肥前磁器の美:藤吉憲典の器「色絵磁器人形(いろえ じき にんぎょう)“お茶を飲む婦人”」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

肥前磁器の美:藤吉憲典の器「色絵磁器人形(いろえ じき にんぎょう)“お茶を飲む婦人”」

磁器作家・藤吉憲典がつくる肥前磁器の美しさを伝えるシリーズ。「美しさ」には「用途の美」を含みます。使い勝手の良さも含めて「美しい」と言えるもの。そこにこそ、江戸時代から400年続く肥前磁器の価値があると思っています。

「肥前磁器(ひぜんじき)」という呼び方は、まだあまり一般的ではなく、「有田焼」とか「古伊万里」といった方が、イメージできると思います。肥前磁器とは、有田焼、伊万里、鍋島などと呼ばれる、北部九州地方(肥前地域)で作られてきた磁器の総称です。地域的には現在の佐賀県・長崎県あたり。

今回は「用途」からちょっと離れて、磁器人形をご紹介いたします。磁器人形(porcelain doll / figurine)というと、スペインのリヤドロや、ドイツのマイセンといったヨーロッパの磁器メーカーの名前が思い浮かぶ方も多いかもしれませんね。

それらヨーロッパ磁器のお手本となっていた江戸時代の肥前磁器にも、磁器人形を作る文化はありました。有名なところでは、柿右衛門窯の色絵磁器による人形。たとえばサントリー美術館には、1670年代~1690年代に作られた柿右衛門の手によるとされる色絵女人形があります。

下の写真は、藤吉憲典による色絵磁器人形「お茶を飲む婦人」。藤吉憲典の所属するロンドンのギャラリーでは、藤吉は「ceramicist(陶芸家)」と呼ばれたり「ceramic sculptor(磁器彫刻家)」と呼ばれたりしています。それはまさに、このようなポーセリンドール(porcelain doll)(フィギュリン figurineとも呼ばれます)を制作するから。磁器を素材とする彫刻家ということです。

色絵磁器人形 藤吉憲典
藤吉憲典の器「色絵磁器人形(いろえ じき にんぎょう)“お茶を飲む婦人”
藤吉憲典の器「色絵磁器人形(いろえ じき にんぎょう)“お茶を飲む婦人”

現代の肥前磁器の産地で、このように丁寧に美しい人形を作る技量を持った職人さんは、もうほとんどおられないかもしれません。「肥前磁器=食器」だけではないことを、形で残していくのも、藤吉憲典の現代肥前磁器作家としての大切な使命です。

花祭窯の二月(如月)の庭。

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花祭窯の二月(如月)の庭。

極寒だった1月が過ぎて、ちょっぴりホッとしています。2月に入ってから暖かい日が何日かあったため、いろいろな花が咲きはじめました。気持ちが華やぐ今日この頃です。

花祭窯の二月の庭水仙

水仙が咲きはじめました。

花祭窯の二月の庭水仙

こちらはお向かいの畑のスイセン。毎年この季節、気分を明るくしてくれる景色です。

花祭窯の二月の庭沈丁花

沈丁花(ジンチョウゲ)もそろそろ開きそうです。

花祭窯の二月の庭沈丁花

ひとつ咲いていました。咲くとすぐにわかる、香りの幸せです。

いちごの花

昨年末にお友だちからいただいて育てていたイチゴの苗に花。ひとつでもイチゴが収穫できることを祈りつつ。

花祭窯の二月の庭

こちらもいただいたパンジー。いただいた時点で花はひとつでしたが、数日後には二つめが咲きました。

花祭窯の二月の庭

先日お友だちからいただいた寒緋桜(かんひざくら)も元気です。

こうして写真を眺めていると、なんとも春っぽい景色です。ただ今週後半には天気予報に雪マークもあり、季節はまさに三寒四温。季節の変わり目、どなたさまも心と体に休息と栄養をとってご自愛なさってくださいね。

