「デザイン開発ワークショップ」に参加しました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「デザイン開発ワークショップ」に参加しました。

福岡県商工部新事業支援課さんからご案内をいただき、「デザイン開発ワークショップ」なるものに参加することにいたしました。「デザイン」という言葉が使われる場面は、もともと使われていた物理的なデザインを意味するものから、概念的な分野へと広がってきていますね。「デザイン思考」という言葉がもうずいぶん前に流行ったような気がしていましたが、流行りで終わらず定着してきているということかな、と。今回わたしが参加した目的は、まさに思考のデザインを学ぶこと。それもただ概念を学ぶのではなく、「何をどう売っていくか」「その方法をどうデザインするか」まで具体的に落とし込むことを目的としています。昨日はその4回講座の初回でした。

会場は西小倉駅から徒歩3分ほどの、西日本工業大学地域連携センター。上の写真は、そこからほど近い小倉城。実は西日本工業大学の存在を知らなかったのでしたが、システム工学・建築学・情報デザインに特化し、地域連携・産学官連携を推進して地域貢献することを使命とし、工業の町北九州地域の要望に応えて設立された大学なのだそうです。今回ワークショップのコーディネーターは、その西日本工業大学デザイン学部教授・梶谷克彦先生。

受講生として参加した企業は、花祭窯を含めて3社。そこにコーディネーターの先生と、アドバイザーとしてデザイン関係の専門家が2名、福岡県の新事業支援課さんから2名のスタッフが参加。運営側の人数の方が多いという、受講者にとっては非常に手厚い体制であることに、まず驚きました。

さてワークショップ第一回目。まずは参加者の自己紹介からスタートし、各社の課題の共有へ。参加の三社は、広義でいえば皆「製造業」であるという共通点はありながら、まったく分野の異なる三社でした。当然、課題を理解してもらうにはその前提となる事業内容の説明から必要なわけで、2時間の予定を大幅に超えて盛り上がりました。皆さんのお話は面白く興味深く、わたしにとって貴重なブレスト機会となりました。

そしてもう一つ驚いたのは、コーディネーター・アドバイザーのお三方の姿勢で、必ずこのワークショップ期間中に三社の課題解決を成し遂げようという強い意思が感じられました。それはそれぞれが発する言葉の端々に現れていて、とても新鮮な印象でした。よく考えてみたら、「初めまして」から2時間×4日=8時間のワークショップで各社の課題を解決に導くというのは、なかなかハードルの高いことです。これは、初回で2時間を大幅に超えたのも仕方がないかな、と。県の職員さんは少々お困りの様子ではありましたが(笑)。

次回は3週間後の2月5日。楽しみです^^

読書『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)高瀬隼子著

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読書『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)高瀬隼子著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。シュールな装丁が目に留まり、手に取りました。「うるさいこのおとのぜんぶ」と、タイトルの音の流れもなんだか心地よくて、これは借りてみよう、と。実際に読んでみると、中身にもずっとシュールな感覚が漂っていました。

主人公が小説家で、その主人公が書いている小説のストーリーがなかに入っている、二重構造的なつくりです。「作家小説」というジャンルなのですね。ボーっと読んでいると「あれ、これはどっちのストーリーだ?」となり、読み返すこと数回。これは著者の意図したことなのかわかりませんが、そんな行ったり来たりも含めて、不思議な面白さがありました。

本名の自分と、ペンネームの自分。読者や周りの人が知りたいのは本名の自分なのか、ペンネームの自分なのかと考えをめぐらす主人公の葛藤が、伝わってきました。小説を知ってもらいたいけれど、本名の自分のことを知ってもらいたいとは思っていない。でも小説をたくさんの人に読んでもらうのに、本名の自分を出すことが役立つなら、という葛藤。本を出版したことは知っていたはずなのに、著名な賞を受賞した途端、雑誌などのメディアに出た途端、騒ぎ出す友人知人(あるいは覚えてもいない人)たち。その昔「有名税」という言葉が流行ったことを思い出しました。

