郷育カレッジ講座「知識要らずの美術鑑賞」を開催しました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ講座「知識要らずの美術鑑賞」を開催しました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。今年も福岡市美術館さんのご協力を得て、「知識要らずの美術鑑賞」講座を開催して参りました。現地で参加者の世話役をしてくださるのは、福岡市美術館の教育普及プログラム担当の学芸員さんと、美術館ボランティアガイドの方々です。今年は、例年よりも参加定員を増やすことができました。福津市から福岡市美術館までは、市の公用バスを利用しての移動です。その定員を、コロナ禍後は用心して少なめに人数制限していたのですが、バスの正規の定員まで広げることにより、昨年までより10名ほどアップ。おかげさまで、今年は参加ご希望者の抽選漏れ人数を減らすことができたと思います。

さて当日のわたしの主な仕事は、移動のバス車中での簡単なレクチャー。「知識要らずの美術鑑賞」のタイトルは、わたしが一般向けに分かりやすいように考えたものであり、そのなかで実施されるプログラムは「対話型鑑賞法」を用いたものです。福岡市美術館の学芸員さんとの事前の打ち合わせで、対話型鑑賞法で大切なことについて、皆さんに解説しておいて欲しいというようなご要望がありましたので、バス移動の時間を使いました。

到着後は、福岡市美術館の教育普及担当スタッフさんにお任せです^^。対話型鑑賞のグループは4~5名で、7グループ。それぞれにボランティアガイドさんが一人ついてくださり、常設展示室での鑑賞を行います。それぞれのガイドさんが選んだ3つの作品について、各グループでの対話が始まると、最初は遠慮がちだった参加者の皆さんも、3作品目になると活発な発言が増えてきて、和気あいあいとした声が聞こえてきました。仕掛け人としては、思わずニンマリする瞬間です。

対話型鑑賞の時間が終わったら、自由観覧時間。こちらは文字通り自由に、それぞれに気になるものを観に行っていただく時間です。対話型鑑賞は一つ一つの作品をじっくり見るので、時間内では3つが限度になりますし、集中力が続くのもそれぐらい。でも「せっかくここに来たのだから」ということで、「自分が見たいと思うもの」を探しに行ってもらうのも、良い時間になると思います。帰りのバスの中では、皆さん楽しそうに近くの席の方とおしゃべりがはずんでいました。

というわけで、今年も無事講座を開催することができました。参加者の皆さん、福岡市美術館教育普及担当学芸員さん、ボランティアガイドの皆さん、そしてバスの手配はじめこまごまとした雑務をこなしてくださる市職員さんに心より感謝です^^

読書『Ifの総て』(新潮社)島田雅彦著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『Ifの総て』(新潮社)島田雅彦著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。タイトルを見ての「ん?」と、「島田雅彦」さんの著者名で手に取りました。このタイトルを見てまず思ったのは、たしか『イヴのすべて』って本があったよね?ということ。次に考えたのは、つまりパロディ?ということ。わたしのなかで島田雅彦氏といえば、はるか昔にテレビで見た「詩のボクシング」であって、当時の、容易に近づけないような鋭さと、人を食ったような雰囲気の、魅力的なイメージがいまだに鮮明です。と言いつつ、そういえばわりと最近に新著を読んでいたなぁ、とブログを遡ったら、『大転生時代』を一昨年読んでおりました

さて『Ifの総て』。まったくパロディなどではありませんでした。そして、小説の形を借りているとはいえ、「ここまで書いたのね」とちょっと驚きました。1985年の日航機墜落事故にはじまり、戦後処理から現代にいたる日米関係、そもそもなぜ日本は戦争を始めたのか…と遡ります。そしてそれらは、過去の歴史批判にとどまらず、だから今日本が突き進んでいる危うい道を、今生きているわたしたちがなんとか止める努力をしなければ、という呼びかけとなっています。森永卓郎さんが亡くなる前に出された本を思い出しました。

新潮社さんの公式サイトでの紹介には、「島田ワールド全開のエンターテインメント超野心作!」とあります。主人公がタイムトリップをする物語、という位置づけは、まさにエンターテインメント。ですが、それ以上に社会小説でした。同サイト内の書評で、思想家の内田樹氏が『「あり得た歴史」についての歴史研究があり得ない以上、それはフィクションとして書かれるしかない。本書はそういうフィクションである。』と書いていらっしゃいます。この書評の文章だけ読むと、なにがなにやらわからない感じですが、本書読了後に読みましたので、ああなるほど、と感じました。

