マーケットイン/プロダクトアウト

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

マーケットイン/プロダクトアウト

新商品開発中というお友だちと話をしていて、マーケットイン/プロダクトアウトなんて言葉(マーケティング用語)があったなぁと、思い出していました。

この用語については、恥ずかしい思い出があるのです。30年近く前、新卒入社の新人研修でのこと。研究開発部門のマネジャーがこの言葉を口にし「どういう意味か説明できる人いる?経済学部卒の人っているのかな?」と言われ、唯一経済学部卒であったわたしに視線が集まったのでした。まだ入社して数日。立ち上がったものの、緊張で頭が真っ白になり、ちゃんと説明できないまま赤面していたら、そのマネジャーがさらりと助けてくれたのでした(笑)

ごく簡単に言うと、マーケットインは、買う立場の人々に必要(求められている)という発想から商品やサービスを提供していくことであり、プロダクトアウトはその逆に、商品やサービスを提供する側から発想する経済活動になります。実際の経済活動は、きっちりどちらかという二元論的な分かれ方をするものではないとわたしは考えていますが、「発想の方向」を説明するときに使いやすい用語だと思います。

プロダクトアウトで「ものづくり」をする典型的な例として「芸術家」を思いつく人も多いかもしれません。「何を作れば売れるか」ではなく「作りたいものを作る。それが売れたらなお嬉しい」という思考回路を持っているという意味では、真です。でも、職業として芸術家である以上、それで「食べていく」のは必要なこと。たとえば教会や王様や貴族がパトロンになっていた時代、パトロンの求める絵を描き彫刻をつくっていたことを考えると、それはマーケットイン的経済活動と呼べると思うのです。

さらにさかのぼって古代の芸術を考えると、神様への捧げものとしての色彩が強くなります。ここでも「神様が喜んでくれるものを」と、壁画を描いたり神器を作ったりしたと考えると、発想の方向としてはマーケットインです。対価として求めていたのが貨幣ではなく五穀豊穣であったり無病息災であったり、というところ。実際にはそれらは等価なものとして交換できるものではありませんから、直接的に得ていたのは心の安定だった、というところでしょうか。

時代をくだって近代の芸術を考えても、たとえばパリの「サロン」を中心とした芸術の発展は、やはりサロンという名のマーケット志向であったといえます。つくる側(商品を提供する側)から見ると、「サロンで評価されるものを作れば売れる」可能性が高いので、評価されやすい傾向のものを描く(=マーケットイン)発想を持つ者が出てくる。買う側にしてみても「サロンで評価されているものを買えば(いろいろな意味で)失敗しない」という打算で作品を求める側面はとても強い。結果として「サロン」からはみ出た芸術家たちこそが、対価を求めずに自分の創作欲求を貫いた真の芸術家であるという評価も出てくるのかもしれません。

「現代においては、マーケットイン/プロダクトアウトの二元論ではマーケティングは語れない」という話を最近よく耳にする(目にする)のですが、実はそれは現代に限ったことではないのでしょう。購買行動の背景にある動機が、単純に説明できるものばかりではないのと同様に、商品(芸術家なら作品)を世に出すという行動の背景にあるものも、単純明快に説明できるものばかりではない…などということを考えていた春の午後でした。