著者の小説家としての体験がそのまま生きているのだろうな、と思わせるストーリーで、芥川賞を受賞するとなるほどこのようなことが起こるのね、という野次馬的興味をそそられる一面もありました。タイトルで感じたイメージ、日本語の音の流れが気持ちの良い感じは、本文内でもやはりそうで、高瀬隼子さんの本は本著が初読みだったのですが、もっと読んでみたいと思いました。本書の前作が、芥川賞受賞作ということで、次はその『おいしいごはんが食べられますように』を読んでみたいと思います。このタイトルもまた、日本語の流れが心地よいですね。

『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)高瀬隼子著

読書『甘くない湖水』(早川書房)ジュリア・カミニート著/越前貴美子訳

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読書『甘くない湖水』(早川書房)ジュリア・カミニート著/越前貴美子訳

新年最初の読書は、イタリア・ローマ生まれの作家さん。昨年末ラストの読書もイタリアを舞台とした小説でした。どちらもいつものカメリアステージ図書館新刊棚で直感的に手に取ったもので、読みはじめてからイタリアなのだと分かったもの。この偶然を、今年もイタリアにご縁があるということね!?と、勝手に好解釈。

年末に読んだ『マルナータ』がムッソリーニ政権下、1930年代ごろを舞台にしていたのに対し、『甘くない湖水』は、ストーリーにアメリカでのツインタワーテロ(2001年9月)のエピソードが出てきますので、ほぼ現代。どちらも思春期-青春期の女の子が主人公です。ところが時代設定の違いがあるにもかかわらず、ストーリーの核となる、格差社会に拳を握り締める弱者の叫びは共通であり、読後になんともいえない無力感が残りました。

『甘くない湖水』の「湖水」は、主人公の思春期から青春期を象徴するものであり、「青春時代の苦み」とでも言い換えることができるものです。けれどもここに描かれている「青春時代の苦み」は、単に若さゆえの苦さではなく、経済的弱者であるからこそ倍増される苦みでした。著者も訳者も「あとがき」で書いている通り、本書に横たわっているのは「痛み」そのもの。主人公の行動にひやひやしながらも、一緒になって拳を握り締める読書でした。

『マルターナ』も『甘くない湖水』も、新進の女性作家によるものでした。このような作品が続いて出ているということに、現代のイタリアに暮らす人々が抱えている社会への不安の大きさを見る思いがしました。そしてその不安は、ここ日本でも決して他人事ではなく。海外の良書を日本に出してくださる出版社と翻訳者の皆さんに、心より感謝。今年もたくさんお世話になりそうです。

『甘くない湖水』(早川書房)ジュリア・カミニート著/越前貴美子訳

鏡開きでしたので。

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鏡開きでしたので。

昨日は朝から家中・仕事場中のお餅を下げました。

鏡餅

床の間、窯、神棚、わたしのデスク、息子の部屋と、けっこうなボリュームです。年末に自分たちで餅つきをして丸めたものなので、おいしさはお墨付き。さて、どういただこうかと毎年のことながら思案します。乾燥した状態のままでは調理し難いので、まずは水に浸けて、お餅に休んでいただきます。ここ津屋崎は潮風の影響でしょうか、いつも比較的空気が乾いているので、お餅のカビもさほどつきません。鏡餅は刃物で切らない方が良いと聞きますが、程好くひびが入っているので、大きいものも手でうまく割れそうです。

定番メニューとしては、ぜんざいです。それからお煎餅感覚で食べれる揚げ餅。例年あとはどうしようかしら…となるのですが、つい先日車のなかで聴いていたラジオで「鏡餅の食べ方」特集をしていて、いろいろな食べ方が紹介されていました。運転中でしたので、メモは取れませんでしたが、チャレンジしてみようかな、と思えるものがいくつもありました。お餅のグラタン、お餅のピザなどの洋風メニュー、お餅を生地に使ったピリ辛のチヂミなど、どれも美味しそうです。しかもどれも手軽に作れそうな感じ。皆さん、色々と工夫なさっているなぁ、と感心しました。

鏡餅を下げるタイミングで、年末に飾り付けたものに少し手を入れました。まずはお花。この時期は気温が低いので、10日ほど手を入れなくてもきれいに長持ちしてくれています。色が変わってしまったものを少しつまんで、全体のカタチを整え直して、お仕舞い。床の間の昇龍図と、玄関の辰の子は、そのまま飾ってもう少し(もしかしたらこの一年)活躍してもらうことに。