読書『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著

なんとも痛快な一冊を見つけました。あとがきに『「これが日本の伝統」に乗っかるのは、楽チンだ』と書いてある通り、実に皮肉に満ちていて、面白おかしく読みました。著者の肩書に「作家・脚本家・放送作家」とありますが、「放送作家」としての経験や視点が色濃く反映されているのでしょう。伝統とビジネス、伝統とメディアの関係性が、さらっと暴かれています。上手に持ち上げられ、作り上げられ、利用されている「伝統」を、目の前に突き付けてくれる本です。

とはいえ著者が『「伝統」そのものを否定しているわけではありません』というのは、読めばよくわかります。多様な「伝統の例」を斬ることを通して、読者自身に何が問題かを気づかせてくれます。深刻な問題提起というよりは、4コマ漫画的な批判精神とユーモアあふれる切り口。ズバッとやられます。

それぞれの事例の伝統度合いを「○○から○○年」というように数値化しているのが秀逸です。「土下座は謝罪なのか?」として『土下座が謝罪の意味を持ち始めて、約90年。国語辞典にそれが載り始めて、約50年。ドラマ「半沢直樹」の土下座から、約7年。』(『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著より)とあったのには笑いました。

あとがきに、本書の意図がしっかり述べられています。『「伝統」という看板を掲げてはいるけれど、その実態は「権益、権威の維持と保護」にすぎないケースもあります―ミもフタもない言い方ではありますが。』(『「日本の伝統」の正体』(新潮文庫)藤井青銅 著)の言葉に、大いにうなずきました。伝統工芸の世界「あるある」なのです(笑)

仕事柄わたしも、「伝統」「伝統文化」「伝統工芸」などなど「伝統」を含む言葉をよく使います。無意識に「この言葉を使っておけばとりあえずOK」になっていないか、気を付けなければならないと自省しました。「権威」「ブランド」「伝統」に頼るようになったらお終いですね。

寒緋桜(かんひざくら)が届いたら、一気に春っぽくなりました。

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寒緋桜(かんひざくら)が届いたら、一気に春っぽくなりました。

お友だちが、寒緋桜の大きな枝を1本持ってきてくれました。旧正月の頃に咲きだす、早咲きの桜です。まあ立派!わたしの力量では1本そのままで生けることが難しかったので、いくつかに分けて甕に投げ込んでみました。「いくつかに分け」るのも、ハサミでは文字通り歯が立たずノコギリ出動。花とつぼみがたくさんついていましたので、落とさないように気を付けながらの花仕事でした。

花祭窯 寒緋桜

暦の上では春とはいえ、この日は風が冷たく、寒い寒いと騒ぎながらの外作業。大胆に投げ込んだだけでもなんとかなる(なっていないかもしれませんが^^;)のが、枝ものの力ですね。「さくら」の音の響きと、華やかな桃色で、玄関先が一気に春っぽくなりました。

花祭窯のある津屋崎周辺では、「光の道」で一躍有名になった宮地嶽神社で寒緋桜(その名も「開運桜」!)を見ることができます。

近所に神社があるというのは、何気ないことのようで、ありがたいことなのだと気づく。

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近所に神社があるというのは、何気ないことのようで、ありがたいことなのだと気づく。

波折神社

写真は124年ぶりに2月2日節分祭の波折神社。緊急事態宣言発出中につき、いつもは賑わう豆撒きですが、今年は氏子総代の方々による神事のみとなりました。ただ、お参りした人は「福豆」のお土産をいただくという嬉しい心遣いが、終日行われていました。

お昼過ぎにお散歩がてら出かけてみると、参拝者はわたしをふくめて二人。気兼ねなくゆっくりお参りすることができました。帰ろうとすると、お宮さんの役員の方が「豆持って帰ってくださいね!」と声をかけてくださいました。社務所に寄ると、ちゃんと袋詰めされた福豆が用意してあり。

そういえば元旦もそうでした。どこにもいかない正月でしたので、朝一番にお散歩がてら、波折神社に初詣でをしたのでした。「人が多いかな、どうかな」などと頭を悩ませることなく、徒歩で「ちょっと行ってみようか」と思える距離のありがたさ。そして期待通り、参拝できる環境があることの嬉しさ。

