こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
若かりし頃「ロッキン・オン」が好きでした―渋谷陽一氏のご冥福をお祈りいたします。
渋谷陽一とピーター・バラカン。10代の頃、ラジオで洋楽ばかり聴いていて、そのころ誰の影響を受けていたのかといえば、まず出てくるのがこのお二人の名前。すいぶんあとになって、ピーター・バラカン氏がテレビで日本文化について語っている姿を見かけたときは、懐かしいような嬉しいようなちょっぴり残念なような、複雑な気分にもなりましたが(笑)、それはさておき。
「こんばんは、渋谷陽一です」ではじまるラジオ番組と、四つ上の姉が買ってくる「ロッキン・オン」こと雑誌『ロッキング・オン』。わたしが大学生になってアルバイトをはじめ、自分で自由に使えるお金ができた初めての誕生日に買い漁ったのは、レッド・ツェッペリンのCDでした。中古や輸入盤のCDです。世代的には、わたしはちょっと(だいぶ?)後なのですが、ギタリストといえばジミー・ペイジ、と洗脳されていました。
渋谷陽一さんは、わたしにとって初めて認識した、「音楽をする人」ではないけれど「音楽の人」でした。肩書で言えば「音楽評論家」となりますね。楽器をやらなくても、歌わなくても、音楽が好きだから、音楽を語る人。でも、自分ではやらないからこそ、の情熱があふれていたのだと思います。そして今わたしは、絵を描かないし、作品は作らないけれど、「美術の人」をしています。
わたしにとって渋谷陽一さんは「ラジオの人」でしたので、声のイメージははっきりと思い出せるのに、お顔のイメージがすぐにはわかない、という存在でした。訃報に触れてお顔の写真をあちらこちらで拝見し、ああ、そういえばこんなお顔をなさっていたんだな、と不思議な感じがいたしました。
「こんばんは、渋谷陽一です」に、10代の自分がどれだけ支えられたか。心より感謝し、ご冥福をお祈りいたします。