花祭窯の睦月の庭。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の睦月の庭。

いつもなら庭に咲く花を撮るのですが、今は花が少ないので、先日の積雪の際の花祭窯の露地の景色と、小正月(こしょうがつ)を前に、片付けてしまう前のお正月の景色をご紹介することにいたしましょう。

花祭窯

雪のなか、サザンカが映えました。水仙は雪の重みで頭を垂れていますが、雪がなくなったらまたシャキッと立ち上がります。冬に咲く花の強さ、美しさ。

花祭窯

露地の飛び石も真っ白です。

花祭窯 白磁花入れ 藤吉憲典

松と笹が入るだけで、一気に正月らしくなります。

小正月は一月十五日、元旦を中心とした「大正月」を担った女手をねぎらう「女正月」とも言われます。この日に正月飾りを燃やすお火焚き行事が行われる地域もありますね。お正月で実家に帰っていたお嫁さんが、婚家に戻る日とするしきたりもあるようです。十一日の鏡開きに続いて、お正月から日常に戻っていく行事。続く二十日正月(はつかしょうがつ)で、お正月にお迎えしていた神様が、早朝お帰りになられるのだそうです。(『和のしきたり 日本の暦と年中行事』(日本文芸社)より)。

読書『鳩居堂のはがき花暦』(小学館)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『鳩居堂のはがき花暦』(小学館)鳩居堂監修

常々手帳にはがきを入れていて、書きたいときにすぐ書けるようにしています。大阪でサラリーマンをしていたころからですから、これが習慣になってほぼ四半世紀(笑)。ひところずっとお世話になっていたのが、まさに鳩居堂さんの絵ハガキでした。

四季の花々が絶妙に配置されたバランスの美しさと、少し厚手の紙と、シルクスクリーン印刷の、なんともいえない質感が大好きで、見かけるたびに何枚も買い込んでいました。季節ごとに売り場に並ぶ絵柄が変わるのも魅力でした。その時に使いたいものを、その都度選ぶ贅沢。

その絵柄を一挙公開してくれているのが、本書です。絵葉書の発売から30年以上経ち、二百種以上の絵柄があるといいます。よく使っていた大好きな絵柄もあれば、初めて見る絵柄もあり。ついつい欲しい絵柄に〇をつけてしまいます。そして鳩居堂さんに出かけたくなります。東京なら銀座の東京鳩居堂、福岡なら天神のTOHJIJULIET’s LETTERSで手に入りますが、やっぱり京都の鳩居堂本店にも足を運びたいですね。

絵柄についての解説だけでなく、鳩居堂さんの歴史や、はがき文化の気軽な楽しみ方も書かれています。この本を読んで(見て)、誰かにハガキを出したくなる人が増えると嬉しいな、と思います。

長~く使う。腕時計。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

長~く使う。腕時計。

アクセサリーを身に着けることがほとんどありません。意識するのは冠婚葬祭時ぐらいでしょうか。もともと無頓着であるのに加え、「やきものや」の仕事柄、割れ物を扱うのが常であることも、影響しています。ふだんから結婚指輪もつけていません。器や作品を扱う都度着け外ししていると失くしてしまいそうなので、ずっと箱のなかです。

ふだん身に着けるものとしては、唯一外出時に腕時計をつけるぐらいです。それも昨年は外に出ることがぐっと減ってしまいましたので、出番がほとんどありませんでした。気が付けば長く愛用している二つの腕時計が、両方とも電池切れで止まっていました。時計屋さんに電池交換に行かねば!です。

道具はなんでも長く使う性質で、腕時計も例に漏れません。ひとつは大学4年生の時に大学卒業記念にバイト料で自分への贈り物に買ったもので、もうすぐ30年。もうひとつはサラリーマン時代の一つの転機に、これも自分への贈り物として買ったもので25年。いずれも腕時計としては全く高価なものではないにもかかわらず、ずっと動いてくれています。

買ったときは、こんなに長く使い続けることができるとは思っていませんでした。今更ですが、腕時計ってすごいですね。電池が切れても入れ替えれば復活してくれるし、ちょっと動きが怪しくなった数年前には、開いて掃除してメンテナンスすればまだまだ長く使えると、時計屋さんからお墨付きをもらいました。ベルトの交換によって、気軽にアップサイクルできるのも魅力です。

そんなことを思っていたら、ちょうど届いた英字新聞「the japan times alpha」に「時代を超越したバグダッドの時計修理店」の話題が載っていました。イラクの首都バグダッドにある三世代続く時計修理店のストーリー。その店内ところ狭しと腕時計で埋め尽くされている様子が写真に載っていて、腕時計ってそういうものなのね、と嬉しくなりました。代々受け継いで使われていくものなのだと分かれば、わたしの30年など短い方。