昇龍図 藤吉憲典
昇龍図 藤吉憲典
陶人形辰の子(龍の子) 藤吉憲典
陶人形辰の子(龍の子) 藤吉憲典

ともあれ、鏡餅。毎年、最後はわたしが「頑張って食べる!」という状態になりがちな鏡餅。今年は食べ方のバリエーションを広げて、家族皆で美味しくいただきたいと思います。

高価なブランド品ではないけれど、大切にしたい腕時計。

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高価なブランド品ではないけれど、大切にしたい腕時計。

そういえば昨年も腕時計の話をしていたような…と思って確認したところ、ありました。

↑のブログでベルトを付け変えたと書いていた時計が、止まってしまいました。電池を入れ替えてから半年ほどでしたので、電池のせいではないなと。購入してから28年ぐらいかな。ベルトを付け替えてから一年足らずでした。約一年前に中を開けて見ていただいたときには「問題なし!」と言われていましたが、どうやらオーバーホール(分解掃除・修理)が必要なようです。もともとが、それほど高価なものではありませんので、オーバーホールにかかる金額と、時計屋さんの見解を伺ってから決めようかな、と思っています。

その少し前に、18歳成人を迎えた息子に腕時計を贈りました。これも高価なものではありませんが、長く使ってもらえるようにセイコーのシンプルで美しい時計を選びました。息子の腕時計は2代目(2台目)。1代目は7-8年経っていると思いますが、こちらもセイコーでした。途中で一度ベルトが壊れたのを付け替えて、健在です。そのうち自分で気に入ったものを買うのだと思いますが、どの時計も、動き続ける限り大切に使って欲しいな、と思っています。

お正月に実家に顔を出したときに腕時計の話題になり、母親がほぼ新品でずっと使っていない革ベルトがあると出してきました。聞けば、30年以上前に購入したものの、ベルトの色をすぐに変えたくなって付け替え、ずっとしまっていたとのこと。いい革でいい色で、その時付けていたわたしの腕時計のベルト幅にぴったりでしたので、使わないのならと、もらってきました。ベルトの付け替えが自分でできるようになったので、迷いがありません。ちょっとしたことですが、嬉しいことです。さっそく自分の32年物の腕時計に付け替え、大満足です。

長く働いてくれる腕時計のおかげで、いろいろな楽しみを味わっています。

完熟カボスで作った簡単ポン酢がとっても美味しくて嬉しかった。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

完熟カボスで作った簡単ポン酢がとっても美味しくて嬉しかった。

花祭窯の創業地、佐賀・花祭を果樹園にしようと、ここ数年妄想しています。住んでいた頃から、庭に植えるのは「実の生る木」ばかりでしたが、足しげく通うことが出来ないと、収穫機を逃してしまうことが少なからず。例年たくさん実をつけてくれて、夏頃に収穫しているカボスを、昨12月にようやく収穫したのでした。

そんなわけで、いつもはグリーンのカボスを収穫していますが、今回は完熟した黄色のカボスがたくさん手に入りました。写真を比べてみると、色の違いが歴然です。

カボス
完熟カボス

さてどう使おうかな、とぼんやり考えていたところに、料理上手なお友だちがSNSで「レモンで手作りポン酢」のレシピを公開していたのを発見。カボスでやってみよう!となったのでした。

レシピでは「醤油と味醂とレモンと昆布」のところを、「薄口醬油とカボスと昆布と鰹節」にアレンジ。薄口醤油は、使う機会があるかと購入してそのままになっていたものが、たまたま未開封であったので、その消費を兼ねて使うことに。「薄口醤油:カボス=1:1」に昆布と鰹節を適当量投入。「そのまますぐ食べても美味しいけれど、一週間くらいすると熟成してより美味しい」という友人の言葉通り、日が経つにつれてまろやかな酸味のポン酢が出来上がりました。鍋シーズンに最適です。

使ったのが薄口醤油でしたので、ふだん使っている市販のポン酢よりも少々塩気が強くなりましたが、そこは使う時に分量を注意すればOKです。味醂を入れたら少し緩和されるかもしれませんね。「自分で味を好みに調整できるのが一番の魅力」と友人が書いていた通りで、いろいろと試せそうです。こんなに簡単に美味しいポン酢が出来ることに感激。これからは毎年カボスポン酢を作ろう!と、心に決めた単純なわたしです。

