「海外観光客も引き続き無料」についての小さな考察 ― ARTnews JAPANの記事から

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「海外観光客も引き続き無料」についての小さな考察 ― ARTnews JAPANの記事(2026.09.29)から

この2026年10月から、このブログに「ニュースから考える」カテゴリーを追加することにしました。ニュースとはいっても、個人的に興味のある分野に限られますので、美術・工芸系のもの、ざっくりと人文系が多くなるかな、と思います。ニュースソースとしては、新聞・雑誌・ウェブコンテンツなど。ニュース記事の内容について思ったことを、つらつら書くスタイルです。出典元を記載しますので、関心のある方はぜひ元ネタにあたってみてくださいね、という感じで^^

記念すべき第一回目は、株式会社MAGUSさんが運営するARTnews JAPAN(アートニュースジャパン)の記事から。株式会社MAGUSさんは、寺田倉庫さんを中心に設立された、アートのプラットフォームを目指す会社ということで、わたしはそのウェブサイトをつい最近発見したのでした。美術品の物流業からアート関連事業をどんどん拡げておられる寺田倉庫さんの肝入りとなれば、注目度も高そうです。

さて

ARTnews JAPANより「海外観光客も引き続き無料」のニュースは、英国から。「イギリス政府は9月28日、大英博物館やテート、リバプール国立博物館群など、イングランドの国立博物館・美術館で海外観光客から入館料を徴収する案を撤回すると発表した」とありました。そもそも有料化する案が具体化しているということも知らなかったワタクシ、このニュースを見てドキッとするやらホッとするやら。そういう議論があるのは聞いたことがあったのですが、ね。

ロンドン出張時になにがありがたいかといって、主だった美術館博物館が入場無料であり、しかもその常設展示の規模と内容が素晴らしく膨大である、というところなのです。無料だからこそ、アポの合間に15分空いた!といって、近くの美術館に飛び込むことが出来たりもします。各館、無料で入れるとはいえ、ドネーション(寄付)の呼びかけが随所にありますので、わたしも行ったときには必ず幾ばくか寄付をします。たぶん、そういう人がかなりたくさんいらっしゃるはずです。昨年行ったときには、キャッシュレス化が進んでいましたが、コロナ禍前までは多くの館で透明の寄付箱がおいてあり、コインばかりでなく高額紙幣がたくさん入っているのを、ビジュアル的に見ていました。お金を持っていなくてもウェルカム、だけど館の存続運営のために、協力できるとき・協力できる人はよろしくね♪というスタンス。

寄付に積極的に協力するのは、入館料が無料だからこそ!という一面もあると思います。「こんなにたくさんの本物の資料を、無料で見ることができるなんて」という感激が、寄付に向かわせます。海外からの観光客となれば、入館すれば、館内のカフェでゆっくり飲食をしたり、ミュージアムグッズを買ったりして、お金を使うことも多いでしょう。おそらくそういうことがわかっているからこそ、現場である各館からは有料化に反対の声が上がっていたのだと思います。敷居はできるだけ低くして、中でお金を使ってもらうほうが、双方嬉しい結果につながるのではないかしら、というところですね。もちろん比較した試算を見たわけではありませんので、あくまでもイメージですが。

この記事を読んで思い出したのは、わたしが英語学習用を兼ねて勉強に使っているDVD『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』の中のいくつかのシーンです。このなかに、館運営のための予算を検討するシーンがあり、国からのサポートが厳しくなっていることがうかがえる会話が出てきます。日本の美術館博物館も財政的に厳しい状況ですが、英国でもそうなのだなぁと思いました。この映画が公開されたのが2014年でしたので、今はもっと厳しくなっているのかもしれませんね。

読書『異常に非ず』(新潮社)桜木紫乃著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『異常に非ず』(新潮社)桜木紫乃著

いつものカメリアステージ図書館から、図書館が一週間ほど休みなので、多めに借りよう!と手を伸ばしたのは、久しぶりの桜木紫乃さん。約一年ぶりでした。いっとき集中して読んだ時がありましたが、重いものが多いので、たまに手を伸ばすぐらいが、わたしにはちょうど良いのかもしれません。

