読書『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)山口周

ニュータイプと言っても『ガンダム』の話ではありません。と、わざわざ書くのは、わたし自身が「ニュータイプ=ガンダム」をイメージしたからにほかならず。現代を生きる我々への問題提起本です。

わたしにとって山口周さんと言えば『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』。今年はアートフェアアジア福岡のプレイベントで講演を聞くこともできました。

本書『ニュータイプの時代』は、七月の講演でお聴きした内容とほぼ重なっていました。講演ではその場に応じた解説や余談がたくさん入り、より理解しやすく共感につながったと思います。こういう心遣いを受け取ることができるのが、直接ご本人の口から話を聞く機会の、最大のメリットかも知れませんね。

かといって、本が難解ということではありません。各項とも「ああ、たしかに」とうなずきながら読むことができます。「なぜそうなのか」理由をより丁寧に説明するために字数の多くを割いている印象があり、「ひとりでも多くの人に、少しでも早く気付いてほしい」著者の思い入れの強さを感じました。

オールドタイプからニュータイプへの変容として、「問題を解く」から「問題を見つける」へ、「役に立つ」から「意味がある」へ、「ルール」から「倫理観」へ、「権威」から「問題意識」へ、「経験」から「学習」へ‥‥と色々出てきます。

なかでもわたしが「やっぱ、これよね」と思ったのは、「役に立つ」から「意味がある」へ。講演の中でも一番「うんうん」と思いながら聞いていた部分でしたが、本のなかでもやはり目に留まりました。

「役に立つけれど意味が無い」と「役に立たないけれど意味がある」

これは、わたし自身が伝統工芸・工芸美術の世界から現代アートの世界を二十数年眺めてきたなかで、まさに鍵となってきた概念でした。日本の伝統工芸を語るとき便利に使われる「用途美」という言葉があります。言い換えれば「意味があるうえに、役に立つ」ということですが、現代の伝統工芸産業界においては、言葉ばかりがもてはやされて、実際のモノはそれを体現することなく、本質が見失われつつあると感じています。今こそ、その過ちに気づくべきと、本書が代弁してくれている気がしました。

オールドタイプからニュータイプへ。わかりやすいカテゴライズで、読む人それぞれが今持っているモヤモヤを晴らしてくれそうです。

香椎宮献茶式と、野点

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

香椎宮献茶式と、野点。

毎年秋恒例の野点茶会。朝降っていた雨も上がり、気持ちの良い風が吹くなかでお茶をいただきました。いつも家路についてから「写真撮るの忘れた…」となるのですが、今回も。目の前の景色に夢中になり、つい「撮る」が後回しに。

香椎宮への献茶式、スタートは昭和22年といいますので、もう70年以上続いていることになります。献茶式の行われる香椎宮、野点の行われる報恩寺、茶道南方流の円覚寺との関係については、昨年の香椎宮献茶式のご報告に少し書いています。

神社本殿での禅寺茶道による献茶の儀。何度体験しても不思議な感覚に包まれます。南方流では「献茶」と呼ばれるものは、春の南坊忌、秋の実山忌と合わせて年に三回あるのですが、南坊忌と実山忌の際にあげられるお経は、香椎宮では神主さんによる祝詞になります。儀式が終わると、最後はお神酒をいただくのもまた神社ならでは。

今回のお茶席では和尚さんとご一緒でした。曰く、野点は南方流では一番最後のお点前であること。初伝に至るまでのお稽古に始まり、いろいろなお点前を学びお稽古を積みあげてここに至ること。野点では決まりごとのなかでの自由が重視されるということ。

論語の「心の欲する所に従えども矩を超えず(こころのほっするところにしたがえども のりをこえず)」を思い出しました。「思いのままに行動しても 決して道理を踏み外すことがなくなった」というほどの意味です。

茶道のお点前の作法には、決まり事がいろいろとあります。その決まり事が意味する本質を、何年もかけて何回も稽古することによって、体にしみこませることができたら、自由にやっても大丈夫な域に達するということなのだろうと理解しました。

二十年後、三十年後、あるいは五十年後、果たしてこの境地に至ることができるのでしょうか。今はまだまったくイメージできませんが、目指すべき姿があらためてはっきりとしたお茶会でした。

ありがとうございました。

郷育カレッジ:ふくつ散歩 福間南編に参加してきました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ:ふくつ散歩 福間南編に参加してきました。