この2024年からは、佐賀・花祭の果樹園化計画を、もっと進めていきたいと思っています。梅の収穫には毎年足を運んでいますが、その他にも、栗やかんきつ類などを季節季節に収穫していきたいな、と。特に栗は、毎年立派な実がたくさんついてくれているのに、タイミングを逃して収穫できずにいます。落ちた栗は、野生の動物たち…イノシシやアナグマやタヌキが食べてくれているようなので、無駄にはなっていないのですが。並行して、新しい果樹も植えて増やしていきたい。木を増やすのはなんだか無条件に嬉しくて、ここ2年ほどは年に3~4本を植樹していますが、そろそろちゃんと計画を立てて取り組んで行くことにいたしましょう。と、ここに宣言^^

藤吉憲典2024展覧会予定など。

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藤吉憲典2024展覧会予定など。

※2024年3月21日更新(北京個展の日程が少し早くなりました)

おかげさまで、本年も各地での展覧会の機会をいただいております。いつもお世話になっておりますギャラリーの皆さまに、心より感謝申し上げます。まだ会期が確定していないものもございますが、現時点で決まっている内容をお知らせいたします。


3月16日(土)~3月29日(金)ギャラリー栂(岡山・和気町)

約二年半ぶりの栂さんでの個展です。今回も、器とアート作品の両方をお持ちする予定です。会期中に栂さんが「作家を囲む会」を計画してくださっているとのことで、作家本人も楽しみにしています。案内状が出来上がり次第、あらためてお知らせいたします。

7月13日(土)~7月18日(木)黒田陶苑(東京・銀座)

隔年開催の銀座黒田陶苑さんでの個展です。建て替え中だった本社店舗ビルが今年春に落成し、新しいギャラリースペースでの展覧会となります。これまでよりもスペースが広くなるということで、ワクワクしています。

7月17日(水)~7月23日(火)博多阪急(福岡・博多)

昨年に引き続き、今年も博多阪急さんでの個展です。二回目となる今年は、「より足を運びやすく、より見やすい展覧会」を目指して参ります。地元福岡の皆さまとお会いできる貴重な機会、一人でも多くのお客さまにご来場いただけると嬉しいです。

8月4日(日)~8月11日(日) 喜水ギャラリー(中国・北京)

初の北京個展です。喜水ギャラリーさんは、日本の現代工芸作家の個展を定期的に開いておられます。藤吉憲典の個展は来年2025年に本開催予定。それに先駆けて今年「ミニ個展」開催の運びとなりました。北京の皆さまにご覧いただけるのが、とても楽しみです。

11月9日(土)~11月15日(金)百福(東京・南青山)

隔年で開催してくださっている百福さんの個展、今年は11月の開催です。定番のご飯茶碗や蕎麦猪口などふだん使いの器を中心に、年末年始に嬉しいハレの器も取り揃える予定です。染付の器・赤絵の器の魅力を存分にお届けする展覧会を目指します。

12月 Sladmore Gallery クリスマス・ショウ(英国・ロンドン)

ロンドンSladmoreでのクリスマス・ショウに、今年も参加いたします。人気のAnimal Boxesシリーズの新作を中心に、Kensuke FujiyoshiならではのColored Porcelain Sculpture(彩色磁器彫刻)作品をお届けいたします。


各展覧会の詳細は、それぞれ会期が近づいたころに、あらためてブログやSNSを通してご案内いたします。今年も一人でも多くのお客さまにお会いできるのを、楽しみにしております!

読書『おとなのOFF 絶対見逃せない2024年 美術展』(日経TRENDY)

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『おとなのOFF 絶対見逃せない2024年 美術展』(日経TRENDY)

すっかり年初恒例となった、美術展チェックです。昨年に引き続き、今年も『おとなのOFF』の臨時増刊号をゲット。

展覧会会場となる美術館博物館は日本全国にありますので、なかなか足を運べないのが現実ではありますが、昨年は「これは観たい!」ベスト5に挙げていたもののうち、3つの展覧会に足を運ぶことが出来ました。わたしとしては、上出来です。福岡県内あるいは出張先(東京)での訪問がほとんどですが、意識の片隅に置いておくと、時間を見つけて機会を上手く生かすことが出来ますね。