昭和54年に大阪で実際に起きたという銀行立てこもり事件をもとにした、フィクションです。昭和54年=1979年、わたしは10歳で、子どもではありますが同じ時代に生きていました。そのような事件があったということは、まったく覚えていませんが。巻末に参考文献として『破滅―梅川昭美の三〇年』(毎日新聞大阪社会部編)のタイトルがあり、これが、実際のルポであったことがわかります。

読みながら、なんとも暗澹たる気持ちになりました。心療内科医の海原純子先生が、新潮社の公式サイトで書評を書いています。その文章中に登場する「社会や文化に根差した無意識の心理的束縛、いわばゴースト」「お互いに依存しあう関係から抜け出せずフラストレーションが高まっていく」の記述に、事件を起こした当人の当時の状況だけでなく、現代にも共通するものがあることを思いました。あるいはいつの時代にも、このゴーストは少しづつ姿を変えながら存在しているのでしょう。

本書のタイトルは、「オレは精神異常やない。道徳と善悪をわきまえんだけや」というセリフからついていて、「道徳と善悪をわきまえない」の意図するところを考えさせられました。こうしてひとつのフィクションの形になることで、登場人物がそれぞれの境遇や行動の背後にどのような思いを抱えていたのかを、推し量る足掛かりにもなるのだろうな、と思いました。あくまでも推測の域を出ないのではありますが。

読書『どれか一つは嘘』(集英社)キム・エラン著/古川綾子訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『どれか一つは嘘』(集英社)キム・エラン著/古川綾子訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。10月上旬に館内整理で1週間ほど休館する、ということで、いつもより少し多めに借りてきたなかの一冊です。韓国の作家さんによる小説は、長いこと守備範囲外でしたが、図書館の新刊棚に入ってくるおかげで、手に取る機会が少しづつ増えてきているように思います。

キム・エランさんの著書は初めまして、でした。それぞれに、しんどい状況、秘密と背景を抱えた、三人の高校生が主人公です。韓国も日本も、「現代」が抱える過酷さは共通するものがあるのでしょう。登場人物の名前こそ、国柄を感じるものでしたが、舞台が日本であってもまったく違和感なく読めるだろうな、と思いました。

タイトルになっている「どれか一つは嘘」は、主人公たちが通う高校で、クラスの先生が提案した自己紹介方法。これがとても絶妙な方法で、なるほどたったこれだけのことでも、気持ちをいくぶん楽にする方法にもなるのだと、思わず感心しました。とっても簡単な仕組みでありながら、絶妙です。なにがどう絶妙なのかは、読んだら感じ取っていただけると思います。

しんどい物語を、とつとつとした文体でつないでいます。著者の目線の優しさが伝わってくるような感じです。加えて、原文では読めないので、確かなことはわかりませんが、翻訳者の方の原著に対する思い入れがあってのことでもあるのでしょうね。毎度のことながら、海外の良書をわたしたちに読めるように差し出してくださる翻訳者の方に、そして刊行してくださる出版社に、感謝です。

毎年秋の恒例茶会、香椎宮での献茶式→野点、でした。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

毎年秋の恒例茶会、香椎宮での献茶式→野点、でした。

毎年秋に行われている茶道南方流の香椎宮献茶式と、報恩寺での野点茶会。南方流のお茶会は「稽古茶会」です。お茶会はその前日の準備とセットであり、お茶会前日と当日に生じる仕事に合わせて係があります。昨年の野点から「席決め係」チームの仕事を仰せつかったワタクシ、今回の野点で1年が経った=お茶会での勤めを1周経験したわけなのですが、いまだ慣れません。一緒に仕事をしてくださる皆さまがいらっしゃるから、なんとかなっている(!?)という感じです。

今回は参加者が50名以上とあって、1席の人数が25名を超える大所帯でのお茶会となりました。準備段階ではどうなるのかしらと思っていましたが、ちゃんとなんとかなるところが、和尚様はじめ先生方の采配の素晴らしさ。しなやかな判断力とリーダーシップで、人としてこんなふうになりたいと思うお手本を、目の前で拝見できるのはありがたいことです。