文章を書く人の強さに、頭が下がる今日この頃です。

『Ifの総て』(新潮社)島田雅彦著

わたしは行ってないけれど、インド出張手配からあれこれ。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

わたしは行ってないけれど、インド出張手配からあれこれ。

「インド」が降って湧いてきた…と書いていたのは、約一月前のことでした。まあそれからダンナの出発までの約1カ月のあわただしかったこと。まず声をかけていただいたことがとっても嬉しく、またインドでの婚礼行事というなかなか稀な慶事であり、美術を生業とするダンナにとって、これは願ってもないインプットの機会であることは明白でした。迷わず「行く」という、この好奇心があるからこその、作り手です。あとは、手配するわたしの問題…想定していなかった海外出張、しかも初インドを1カ月で手配(できるのか!?)というところだけ。

はい、頑張りました(笑)。まずは渡航先のイメージを少しでも明らかにするために情報集めをしました、というのは前回のブログでのお話。そのあとは具体化です。インド入国にはビザ的なものが数種類必要で、しかもインド国内線での移動もあり、わたしの英語力・ネット活用力ではさまざまな手配情報を集めにくい…ということがすぐに判明しました。そこで、既に航空券を自力で手配したという強者のお友だちに話を聞いたうえで、今回は迷わず旅行代理店さんに依頼することにいたしました。

お願いしたのは、旅の漫遊さん。『日本一面白い旅行を提供できる』会社を目指しておられ、なかなか思いつかないような海外ツアーや、マニアックな個人旅行を組むことでコアなファンに愛されているという旅行代理店さんです。2年ほど前、中国・北京へのビザが必要になったときに、旅の漫遊さんに相談し、漫遊さんが提携している中国の旅行代理店さんをご紹介いただいて、ビザの申請から受け取りまで、とてつもなくすんなりと手配していただいたのでした。今回はインド。依頼してすぐに「お願いしてよかった~!」と実感しました。ビザの申請と航空券の手配だけでなく、インド国内でのトランジットで考えうるリスク回避などのアドバイスやご提案もいただき、百人力。プロフェッショナルなお仕事に心より感謝!でした。

実務的な手配が済んだら、次はインドでの婚礼行事に参加するための、いろいろな準備が必要です。二日間にわたって開催される複数の祝祭行事、それぞれについてドレスコードが指定されているのはもちろん、文化的に暗黙のマナーなどもあるだろうと考え、「少なくとも失礼にだけはならないように」色の確認などに神経を使いました。最後はもう実際に着用する姿の写真を撮って送り、「こんな格好で参加しようと思うんだけど大丈夫かな?失礼にならない?」の確認をとって、「パーフェクト!」の返事をもらい、ようやく安堵。

ここまでお膳立てが済めば、あとは実行部隊であるダンナに託すのみです(笑)。ダンナはダンナで、インドに仕事で何年も赴任していたというご近所さんにお話を聞きに行ったり、旅行でインドに行ったことある人から情報を仕入れたりと、できるだけ安心して渡航できるように、工夫をしていました。さてそして先月末、いざインドへ。で、おかげさまで無事元気に(お腹もこわさず!)戻ってまいりました^^。出国前から、旅の道中、現地滞在中、帰国まで、それぞれのタイミングでサポートしてくださったすべての皆さまに、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

ダンナ実際に足を運んでみて…短期ではありましたし、限られたエリアではありましたが、イメージを大きく上回るカルチャーショックを、いろんな意味で受けてきたようです。これだから、やはり「足を運ぶ」のはだいじなのですね。ここで見たもの、体験したいろいろなものが、本人のなかで熟成して作品に投影されるのは、また先のことだと思いますが、とってもとっても楽しみです。

ブッダとガンジーを生んだ国であるインド。帰ってきてすぐは、面白かったけど疲れた(神経疲れ)…と言っていたダンナですが、もうすでに、もしまた機会があれば、今度は寺社をたくさん観に行きたいと申しております。うん、このアンテナがあってこその作り手ですね。

読書『知的生産のセンス』(日本経済新聞出版)楠木建著、山口周著 

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『知的生産のセンス』(日本経済新聞出版)楠木建著、山口周著