ではさっそく『おとなのOFF 絶対見逃せない2024年 美術展』に掲載されているもののなかから、「これは観たい!」ベスト5。


1位 キース・へリング展 アートをストリートへ

昨年12月の学芸員研修で、「中村キース・へリング美術館」の学芸員さんに「社会課題と向き合う美術館活動」のお話を伺ったばかりで、素晴らしいタイミングです。

現在、六本木の森アーツセンターギャラリーで開催中ですが、福岡への巡回も予定されています。ありがたいことですね。福岡市美術館 2024年7月13日〜9月8日。楽しみです!

2位 永遠の都ローマ展

こちらも福岡市美術館 2024年1月5日~3月10日。新年5日から始まっていますので、近いうちに足を運びます。カラヴァッジョの「洗礼者聖ヨハネ」が目玉とされています。カラヴァッジョの作品を福岡で、生で観ることが出来る貴重な機会です。今からドキドキしています。

3位 没後50年 福田平八郎

大阪中之島美術館 2024年3月9日~5月6日。実のところ「福田平八郎」と聞いてもぴんと来なかったのですが、作品を見て「ああ!」と心当たりました。「写実に基づく装飾画」と呼ばれているそうですが、色使いとパターンがポップで、魅力的です。ぜひ観に行きたい展覧会です。地元・大分県立美術館での巡回展は2024年5月18日~7月15日。

4位 円空-旅して、彫って、祈ってー

あべのハルカス美術館の開館10周年記念展覧会。160体の「円空仏」が揃うというのですから、なかなか稀有な機会だと思います。会期は2024年2月2日~4月7日ですので、中之島美術館の福田平八郎展と合わせて、大阪展覧会ツアーを計画するのも良いかもしれません。

5位 生誕120周年 サルバドール・ダリ―天才の秘密―

福島県にある諸橋近代美術館。本書で見るまで知りませんでした。ゼビオ株式会社の創立者・諸橋廷蔵氏が収集した作品を展示する美術館。ダリをメインに、ルノワール、マチス、ピカソ、シャガール等19・20世紀巨匠20数人の作品を収蔵しているそうです。会津磐梯山の景勝地に位置するという美術館。ぜひ足を運んで観たいものですが、九州では大分県立美術館 2024年11月22日~2025年1月19日の巡回があるので、そちらで観るのが現実的かもしれません。

3位に挙げている福田平八郎の展覧会も大分県立美術館でありますので、これは大分に足を運べということかもしれませんね。


このほか、『おとなのOFF 絶対見逃せない2024年 美術展』に載っていなかったところでは、福岡アジア美術館で新年1月2日から開催されている「日中平和友好条約45周年 世界遺産大シルクロード展」も楽しみにしていた展覧会。近々博多に出たときに鑑賞予定です。

今年も、ひとつでも多くの「お!」な作品と出会えるのが楽しみです。

年の初めの恒例仕事「花祭窯2024経営指針書」作成。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

年の初めの恒例仕事「花祭窯2024経営指針書」作成。

2024年のテーマは、藤吉憲典が「レリーフ(平面立体)作品と、獣人(fantastical human hybrid)シリーズ」、わたしは「増殖と拡散」です。

毎年変わる「テーマ」は、今まではやや漠然としていました。昨年が「表現の多角化」「奥行きのある仕事」、その前が「威風堂々」「自由な展開」、さらにその前は「超えて行く」…こう見てみると、年々少~しづつ具体性が出てきて、今年はかなりピンポイントになっています。上の写真は毎回一番上に掲げるもので、毎年決めるテーマと、「志(ビジョン)」「使命(ミッション)」「大切にすること」。「志」以下の三つは、言い方が少しづつ変わったことはありますが、基本的にはずっと変わっていません。

今回指針書を作るにあたり、記録を保存している2014年からのものを、久しぶりに(もしかしたら初めて!?)振り返ってみました。この10年で指針に掲げてうまく行っていること、思いがけず新たに生まれた方向性、やむを得ず見直したことなどが一目瞭然で、今年どう動いていくのかを考えるのに、最適の反省材料となりました。あらためてはっきり見えたことは、目標に掲げて、口に出して、実際に動いてみないことには、何もはじまらないし、何もわからないということ。動いたものに対しては、良きにつけ悪しきにつけ結果が出るので、次に進むことが出来ています。