さて2021年のスタートに、訳あって新しい腕時計を調達することに。この機会に、ショップコンセプトがずっと気になっていた、カスタマイズウォッチのMaker’s Watch Knotさんでオーダーをしてみました。曰く「日本の職人がつないできた誇らしい伝統技術やものづくりを末永く将来へとつなげていきたい。」と。初めてサイトを拝見したときに、「腕時計の世界でも、伝統工芸と同じことが言えるんだ!」と新鮮な発見をして、次に腕時計を買う機会が合ったら、ここで買ってみようと思っていたのでした。

Maker’s Watch Knotさんで初めてのお買い物。気に入って購入したので自分自身は大満足ですが、30年後もずっと使い続けていけるものかどうかは、まだわかりません。サイトに「もちろん、誰もが手に届く価格で。」と書いてある通り、腕時計として決して高いものではありません。それでも、今度の腕時計もまた30年、40年、50年と人生を伴走してくれるといいな、と思いつつ。いずれまた「その後」報告をしたいと思っています。

珍しく雪景色の津屋崎です。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

珍しく雪景色の津屋崎です。

花祭窯 雪景色

ここ津屋崎に花祭窯を移転してくるときに、地元の方が「雪が降ることはたまにはあるけれど、海があるから(海水温が氷点下にならないので)滅多に積もらないよ」とおっしゃるのを聞いて、雪道が苦手なわたしはちょっぴりホッとしたのでした。

花祭窯の創業地は佐賀の山間にありましたので、真冬の最低気温が氷点下になるのも珍しくなく、雪が降ればあっという間に積もって、集落外に出れなくなるということもありました。同じ町内で2cmも積もっていないのに、花祭だけ20cm近く積もっている、なんてことも。でも、山の雪景色はそれは美しく、スノーブーツを履いて足を雪にめり込ませながら、寒いと大騒ぎしつつ犬と散歩していたものです。

さて昨日から、津屋崎には珍しい雪景色。寒い寒いと騒ぐ一方で、貴重なシーンを写真に収める人も多数あり。そのなかから、友人がインスタグラムに掲載しているものを少しご紹介いたします。

ゲームデザイナーでありフォトグラファーでもある日浦さんによる津屋崎の雪景色は、とにかく美しいです。

https://www.instagram.com/p/CJvQHRVHggd/

ガーデナーでありハーバリストであり造園家であるガーデンアルテさんのアトリエの雪景色。

https://www.instagram.com/p/CJwB_6YFtQS/

小皿豆皿があれば、おせち料理が格好良く決まる。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

小皿豆皿があれば、お節料理が格好良く決まる。

今年のお正月は自宅でゆっくりでしたので、おせちもいつもより多めに作ってみました。不器用なわたくし、お重に詰めるのがなかなか上手にいかないので、毎年「お重+小皿」です。幸い仕事柄、小皿豆皿ならいろいろと手持ちがあります。盛り付けを考えることなく手軽にセットできるので、時間がかからないのも魅力です。

小皿豆皿でおせち 藤吉憲典の小皿豆皿

写真一番上から時計回りに下記の通り。いずれも藤吉憲典の器です。

  • 干し柿スライス:染付桜詰文ぐい呑
  • ごまめ:赤絵万暦六角豆皿
  • カボス甘露煮:染付芙蓉手六角豆皿
  • たたきゴボウ:染錦縁ダミ山水文六角豆皿
  • なます:染付地文桃型小皿
  • きんとん:白磁ぐい呑
  • 黒豆:赤絵万暦赤玉文六角豆皿
  • 柚餅子:青磁桃型小皿
  • 取り皿:染錦梅枝文五寸皿

このお正月は自分でいろいろと作ってみましたが、干し柿と柚餅子は料理やさんから頂いたものです。いつも言っているのですが、自分で作らなきゃと頑張らなくても、出来合いのものを盛りなおすだけでも、じゅうぶん「お家おせち」という感じになります。小皿豆皿は、忙しい人、盛り付けが苦手な人の、強い味方です。

藤吉憲典の小皿豆皿は、花祭窯オンラインショップでご紹介いたします。2021年1月6日現在リニューアル準備中です。1月中にはオープン予定です。どうぞお楽しみに♪

2021年書き初めは、長文に挑戦してみました。

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2021年書き初めは、長文に挑戦してみました。

2021年書き初め

1月2日は書き初めの日。毎年何を書こうかと悩むのもまた楽しみのひとつです。昨年この歌に出会ってから、2021年の書き初めにはこれを書こうと決めていました。

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さへて 冷(すず)しかりけり」。

仏教曹洞宗の祖・道元禅師が詠んだ和歌と言われています。季節を詠んだ歌ですが、その背後には「あたりまえであること」や「ありのままを素直に見ること」の難しさが垣間見えます。ただ季節は流れ現象は移ろってゆくのだから、何も特別なことは言う必要がないのだと教えているようです。