ずっと近所に住んでいて転居した友人が「今住んでいるところの近くにも、職場の近くにも神社が無いんですよね。大きい神社も小さい神社も」と。そういえば、幼いころから現在に至るまで10か所ほどで暮らしたことがありますが、思い返してみると、近所に神社があったのは、わずか3か所。さらに生活のなかにここまで神社が浸透しているのは、津屋崎が初めてのことです。

季節の行事のたびに「ちょっと寄ってみる」波折神社。気軽にお参りできる場所。お参りを通して、無意識のうちに気持ちの安らぎを得ています。そんな場所が近くにあるのですから、ありがたいことですね。

大峰山を歩いていたら、ヤブツバキを見つけました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

大峰山を歩いていたら、ヤブツバキを見つけました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

昨秋から始めた山歩き海歩きは、悪天候の日を除いて週3ペースで続いています。毎日歩けたら一番良いのは重々承知しつつ、まあ、好い感じといえるのではないでしょうか。先日は、津屋崎浜でアイルランドの国鳥に出会った話をアップしたので、本日は山編。よく言われることではありますが、ウォーキングの効用は運動不足解消だけではないですね。ふだんから馴染みの生活圏内であっても、歩くたびに景色は変わり、視界が広がり、世界が広がります。

ウォーキングするようになってすぐに気づいたことのひとつが、「山歩きは視線が上に向かい、海歩きは視線が下に向かう」でした。これはわたしだけのことなのかもしれませんが、山を歩いていると「(木々に)囲まれている」状態になるため、より広い空間を求めて視線が上に向かうのです。実はこれは都会に行った時も同じで、都心のビル群のなかを歩いていると、知らず知らずのうちに視線が上方向に向かいます。

さて、ヤブツバキ。

↑これです↑。お!と思い、斜面をよじ登って、花に寄って撮ったら…↓ピンぼけ写真になってしまいましたが↓。

ヤブツバキ

ヤブツバキの、この、花が少し小さめなのが好きです。山里で見つける野生のものは「花が少し小さめ」で、野菊や野バラなどもそうなのですが「小さくて・色が濃くて・群生している」のが、生命力の強さを感じます。

実はウォーキングの途中に「立ち止まって写真を撮る」ことは、とても少ないです。どちらかというと、何かに集中しているときに中断する(=写真を撮る)のは、好きではなく。ウォーキングもしかり、歩いている途中で立ち止まりたくないタイプなのです。そんなわたしが立ち止まって、スマホを取り出して写真を撮るときは、よほど琴線に触れたときなのかもしれません。

読書『わたしの好きな季語』(NHK出版)川上弘美

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読書『わたしの好きな季語』(NHK出版)川上弘美

川上弘美さんと言えば『センセイの鞄』。考えてみたら、ちゃんと読んだのはこの一冊だけでした。著書は読んでいないもの、新聞や雑誌などで時折見かける川上弘美さんの文章は、やわらかそうに見えながら独特のほの暗さがあり、それが自然であざとくないのが好きだなぁ、と感じていました。

春・夏・秋・冬・新年に分けて、俳句の季語を紹介しているエッセイ。もとは雑誌に連載されていたのですね。言葉の選び方が楽しくあるいは美しく、さすが言葉を生業にする人だなぁ、と思いました。上の写真は、冬の季語「探梅(たんばい)」にちなみ、梅に鶯の描かれた蕎麦猪口(染錦梅に鶯文蕎麦猪口 藤吉憲典)。

本書のなかでしばしば登場する「歳時記」。その素晴らしさをあらためて感じました。我が家にも分厚い歳時記辞典があります。俳句を読む人には季語を知るための歳時記。わたしにとっては、もっぱらやきものの文様の意味をより深く知るための辞典です。歳時記を引くたびに日本の四季の美しさや、それを言葉に残してきた人々の感性に感謝の念が沸いてくる、不思議な書物です。

川上弘美さんの『わたしの好きな季語』は、俳句を嗜む人ではなくとも、その文章自体が面白く読める一冊でした。

肥前磁器の美:藤吉憲典の器「染付栄螺型香炉(そめつけ さざえがた こうろ)」

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肥前磁器の美:藤吉憲典の器「染付栄螺型香炉(そめつけ さざえがた こうろ)」