経営学者・経営思想家である楠木建氏と独立研究者である山口周さん、二人の「知的生産者」による、白熱の対談録です。「白熱の対談録」とは、日経BPでの本書紹介文の中での言葉ですが、その通り、お二人の熱さが伝わってくる対談でした。山口周さんの「対談型」著書としては、『人文知は武器になる』(文春新書)山口周/深井龍之介著を読んだのが、つい3か月ほど前のことで、立て続けに唸らされております。

以下、備忘。楠木建氏の発言は(楠)、山口周氏の発言は(山)。


  • センスはその人に固有の判断と選択、さらにはその背後にある基準(楠)
  • 本質的な問題の創出には、人間の価値観や直感が不可欠(山)
  • スキルは本来的に「要素分解」。(中略)センスのベクトルは逆で、「統合」(楠)
  • 要素分解が行きすぎると、センスが阻害される。(楠)
  • 「仕事は結果責任を伴う」のに対して、「作業は結果責任を伴わない」(山)
  • 全体性をつかむセンシングの能力(山)
  • センスとは自分自身の内部で完結している能力ではなく、外側にあるものを感じ取る力であり、だからこそ現場に出て環境にさらされることで鍛えられる(山)
  • 「直接経験の蓄積」(山)
  • 天才はオリジナルより上手にパクるので天才(山)
  • (センスは)仕事経験の中で自分で磨いていくもの(中略)そこでは五感を使った直接経験が不可欠(楠)
  • 体の反応は正直(楠)
  • キャリアは最終的に地頭や適性の問題ではなく「好きか、嫌いか」の問題で決着する(山)
  • 「情報の豊かさが注意の貧困をつくる」(ハーバート・サイモン)(楠)
  • 「身体反応=ソマティックマーカー」による選択(山)
  • 「自分が一番作業しやすい空間や配列」(山)
  • 「いい感じの偶然を引き寄せる」がインプットの要諦(楠)
  • 心が穏やかでないとインプットもアウトプットも上手くできません(山)
  • アウトプットまでつながってこそのストレージ(楠)
  • すべてのインプットが自分の中で消化・発酵して、引用や参照ではなく、すべて「自分の言葉」として出力されている(山)
  • 過去の優れた知的生産者が考えた過程を追体験することで、ある種の構や構えのようなもの、勘所のようなものを参照することはできる(山)
  • 「師弟関係を通じてしか得られない身体知」(山)
  • 「面白がる」(楠)
  • 何かを好きになるとは、直感でそれをつかまえに行くことだ。(中略)何の役に立つのか、どこに価値があるのかと理由を求めてしまうのは、本質的な生き方から離れてしまっている(小林秀雄の考え方)(楠)
  • 芸風こそセンスの集大成(楠)
  • 「機が熟す」(山)
  • 「時間の長さ」よりも、やはり「回数の多さ」(山)
  • 「手を動かす」という身体化と「いったん目の前に見える形で置いてみる」という客体化(楠)
  • 自分のためにやるのは趣味、自分以外の誰かの役に立って初めて仕事になる(楠)
  • 「動機は自分、評価はお客」(楠)
  • 頭のなかで出来上がったものを可視化していく(山)
  • 現場でフィードバックに常時さらされていることが、アウトプットの価値に対するセンスを働かせる上で欠かせない(楠)
  • 「何をやらないか」の見極め(山)
  • 自分自身が心の底から面白いと思えるものしかアウトプットとして出さない(山)
  • 常にアウトプットし続けていないとダメ(楠)

『知的生産のセンス』(日本経済新聞出版)楠木建著、山口周著 より


本にアンダーラインを引いていったなかから、これでもだいぶ取捨選択したつもりですが、大量になりました^^; クリエイティブを仕事にしている、という自覚のあるすべての方におススメの一冊です。

『知的生産のセンス』(日本経済新聞出版)楠木建著、山口周著

博多座に玉三郎さんを観に行ってまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

博多座に玉三郎さんを観に行ってまいりました。

久しぶりの博多座です。たしか前回は勘九郎さんだったような…と思ったら、その通りでした。昨年6月下旬でしたので、おおよそ1年ぶりです。玉三郎さんの公演は、一度は観てみたいなぁと、漠然と思っていました。そんなところへ九月博多座特別公演で、玉三郎さんがいらっしゃるというニュース。チケットは即完売だったということで「そりゃそうよね~」とあきらめていたら、追加公演チケット予約の案内が届き、アクセスしたらゲットできました。ラッキー♪当日は満員御礼、補助席と立見席も出ていたようです。

