チューリップがあると、ぐっと春が近づいたような気がします。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

チューリップがあると、ぐっと春が近づいたような気がします。

昨日は息子の高校卒業式でした。その昔、わたし自身の高校卒業式も3月1日だったと思います。当時もそうでしたが、息子のクラスも、進路が決定した子もいれば、まだ進路も決定していない子も多数という状況。卒業と言われても、まだ受験が残っている子どもたちにしてみたら、なんとなくスッキリしないのではないかしらと思いつつ卒業式に列席しました。

卒業式は、とっても良かったです。式が退屈になるかどうかのカギを握る校長先生のお話も、PTA会長さんのお話も、ご自身の言葉で丁寧に卒業生に言葉を贈ってくださり、保護者としてありがたいなぁと思いました。ちょっと驚いたのは、号泣している生徒がけっこういたこと。その素直さが素晴らしいと思いましたし、想い入れのある3年間を送ることが出来たのだろうなと、うらやましい感じも致しました。

卒業式後には、各クラスでの最後のホームルーム。ホームルームでは生徒一人一人が「一言挨拶」をしたのですが、ここでまた驚かされました。それぞれの生徒が、クラスの仲間に対して、先生に対して、そして保護者に対して、きちんと言葉にしてお礼を言うのです。いやぁ、今どきの若者はなんてすごいんだろうと、時代の流れを感じました。おかげさまで、とてもさわやかな気持ちになりました。

その後部活の集まりがあるという息子を残して、わたしは一足先に帰宅。夕方遅く、息子が花束を抱えて帰ってきました。

チューリップ

チューリップ、いいですね。玄関でいいよ、というので、さっそく玄関に生けました。ほかにもなんやかんやと卒業祝いのプレゼントをいただいたようでした。我が息子はまだ進路が決定していないのですが、卒業は卒業。進路未定での卒業式と言われてもなんとなくスッキリしないのではないかしらと考えたのは、まったくの杞憂でした。

この春ご卒業の皆さま、誠におめでとうございます。

続・読書『新しいアートのかたち NFTアートは何を変えるか』(平凡社新書)施井泰平著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

続・読書『新しいアートのかたち NFTアートは何を変えるか』(平凡社新書)施井泰平著

つい先日読書記録をアップしたばかりですが

ちょっと、時間をとってしっかり自分の考えを整理したい部分が結構ありましたので、あらためてまとめ直し、というか、以下、備忘メモ。


  • アートの歴史を振り返ってみれば、最も時代を象徴するアート作品は、いつもその時代の「長者」が買うような作品群でした。
  • (ラスコーやアルタミラの時代から最新のNFTアートの時代まで、変わらないアートの本質とは)未来に向けて価値を問う、つまり「時を隔てて唯一性のある普遍的な価値を問うこと」
  • 時を隔てて唯一性のある普遍的な価値を問う「意志」を持ってつくったもの
  • NFTという生まれたばかりの技術がすぐにアートと結びついたのは、アートが必要としてきた「価値継承の環境」をつくる上で、それがひじょうに優れた道具であったから
  • 作品の真正性や由来(制作者やつくられた年など)、その後の流通や利用を示すための「証明書」「公式記録」「鑑定書」のようなものとして信頼のできる情報
  • 批評家や美術館学芸員、キュレーターのように、作品が持つ社会的な文脈を言葉で解説してくれる人
  • 「この作品を買った」「このアーティストが素晴らしい」と宣伝を買って出てくれるような「コレクター/インフルエンサー」
  • コレクションをつくる上で重要なのは、ある種のテーマ設定や一貫性のようなもの
  • 厳しい著作権の管理は、既存の現代アート業界ではむしろ当たり前
  • クローン文化財は、それ自体がある種の「作品性」を帯びるものとなる可能性がある
  • アートの民主化
  • 世界中のどんな場所にいても、普遍的な永続する価値を世界に問うことができるようになる
  • これからもアートのメインストリームにおいては、権威に基づいた希少性が価値に直結するであろうことに変わりはありません。
  • アーティストを発見して育て、プロデュースするというギャラリーが持っている基本的な役割
  • 作品の情報アーカイブという役割は徐々にブロックチェーンに移っていくとしても、キュレーションや批評といった職業の重要性は変わらず、むしろ高まっていくかもしれません。
  • これまで、ギャラリーが果たしてきた「物語づくり」の役割を誰が担うのか。
  • 「美しいもの」をつくる
  • アーカイブの重要性
  • 時代を超えた普遍性の感覚
  • 「所有できるもの」の時代へ
  • アカデミーのような文化的、社会的な価値をつくっていく機能
  • ミュージアムの価値は、「歴史」にある過去から未来への長い時間軸のなかでモノや情報を伝えていく「通事性のメディア」(テレビ・ラジオ・新聞など多くの「共時性のメディア」に対して)
  • 時代を先導していく「切り込み隊長」としてのキュレーター
  • 所有がもつダイナミズムによって、時代を隔てた価値を問うアートの生態系が維持されている

