読書『小説 イタリア・ルネッサンス 1 ヴェネツィア』(新潮文庫)塩野七生

読書『対岸のヴェネツィア』(集英社)内田洋子著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『対岸のヴェネツィア』(集英社)内田洋子著

今年のゴールデンウィークに初めて読んで、すっかり気に入った内田洋子さんの著書。

これまでどちらかというと、エッセイは避けていたジャンルでした。まったく読まないわけではありませんでしたが、エッセイはあまり好きではない、と思っていたのです。が、著者・内田洋子さんの肩書は「エッセイスト」…つまり、単にこれまでに好きだと思えるエッセイ(あるいはエッセイスト)に出会っていなかっただけ、だったようです。

『対岸のヴェネツィア』(集英社)内田洋子

今回も気持ちよく読みました。ヴェネツィアには行ったことがありません。けれども、読みながら脳内に現れるイメージに、とっても既視感。なぜかしらと考えて、ふと思い当たりました。塩野七生さんの『小説 イタリア・ルネッサンス  1 ヴェネツィア』の世界観です。

塩野七生さんの小説の舞台は文字通りルネッサンス時代。対して内田洋子さんが書いているのは、ごく最近のヴェネツィアです。にもかかわらずイメージがまったく違和感なく重なるのは、ヴェネツィアの歴史・景色の「変わらない部分」の大きさゆえだろうと感じました。干潟を含む街全体が世界遺産に指定されているとあり、これからもその「変わらなさ」が守っていかれるのでしょうね。

さて内田洋子さんのエッセイ。街も、人も、いろいろな関係性も、おしゃれに描かれていながら、きれいで楽しいことばかりの上っ面な感じではなく、ちょっと嫌なところ、ダークな感じも書かれているのが魅力です。そしてなによりも、説教臭くない。人の弱いところ、ダメなところが、とてもいとおしく描かれていると感じます。

そうそう、わたしがエッセイ嫌いになった理由の一つは、若かりし頃読んだ数冊のエッセイから、教訓や価値観の押し付けを感じることがあったからなのでした。特に、あからさまでは無く巧みに「わたし(著者)の(感性の)正しさ」を押し付けてくる感じのあるものが、とても嫌でした。誰とは言いませんが、複数名(笑)。

行きたい場所のひとつ、ヴェネツィア。けれども、本を読む限りでは、やはり住みたいとは思えなさそうです。というのも「暮らす」と考えたときに、どうにも湿気に太刀打ちできそうにないような気がするのです。それもまぁ、足を運んでみたらどうなるかわかりませんが。

『対岸のヴェネツィア』(集英社)内田洋子

投稿者:

ふじゆり@花祭窯

花祭窯おかみ/Meet Me at Art アートエデュケーター ふじゆり のブログです。1997年に開窯した花祭窯は、肥前磁器作家である夫・藤吉憲典の工房です。その準備期から、マネジメント&ディレクション(=作品制作以外の諸々)担当として作家活動をサポートし、現在に至ります。工芸・美術の現場で仕事をするなかで、体系的な学びの必要性を感じ、40代で博物館学芸員資格課程に編入学・修了。2016年からは、教育普及を専門とする学芸員(アートエデュケーター)として、「Meet Me at Art(美術を通して、わたしに出会う)」をコンセプトに、フリーでの活動をスタートしました。美術を社会に開き、暮らしと美術をつなぐことをライフワークとして、コツコツと歩んでいます。