読書『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット

『読書大全』からリストアップした「読みたい本」からの1冊。新刊で出たときにあちらこちらの書評欄で話題になっていた本で、手に取ろうかなと思いつつ、そのままになっていた本です。最近、このパターンが少なくありません。わりと最近の本というイメージがありましたが、第1刷が2016年となっていますので、もう5年以上前ということですね。

表紙カバーの折り返しに「お金偏重の人生を、根底から変える。成長至上の次に来る、新しい生き方」とあります。そのような期待をもって読み進めたのですが、残念ながら少し期待外れでした。第5章以降「新しい○○」という章題で話が進みますが、個人的にはあまり新しいと思えず。5年前の初版からさまざまに引用されて、知らないうちに目にする機会がたくさんあったことは考えられますので、そうして目にしているうちに、当時は「新しい」とされたものに馴染んでしまったのかもしれません。

また、ひとつには「仕事」や「働き方」に対する考え方が、想定されている読者層と、わたしとでは大きく異なっていたのかも知れない、と思いました。そしてもうひとつ、先日読んだマイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』のインパクトが大きかったのも影響しています。『実力も運のうち 能力主義は正義か?』で展開されているお話に比べると、少し後退しているというか、表面的な印象がありました。

「お金偏重の人生を、根底から変える。成長至上の次に来る、新しい生き方」といいながら、基本とする価値観がそれほど大きくは変わっていないと感じたこと、いくつも提示されている「人生のシナリオ」のパターンも、結局はある一定層の人たちを基準としていることが見てとれたことが、期待外れの一番の原因だったと思います。

ただ、論じられている内容のほとんどは、ほんとうにそうだよね、と思わせられるもので、そこは反論や否定をするものでは全くありません。特に「見えない資産(無形資産、お金では換算できないもの)」についての考察は、今後だけではなく今までもずっと、人が生きていくうえで大切で重要であったもので、ここにあらためて光を当てることに、大きな意味を感じながら読みました。

ひょんなきっかけで「自分の好きなもの」に気づく。

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ひょんなきっかけで「自分の好きなもの」に気づく。

藤吉憲典の器や作品を扱ってくださるギャラリーさんは、皆さん「もの」に対する己の審美眼と価値観をしっかりとお持ちで、お付き合いのなかでいつも学ぶ機会をいただいています。オーナーさんの嗜好や考え方は「わたし(わたしの価値観)は、こんなふうですよ」と、お店のありようや展示ににじみ出ます。それらに対して、自分はちゃんと「わたしはこんなふうです」を提示できているかしらと、問われているような気がします。

先日のこと、岡山のギャラリー栂さんが、ご自身が集めて来られたアンティークを展示するという企画展をなさっていました。フェイスブックを通じてその様子を拝見していましたが、そのなかでひとつのアクセサリーが目に留まってしまいました。

思わず速攻でお問い合せしたところ、どうやらアンティークとは言うものの、それほど古くなく、また思いがけなくお安い値段をつけておられることが判明。写真一枚の印象で買い物をすることはあり得ないわたしですが、即決で譲っていただくことに。それが、上の写真左側のブローチです。ふだんブローチなどつけることはまずありませんし、今までの人生のなかで自分で購入したことも記憶にありませんから、とても珍しいことでした。

手元に届いて実物をよく見ると、なぜ価格が安かったのかがわかりました。それがわかったうえでも、とにかく可愛くて嬉しくてウキウキです。そして、じーっと眺めるうちに、自分が惹かれた理由がちょっとづつ見えてきました。

まず、細工の楽しさ。そして、色。そういえば、同じ色のアクセサリーを一つ持っていたと思い出し、引っ張り出してきたのが上の写真右側のネックレス。ターコイズブルーです。このネックレスも、ひとめぼれで買ったのだったと記憶がよみがえってくると、二つのアクセサリーの共通点=わたしの好きなものが見えてきました。

ふだんほとんどアクセサリーをつけませんが、せっかくだから、たまにはつけないともったいないな、と思いました。好きなものを身に着けることは、「わたしはこんなふうです」を提示することにつながりますね。

学び続けることに定年はない。

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学び続けることに定年はない。

干支の寅、気になってるのよ。わたし、寅だから。」と、ご近所さん。「年女なんですね。おめでとうございます!」と言ったあと、ふと思いました。「あれ?お幾つだったかしら?」と。たしかお仕事を定年退職なさってから、今取り組んでおられるいろいろな地域活動をスタートしたとお聞きした覚えがあって、それからもう何年も経っているから、還暦は過ぎておられる…ということは!?