『新しいアートのかたち NFTアートは何を変えるか』(平凡社新書)施井泰平著より


NFT以前に大事なことが、たくさんでした。思えばわたしには、コレクターがコレクションを形成していくうえでなにを重視しているのか、という、ある種の「かたまり/まとまり」の価値に対する考察が欠けていたように思います。花祭窯おかみ=キュレーターの果たすべき役割を、ちゃんと自分のなかで整理し直そうと思います。

令和5年度福津市立図書館協議会に参加しました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

令和5年度福津市立図書館協議会に参加しました。

市立図書館の運営について、年に数回、有識者・図書に関わる地域の諸団体・市民が集まり、よりよい図書館運営のための意見交換をするための協議会。図書館好きが高じてというか、無くなってしまったら困るので、できるだけ関わりたいという非常に個人的な動機と立場から、委員になっています。市立図書館、特にご近所のカメリアステージ図書館が健全に社会教育施設として育ってくれることは、自分自身にとって大切なことなのです。

今年度2回目にして最終回の協議会は、令和5年度の1月末時点までの図書館事業報告と利用実績・状況報告、そして4月からの来年度に向けての事業計画案の発表でした。

今回特に議論が活発になったテーマは、電子図書館の活用について、小中学校との連携についての2点でした。どちらも課題と目指すべき方向性がはっきりしており、図書館資源をより有効活用していくために、具体的な提案がいくつも出てきたのはとても良いことでした。図書館が掲げている基本理念、理念に基づき目指すべき姿に向かって、具体的に何をどうすべきかが話し合われなければ、ただの報告会になってしまいます。

会議がはじまる前に、「この手の会議の傍聴ってあるんですか?」という雑談をしていました。というのも、毎回会議の初めに「今回の傍聴は○名」という報告があるのですが、わたしが参加したことのある会議で、傍聴者を見かけたことがなかったのです。市の職員さんによると、コロナ前までは市議会議員が傍聴することが結構あったということで、なるほどと思っていたところ、今回の会議には1名の傍聴者がありました。これもまた、良かったです。せっかく開かれている会議なのですから、ぜひ関心のある皆さんには積極的に足を運んでいただきたいと思いました。

図書館を運営する館長さんはじめ、司書さん、スタッフの皆さんには、「やるべきこと」ばかりが増えて行くのでたいへんだろうなと思いつつ、頑張って欲しいと切に願うのです。そのために一市民としてできることがあれば、できる限りサポートして参ります。

読書『新しいアートのかたち NFTアートは何を変えるか』(平凡社新書)施井泰平著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『新しいアートのかたち NFTアートは何を変えるか』(平凡社新書)施井泰平著