「郷育カレッジ」は福津市が誇る市民生涯学習の仕組みです。様々な分野で年間約100講座。福津市民または市内の事業所に勤務している人は、入会金500円と年会費1000円(+講座により材料費)でいくつでも受講できます。ただし、希望者の多い講座は抽選。近年は満員御礼の講座も多数です。

「ふくつ散歩」も人気講座のひとつ。市内の各地区で、地元のボランティアガイドさんが見どころを案内してくれるシリーズです。住んでいても、行ったことのない場所はたくさん。ふだん車で通り過ぎてしまうところにも、さまざまなストーリーを見つけ出すことができます。

最初に福間南での地域の取り組みなど現状のお話をお聞きした後に、散歩に出かけました。歩いた距離は3キロほどでしたでしょうか。道々ガイドさんが教えてくださった多様なエピソードで、これまで何度となく通った場所にも、少し違って見える景色が生まれました。

今回は「文化財めぐり」ということで、個人的には、亀山神社(古墳)、大日堂の大日如来とお不動さん、うがみ(八龍)神社の絵馬あたりが特に興味深かったです。お堂など、ふだんは閉めているところも、地域で管理なさっている方が、ふくつ散歩のために開けてくださって、拝観することができました。

ご協力くださいました皆さま、誠にありがとうございました!

花祭窯の庭師さん。

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花祭窯の庭師さん。

夏が過ぎ、草木が伸び放題の庭を手入れしなきゃね、と思っていたところに台風が来て、風に乗ってきた潮であちらこちらと枯れはじめ。いつもお世話になっている庭師さんに、助けを求めました。数年前に花祭窯の茶庭を整備するときからお世話になった方なので、どこにどんな草木が植えてあるか、すべてご存知。説明要らずの安心感です。

上の写真は、その庭仕事後。「2カ月後ぐらいに、好い感じになる」をテーマにスッキリ美しくなりました。ほんとうは今の時期だと水引草があったり、ヤブランがあったりと、もう少しにぎやかなのですが、潮で枯れはじめたため、思い切ってバッサリ。あとは、寒くなるまでに、どれだけ新しい芽が出てきてくれるか、です。

お仕事ぶりをみていて、「どこを残すか」で決まるのだなぁと、あらためて思いました。迷いなく手際よく枝を落とし、草を払っている、その瞬間瞬間に「どこを残すか」を絶妙に決めているのがわかり、すごいなぁと思いました。

これからが楽しみなサザンカの木の周りも、スッキリ。一日でここまで仕上げてくださった庭師さんに感謝です。

読書『書くことについて』(小学館文庫)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『書くことについて』(小学館文庫)スティーヴン・キング著、田村義進訳

先日読んだ『読みたいことを、書けばいい。』に触発されて、「文字を書く」ことに意識が向いています。

スティーヴン・キングといえば、わたしの頭に浮かんでくるのは「シャイニング」であり「ミザリー」であり。小説を読むより先に映画を観てしまっているので、自動的にジャック・ニコルソンやキャシー・ベイツの顔が浮かんできます。

本書はタイトルからイメージする文章術の本であった以上に、スティーヴン・キングがいかにして「モダン・ホラーの旗手、スティーヴン・キング」になったかという自伝的な要素が強く、その人生がまた読み物として興味深いものでした。

巻末にある「補遺その二」に、「大原則は、もちろん、たくさん読んで、たくさん書くことである。」(『書くことについて』388ページ)とあり、文章術という側面については、このことをスティーヴン・キングから聞くことができたので大満足。

大御所のイメージのあるスティーヴン・キングが、自分と20歳ほどしか違わないことにあらためて気づき、驚愕するというオマケつきの読書でした。

朋有り遠方より来たる

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朋有り遠方より来たる

また楽しからずや。孔子先生の論語に登場するなかでも、好きな言葉のひとつです。わたしはどちらかというと、友だち付き合いは多くない方ですが、気がつけば20年以上とか30年以上とか「長い付き合いの友人」が一人二人と増えてきました。

秋の一日、四半世紀を超える付き合いの友人が関西方面から来福。数年に一度我が家にやってくる彼女が遊びに来るときは、いつもお土産が大荷物です。その理由は「次に行くときにこれをもって行く」というものを、日ごろから集めているからだと言います。

