こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
読書『恐るべき子供たち』(角川文庫)ジャン・コクトー 著/東郷青児 訳
久しぶりに引っ張り出してきた『恐るべき子供たち』。あらためて表紙を見て驚愕しました。なんと翻訳が、東郷青児。洋画家の東郷青児です。思わず出版年を確認したところ、昭和28年初版となっておりました。20代の頃7年間フランスに滞在し、絵画、デザインなどを幅広く学んだといいます。コクトーが生まれたのが1889年、東郷青児が生まれたのは1897年となっていますから、まさに同時代を生きていたのですね。この文庫本はずっと家にありましたが、今回読んで初めて気がつきました。これだから読書は面白い。
さて『恐るべき子供たち』。読んでいる間の、切なく苦しい痛みは、何十年か前(!?)に読んだ時と変わりませんでした。細かい描写はまったく覚えていなかったものの、ぜんぶ隠してしまいたくなるような恥ずかしさと、キリキリするような痛さはそのまんま。ここまで極端ではないにしても、自分の子ども時代を思い返したときに、彼らの言う「(放心によって)出かけた」とか「宝物」とかのイメージは共感できるものが多く、それでも20代になる頃には、そのようなものとも折り合いをつけてきたと思います。本書を書いたのがコクトー40歳の時ですから、いかに生き辛かった人生かと思いました。薬物中毒になりながらの人生。でも巻末にある年譜によれば没年齢は74歳ですから、早逝というほどではないのが、意外といえば意外でした。
先日読んだ中原中也といい、コクトーといい、「生まれながらの詩人」の人生には、思春期がずっと続くような痛みを伴うのだろうと想像しつつの読書でした。中也の人生が1907年から1937年。コクトーが生きている間の半分に、中原中也も存在していたということになります。ここでも時代が重なっていた不思議を感じました。