こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
読書『赤いモレスキンの女』(新潮社)アントワーヌ・ローラン著/吉田洋之訳
とても不思議な読後感でした。道端で拾ったハンドバッグの中身を見て、その持ち主を探し出そうとする主人公のストーリー。ふつうに考えたら、いやいや、交番に届けようよ!と言いたくなるところです。実際ストーリーのなかで主人公は交番に届けるのですが、忙しくて手続きをする暇がないから、一度持ち帰ってあらためて持ってきてくれ、という事態になるところから、「?」ではあります。持ち帰った主人公はそれを再度届けることなく、ハンドバッグの中身を手掛かりに、持ち主を探していく…という物語。
一歩間違えば、というか、十分にストーカー的な要素からスタートするのに、それが「これほどにも持ち主(=自分)のことを一生懸命に探してくれた人がいた」という感動にも似た結果をもたらすのですから、わからないものです。「大人のお伽噺」の評がついています。登場人物の生活や仕事など、メインストーリーを取り巻く環境はとても現実味がありながら、話の展開はたしかにおとぎ話的です。
最初は「?」と思った展開も、読んでいるうちに違和感がどんどん薄れ、ジ・エンドの頃にはすっかりお話のなかに入り込んでいました。本や書店が大切な鍵を握るモノ、場所として登場します。小説を書く人は、本や本屋さんや図書館が好きな人が多いのだろうな、と、今更ながらに思います。だからこそ、お話のなかで大切なモノ、場所として登場させる人が多いのかもしれない、と。
主人公に残された手がかりは、パトリック・モディアノのサイン本と香水瓶、クリーニング屋の伝票と、文章が綴られた赤い手帳でした。それらのモノを観察し、モノが語ることに耳を傾ける作業をつなぎ合わせて、持ち主に辿り着きます。読みながら、それぞれのモノが持つ雄弁さを思いました。
そういえば、少し前に読んだ桜木紫乃さんの『氷の轍』のなかにも、似たような描写がありました。そちらは殺人事件の捜査に行き詰まったときのアドバイスとして、遺留品をよく見ろ、そこにあるモノに必ず手掛かりがあるというような内容で、設定はまったく異なるのですが。
著者はパリ生まれ。道理で随所におしゃれな雰囲気が漂っていました。そしてなぜかわたしは読み終わるまで、訳者は女性だと思い込んでいました。訳者あとがきを読み終わって署名を見てはじめて男性だったのだと気がつき、驚きました。とてもやさしさを感じる素敵な日本語だったのです。同じ著者・訳者コンビの本がほかにも出ていましたので、ぜひ読んでみたいと思いました。