磁器作家・藤吉憲典がつくる肥前磁器の美しさを伝えるシリーズ。「美しさ」には「用途の美」を含みます。使い勝手の良さも含めて「美しい」と言えるもの。そこにこそ、江戸時代から400年続く肥前磁器の価値があると思っています。

「肥前磁器(ひぜんじき)」という呼び方は、まだまだ一般的ではありません。「有田焼」とか「古伊万里」といった方が、わかりやすくイメージできると思います。肥前磁器とは、有田焼、伊万里、鍋島などと呼ばれる、北部九州地方(肥前地域)で作られてきた磁器の総称です。地域的には現在の佐賀県・長崎県あたり。

肥前磁器の伝統は「写し」の文化によって受け継がれてきています。朝鮮半島から伝わった技術でスタートした磁器制作は、中国磁器に学び真似ることにより、その技術やデザインを発展させてきました。写しによる文化の継承は、江戸時代から現代にいたるまで続いています。

染付栄螺型香炉 藤吉憲典
染付栄螺型香炉 藤吉憲典

「コピー」が質を劣化させながらの表層的な真似であるのに対して、「写し」はオリジナルを超える良いものを生み出そうとする行為。写し継がれることによって、現代に生きています。現代作家・藤吉憲典が作るものも八割方は「写し」あるいは「写しを発展させたもの」です。

染付栄螺型香炉(小) 藤吉憲典

「香炉」自体は、現代の生活のなかで「ふだん使うもの」ではないかもしれません。ただ「蓋付きの器」として考えれば、それは食の器にもなり、大切なものを入れる箱にもなります。そもそも名前は便宜上つけられるものですから、名前にとらわれず用途に生かすことこそが、「見立て」の文化の面白さ。

今回ご紹介している栄螺型の香炉も「本や美術館で見たことがある!」という方があるのではないでしょうか。肥前磁器の収集で知られる戸栗美術館(渋谷区松濤)のサイトでも、江戸時代(17世紀後半)の貝型の蓋物が紹介されています。時代により、作り手により、どのように変わるのかを楽しむことができるのも、肥前磁器の魅力です。

津屋崎浜を歩いていたら、アイルランドの国鳥に出会いました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

津屋崎浜を歩いていたら、アイルランドの国鳥に出会いました。

昨年の晩秋から続けているウォーキング。あいにく毎日とは参りませんが、週3回くらいのペースで続いています。気持ちに余裕があって、天気が悪くないときは山コース。そうでないときは海コース。体力強化という意味では、山コースの方が効きそうですが、どちらにもそれぞれの面白さがあります。

昨日は海へ。いつものように浜辺をぐるりと、津屋崎浜→宮地浜→福間海岸方面へと進み、福間海岸に入るところで折り返し。前日に風が強かったからか、今日の浜にはウマヅラハギ(カワハギの一種)がところどころに上がっていました。毎年1月から2月頃には、浜に打ちあがってくることがあるのですが、この冬は特に多いような気がします。砂浜に横たわる魚。ややシュールな絵面ですが、たびたび目にするうちに慣れてきました。

カモメやチドリもたくさんいます。カモメは人馴れしているとまでは言わないまでも、散歩者があっても、なかなか飛び立ちません。ジーっとこちらを睨みつつ「できれば動かないで済ませたい」とでも思っているかのよう。カモメのなかでも、すぐに飛び立つ者、歩いてかわそうとする者、動かない者といろいろです。

チドリは比較的すぐに飛び立ちます。藤吉憲典のやきものには「波千鳥」の文様がたびたび描かれます。肥前磁器の文様としては江戸時代から続く人気の古典柄のひとつ。浜で見かけるチドリは、小さな個体の群れもあれば、カモメとサイズが変わらないような大きなものもあります。一見、大きいものは文様のチドリからはイメージが離れているのですが、群れで飛び立つ姿を見ると「ああ、チドリだ!」と感じます。