「NFTアート」とはなんぞや?からの、集中読書です。最初に読んだ『シリコンバレーのエンジニアはWeb3の未来に何を見るのか』が、技術に対する理解がまったく無いわたしにぴったりの良書でしたので、気分良く次の本に進むことができています。

本書『新しいアートのかたち』は、そのものずばり「NFTアート」に迫った本でした。出版年月が2022年9月ということで、1年半ほど前の本です。著者の施井泰平氏は、自らが現代アーティスト目指したという経歴からこの分野に取り組んでおられるということで、従来からのアート市場との比較で、アート関係者にわかりやすく伝えようとしてくださっていました。

わたし個人的には、特に「第2章そもそもアートとはなにか」で展開された内容が、頭の中の整理になりました。従来(あるいは現在も続いている)アートにおけるキュレーターの役割、ギャラリー、美術館、オークション会社などが果たしてきた役割と課題。これらを整理整頓することで、自分の考えに足りなかった部分が見えてきました。

そしてそこに「NFT」という技術がどのような役割を果たしうるのか、ということが第3章以降につながります。技術がどう生かされる可能性があるか、またその課題に関しては、後半に入っている3本の「特別対談」が、いくつもの疑問に答える形となっていました。対談形式での問答が読者の理解を促す、とてもうまい構成だったと思います。

アート市場の将来に起こり得る変化、すでに始まっている変化について、少しでも興味のある方は、読んでみることをお勧めいたします。

『新しいアートのかたち NFTアートは何を変えるか』(平凡社新書)施井泰平著

「デザイン開発ワークショップ」3日目。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「デザイン開発ワークショップ」3日目。

福岡県商工部新事業支援課さんからご案内をいただき、年初1月からスタートした「デザイン開発ワークショップ」。昨日はその3回目でした。ミーティングルームのある西日本工業大学地域連携センターは、JR西小倉駅から歩いて3分ほど。少し早めに到着したので、小倉城のお堀沿いに歩いたりして、ちょっぴりお出かけ気分を楽しむことが出来ました。

さてワークショップはいよいよ後半に入り、参加企業三社三様にワークショップの成果が具体化しつつあることを実感する回となりました。試作品を持ってきたり、クラウドファウンディングの成果と課題を報告したり。そのそれぞれに、皆でなんやかんやとアドバイスを入れていきます。アドバイスというほどのものでなくても、「自分はどう思う・自分だったらどうする」と自由に発言することが、大きなヒントにつながっていくのを、過去二回のワークショップで体感しましたので、発言は遠慮無しです。

それにしても、1月の初回の混沌とした状態から考えると、三社とも大きな変化を遂げています。1回目を終わった時点では「2時間×4日=8時間のワークショップで各社の課題を解決に導くというのは、なかなかハードルが高い」と思っていましたが、なんのその。最終回までになんとかひとつでも形にするという強い気持ちを、ワークショップに参加する事務局・アドバイザー・受講者皆が持っていることが、それぞれの前進につながっていることを実感します。

そんなわけで、ワークショップは残すところあと1回。来月開催の最終回に向けて、やるべきことをどんどん進めて参ります。

↓過去2回のデザイン開発ワークショップ報告はこちら↓

読書『ああ、ウィリアム!』(早川書房)エリザベス・ストラウト著/小川高義訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ああ、ウィリアム!』(早川書房)エリザベス・ストラウト著/小川高義訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚。パッと目についた背表紙のインパクトに、手が伸びました。「『ああ、ウィリアム!』って!」って、感じです。「早川書房」の文字が目に入るに至り、これは面白いに違いないと、借りて参りました。わたしが早川書房さんの存在を意識し始めたのは、カズオ・イシグロ著書が最初でしたが、その後、面白い翻訳書だと思ったら早川書房、というパターンが続々。海外からの本をこうして読むことができるのは、出版社さんと訳者さんのおかげです。