常に字が大きくなりがちなわたしにとって、半紙一枚にこの文字数を収めるのは至難の業でした。文字がバラバラに散らばりそうになるのを少しでも押しとどめ、全体のバランスを維持するには集中力が必要で、これがいっぱいいっぱい。でも、まあ、自分の実力を考えれば、よくできた方かもしれません。

一方、磁器作家・藤吉憲典が書いたのは、こちら。

上田秋成の随筆『胆大小心録』にあるという名言を拝借していました。藤吉の亡き父は、大量の書籍を遺してくださったのですが、そのなかの一冊『日本名言名句の辞典』(小学館)から、見つけ出した言葉です。これを機会に、上田秋成を読んでみようかな、と思いつつ。

わたしは『胆大小心録』を読んだことが無いのでその前後の文脈を知らず、「わたくしとは才能の別名也」がどういう意図で書かれたのか、ほんとうのところはわかりません。そういうときは、自分に都合よく解釈。「わたくし」一人一人の存在が、個々にそれぞれ「才能」なのであると読めば、とても力強く感じます。

一年のうち一日でも、こうして筆を持って字を書くことに集中できるのは、とても楽しく充実した贅沢。毎回粘り強く書を指導してくれるダンナに感謝です。

2021年仕事始め。本年もよろしくお願い申し上げます。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

2021年仕事始め。
本年もよろしくお願い申し上げます。

元旦は長崎本線の車窓から初日の出を拝むのが恒例となりつつありましたが、2021年はここ津屋崎でのお正月をゆっくり楽しみました。上の写真は、大峰山のてっぺんから津屋崎浜を眺める初日の出。

朝一番に地元の氏神様である波折神社に散歩がてら参拝。波折神社では、例年大晦日は地元有志「笑福会」による蕎麦やぜんざいの出し物があったりして、こじんまりとした境内が賑やかになるのですが、今回はその催しもなく静かな年越しだったようです。早朝の境内は、当番の氏子総代さんが待機しておられるほかは人に会わず、ゆっくりとお参りできました。

波折神社から戻ってきたら7時を回ったところでしたので、「今から行けば初日の出にちょうどいいんじゃない!?」ということで、車で大峰山へ。駐車場から遊歩道を歩いて登っていくと、すでに初日の出を待ち構える方々が何組かいらっしゃいました。なかには自転車で山道を登ってきた高校生と思しきグループも。待つこと10~20分ほどで、初日を拝むことができました。帰りには、鳥居越しに東郷神社にお参り。

お雑煮を食べて、おせちを食べて、分厚い新聞を読んで、年賀状をチェックして、読書して。午後からは浜辺を散歩。津屋崎浜から宮地浜へ。宮地浜では宮地嶽神社の参道の鳥居から、本殿方面を仰ぎ見て参拝。期せずして、元旦に三社参りが実現しました。こんなにゆっくりしたお正月は久しぶりでした。

本日1月4日から2021年度のお仕事スタートです。本年もどうぞよろしくお願いいたします!

年末に、ご飯茶碗とお椀を新しく。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

年末に、ご飯茶碗とお椀を新しく。

今年はご飯茶碗を二つも割ってしまいました。恥ずかしながら、我が家で一番割るのはわたしです。たいていは洗い物をしているときに、うっかり手を滑らせて…というパターン。ただ自分用のご飯茶碗は、結婚以来割ったことがありません。無意識が働いているのでしょうか、不思議なものです。

そんなわけで、お正月を前にダンナと息子の飯碗を新調することに。「次に飯碗を作るときは、うちの分もお願いします」と、ダンナにお願いしておりました。食器を作って売る商売ではありますが、自宅用はついつい後回しになってしまいます。数日前に、今年末最後の窯ででき上がりました。

上の写真は、いくつかの選択肢から息子が自分用に選んだ「染付菊花文飯碗」。作り手はもちろん、藤吉憲典。こういうことが当たり前にできるのは、仕事柄の贅沢ですね。ダンナに感謝です。審美眼とまで言わずとも、「これが好き、これがいい」と、自分の使うものを自分の目で選ぶ力をつけることは、実は生きていくうえで大切なことなのではないかと、わたしは思っています。