地域のこと、歴史や観光に関わること、現在の地域のこと、それらに関連して広がるいろいろなこと。さまざまな勉強会やセミナーで、その方のお顔を拝見することや、お名前を見聞きすることがとても多いのです。ご近所で出合い頭にちょこっとおしゃべりをするたびに、この方の「学ぶ姿勢」に感嘆させられます。そして学んだことを、実際の地域での活動や課題に落とし込もうとしておられること、ひとつひとつに対してしっかりとご自身の見解もお持ちであるのも、とても魅力的なのです。

わたしは博物館学芸員資格を取得する過程で、生涯学習や社会教育について初めて体系的に学びました。そして福津市の生涯学習の仕組みである「郷育カレッジ」の運営に関わるなかで、その知識や考察を実際の活動として地域に落とし込むことができるようになりました。そうした社会教育の場でお会いする方々は、皆さんいつも学び続けています。

昨今の流行りに「リカレント教育」なる言葉がありますが、そんな言葉がはやる以前から、社会に出た後も学び続ける人・学び直す人はたくさんいるように思います。仕事をリタイアした人だけでなく、仕事をしながら学校に通っている友人もたくさんいます。かく言うわたしも、学芸員資格を取得したのは、40歳からの大学編入でした。

ともあれ「リカレント教育」という言葉に伴い、世代を超えて学びの機会が増えているのは、とてもありがたい傾向です。何のために学ぶのか、ではなく、学ぶこと自体が目的であって良いと思うのです。手段としての学びではなく、学びたいから学ぶ。そしてそれができることは、とても幸せなことだなぁなんてことを、冒頭の会話から連想して考えていた午後でした。

2月3日は節分豆撒き。

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2月3日は節分豆撒き。

季節の行事のなかでも、我が藤吉家が重視するイベントのひとつが、節分の豆撒き。我が家で豆撒きするのはもちろんのこと、ここ津屋崎に越してきてからは、この地域の氏神様である波折神社での豆撒き神事に毎年参加しています。

昨年に引き続き、今年も氏子総代の方々による神事のみとなりました。お参りしたあと、帰りに社務所で「福豆」のお土産をいただく仕組み。わぁわぁと豆を奪い合う(!?)賑やかな面白さはありませんが、みんなが穏やかに福豆をいただいて嬉しそうに帰路に就く様子は、眺めていて幸せな気持ちになる景色です。

風は冷たいながら、青空に神社の旗が美しくなびき、気持ちの良いお天気でした。自転車30秒で豆撒き神事に参加できるありがたさ。いつもは徒歩で出かけるのですが、今日は気がついたら豆撒き神事の時刻になっていて、あわてて自転車で参りました。時節柄、参加者は比較的少なかったのですが、たまにしか顔を合わせないご近所さんのお顔が見れたのも、地域行事のよいところ。

明日は立春、おかげさまで福福しい春迎えとなりました。

映画『フレンチ・ディスパッチ』を観てきました。

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映画『フレンチ・ディスパッチ』を観てきました。

正式なタイトルは「THE FRENCH DISPATCH OF THE LIBERTY, KANSAS EVENING SUN」邦題で「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」です。長いですね。上の写真は、映画の世界観からイメージが思い浮かんだ、ユトリロの「コタン小路」。『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)「エコール・ド・パリ」の章に紹介されているもので、1910年ごろの作品です。

『フレンチ・ディスパッチ』は、3つのストーリーからなっています。それぞれがシュールというか皮肉が効いているというか、なんとも形容しがたく。フランス語でいうところの、エス・プリというのでしょうか。風刺漫画をパラパラとめくっているような感じで、ただその漫画のつくりが、ものすごく丁寧で細部まで凝っていて、美しいという。

この面白さをどう説明したらよいものか…説明に困って映画の公式サイトを訪問したら、ありました。サイト内「『フレンチ・ディスパッチ』とは?」のページをご覧いただくと、予告動画よりもこの映画の雰囲気がばっちり伝わると思います。

