南方流 円覚寺

執着ではなく執持心。

こんにちは。花祭窯・内儀(おかみ)ふじゆりです。

「執着ではなく執持心」

今日はお茶のお稽古でした。写真は入門している南方流円覚寺である日撮った床の間。基本のお稽古を繰り返すなかで、ところどころ迷う作法について先生にお話を伺っていたところ、ご紹介くださったのがこのことばでした。

なるほどと思いつつ、もっと理解したいと思って調べたところ、東本願寺のサイトに、わたしの理解を後押ししてくれる一節がありました。

『「執心」は、普通には、「執着心」ということで、「こだわりの心」という意味に解されることがあると思います。しかし、ここでは、「執持心(しゅうじしん)」ということで、「執(と)り入れて持(たも)つ心」という意味に用いられています。つまり、失わずに持(たも)ち続ける心をいうのです。 (東本願寺ホームページより)』

南方流の茶道訓には「茶礼可守(サレイマモルベシ)」と並んで「茶式不可論(チャシキロンズベカラズ)」があります。つまりは、最も大切な「礼」を持ち続けることが本意であり、細かい作法について執着するものではない、というようなところと解釈しました。

そしてもうひとつ珠玉の教えをいただきました。それは「なぜお茶のお稽古を続けるのか」という根本的な問いに対して、「なにごとも続けた先にしか見えない景色があるから、あなたはお茶を続けなさい」とおっしゃった師匠の教えを信じて続けているという先生の言葉。

「続けた先にしか見えない景色」の存在を感じるのは、事業もまた同じです。花祭窯はとっても小さな個人事業ではありますが、20年以上を経て見えている景色は、創業時にはまったく考えてもいなかったものでした。今から5年先、10年先にどんな景色が見えているのかと考えると、いつもとてもワクワクします。

思いがけず「お茶のお稽古」「事業」「人生」に思いをはせた素晴らしい時間でした。禅寺で継承される茶道の真髄を感じた一日でした。感謝。

投稿者:

ふじゆり@花祭窯

花祭窯おかみ/Meet Me at Art アートエデュケーター ふじゆり のブログです。1997年に開窯した花祭窯は、肥前磁器作家である夫・藤吉憲典の工房です。その準備期から、マネジメント&ディレクション(=作品制作以外の諸々)担当として作家活動をサポートし、現在に至ります。工芸・美術の現場で仕事をするなかで、体系的な学びの必要性を感じ、40代で博物館学芸員資格課程に編入学・修了。2016年からは、教育普及を専門とする学芸員(アートエデュケーター)として、「Meet Me at Art(美術を通して、わたしに出会う)」をコンセプトに、フリーでの活動をスタートしました。美術を社会に開き、暮らしと美術をつなぐことをライフワークとして、コツコツと歩んでいます。