映画「ゲティ家の身代金」

字幕の出来具合を左右するのは、日本語力なのだなぁ、と。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

字幕の出来具合を左右するのは、日本語力なのだなぁ、と。

『HOUSE OF GUCCI』を観てきました。と書いたのは、つい五日ほど前のことでした。何日か経って、上映期間中にもう一度観に行きたいな、と思っています。面白かったから、が一番の理由で、ディテイルを確認したいところがいくつかある、がもう一つ。実は見ていて何か所か「ん?」と思った字幕があったのでした。わたしは字幕無しで観れるような英語力は無く、「ん?」と思ったのは、単純にそのシーンに対してその日本語が合っていないと感じたから。つまり「英語→日本語訳の問題」ではなく「日本語の語彙の選択の問題」です。

そういえば友人と映画について話をしていた時のこと。わたしは映画の「日本語吹き替え版」は、子どものために作ってあるのだと思っていましたが、実はそうでもないことを教えられました。若い友人の一人は「字幕を追うのに忙しくなって、ストーリーに没入できなくなってしまうから」という理由で、日本語吹き替え版しか見ないと。

なるほど~!と思いつつも、ずいぶん前に戸田奈津子さんとおすぎさんの対談を見に行った時の話を思い出しました。戸田奈津子さんは、言わずと知れた日本での字幕翻訳の第一人者。洋画のクレジットには必ず彼女の名前がある、という時代がありました。わたしは彼女のおかげで洋画に馴染んだと言っても過言ではありません。そしておすぎさんは、多彩に活躍していらっしゃいますが、映画評論家としても有名です。そのお二方の丁々発止のおしゃべりは知的でユーモアに富んでいて、とても贅沢な時間でした。

そこで戸田さんがおっしゃっていたことに、「字幕を字幕だと意識させたら駄目」だということがありました。字幕は、その場面が映っている数秒の間に「読む」ものではなく、「見て」一瞬で意味が頭に入っていく必要があるから難しいし、面白いと。英語をどう正しく訳すかということ以上に、日本語でどう表現すればその意図が正しく伝わるかということが大切だと。加えて、1秒の間に映る日本語が何文字以内であれば直感的に伝わるとか、テクニック的なところを合わせて、何回も見直すのだとおっしゃっていました。

日本語でどう表現すればその意図が正しく伝わるか 。結局そこなのだと思います。洋画の邦題のつけ方もまさにそうですね。上の写真は映画「ゲティ家の身代金」のチラシですが、原題は「All the Money in the World」。日本語に直訳すると「世界中のすべてのお金」ですが、このままでは日本人には映画の内容は伝わりません。わたし自身、タイトルが 「ゲティ家の身代金」 だったからこそ、ゲティ家のお話なんだとわかり、即、観に行こうと思ったのでした。

今年は毎月1本の映画鑑賞を目指しています。もちろん楽しむのが一番の目的ですが、洋画なら英語学習のひとつにもなり、字幕にも注目していきたいと思います。

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ふじゆり@花祭窯

花祭窯おかみ/Meet Me at Art アートエデュケーター ふじゆり のブログです。1997年に開窯した花祭窯は、肥前磁器作家である夫・藤吉憲典の工房です。その準備期から、マネジメント&ディレクション(=作品制作以外の諸々)担当として作家活動をサポートし、現在に至ります。工芸・美術の現場で仕事をするなかで、体系的な学びの必要性を感じ、40代で博物館学芸員資格課程に編入学・修了。2016年からは、教育普及を専門とする学芸員(アートエデュケーター)として、「Meet Me at Art(美術を通して、わたしに出会う)」をコンセプトに、フリーでの活動をスタートしました。美術を社会に開き、暮らしと美術をつなぐことをライフワークとして、コツコツと歩んでいます。