というわけで、わたしにとっては、初・玉三郎さん。歌舞伎素人ですが、舞台上の画と音に集中するため、毎度のことながら音声ガイド無しで臨みました。もともと9月4日が初日だったのが、追加公演が前倒しで入ったため、思いがけず初日公演。演目は「口上」にはじまり、玉三郎さん自身が自ら箏・三味線・胡弓を奏でる「三曲糸の調べ」、休憩をはさんで映像作品の「夢二慕情」に最後は「長崎十二景」。間に映像作品が入るというのがなんとも斬新に感じましたが、昨今の歌舞伎界ではよくあることなのでしょうか。そういえば今回の公演タイトルには「歌舞伎」の文字は入っていません。竹久夢二を主題とした演目というのも物珍しい感じがしましたが、この「長崎十二景」は、九州の博多座で演じるからこその意味もあったのかもしれません。

まず最初の「口上」で圧倒されました。ただのご挨拶ではありませんでした。「打掛をご覧に入れます」とおっしゃり、舞台上で見せてくださったのですが、そのようなことをするのが歌舞伎役者にとってどういうことなのか、なぜそのようなことをするようになったのかを、きちんと説明してくださいました。無粋を承知で堂々とやってのける粋、とでも言ったらよいでしょうか。その言葉と姿には、伝統芸能を背負う並々ならぬ覚悟と気迫、「お客さまがあってこそ」の偽りのない思いが見えて、思わず涙腺が緩みました。「そうだよね、ちゃんと遺していかないとダメだよね」と、分野も立場も大きく違えど、江戸の文化を継承する仕事の共通点を見出して、勝手に励まされました。

全編を通して美しい絵画、動く絵画を観ているような感覚でした。眼福^^

『九月博多座特別公演 坂東玉三郎 出演』

花祭窯の工房(旧・井ノ口邸)は築100年を超えました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の工房(旧・井ノ口邸)は築100年を超えました。

花祭窯の工房は、昭和元年に建てられた商家であった、別名「旧・井ノ口邸」にあります。ここ津屋崎に移転して15年目。入るときに、まあまあ大掛かりな修繕をしましたが、できるだけ「古い部分は古いままに」を心掛けましたので、追加で手を入れなければならない場所が毎年いくつも出てきます。本来、家というのは、手を入れながら住み継いでいくものなのだなぁと、あらためて思いつつも、伝統的建造物を維持するというのはどういうことかを、体感しています。

仕事・生活をしていくのに、必要最低限に手を入れることを意識していますが、このときに毎回頼りになるのが、地域の信頼できる設計士さん、工務店さん、職人さんたち。「ここが困っているんだけれど」と相談すれば、「それなら○○さんがいいよ」とご紹介していただける信頼関係があるのは、ほんとうに心強いことです。お話を聞いていると、建築物を作る中で、それぞれに強みをお持ちの方々が、お互いに敬意をもって仕事をなさっていることがわかります。

さて今回お世話になるのは、大工さん、電気工事屋さん、建具屋さん、サッシ屋さん。プロフェッショナルな方々のお仕事ぶりを拝見するのは、興味深く面白いものです。あまり見られてはやりにくいだろうな、と思いつつ、ついつい作業の様子に目が行ってしまいます。これまでに拝見していて、皆さんに共通しているのは、丁寧ながらもスピーディーに作業をしてくださることと、工事後のお掃除をきちんとしてくださること。

出来るだけ古いものを遺しながら、全体の雰囲気を損ねないようにしながら、少しづつの修復・整備です。

一人会議のテーマは、いかに仕事をシンプルにしていくか。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

一人会議のテーマは、いかに仕事をシンプルにしていくか。

9月になりました。8月は自分の誕生月で、今後の仕事の仕方を考えるのに、ちょうど良いタイミングでした。というか、定期的に時間確保してちゃんと考えなきゃダメよね!という感じ。会社勤めの友人たちを見ていると、ここ数年でセカンドキャリアに進んだ人もいれば、そろそろ定年後を見据えて次を考えようかな、という人もあり。定年退職後は仕事をしないという選択を、少なくともわたしの周りではほとんど聞かないのは、時代なのだろうなぁ、と思います。年齢に応じて働き方を考えるのは、自営業者だろうと、会社勤めであろうと、経営者であろうと同じですね。