当日は雨予報も出ていて、一瞬パラパラとすることもありましたが、無事に野点茶会を終了することができました。ところで香椎宮での献茶式は、先代の師匠(和尚様)によって昭和22年からスタートしたということで、来年は80周年だとか。このように長く続く関係性の中に、参加させていただいていることの不思議を感じます。

秋の夜長の勉強合宿(宿泊はしていないけど)でした。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

秋の夜長の勉強合宿(宿泊はしていないけど)でした。

自分が学びたいと思っている分野について、「勉強会を計画しているので、参加しませんか?」と、声をかけてもらえるのは、とってもありがたいことです。長年、EC系の勉強会でご一緒してきたお友だちからのお誘いは、自分にとってプラスになるのがわかっているので、スケジュールさえ合えば、迷いなくGOです。

というわけで、10月は少人数勉強合宿からスタート。まずは、マニアックな事業をなさっている方の仕事場拝見からです。実はこの4月にも見学させていただいたので、半年しか経っていませんでした。が、その半年の間に、前回の勉強会で学んだことをご自身の業務の多くに取り入れていらっしゃるのを目の当たりにして、思わずうなりました。あたりまえですが、同じ勉強会に参加していても、どれだけ速やかに自分の仕事に具体的にフィードバックできるかで、違い(あるいは「差」)が出ますね。わたしは生かせていないなぁと思いました。ただ、その分野に関しては「うちの場合はそれでOK」という判断の上なので、それが駄目だということでは無く。

そのあとはご飯を食べながらのざっくばらんな情報交換会。今、参加者の皆さんがそれぞれどのようなことを考えて、どのような動き・取り組みをなさっているのか。会話の端々から、たくさんの検討材料を得ました。特に、海外進出に関しての状況をいろいろと伺うことができたのが、わたしにとっては今後に向かって良い機会となりました。北米、台湾、シンガポールなど、これまでに何度も話が出ては、結果としては事業に結びついていないケースについて、あらためて考え直すきっかけになりました。

ご一緒いただいた皆さまに、心より感謝です。ありがとうございました。

久々の女子会は、なにげに貴重な情報交換会。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

久々の女子会は、なにげに貴重な情報交換会。

対人関係における自分の生息エリアを考えたときに、いくつかの枠組みが思い浮かびます。仕事関係・仕事関連でのつながりが多いのは言うまでもありませんが、そのなかでも「どこでご一緒しているか」によって、顔を合わせたときの話題は異なり、それぞれに学びや面白さがあります。

今回の集まりは、社会教育関連つながりの面々。月に2~3回程度の会議で顔を合わせる皆さんです。通常、会議は平日の午後に行われ、年に数回、その会議後に「懇親会」が開かれることがあります。その懇親会のタイミングに、仕事が重なってわたしが参加できない!という状態がここ数年続いていました。わたし自身は、ふだんの会議の場でざっくばらんに意見交換をしているので、さして気にしていなかったのですが、わたしが参加できるときにランチミーティングをしよう!と計画してくださる方がありました。

メンバーは、40代前半から70代まで6名。世代の幅はありますが、ふだんから「社会教育」という共通言語で言葉を交わしている者同士、お互いの価値観のベクトルの方向を理解しやすく、会話がはずみます。話題はあっちに行ったりこっちに行ったり。個別の深刻な話題もありながら、それぞれのこれまでのキャリアも、現状も、まったく異なるからこそ、いろいろな考え方が出てきて、お互いに助言できることも多々あります。結果としてはまあ、ずいぶん笑いました。状況にもよりますが、ときに「笑い飛ばす」ことは大切で、その威力を実感する時間にもなりました。

