イタリア

映画『フェラーリ』を観てきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

映画『フェラーリ』を観てきました。

2024年4本目の映画鑑賞は『フェラーリ』。前回は邦画、しかも時代劇でしたので、次は洋画を観たいな、と思っていたところです。

『フェラーリ』。特に車好きというのではありませんが、映画観に行こう!と思ったときに上映中のラインナップから、あらすじを読んで、決定。フェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリの実話ということで、興味が湧きました。氏についての本などまったく読んだことはありませんでしたが、彼の信念として有名な「速く走れる車はカタチも美しい」すなわち「美しいものは機能的でもある」とのスタンスだけは、どこかで聞いたことがあって知っていました。また、これからイタリアに打って出ようとしているからには、少しでもかの国のことは知りたいし、オールイタリアロケですから、景観を楽しめるだろうという期待もありました。

というわけで、出演者も監督もチェックせずに映画館へ。映画がはじまってまず「あれ?」と思ったのは、イタリア語だと思い込んでいたのですが、言っていることがなんとなく聞き取れるぞ?ということ。英語でした。イタリア映画だと思い込んでいましたが、アメリカ・イギリス・イタリア・サウジアラビア合作でした。主役のエンツォ・フェラーリを演じたのは、アダム・ドライバーだったのですが、わたし的にはこれがツボでした。まあ、カッコいいこと。スーツ姿が最高で、色気があり、とても素敵でした。ただ、実は観ている間は「めちゃめちゃ素敵なんだけど、この人誰だったっけ?」という状態で、エンドロールで名前を確認しても「ああ!そういえば!前に何で観たんだっけ…?」という感じ。ファンの方に怒られそうですね。で、前回彼を観たのは約二年半ほど前のこと、『HOUSE OF GUCCI』でした。

『HOUSE OF GUCCI』のときも、ブログに「実は失礼ながら期待していなかったのにすごかったのが、アダム・ドライバー」と書いていたのですが、いやほんとうにすごい方だと今回あらためて思いました。まず、GUCCIの時の印象とまったく違います。単に役が違うというレベルを超えて、醸し出す雰囲気がまったく別物でした。例えばトム・クルーズは何を演じてもトム・クルーズですし、ロバート・デ・ニーロはロバート・デ・ニーロですが、アダム・ドライバーは「ほんとうに同じ人?」という印象。『フェラーリ』の宣伝でインタビューに答えている姿さえも、エンツォ・フェラーリのときとあまりも違い、驚愕しました。ちょっとこれから先、アダム・ドライバーに注目したいです。

期待していたイタリアの景色は、映画のハイライトであるロードレース「ミッレミリア」のシーンで、街中の景色も自然の景色も大画面で楽しむことが出来ました。そしてわたしが唯一知っていたエピソードは、映画のなかでは、車の設計図を息子に説明しながらのエンツォ・フェラーリ自身のセリフとして登場しました。曰く「良く機能するものはたいてい、見た目にも美しい」というようなこと。予告編では「勝利するものはすべて美しい」と字幕がついています。

ストーリーのなかで涙腺が緩んだのは、レースに臨む前のドライバーたちが、愛する人に向けて手紙を書くシーン。それまでのストーリーの中でも、さんざんレーサーは「死を覚悟してレースに出る」というニュアンスのセリフが出てくるのですが、どんなセリフよりも、愛する人への「もしかしたら最後になるかもしれない手紙」を書く姿が、その仕事の厳しさ、現実を物語っているように感じました。

もう一度機会があれば、また観たいと思った映画でした。二回観たいと思った映画は久しぶりでした。

映画『フェラーリ』公式サイト

投稿者:

ふじゆり@花祭窯

花祭窯おかみ/Meet Me at Art アートエデュケーター ふじゆり のブログです。1997年に開窯した花祭窯は、肥前磁器作家である夫・藤吉憲典の工房です。その準備期から、マネジメント&ディレクション(=作品制作以外の諸々)担当として作家活動をサポートし、現在に至ります。工芸・美術の現場で仕事をするなかで、体系的な学びの必要性を感じ、40代で博物館学芸員資格課程に編入学・修了。2016年からは、教育普及を専門とする学芸員(アートエデュケーター)として、「Meet Me at Art(美術を通して、わたしに出会う)」をコンセプトに、フリーでの活動をスタートしました。美術を社会に開き、暮らしと美術をつなぐことをライフワークとして、コツコツと歩んでいます。