さて我が家の食卓は「ご飯と味噌汁」が基本なので、飯碗と汁椀は一年中フル稼働。一番大切な器、食卓の中心になる器です。少しキズが気になっていた塗の椀も、この際だから新調することにいたしました。塗り物は、塗りなおしなどで修復できるのが魅力ですが、修理もまた時間のかかる仕事ですので、もう一組予備があれば万全です。

磁器以外の器は、お取引先の器やさんや、知り合いの作家さんのところから買うことが多いです。仕事柄、信頼できるお店や作り手さんを知っているのは、こういうときに助かります。足を運べないときは、まずはお取引先のオンラインショップを拝見して、写真と文章で探し物をするのが常。今回は、大阪の暮らし用品さんが扱っておられる安比塗の素敵なお椀を、手に入れることができました。

安比塗の椀(暮らし用品さんにて)

お正月に、新年に新しいものをおろすのが本来なのかもしれません。でもせっかく手に入ったもの、一日でも眠らせておくのはもったいない!ということで、年末にさっそく使い始め。お気に入りの飯碗と汁椀があれば、毎日のごはんがますます楽しいことを、改めて感じている年末です。

本日は弁当の日。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

本日は弁当の日。

せっかくつくったお弁当の写真を撮るのを失念しておりましたが…。本日は、息子の通う中学校で「弁当の日」です。ここ福津市内の公立小中学校では、数年前から「弁当の日」が行われていて、我が息子も小学校の高学年の頃から張り切って作っています。そういえば一昨年にも「弁当の日」でブログを書いていました^^

今年は弁当の献立に使う食材の買い物から一緒にすることに。近所のスーパーに行って、食材物色。献立が先に決まっているので、買うものは明確です。ひとつひとつ、手に取りながら値段を確認。想定していたものが無いときは、代替となるものを探すなど、柔軟に対応できるようになってきました。

レジを通った後の息子の一言は「けっこう高くなっちゃったね」。そのことに気づいてくれただけでも良いことです。「毎日お弁当を作るようになったら、献立ありきじゃなくて、食材ありきで考えると、コスパが良いのだよ」と返しつつ、「弁当の日はイベントだと思って、いいんじゃない」とフォローすると、「うん、わかってる」と。

ハンバーグをつくるというので、前の晩からの仕込みを行うかと思いきや、朝早く起きて作るということで、いつもより1時間早く起床。母たるわたしとしては、今回はできるだけ手を出さずに、なんとか時間内に完成させるべく、助言係に徹しました。1時間後、無事に本人のイメージ通りのお弁当が出来上がりました。

高校生のお子さんがあるお友だちとおしゃべりしていたときに、「うちの子は毎朝自分でお弁当つくって持っていくよ」と聞き、そういえば、自分の高校時代はあたりまえのように親が作ってくれていたけれど、「自分で作る」という選択肢もあったのだと今更ながらに振り返ったことを思い出しました。

お弁当をつくる子どもだけでなく、そこに関わる親にとっても学びのある「弁当の日」です。

昨日は冬至だったので。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

昨日は冬至だったので。

二十四節気のひとつ、冬至。晩御飯にはかぼちゃ(南京/なんきん)を添え、お風呂には柚子を投入しました。前日に友人が柚子を届けてくれたので、明日はもう冬至だ!と気づいたのでした。冬至と言えば、子どものころから「昼が一番短い」とか「柚子湯」とか「かぼちゃを食べる」とかのイメージです。かぼちゃについては、名前の前後に「ん」のつくものをいただくと良いのだということですね。友人のおかげで、冬至らしい晩を過ごすことができました。

最近は、冬至と言えば「一陽来復(いちようらいふく)」という言葉を聞くようになりました。これは中国の『易経』に載っている言葉だということですね。中国では冬至を暦のはじまりと位置づけ、「冬至節」を祭る儀式は重視されていたということです。秋分以降、次第に短くなってきた昼の時間が、この日を境に反転して伸びていくので、「太陽の復活の日」と位置付けられていると。

こんなふうに、暦にまつわる行事があるとき、いつもわたしが引っ張り出すのが、『和のしきたり 日本の暦と年中行事』(日本文芸社)です。国立歴史民俗博物館教授(当時)新谷尚紀先生の監修です。事典的な使い方ですが、開くたびに新しい発見があります。

そして巻頭の「はじめに」に書いてある一文が、いつも心に刺さります。曰く


各世代が捨ててしまわなかった「しきたり」や「習わし」には、世代を超えた生活の知恵や技の結晶が詰まっています。(『和のしきたり 日本の暦と年中行事』日本文芸社より)


時を経ていつ捨てられてもおかしくなかったものが、受け継がれてきているということの妙に、思いを馳せる冬至でした。