わたしにとって最大の検討事項は、花祭窯のおかみとしての仕事を、いかにシンプルにするか。まずは、まとめられるところはまとめ、省けるものは省き、簡潔にすること。そして、いざというときに、どこに(誰に)、どのように頼れば安心か、を整えていくことが必要です。そのための「他力本願!」であり、これを言いはじめて数年が経ちますが、ここから3年以内には目途をつけたいところです。と、ここで宣言^^

というわけで、集中して考えるために、一人ショートトリップ会議をして参りました(笑)。会社員だった頃、社員研修や特別な会議といえば、どこぞの研修所やらホテルやらに場所を移すのが当たり前で、最初はどうしてわざわざ時間とお金をかけてと思ったものでした。ですが実際にその場に身を置けば、場所を変えることには大きな意味があることがわかります。それは、職住一致の自営業者となった今では、尚更強く感じるところです。

片道約1時間のショートトリップでしたが、これが、期待以上に良かったです。集中してものを考えたいときに、たった一日でも、要らぬ気を使わなくてよい、安定した環境に入り込むのは、なによりも効果のあることかもしれません。ふだんの仕事やら、生活が入り込んでこないのがGOOD。これは、年に1回といわず定期的に実施したほうが良いかもしれないなぁ、と思いました。ここからしっかり成果を上げて行きたいと思います^^

北九州市漫画ミュージアムがすごかった!

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

北九州市漫画ミュージアムがすごかった!

ずっと気になりながら行けていない美術館・博物館が、いくつもあります。そのなかのひとつだった北九州漫画ミュージアムに、ようやく足を運ぶことができました。場所はJR小倉駅から徒歩2分。電車で約1時間というすぐ近くにありながら、そして小倉にはたびたび足を運んでいながら、やっと!です。

今では、美術館や博物館で漫画やアニメを題材にした特別展は珍しいことではないどころか稼ぎ頭になっていますし、全国各地に「漫画ミュージアム」が存在しています。この北九市漫画ミュージアムが設立したころにはまだ「漫画を公立の施設で?」という声が、多少あったような気がします。わたしはこれまでに博物館学芸員の研修で、なんどか北九州市漫画ミュージアムの学芸員さんのお話を聞く機会があり、「漫画だから」のご苦労をお聞きしたことがありました。

さて漫画ミュージアム。『「見る!」「読む!」「描く!」の3つのテーマで楽しめる!』ということで、常設エリア入ってすぐに「なぜ、北九州市で漫画ミュージアムなのか」を理解することができる展示がなされていました。上の写真は、入館者を最初に出迎えてくれる、写真撮影OKのメーテル^^ 漫画の仕組み、漫画の歴史、北九州市ゆかりの作家たちに関連する収蔵作品の展示などを観ながら進んでいくと、圧巻の「閲覧ゾーン」が目の前に広がります。

蔵書数7万冊という漫画が棚を埋め尽くし、ゆっくり座って読むことのできるスペースがかなり広く確保してあります。わたしが訪問したのは日曜日でもあり、まあとにかくたくさんの人が黙々と漫画を読んでいました。老若男女問わず、家族連れも多く。一瞬、ネットカフェっぽいと思いましたが、その空間が広々と明るいことが大きな違いでした。大量の漫画ですが、漫画家のお名前五十音順の分類と棚の表示は明確で、試しに何人か思いつく漫画家名で探してみましたが、いずれも難なく見つかりました。

うっかりすると、ここで漫画を読むだけで一日過ごしてしまう、なんてことが容易にイメージできました。危険です(笑)。なので今回は「1冊だけ」と決めて、「一条ゆかり」先生の『有閑倶楽部』を探しました。検索性の高さ、すごいです。ぱっと見つかり、すぐ横に空いていたソファーで読みました。うん、何十年ぶりかで読みましたが、やっぱり面白かったです。こうなると、そういえば…といろいろな漫画のタイトルが思い浮かんで、危険な状態に。さほど漫画に夢中になったわけではない自分でもこうなのですから、マンガ好きの人にはたまらない空間だろうな、と思いました。

常設展の観覧料は大人480円で、当日内ならば何度でも出入りOKという太っ腹。7万冊が読み放題ですから、めちゃめちゃお得です。そして入館時に観察していると、大人も子どもも「年間パス」を持っている人がとても多かったのが、おお~!と思いました。ちなみに年間パスポートは大人で2400円。これは、近所に住んでいたら、年間パスポートを絶対買いますね(笑)。

