折り)救われた。船上に三つの石が現れたので霊石として祀り波折神社と称した。←神徳あらたかと昼夜分かたず祈ったため「通夜」崎。
  • 古墳時代:新原奴山古墳群=古代胸形(宗像)の君一族の墳墓。
  • 1231年教安寺開祖行音自阿上人。
  • 1274年文永の役、1281年弘安の役。
  • 1587年豊臣秀吉の九州国割り。筑前→小早川隆景(のち小早川秀秋)、豊前→黒田孝高。
  • 1600年~黒田藩時代、朝鮮通信使。
  • 1602年黒田長政家臣の佐治与助、士官を断り津屋崎に酒造業を願い出。
  • 1640年義民六人衆処刑。津屋崎・勝浦浜の網場争い。
  • 1651年佐治家、醸造スタート。
  • 1663年勝浦の潮入に新塩田開発。
  • 1666年藩直営の勝浦塩田スタート。
  • 1706年津屋崎の塩入に新塩田開発。
  • 1741年藩直営の津屋崎塩田スタート。
  • 1743年讃州の大社元七が初めて塩を焼く塩浜仕法一切を伝授。
  • 1812年伊能忠敬が勝浦津屋崎を測量。
  • 1882年津屋崎製塩同業組合。
  • 1894年日清戦争。
  • 1897年津屋崎町制。
  • 1904年日露戦争。翌年日本海海戦。
  • 1905年塩専売法公布・施行。
  • 1911年~塩田廃止。

博多湊~席千軒(下関)、芦屋千軒の中継拠点としての浦として栄える。近世は博多港の外港として。塩、米、海産物、農産物の積出港。江戸から明治にかけて小型廻船五十集船による海上運送経済で繁栄。50t前後の小型廻船、九州一円からの集散地博多港と中四国・北陸・北海道・本土各地からの集散地唐戸港(下関)を繋ぐ中継港としての役割。

九州大学名誉教授/竹田市文化振興財団理事長/文化審議会世界文化遺産部会委員 藤原惠洋先生の講演資料、+αより。


こうしてあらためて年号を並べると、津屋崎の歴史から江戸時代を垣間見ることが出来ます。そして、それは花祭窯の生業である肥前磁器の繁栄の歴史と時代が重なっており、なんとも不思議な縁を感じます。

NHK BSプレミアム 美の壺 File543「青と白の粋 染付の器」アンコール再放送。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

NHK BSプレミアム 美の壺 File543「青と白の粋 染付の器」アンコール再放送。

NHK BSプレミアム『美の壺』のディレクターさんから、藤吉憲典が撮影協力したFile543「青と白の粋 染付の器」のアンコール放送が決まったとご連絡をいただきました。


NHK BSプレミアム美の壺 File543 「青と白の粋 染付の器」

  • < BSプレミアム/BS4K>
  • アンコール再放送: 2022年6月4日(土)朝6:45~7:14
  • 再々放送(BS4Kのみ): 2022年6月9日(木) 23:00〜 23:29
  • 再々放送(BSプレミアムのみ):2022年6月10日(金)12:30~12:59

本放送があったのは昨年2021年7月のこと。そのときも通常枠の再放送がありました。今回約1年を経ての「アンコール再放送」。アンコール再放送は、「美の壺」から過去の名作回を選んで放送するということで、すべての回が放送されるものでは無いようです。番組を喜んでくださった視聴者の方々の存在を感じ、とてもありがたく嬉しいかぎりです。

↓取材・撮影はちょうど一年前のことでした↓

↓放送後はたくさんのご感想をいただきました↓

昨年の本放送を見逃した皆さま、夏を前に染付の器の魅力を再確認したい皆様、ぜひこの機会にご覧くださいませ。素敵な番組を作ってくださった『美の壺』制作チームの皆さまに、あらためて感謝申し上げます。ありがとうございました!