ふだん会議で意見交換しているから意思疎通できている、と思っていましたが、議題がありフォーマルな会議の場で出てくる意見は、当然その場に沿ったものに限られるわけです。会議という枠を外した場であるからこそ、聞くことができ話すことができることもあります。おかげで、それぞれの考えの背景にあるものを垣間見る機会にもなり、良かったなぁと思いました。もともとチームワークの良い仲間でしたが、それがさらに強化されたような気がしています。それぞれに忙しいなか、わたしに時間を合わせてくださった皆に、心より感謝です。

ここに全力をかけねば!というタイミングがたまにやってくる。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

ここに全力をかけねば!というタイミングがたまにやってくる。

いつだって全力を出すべきでしょうと言われたらその通りなのですが、そうはいっても、緩急つけないと息切れがしてしまいます。そんななかでも、ここは絶対!というときが、やっぱりあると思います。この30年トライ&エラー&トライの繰り返しで、全力投球したからといって、成功するとは限らないどころか、エラーの方が断然多いのだけれど、まずはチャレンジしないと始まりません。

さて10月。今まさに「ここ!」というタイミングがやってきました。花祭窯おかみの仕事は「雑用全般」なので、さまざまな仕事があります。間接部門としてのルーチンワークのほかに、「面白くて夢中になる」ものが時々現れるのですが、そんな課題のひとつが、今まさに目の前に。これは絶対に実現したいなぁ、実現させねばならないなぁ、という類のものです。現時点で具体的にちゃんとご説明できないのが、あれなのですが、実現の暁には一番にここでご報告したいと思っています。

花祭窯は来年6月で独立して丸30周年なので、そのタイミングに合わせて実現したら最高に嬉しいなぁ、と思いつつ。まあ、タイミングがずれても、時間がかかっても、やるのは間違いありません。これまで支えてきてくださった皆さまに、喜んでいただけるような成果を作り出せることを目指して、頑張ります!と、ここで宣言^^

郷育カレッジ講座「鎮守の杜を歩こう」に参加しました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ講座「鎮守の杜を歩こう」に参加しました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。わたしは運営委員でもありますが、受講生でもあります。年度のカリキュラムが決定したパンフレットが発行されたら、自分のスケジュールを見ながら、受講したい講座を選んで申し込むのは、毎年の楽しみです。「鎮守の杜を歩こう」は、郷育カレッジのなかでも定番の人気講座のひとつで、久しぶりの受講となりました。

講師は「宗像植物友の会」の藤井えり子先生。外でのフィールドワークとなる本講座は、数年ごとに場所が変わっています。「鎮守の杜」のタイトル通り、福津市内のあちらこちらにある、寺社の周辺を散策します。寺社の周りには自然が残されているから、ということなのだと思います。今年は、福津市にある世界遺産を構成する「奴山・新原古墳群」近くにある縫殿神社本殿周辺と、沿岸部に近い年毛神社周辺が会場となりました。当日は、朝一瞬雨がぱらつきましたが、幸い気になるほどではなく間もなく止んで、無事予定通りに決行することができました。

バス移動で現地を散策すること約2時間、講師の先生の植物に対する愛と博識とが炸裂しました。通常、バス移動を伴う講座は、受講生の方が勝手にどこかへ行ってしまったり、集団から遅れを取ってしまったり、ということに神経を使います。ですが今回は、講師の先生が率先してあちらこちらに寄り道(笑)。エピソードのある木や花や草が目につくたびに、それぞれに対しての解説がはじまります。一つ一つのお話が面白いので、ついつい時間がオーバーしそうになり、市の職員さんたちは気が気ではなかったかもしれません。

ふだんなにげなく通り過ぎてしまいがちな植物に目を向け、ちょっとした知識を得ることができる、楽しい時間となりました。

読書『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)西村佳哲著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)西村佳哲著

今年の開窯記念日にも書きましたが、長年のお客さまからの「弟子はとらないんですか。藤吉(憲典)さんの、やきものの技術と哲学をきちんと遺さないと、ダメですよ。それは、磁器の文化に対する藤吉さんの責任だと思う」の言葉を受けて、模索を始めています。文化を継承する方法論を考えるのに、チャッピーと壁打ちをするなかで、参考になりそうな研究者や組織の名前、関連書籍をいくつか探して来てもらいました。そのなかにあった一冊です。