さて『ああ、ウィリアム!』。面白かったです。上の写真は、本とは全く関係なく、読了後に浮かんだイメージ。ストーリーは、大きな事件が起こるではなく、結婚・離婚・親子や家族の問題を中心に進みます。背景には、アメリカならではの州による格差や、帰還兵の問題などがじっと潜んでいて、ついにはロードムービー的な展開に至るわけですが、「ああ、○○!」という場面が随所に出てきて、タイトルとシンクロ。「○○」には、ウィリアムはじめ登場人物の名前が入るのですが。小説の面白さは登場人物のセリフと心理描写に尽き、なんとも切なくて愛おしくなるお話でした。

主人公はルーシーという女性なのですが、著者のエリザベス・ストラウトさんは、自らの著書に前作との関連性を持たせて本を書くという特徴があるということで、ルーシーが登場する物語が本書の前に数冊あるということがわかりました。そのことは、本書内随所に出てくる記述からもなんとなく伺うことが出来たのですが、読了後、巻末の訳者あとがきを読むことによって、理解できました。

こうなると本書以前の「ルーシー」のことが気になって参ります。さっそく図書館で検索したところ、ありました。ちょっと遡って読んでみようと思います。

『ああ、ウィリアム!』(早川書房)エリザベス・ストラウト著/小川高義訳

個展案内状の宛名書きは、相変わらず手書きです。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

個展案内状の宛名書きは、相変わらず手書きです。

ギャラリー栂さんでの「肥前磁器 藤吉憲典作品展」の会期スタートまで、1カ月を切りました。

一般的には、インスタグラムはじめSNSでのイベント告知がすっかり定着した感のある昨今ですが、お客様一人一人のお名前に宛てて直接届く「案内状」の魅力は、まだあるのではないかと思っています。ギャラリーによっては、ハガキなどリアルでの案内状作成を止めたところもあるようですが、幸い藤吉憲典を扱ってくださるギャラリーさんは、皆さんまだ作成してくださっていますので、それが無くならない限り、そして「もう郵送での案内状は要らないよ」と言われるまで、お届けしてまいりたいと考えています。

今回の栂さんでの個展用には、120~130枚ほど宛名を手書きいたしました。字がうまいとは言えないことは自覚しておりますので、せめて丁寧に。書き終わると、自己満足ですが安心いたします。お一人でも多くの方にご来場いただけますように。

肥前磁器 藤吉憲典作品展

2024.3.16(土)-3.29(金)※3/25(月)休廊
OPEN 11:00-17:00

ギャラリー栂
岡山県和気郡和気町清水288-1
TEL 0869-92-9817
https://www.gallerytoga.com/

年に一度、電気窯の定期メンテナンス。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

年に一度、電気窯の定期メンテナンス。

昨年春に花祭窯三代目の窯を設置し、もうすぐ一年経ちます。動力源が電気であり、焼成はプログラム管理されているとはいえ、窯を焚くときには気を配り神経を使います。最新の機械を導入したことで、安全面・環境配慮面での安心感を高めることが出来たのは、心理的に大きなプラスになりました。

新窯導入時に、窯の構造・焼成の際のコツや、窯を長持ちさせるための焚き方の留意点・メンテナンス方法など、メーカーさんから専門的なアドバイスを直接いただくことが出来たのも、貴重な機会でした。一般的な注意事項は調べればいろいろ出てきますし、陶芸作家のお友だちに話を聞いたりもしていますが、窯の特徴や、作家がどのような焼成方法を選びどのような結果を求めているかによっても、やり方が異なってきます。「藤吉憲典の窯の焚き方」におけるアドバイスをいただくことが出来たのは、ありがたいことでした。

そんなアドバイスのひとつ、窯を長持ちさせる方法として、この二月には「酸化焼成メンテナンス」を行いました。藤吉憲典は、本窯焼成において「還元焼成」を行っています。還元焼成を続けることによって進む窯の劣化があります。本窯焼成10回につき1回程度の頻度で「酸化焼成」で空焚きすると、これを防ぐ役割があるということで、年に一回の定期メンテナンスとして取り入れることにしたのでした。

