こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。
読書『小林一三 逸翁自叙伝』(日本図書センター)
ご存じ阪急グループの創始者であり宝塚歌劇の生みの親、小林一三氏の自叙伝です。30年近く前のことになりますが、会社員として大阪に勤務していたころ、阪急宝塚線沿線の石橋(池田市)に住んでおりました。まさに逸翁のお膝元。さらに会社では法人営業職で阪急グループを担当する機会に恵まれ、そのころはしょっちゅうグループ各社の本社におじゃましていました。そのようなわけで、勝手に親近感を持ち続けている小林一三氏。
ところがその当時は「忙しい」を言い訳に、住処からすぐ近くにあった逸翁美術館にはついに足を運ぶことなく。今考えるとなんてもったいないことを!です。仕事で阪急さんを担当していたので、法人のこと、創業者のことを知っておくべきであり、それなりに資料は読んでいたつもりでしたが、本をしっかり読む時間はとれず、これまた今思えば継ぎ接ぎの情報集めでした。若かったとはいえ、恥ずかしい限りです。
ともあれ、そんな継ぎ接ぎの情報から垣間見えた創業者像と、実際にその会社で働く方々の姿を通して感じた阪急さんの社風が、わたしは好きでした。大阪で仕事をしていた当時、すごい経営者・創業者の存在をたくさん知りましたが、なかでもわたしにとっての一番は、日清食品の安藤百福氏と、阪急の小林一三氏だったのです。そんなわけで、ずいぶん経った今になって、ゆっくり時間をかけて逸翁自叙伝を読むことが出来たのは、とても幸せな時間となりました。
さて本書を開けば、なんともまぁ、時代とご本人の気質を感じる風雅な文章です。私小説的な、とても個人的な記録に読みました。正直に言えば、今のご時世でこのような内容を公に文章にしたら、批判されかねないであろう要素も盛りだくさん(笑)。けれどもすべてが「そんな時代だったのだなぁ」というほかはありません。ビジネスの人というよりは、文化芸術の人であることが明らかな小林一三氏の、随所に見え隠れする気骨が魅力的です。
学校を出てから、阪急を作るまでが綴られています。個人的には、そのもっと先までを読みたいと思ったのですが、自叙伝ゆえの難しい部分もあったかもしれないな、と思いつつ。ご本人による「結び」=あとがきの日付が昭和27年で、御年80の寿の年。そう考えると、やはり途中で終わっている感はぬぐえません。これはこれとして、別の方が書いた伝記というか、ノンフィクションを読みたい気持ちが、読後に沸々とこみあげてきました。
ちょっと探してみようと思います。