関西ローカル色の強い雑誌や新聞の切り抜きであったり、どこかに遊びに行ったときに見つけたちょっとしたお土産物だったり。笑えるもの、わたしたち家族の「ツボ」にハマるだろうと思われるものが、日々ちょこちょこと集められているらしく。そして実際、彼女が遊びに来たあとは、これらのお土産を大いに面白がっているわたしたちが居ます。

気配りというほどのものでもなく、自分も面白がりながら、相手の楽しそうな顔をイメージして何かをする、そしてそれが外れていない。相手に気遣わせることなく、自然にこういうことができるのは、彼女のすごさだなぁと思います。

ところで、「福岡に来る」で来福。今更ながら「来福」って字面がとってもいいですね。

【開催報告】世界史を建築家の視点で学ぶ!第7回「モダンスタイル」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

【開催報告】世界史を建築家の視点で学ぶ!第7回「モダンスタイル」

株式会社藤井設計室藤井昌宏氏を講師に迎えての「世界史を建築家の視点で学ぶ!」シリーズ第7回目のテーマは「モダンスタイル」。現代に直接つながる時代でした。

以下、備忘。


  • モダンスタイルと、それまでの時代の建築との間にある溝=現代に続く切実な問題。
  • デザインの要素が大きく変化した。
  • 窓、ベランダなど部品のバランス、配置のリズム、必要な要素・素材の組み合わせ、パターンの繰り返し。
  • 例えば、ベルリンの集合住宅=低所得労働者のために、政府が推奨した都市生活(平日は都市で働き、週末は郊外に出かける)。
  • 平面に広がっていた町を、縦に積み上げる。
  • 1920年代、第一次世界大戦後。
  • 〇〇イズム(主義)の出現。
  • 「モダニズム」と「インターナショナリズム(=反ナショナリズム)」。
  • あらゆる分野で才能を発揮するユダヤ人にとって、インターナショナリズムは隠れ蓑になった。
  • インターナショナルな動き=ユダヤ的思考の拡大が、(それを恐れる人たちによる)反対向きの動きにつながってしまった。
  • 歴史建築の軽視=時代の変化、施主の変化。歴史的建築を作れる場がなくなってしまった時代。
  • モダニズムの悪影響「低コスト建築の正当化」「デザイン手抜きの正当化」「合理的思考への偏執」「誠実でない建築家の台頭」。
  • ル・コルビジェ=モダニズム建築。素材の使い方、連続のさせ方、バランスよくまとめあげる力。
  • ファシズム、ダダイズム、構造主義、表現主義。
  • 自分のやることの後ろ盾としての、思想、哲学的考え方。
  • 建築・都市計画・モノのデザイン…すべて同列であり、いろいろやって当たり前。
  • どれだけ苦労して、どれだけ失敗してきたか、が差となって現れる。


話がいろいろな方向に広がり、つながりが前後した内容もありますが、講座内で話題になったそのままの順番でまとめています。

最初の「現代に続く切実な問題」という提起を、参加者それぞれが実感したからこそでしょう。意見交換タイムはこれまで以上に盛り上がり、時間が少々足りませんでした。

次回の第8回は、世界史を建築家の視点で学ぶ!シリーズのまとめ「人の住むところ」です。ここまでの7回で学んできたことの復習もかねて、とても楽しみです。

最近目にした「お!」な言葉。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

最近目にした「お!」な言葉。

巷には、歴史上の偉人、カリスマ経営者、スポーツ選手などの「語録」があふれていて、かくいうわたしも孔子(と、その弟子)の「論語」は、面白く読んでいますし、禅語も好きです。

でも、偉人の言葉でなくても、一冊の本にまとめられていなくても、あちらこちらで「お!」という言葉を発見することがあります。それは文字列になっていることもあれば、話し言葉として出てくるものもあり、いずれにしても書き留めておかないとそのまま流れて行ってしまうこと多々。

「ことば」に助けられることがあるとわかっているので、毎日たくさんの言葉を見聞きするなかで、琴線に引っかかったものはできるだけ自分のために残しておきたいと思っています。自分の記憶力が頼りにならないことがわかっているのでメモするのですが、どこにメモしたかがわからなくなることも多々…。

それでも手元に残ってくれた言葉のなかで、最近「お!」だったのが、西日本新聞「聞き書きシリーズ」で連載中の、放送作家・海老原靖芳氏の『悲しいから、笑ってきた』のなかに見つけた