以下備忘。


  • 道具の精度によって、モノづくりの精度が規定される
  • 模倣は基本的な上達法だが、そのポイントはまず観察を通じたイメージ精度の向上
  • 本人の「解像度」の高さが、その人のアウトプットの質を決める
  • 世界を感じ取る解像度のことを思うと、そのフィルターとなる身体について考えざるを得ない
  • 技術には、それを行う身体が伴う。そして高度に調整された身体においては、感覚の中に美意識が育まれる
  • 「こんなもんでいいや」という気持ちで作られたものは、「こんなもんで…」という感覚を、ジワジワジワと人々に伝えてしまう
  • 「考えること」と「つくること」は、いつ頃から分離したのか
  • 小さくて具体的な工夫の積み重ね
  • 自分を大事にすること
  • モノを通じて、それを作った人が生きてきた経験のあり方はわかります
  • モノづくりの基本は、やはり“身体”というアンテナ
  • モノづくりは無数の判断の積み重ねだ。もし、つくり手が自らの判断力に自信を失ったら、一体何がつくれるだろう
  • モノの価値も、結局のところはそれを「つくりたい」という純粋な気持ちの品質にかかっている
  • 放っておいても自然に出るのが個性である
  • 「人は気持ちよく働いているときにいい成果を出す」という、いたってシンプルな事実

2003年9月に単行本として刊行され、2009年に文庫化、わたしが入手したのは2026年2月の第24刷。息の長い本です。帯には「働き方のバイブル」とありました。変化の激しい時代を20年以上も読まれ続けているのですから、すごいことですね。

迷った挙句の決定に自分の「ヘタレ度合い」が見えて、まだまだだなぁと思った。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

迷った挙句の決定に自分の「ヘタレ度合い」が見えて、まだまだだなぁと思った。

少し前のこと、わたしにとって、すごく意味のある集まりへのお誘いをいただきました。

花祭窯の事業を立ち上げてすぐのころ、地方から発信するには、黎明期にあったインターネットを味方につけなければと思ったワタクシ。ところがそもそもが機械音痴で、アナログ志向です。藁をもつかむ思いでいたところに、実践的にも精神的にも大きな支えとなる勉強会に辿り着くことができました。ここに辿り着くことができたからこそ、どうにかこうにか、今まで続けてこれました。お誘いいただいたのは、そこで先頭に立ってくださっていた方々に、お礼を言うことのできる機会です。長年、心の底で待ち望んでいた機会だったと思います。

関係者は何百人といたはずで、にもかかわらず個別にお声がけいただいたことが嬉しくてありがたくて、まずすぐに「これは絶対に行かねば!」と思いました。ところが少しづつ日が経つにつれ、なんとなく「わたしは行ってよいのだろうか」とでもいう気持ちも出てきて、気がつけばあれこれと自分に言い訳をして、結局は行かず終いにしてしまいました。スケジュール上のことなら、どうにか調整はできたはずでした。なのになぜ足を運ぶことができなかったのか、ほんとうのところ、はっきりしたことは自分でもよくわかりません。はっきりしたことはわからないまでも、ぼんやりと、自分の自信の無さのようなものだったかな、と。

四半世紀前からご一緒させていただいた皆さんの、今現在のキラキラとしている姿、精神的な余裕を感じさせる姿は、まぶしすぎるような感じがしました。とにかく皆さんの背中からひとつでも学ぼうと、末席にしがみついていた自分でしたが、頑張ったつもりではいても、それはあくまでも「自分なりに」の範囲であったことを、自分自身が一番よくわかっているからこその感覚だと思います。「自分は自分、人は人」というのは、自分の中心に強くある価値観だと思っていましたが、どうやら思いのほかヘタレだったようです。

自分のなかでヘタレ認定ができたところで、だからこそ頑張ろうと思いました。次にこのような機会にお誘いいただいたときには、まだ自信が無くても、自信がないからこそ出かけて行けるようにしたいと思いました。