これまでの人生の中で、一度でも漫画にハマった時期がある方には、ぜひ足を運んでいただきたいミュージアムです。

北九州市漫画ミュージアム

読書『グランド シャトー』(文藝春秋)高殿円著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『グランド シャトー』(文藝春秋)高殿円著

いつものカメリアステージ図書館から、高殿円さんの追っかけ継続中です^^

文藝春秋の公式サイトでの著作紹介に「 笑って泣ける大阪キャバレー物語」とありました。まさにその文字通り、主人公の泣き笑いの人生が繰り広げられています。先日読んだ『上流階級 富久丸百貨店外商部』が阪急沿線神戸寄りエリアでのお話であったのに対して、本作は現在でいう大阪・JR京橋駅エリアを中心とした物語でした。

こういう本を読むとき、いっときでも大阪に住み仕事で京阪神を歩き回っていたことが、ストーリーに臨場感を与えてくれる恩恵を感じます。地名を聞いて、その場所の景色や空気感が思い浮かぶのは、とてもラッキーなことですね。いずれにしても、著者の関西愛があまりにも溢れていて、なぜかこちらまで嬉しくなります。高殿さんの出身地をみたら、神戸生まれで現在は芦屋に住んでおられるということで。

さて『グランド シャトー』。昭和から平成へ続く物語です。戦後の混乱から、キャバレー文化の隆盛と衰退、テレビ文化の登場と、スピード感のある「人情もの」エンターテイメントでした。「楽しいことは、みんな大阪から始まったんやで!」と叫ぶ主人公のパワーと、彼女をはじめ様々な過去を背負って必死に生きる女たち・男たちの姿、「帰れる場所」への思いが混ぜこぜになって、胸に迫ってきました。切ない物語をお笑いに包んで届ける、技(ワザ)を感じました。

いやぁ、高殿円さん、目が離せません^^

『グランド シャトー』(文藝春秋)高殿円著

続々・「天氣晩来秋」北京の喜水ギャラリーさんで藤吉憲典個展。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

続々・「天氣晩来秋」北京の喜水ギャラリーさんで藤吉憲典個展。

いよいよ明日8月29日(土)初日を迎えます。北京・喜水ギャラリーさんでの、藤吉憲典個展「天氣晩来秋」。喜水のオーナーさんが立て続けに、詩的で素敵な個展告知文章を出してくださるので、ご紹介したくて「続々」のブログアップです。

中国語で書いてくださっていたものを、AI翻訳して、意味が通るようにわたしが手直ししています。


藤吉憲典個展 天氣晩来秋

  • 喜水gallery:北京市朝阳区广渠东路1号创1958园区 3-9F
  • 2026年8月29日(土)-9月2日(水)

藤吉憲典は、創造力の源泉は、日々の暮らしの中で身近に感じる自然の美しさにあると語っています。色を目で見て、形に触れる――そうした五感を通じた体験こそが、ものづくりの原点なのだと。彼は、器を実際に使う日常の中で、器と芸術が持つ意味や力を感じてもらいたいと願っています。その素朴で誠実な思いこそが、彼の作品が国境を越えて人々の心を動かす理由の一つなのかもしれません。

藤吉憲典の制作姿勢には、古来の中国思想にいう「格物」に通じるものがあります。「格物」とは、目の前にある一つひとつのものを深く観察し、考え、その本質を見極めていく姿勢です。一本の線、一つの余白に至るまで、何度も見直し、考える。その積み重ねの先にあるのは、流行に左右されず、時を重ねてもなお美しさを保ち続ける、気品と静けさなのです。

(喜水ギャラリーのインスタグラムより)


「格物」という言葉の意味を知りませんでしたので、調べてみました。いろいろと出てきましたが、雑誌『サライ』のウェブ版に掲載されている記事がわかりやすかったです。ご興味のある方は、ぜひご参照くださいね。その文章を拝読したうえで簡略にまとめると…

儒教の基本文献といわれる四書五経のひとつ『大学』にある「格物致知(かくぶつちち)」に由来します。『大学』に「知を致すは物を格すにあり」とあり、人間本来の知恵、生きる力は、実際に物事にぶつかり体験することによって初めて得られると解釈されています。そして「学び続ける姿勢」と「真理への探究心」この両輪が大切であると説いています。

告知以降、「北京にいる友人に、個展開催を紹介しました」などの嬉しいメッセージもいただいております。ありがとうございます!