「ほんものの素晴らしさを感じるのに、プロも素人もない」

という言葉。

落語について書かれた言葉でした。わたしの専門は「美術・アートの鑑賞」ですが、分野は違えどまさにそのとおり!と思いました。まずは自分自身で正面から対峙し、なにかを感じること。そして、ほんものは、その力を持っています。確かに、知識的な素地があることで理解が深まることはたくさんあるけれど、それは次の段階でよいと思うのです。

今回ご紹介した海老原さんは放送作家でおられるので、言葉のプロ。でも、ほかにも「まだ偉人ではない人」の発する「お!」という言葉、身の周りにけっこうあります。これからちょこちょこご紹介してまいりますね。

現代美術家、徳重秀樹さん。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

現代美術家、徳重秀樹さん。

先日、現代美術家の徳重さんが花祭窯に遊びにいらっしゃいました。

徳重さんとのお付き合いは、もう10年近くになります。 2011年東京デザイナーズウィーク内のアートイベント「Young Artist Japan」で、同様に出展していたダンナ・藤吉憲典が出会ったのが最初。たくさんのアーティストがブースを構えるなか、引き込まれるように徳重さんの作品を見つけたのだと言います。

そのときが人前での初展示だったという徳重さん。その Young Artist Japan でグランプリを受賞!まさに、現代アーティストとして一歩を踏み出したのでした。

その後も、東京で藤吉憲典の個展があるたびに遊びに来てくださったり、津屋崎の花祭窯へも、今回で2度目の訪問。ダンナより八歳ほどお若い徳重さん。作っているモノもアプローチもまったく異なりますが、なにか通じるものがあるのでしょうね。お互いへの深い敬意と美しいものへの考え方に共通するものがあるのが、一緒におしゃべりしていてわかります。

見た目には穏やかな雰囲気を讃えていますが、情熱と強烈な個性をお持ちです。淡々としながら、なさっていることも、お話も、規格外で面白い。いわば彼のアーティストとしてのスタート地点から拝見しているわけですが、そこから今までの進んで来方も面白い。

今回は、10年ほど住んだ東京を離れて次の段階に進むタイミングで、花祭窯に遊びにいらっしゃったのでした。これからの徳重さんに、ますます注目です!

読書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)

こんにちは。花祭窯・おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)

写真は、ここ数年で、本屋さんにてわたしに「手招き」した本。

電通を辞めて「青年失業家」となり「書く」と決めた田中泰延氏の初めての著書。

先日、博多マルイのなかにあるHMV & BOOKSでぶらぶらと書架を眺めていたら、この本に手招きされたのでした。同じ博多駅界隈でも、ふだんは紀伊國屋書店か丸善に行くことがほとんどなので、珍しい行動パターンのなかでの手招き。

そういえば前回「手招き」されたのはいつだったかしら、と振り返ってみると、そもそも2年ほど前に読んだ、池上彰さんの『考える力がつく本』(プレジデント社)のなかで、ドン・キホーテ創業者の安田隆夫さんとの対談のなかに「書店めぐりをしているとありますよね。(中略)本のほうから手招きするんです。」という会話が あって、その本を読んだひと月ほど後に、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』山口周(光文社新書)に手招きされたのでした。そのときは近所のイオンモール内にある未来屋書店。

それまで漠然と積み重ねてきたものが、『世界のエリートは…』によって「アートエデュケーター」というはっきりした仕事へと加速しはじめた2年前。今回の『読みたいことを、書けばいい。』からの手招きもまた、わたしの「書く」への道を加速させるだろうと確信しました。

さて読んでみての一番の感想は、「手招き」は裏切らないなぁ、ということ。わたしにとっては、( 気づいていませんでしたが)今まさに欲しかった本でした。ここ数年、わたしが一番文字を書いているのは、このブログです。ブログを書き続けるにあたり、「(自分が)書きたいことを、書けばいい」スタンスを重視していましたが、もう一歩先に進んで「(自分が)読みたいことを、書けばいい」に至ると、もっとよいのだとわかりました。

「書きたいことを、書く」と「読みたいことを、書く」。その違いを、伝わるように易しいことばで説明するのは、今のわたしには少々難しく。気になった方は、ぜひ『読みたいことを、書けばいい。』を読んでみてくださいね!