新年最初の本窯を焚く前に、酸化焼成メンテナンスを定期化しようと決定。この2月に実施しました。通常の窯焚きと異なり、窯の中に作品は1つも入りませんので、そういう意味では気持ちが楽です。自動プログラムで酸化焼成を設定すれば、あとは電子制御でメンテナンスが完了。これで今年一年またしっかり窯に火を入れることが出来ます。

花祭窯の如月(きさらぎ)の露地。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の如月(きさらぎ)の露地。

今年はお天気がひと月ほど早く進んでいるようで、二月とは思えない暖かさの日が多いです。今週、二十四節季「雨水」あたりからは、雨の降りやすいお天気が続いていて、「もう菜種梅雨?」という感じ。佐賀・花祭にいたときは、一月二月は最も冷え込む季節で、最低気温は氷点下5度前後、最高気温も2~3度という日がしばしばありました。今年は特別なのかもしれませんが、寒さが苦手な身としては、過ごしやすい気候です。

さて花祭窯の小さな露地では、ジンチョウゲが香りはじめました。これも少し早いのかな、と思いつつ調べてみたところ、昨年もちょうど2月22日に「如月の庭」をアップしていました。我ながらすごいシンクロです。で、ジンチョウゲの蕾がもうすぐ開くかな、という写真がありましたので、花の季節は大きくは変わっていなかったようです。

花祭窯の庭 ジンチョウゲ

冬の間、庭の手入れをサボっていましたので、先週お天気の良かったときにちょっとすっきりさせました。シダの葉っぱが美しくたくさん伸びてきていました。

花祭窯の庭

雨が降ると、緑の美しさが一層引き立ちますね。ツワブキの新しい葉っぱも出てきました。小さな葉っぱに産毛がたくさんついているのが、今年出たツワブキです。

花祭窯の庭

遅咲きの水仙の葉っぱもグンと伸びてきました。今のところまだつぼみが見当たりませんが、三月ごろに花が咲くと嬉しいな、と。

花祭窯の庭

花の少ない季節ですが、これから伸びて行こうとしている新芽を見つけて嬉しくなる季節でもあります。

花祭窯の暖簾を応急手当。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の暖簾を応急手当。

現在花祭窯の玄関に架かっている暖簾は、津屋崎に移転して来てから二代目。作ったのはいつだったかしらと調べてみたところ、2017年のことでした。

花祭窯は海のすぐ近くにあるため、潮を浴びて生地の劣化が進みやすい環境です。ご近所でご商売をなさっている方から「のれん、外に出してると潮で破けやすくなるよ~!」とお聞きしてはいたのですが、ほんとうにそうで、最初の暖簾は5年ほどで傷んでしまったのでした。

その反省を生かし、二代目の暖簾は生地を厚めにして、来客予定のある時以外は玄関の内側に掛けるようにしておりました。おかげで5年を過ぎても、お日さまと潮風で色は褪せてきているものの、目立った傷みはほとんどありませんでした。が、8年目の今年、ついにちょっと破れがでてきました。

破れ個所は、暖簾の端の下の方で、玄関の引き戸に挟まりやすい部分。なにかの拍子にひっかかってしまったようでした。これは仕方がないなぁ、と思いつつ、放っておいたら広がってしまいますので、応急手当てをすることに。まずは裁縫箱から、暖簾の色に近い端切れと糸を探し出すところからです。ピッタリとはいかないまでも、近い色が見つかりましたので、破れの裏にあてて、縫い留めていきました。

お世辞にも上手に縫えたとは言えませんが(汗)、とりあえずは一安心です。思い返せば、初代暖簾も最後のほうはあちらこちらと繕い跡がたくさんでした。二代目暖簾も、つくろいながら使って参りたいと思います。