こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。
読書『ドーン』『マチネの終わりに』『透明な迷宮』平野啓一郎 著
遅まきながらわたしが平野啓一郎著作品デビューをしたのが、ついひと月ほど前。10連休も味方して、3冊読了。
まずは「そういえば、文学作品には『文体』という概念があるのだった!」と思い出させられました。それぞれの小説における「独特の言い回し」に慣れるところから読書がスタートするという実感を伴ったのは、久しぶりだったような気がします。
次に、物語の背景を支える教養的知識が自分に不足しているのを痛感させられました。例えば『ドーン』(講談社文庫)なら宇宙開発競争の実態や、アメリカ大統領選に見られる社会病理、科学技術の進歩(実態と近未来に起こりうること)など。『マチネの終わりに』(毎日新聞出版)なら、なんといってもクラシックギターで演奏される曲の数々。本の中に登場する曲を知っているだけでも、読み応えが変わってくるだろうと思いました。
もちろんそうした知識がなくても大丈夫で、物語の魅力に引っ張られて一気に読みました。壮大な背景を用いながらも、ストーリーはあくまでも「人」の心の機微にあてられていたからだろうと思います。だからこそ、道具立ての意図を阿吽で理解できるだけの教養があれば、もっと登場人物の心情に近づくことができたのではないかとも。
3冊読んで、ようやく平野啓一郎著作のスタート地点に立ったような気がします。まだまだ読んでいない本がたくさんあるので、これからが楽しみです。
ところでカズオイシグロ作品の追っかけをしたときも、文体の妙に感嘆したものですが、わたしの読むそれはあくまでも翻訳者の方の文体であったので「この方が日本語訳しているからこそ、この読みごたえ」という感動でした。わたしの今の英語力では原文を読んで文体にまで思いを寄せることはできず、それはやはり残念なことなのかもしれないと、あらためて思ったのでした。
実は、一番最初に手に取ったのは、平野啓一郎さんの芥川賞受賞作である『日蝕』(新潮文庫)でした。ところがまず文体に慣れるのに時間がかかり、時代背景に思いを寄せるのに時間がかかり、と、ゆっくりゆっくり読んでいるため、いまだ読み終わっていません。さていつ読み終えることやら。