全編ほぼ英語ですが、なかにフランス語でのセリフが出てきて、英語のなかに混じるフランス語の音の響きがなんとも魅力的でした。フランス語のときは、画面に英語字幕が出て、日本語字幕も出ている、という状態ではありますが、それが邪魔になる感じはありませんでした。そしてなんといっても、美術が見どころです。舞台美術のような表現方法や、アニメーションなど、どれもこれもおしゃれで魅力的でした。アート、デザインに関わるお仕事をなさっている方には、特におススメです。

今年の目標「映画を月に1本は観る!」。1月の『HOUSE OF GUCCI』に続き、2月もミッションコンプリートです。

読書『幸福論』(日経BP社)アラン著

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読書『幸福論』(日経BP社)アラン著

年の初めに『読書大全』からリストアップした「読みたい本」のなかから、図書館に蔵書のあるものを、徐々に読みはじめています。リスト中に古典的名著が多いので、蔵書にあるものが多く、気軽に手に取ることができるのは、とても助かります。大学生の時に哲学書はわりと読んだような気がしていたのですが、内容を忘れているうえに、自分が思っているほどには冊数読めていなかったことに気づかされる今日この頃です。

さて、アランの幸福論。読めていなかったものの一つです。裏表紙にある言葉にすっかり参りました。いわく「もう深刻ぶるのはやめて のんきにやろう」。日経BP社版です。もとは日経ビジネスオンラインのウェブ上で、ビジネスパーソン向けに連載されていたものをまとめたものということで、かなり読みやすく意訳されています。幸福論は複数の出版社から出ているので、どれを手に取るかで、印象が変わる可能性大ですね。そのうち他者から出ているものも読んでみたいと思います。ともあれ、この日経BP社版であったのは、わたしにとってはラッキーでした。

読みはじめて半分も行かないうちに「ぜんぶここに書いてあったのね!」と思いました。どうして今までこの本を手に取らなかったのか不思議です。あるいは哲学に興味があった大学生時分は、ある意味「深刻ぶりたい」年頃で、アランには食指が動かなかったのかもしれません。そういえば当時一番はまっていたのは、デカルトの「我思う、ゆえに我在り」でした。

93の考察が載っています。珠玉の言葉が盛沢山で、ここで紹介するよりは、ぜひ本書を読んで欲しいと思います。なかでも、今の自分にとって「!」と刺さったのは、「情念から私たちを解放してくれるのは、思考ではなく行動なのである」。そして、別の本で目にしたことのあった「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」。ほかにも、このフレーズ聞いたことあるぞ!?というものがたくさんあって、近年出版された書籍のなかにも、アランの『幸福論』のエッセンスがたくさん入っていることに気づきました。影響を受けている著作者がたくさんいるということですね。

図書館で借りて読みましたが、座右にしたいので、購入決定。そのうち時間があれば、別の出版社からの『幸福論』も読んでみたいと思います。それぞれがどんなふうに意訳されているものか、興味深いです。

英語のテキストをチェンジして、モチベーションを上げ直す。

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英語のテキストをチェンジして、モチベーションを上げ直す。

英字新聞「The Japan Times Alpha」に追い回されています。』と書いていたのは、約1年前。

そのThe Japan Times Alphaは、毎回の時事ニュースが面白く、音声で学ぶことができて、素晴らしい&とてもコストパフォーマンス抜群の教材です(とわたしは感じています)。毎週届く追い回され感も、ずぼらなわたしには必要な要素ではあります。が、1年が経ち「毎週届く」にちょっと慣れてくると、だんだんと英字新聞が積み上がってきました。自主学習の罠と言いましょうか、壁と言いましょうか、罠を仕掛けているのも、壁を築いているのも自分自身なのですが(笑)。

そこで、単純な方法ではありますが「教材チェンジでモチベーションを上げ直す」ことに。今回選んだのは『ENGLISH JOURNAL』。The Japan Times Alphaは、昨年購読している最中に「70周年」を迎えた歴史ある教材でしたが、ENGLISH JOURNALもまた老舗感のある雑誌です。記事に惹かれて単発で購入したことが過去に何回もあり、親しみがあります。調べてみたら1971年創刊ということで、こちらは昨年50周年を迎えたところなのですね。

