『「幸せの列車」に乗せられた少年』(河出書房新社)ヴィオラ・アルドーネ著/関口英子 訳

読書『「幸せの列車」に乗せられた少年』(河出書房新社)ヴィオラ・アルドーネ著/関口英子 訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『「幸せの列車」に乗せられた少年』(河出書房新社)ヴィオラ・アルドーネ著/関口英子 訳

読書記録が続きます。記録に付けていないものも含めて、このところ隙間時間にやたらと読書が進むのは、頭を使う仕事からの反動と言いましょうか、逃避と言いましょうか。読んでいるのがすべて小説の世界であることに気づけば、リラックスを求めて本を読んでいることがわかります。昨日はフランス、今日はイタリアの著者による物語です。

さて『「幸せの列車」に乗せられた少年』。第二次世界大戦後のイタリアで実際に行われていたという、南部の困窮家庭の子を北部の裕福な家庭へと一時的・避難的に連れていく活動。その子どもたちを乗せる列車が「幸せの列車」と呼ばれていたのだそうです。史実をもとに創作された物語であり、実在した人物や組織の名前が、敬意をこめてそのまま使われていたりします。

とても考えさせられるお話でした。社会における政治の役割とは何か、その担い手は誰か、誰のための政治か。ファシズムか共産党かという時代のイタリアの、現代史の一側面です。著者は1974年生まれ。イタリアナポリ生まれで、ナポリにそのような歴史があったことを知り、書かなければと思ったようです。

主人公の少年の想い、彼が成人してから向き合う母への思い。「幸せの列車」によって救われた子どもたちがいたことは、紛れもなく尊いことでありながら、すべてのケースにおいて良い事業であったとひとくくりにはできない現実の複雑さ。なにが正解かなんて誰にもわからず、そのなかでも自分の信じる活動に力を尽くすしかない、それぞれの善意。

「靴」についての記述がたびたび登場します。その靴はどんな靴なのか。足に合っているのか、自分のものではなく誰かのものなのか、履けば靴擦れができる靴なのか、ちょっと手を入れたら足にぴったり合う靴なのか。靴が暗喩するものを、考えれば考えるほどに、切なくなるストーリーです。

投稿者:

ふじゆり@花祭窯

花祭窯おかみ/Meet Me at Art アートエデュケーター ふじゆり のブログです。1997年に開窯した花祭窯は、肥前磁器作家である夫・藤吉憲典の工房です。その準備期から、マネジメント&ディレクション(=作品制作以外の諸々)担当として作家活動をサポートし、現在に至ります。工芸・美術の現場で仕事をするなかで、体系的な学びの必要性を感じ、40代で博物館学芸員資格課程に編入学・修了。2016年からは、教育普及を専門とする学芸員(アートエデュケーター)として、「Meet Me at Art(美術を通して、わたしに出会う)」をコンセプトに、フリーでの活動をスタートしました。美術を社会に開き、暮らしと美術をつなぐことをライフワークとして、コツコツと歩んでいます。