「文様のチドリは小さい方だろうな」などと思いながら歩いていたら、背後から「ミヤコドリですよ!」と大きな声をかけられました。不意を突かれて「えっ!」と振り向くと、「あそこに4羽いるあれ、ミヤコチドリっていうんです」と、少し離れて平行に歩いていたおじさん。わたしが歩きながらずっと鳥の姿を追っていたのに気が付いて、声をかけてくださったようです。というわけで、大きなチドリが「ミヤコチドリ」であることを知りました。

「ミヤコチドリですか…最近よくこの辺りにいますよね」と答えると「実はここ4-5年ずっと来ていなかったんですが、この冬久しぶりに帰ってきてくれました」と。さらに「個体数が少なくて、保護の対象なんです。」「アイルランドの国鳥なんですよ!」と、畳みかけるおじさん。「えっ、アイルランドですか!?」思わずこちらも大きな声で問い返していました(笑)

津屋崎には、地域の自然や歴史文化・史跡などについて知識が豊富な方がたくさんいらっしゃって、こちらが興味を示せば、惜しげなくいろいろと教えてくださいます。とてもありがたく、皆さんのシビックプライドをひしひしと感じ、嬉しくなる瞬間です。

さてお話を聞いて、一瞬「アイルランドから津屋崎まで飛んできたミヤコチドリ」を連想してしまいましたが、そういうわけではありません。でも渡り鳥ですから、どこか海の向こうから飛んできているのは事実ですよね。アイルランド、英国に渡航できるようになったら足を延ばしたいなと妄想しつつ、鳥には国境も関係ないのよね、と思ったのでした。

肥前磁器の美:藤吉憲典の器「染付梅散し文小壺」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

肥前磁器の美:藤吉憲典の器「染付梅散し文小壺」

磁器作家・藤吉憲典がつくる肥前磁器の美しさを伝えるシリーズ。「美しさ」には「用途の美」を含みます。使い勝手の良さも含めて「美しい」と言えるもの。そこにこそ、江戸時代から400年続く肥前磁器の価値があると思っています。

「肥前磁器(ひぜんじき)」という呼び方は、まだまだ一般的ではありません。「有田焼」とか「古伊万里」といった方が、わかりやすくイメージできると思います。肥前磁器とは、有田焼、伊万里、鍋島などと呼ばれる、北部九州地方(肥前地域)で作られてきた磁器の総称です。地域的には現在の佐賀県・長崎県あたり。

下の写真は、藤吉憲典の作った「染付梅散し文小壺」。つくりも絵付も、それぞれは古典に倣ったものですが、このつくりと絵付の組み合わせは全くのオリジナル。古いものを古いままに写すのではなく、組み合わせや創意の足し算で新しいものを生み出すことこそが、現代作家としての仕事の価値だと思います。

染付梅散し文小壺 藤吉憲典
染付梅散し文小壺 藤吉憲典

名前に「小壺」と付けていますが、この形を見て「文琳(ぶんりん)」とピンとくる方も多いと思います。茶道具の一つ、お抹茶を入れる「茶入(ちゃいれ)」に見られる形です。文琳とは、林檎(りんご)の異名(美称)です。ご覧の通り、リンゴのような形をしているから、ですね。

茶道具でお茶を入れる器を「茶入」と呼び、茶葉を入れる大きな壺に対して、お抹茶を入れる小さな壺を「小壺」と呼び、さらにその形によって「茄子(なす)」「瓢箪(ひょうたん)」「肩衝(かたつき)」「文琳(ぶんりん)」「弦付(つるつき)」「大海(たいかい)」「丸壺(まるつぼ)」「鶴首(つるくび)」などの呼び名がついています。

実際にお茶を習う場面、お茶会の場面では、磁器の絵付のついた茶入に出会ったことはほとんどありません。けれども、そもそも「見立て」の道具もまたお茶の楽しさのひとつですから、いろいろなものがあって良いはず…ということで生まれた小壺。

ちなみに茶入の蓋(ふた)は、古いものだと通常「象牙(ぞうげ)」で作られているのですが、本作は「象牙っぽく作った磁器製」です。本作をお買い上げのお客様が「これは面白い!」と一番気に入ってくださったポイントでした。お使いになる方と作り手との間に、こうした遊び心を共有できるのも、お茶をはじめとしたやきものを取り巻く文化への造詣あってこその楽しみです。