ENGLISH JOURNALも紙媒体。プラス、オンラインでの教材提供もあり、音声ダウンロードもできますので、自主学習教材として至れり尽くせりの充実度合いです。旬のニュースのなかに、アート系の特集やイギリスに関する特集が多いのも、個人的には魅力。あとは、自分自身がどれだけ取り組めるか、というところです。どんな教材であっても、結局はここに尽きるのですが。明日は春節で、旧暦新年のスタート。英語学習も新たな気分でリスタートです。途切れたらまたやり直し、の連続です。

花祭窯の睦月の庭。

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花祭窯の睦月の庭。

もうそろそろ睦月もお終いという頃ではありますが。ここ数日は冷え込みもそれほど厳しくなく、水仙の黄色がまぶしいです。我が家の水仙は今が満開。

水仙

スノーフレークの葉っぱがどんどん伸びてきました。三月頃には白い花が咲くでしょうか。年々どんどん増えていて、嬉しいやら、ちょっぴり悩ましいやら。

サザンカもそろそろお終いです。掃いても掃いても、の図。

そろそろお終いとはいいながら、まだたくさん花も咲いています。力強さを感じるピンク色と黄色の組み合わせ。

ヤツデは葉っぱに気をとられがちですが、花も愛嬌があります。

そして、昨日の夕日が美しかったので、おまけ。刷毛で描いたような雲に、夕陽の赤でした。自然の生みだす色の美しさに脱帽です。

干支の寅。

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干支の寅。

お正月も明けて1か月が過ぎようとしているときに、この話題。ですが、3年前の亥年にも、同じようなブログが上がっていました。いわく、春節に間に合えばOKということで。恒例の干支の置きものと言いながら、いつもお正月に間に合うかどうかドキドキしています。今年は元旦の早朝に、寅の入った窯が上がりました。2月1日の春節(旧正月)には十分間に合っていますので、良しとしましょう。

干支寅 藤吉憲典
干支の寅 藤吉憲典

さて寅。上の写真を見て「あ!」と思ってくださった方、いらっしゃると思います。絵本『ちびくろサンボ』の一幕にインスパイアされたもの。最初に「ほら」とダンナ・藤吉憲典から見せられたとき、トラがぐるぐると回りながら、溶けてバターになってしまい、そのバターで作ったホットケーキがとても美味しそうだった、という記憶が即座によみがえりました。そんな、干支の寅。

毎回、その年の初めに作るだけで追加制作をしないので、在庫が無くなったらお終いの干支の置物。実は手元に残っていないものもあります。12年後の寅年には、どんなものが出来上がるのでしょうね。

名刺をどうしたものか、検討中。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

名刺をどうしたものか、検討中。

先日、久しぶりに名刺が必要な場面があり、在庫が数枚になっていることに気づいて焦りました。ここ2年、コロナ禍で仕事上の外出、なかでも「初めて会う人」と会う機会が激減していたもので、あまり気にならなかったのですね。名刺入れはふだんから持ち歩いているのですが、名刺がちゃんと入っているかどうかを確認しておりませんでした。

「紙製の名刺」の存在意義さえ問われる昨今ですが、かといって紙の名刺がまったく無いと困る場面も、容易に想定できます。さて、どうしたものか。ここ数日ぼんやりと考えていましたが、今から作るのであれば「紙で作る意味のある名刺」を作った方がいいよね♪の結論に達しました。モノとして受け取ったときに、ちょっと楽しめるような、名刺。

具体的にどんなものを作るのかは、これからの検討です。これまで名刺を新たにつくる際に検討していたのは、肩書をどうするかとか、文字フォントをどうするかとか、落款と文字の配置をどうするか…というレベルでした。そういうものも含めて、全体のデザインコンセプトから考えるとなると、楽しそうであり、けっこうパワーが要りそうであり。

上の写真は、ロンドンのシャーロックホームズミュージアムで手に入れた、シャーロックホームズの名刺。シンプルながらインパクトを感じるのは贔屓目でしょうか。ともあれ、名刺に書いてある内容に目を通す前に、話題を提供できるような名刺ができるといいな、と思っています。