また10年分の経営指針書を振り返ってわかったもう一つのことは、変化のスピードがどんどん速くなっているということ。じっくり取り組むべきことはじっくり取り組むこととして、他方でどんどん試してどんどん見極めていくことが増えていると感じました。特にオンラインでの情報発信に関しては、「何を使って、どのような情報を発信し、なにを期待するのか」が、猛スピードで変わっていることを、あらためて実感。その変化についていこうと頑張るよりは、振り回されることのないスタンス・仕組みを作り上げることに重点を置くべく舵を切っているここ数年の動きは、自分たちにとっては正解なのだと思います。

今年もこの経営指針書を真ん中において、修正を重ねながら取り組んでまいります。一年後にどれだけ変化しているか、楽しみです^^

読書『マルナータ 不幸を呼ぶ子』(河出書房新社)ベアトリーチェ・サルヴィオーニ著/関口英子訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『マルナータ 不幸を呼ぶ子』(河出書房新社)ベアトリーチェ・サルヴィオーニ著/関口英子訳

2023年末ラストの読書は、イタリアの作家さん。いつものカメリアステージ図書館で、年末年始用に多めに借りていた中の一冊です。これまでにヒトラー下のドイツを舞台とした小説は何度も読んだことがありましたが、ムッソリーニ政権下のイタリアを舞台にした小説は、記憶している限り初めてかな?と。訳者の関口英子さんのお名前に見覚えがあるなぁと思ったら、その1年ちょっと前に読んでいました。

こちらも河出書房新社から出ていました。『「幸せの列車」に乗せられた少年』の時代背景は第二次世界大戦後でしたので、ムッソリーニ政権のファシズムの影響が色濃く残っていたころですね。『マルナータ 不幸を呼ぶ子』の方が少し前の時代になります。

さて『マルナータ 不幸を呼ぶ子』。労働者階級で貧しく、周囲から忌み嫌われながらも人の目を気にせず自分の意志のままに行動するマッダレーナと、ブルジョワ階級で世間体を気にする母親のもと厳しくしつけられて育ったフランチェスカという、性格も家庭環境もまったく異なる二人の思春期の女の子の物語です。二人の少女の関係性は、どの時代にも有り得る話でありながら、ムッソリーニ政権下という時代背景が、二人の生きづらさを、より際立たせる役割を果たしていることが、読んでいてひしひしと伝わってきます。

この時代がどのようなものであったのかと、そこを舞台に設定した著者の意図については、「訳者あとがき」でわかりやすくまとめられています。この訳者あとがき内にある、著者が言ったという「性差別と人種差別が横行し、好戦的な男社会の典型であるファシズムの時代」「女性や、社会の枠組みからはみ出す者たちが声を上げることの難しかった時代」「ファシズム政権下のイタリア社会は、むろん過去のものではあるのですが、現代社会との危うい類似性も感じられる」「彼女たちの生きづらさは、いまの私たちと決して無縁ではない」の言葉たちが、刺さりました。

「言葉の力」=「言葉の大切さ」と「言葉の恐ろしさ」を考えさせられるセリフが物語の随所に出てきて、ひとつの大きなテーマになっています。これはきっと、言葉を生業とする著者にとっての大きなテーマなのだろうと思いました。

個人的には、これまでほとんど知らなかったイタリアのムッソリーニ政権下がどのような社会であったのか、どのように市民が扇動され、戦争につき進んで行ったのか、その一片をうかがい知る貴重な機会にもなりました。そしてその日本との類似性が恐ろしくもありました。そういえば先日読んだ『戦争は女の顔をしていない』はスターリンのソ連でした。そこにも類似性は多々見られ、つまり「国民性」とか「民族性」ということでは無く、「人間」としての本質なのだということか、と考えさせられました。

1995年生まれの著者、本書は初の長編作品だったということ。『マルナータ 不幸を呼ぶ子』では、欲を言えば、ラストシーンがあまりにもよくできすぎていて違和感が残ったので、著者の別の本も読んでみたいと思いました。日本語版がまた出ることを期待しています。