こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
齋(さい)先生のブログを読んで考えた。
学芸員の仕事のなかで「アート×教育」を学び実践しようとしたときに、わたしがもっとも影響を受けた先生が、齋正弘先生です。
初めて齋先生にご指導いただいたのは、2016年度の博物館学芸員技術研修会の「博物館教育」。それから毎年度、同技術研修会で受講の機会をいただき、齋先生の本拠地である仙台の宮城県美術館ではマンツーマンでワークショップを受け、昨年は津屋崎の浜辺で一緒に陶片拾い(笑)という、面白くありがたいご縁が続いています。
来月開催される今年度の「博物館教育」の講座を前に、事前準備のつもりで齋先生のブログを読んでいたら、日本での美術を取り巻く環境についてより深く考えねばと、課題を提起されました。
以下、備忘。
- 生活の中にある極普通の美意識が、各個人に(意識的に)意識化されない
- サブカルチャーが成立するためのカルチャーはどこに行ってしまったのだろうか。
- なぜ絵(など)を描くのかについて、大人が考えなくなってきているのではないかと思える表現
- 表現って、まず、見つめ続けたい対象を見つけ出すことから始まる。
- 上手い絵の描き方ではなく、見えるものやことを使って、各自の頭の中にどのような世界を作るのかの練習
- 善い作品は(中略)身の回りに溢れている。善いは、常に見る側の個人の内側現れるのだから。美意識ってそういうものではなかったか。
- 何より対象をよく見ることから始める。まず出てくるものやことが、自分。
- 図工ではない美術を伝える意識
- 学校教育と社会教育の自覚と違い
- 見ている人と同じ方向を意識的に見る。並んで見えるものだけが、使えるもの
(齋正弘先生のブログより)
齋先生が綴っておられる危機感は、わたしがモヤモヤと思ってきたことを明文化してくださるものでした。 わたしのアートエデュケーターとしての活動はまだ始まったばかりです。一人で出来ることはとても小さいかもしれませんが、まったくの無力ではないと信じて取り組んでいきたいと、あらためて思いました。