今年も無事に参加、精進して参りました―香椎宮での献茶式と報恩寺での野点茶会。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

今年も無事に参加、精進して参りました―香椎宮での献茶式と報恩寺での野点茶会。

人の人生に例えれば喜寿(77歳)すなわち77回目を迎えたという今年の香椎宮での献茶式。前日の準備から、楽しく充実した二日間となりました。お茶会当日がとても暑かったので、着物を着ての動きがたいへんでしたが、心配した雨には降られることなく、良かったです。

茶道南方流のお茶会は、お茶会前日の準備から始まります。準備への参加は任意で、そのとき時間を取れる人が、出来る範囲で準備をお手伝いする、というのが大原則です。お仕事やらさまざまな用事で準備に参加できなくても、お互い様ですので、まったく問題ありません。わたしができる限り準備から参加したいと思うのは、準備のなかで学ぶことがとても大きいから。お稽古の曜日や時間帯が異なって、なかなか顔を合わせることのない皆さまもいらっしゃいますので、お茶会と前日準備は、そうした方々にお会いできる貴重な機会でもあります。

入門以来ずっと年に5回お茶会があるので、わたしのなかで毎年の決まりごとのようになっています。毎年10月の香椎宮献茶式と報恩寺での野点茶会は、「お茶会の場を作るとこから始まる」という意味で、特に学びの大きい機会です。例えば、野点用の釜を吊り下げるための竹を山から切り出し、炉として地面に穴を掘るところから行う。そんなことを毎年やっている流派は、なかなか他には無いのではないでしょうか。

今回わたしは、前日準備でまず午前中は、お献茶のお点前に使う「棚」を磨く仕事を仰せつかりました。無垢の白木を乾いた布で黙々と磨き続けると、なんとなくツヤが出てきたかしら?という状態になります。これらの仕事の難しさは、「ここまでやったらゴール」の到達点がわかりにくいこと。先生に「上等上等、そろそろいいでしょう」とおっしゃっていただいて、なんとなく安心できるのですが、ほんとうにこれで良いのかしらという感じがあります。庭掃除なども似たところがありますが。

午後からは切り出された青竹を洗う作業。たわしでゴシゴシと洗います。これもまた、明らかな泥汚れなどが落ちたあとは、どこまで洗ったら良いのか、見た目の判断のしにくいところ。節の部分についた黒いシミのようなものをキレイに取り去ることをひとつの目安として、取り組みました。こちらも先輩に「もう大丈夫でしょう」とおっしゃっていただいて、お終いにすることが出来ました。

お茶会当日は、朝から会場の最終的な設定と、道具運びなど。無事献茶式が終わったら、野点茶会です。自分が席入りするとき以外は、水屋仕事を手伝います。今年も1席20名以上の、合計50名近い出席者での大きなお茶会となりました。これだけの人数がいると、終了後の片付けは早いものです。先生方・先輩方の指示に従い、一斉にあちらこちらでお片付けがはじまると、1時間もしないうちにほとんどが片付いておりました。こういう時の機動力というか、あうんの呼吸で皆さんが無駄なく動く感じが、何年やっていても、やっぱりすごいなぁと思います。

帰りは、いつもお世話になっている先生と途中までご一緒で、駅までの道中と乗り換えの駅まで、たくさんおしゃべりすることが出来ました。とっても楽しい一日でした^^

博物館学芸員研修会の連続講座-第3回「来館者に寄り添う鑑賞の『処方箋』」に参加しました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

博物館学芸員研修会の連続講座-第3回「来館者に寄り添う鑑賞の『処方箋』」に参加しました。

今年度の講座がスタートしました!とブログに上げていたのは、9月末のことでした。1回目2回目とリアルタイムでのスケジュールが合わず、開催後日アップされたYouTubeで講座の様子を拝見し、ようやく第3回にリアルタイムでの参加が出来ました。Zoomや動画の活用が当たり前になった昨今とはいえ、このように後追い参加をフォローをしていただけるのは、ほんとうにありがたいことです。

「ミュージアムと地域住民のつなぎ方を考える」をテーマに設定された連続6講座の第3回目は、鹿児島市立美術館さんの前野耕一先生からの取り組み報告でした。

以下、備忘。


  • 処方箋=作品を味わうための仕掛け。
  • 博物館浴によるレジリエンス(回復)効果。
  • 美術館を楽しむ=所蔵品を楽しむ。
  • 「鑑賞」に焦点のあった企画展。
  • 比べてみれば:気づきを言葉にする。2点1組での鑑賞による効果。
  • 見るを楽しむ:作品に設置された「問い」を頼りに鑑賞する。自分なりの意味や価値に気づく、言葉にする。
  • 小学校の図画工作授業の学習指導要領をもとに企画を考える→「能動的」な鑑賞。
  • 利用者(利用予備軍)の「困りごと」に対処←当事者に聞く。
  • 心理学者アビディル・ハウゼン氏の「感受性の段階」を根拠にしたプログラム→段階を上げていく。
  • 「アートカード」で鑑賞ポイントを学ぶ。
  • 自主的に使える教材の配置。
  • 教材の使い方動画を流す。
  • アートカード+問い
  • 課題:一人一人の課題に対して、それぞれに合った処方箋をどのように提供するか。
  • アウトリーチ教材としてのアートカード。
  • 視覚化する、言語化する。

講座終了後にまず決めたのは、花祭窯のアートカードを作ろう、ということ。藤吉憲典作品をモデルにしたアートカードは、美しいものが出来上がる確信があります。アートエデュケーション現場での活用イメージがどんどん湧いてきました。出来上がったらこちらでもご紹介いたしますね。どうぞお楽しみに。

幼稚園・保育園など教育施設への「アート作品の貸し出し事業」をスタート準備中です。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

幼稚園・保育園など教育施設への「アート作品の貸し出し事業」をスタート準備中です。

きっかけは、ご近所の保育園からのお問い合せ。保育園の秋祭りイベントで、地元の作家の作品を展示して子どもたちに本物を見せたい、ついては藤吉憲典の作品を出展してもらえないかというご相談でした。「子どもたちが本物に触れる機会を提供する」ということには大賛成でしたが、2カ月前のご相談ではいろいろと難しく。提供する作品の準備やら、他の作家さんの作品との兼ね合いやら、展示方法についてやら、作品・鑑賞者双方への安全確保についてやら、きちんと準備しないと難しいということをご説明しました。できれば一年以上前にご相談いただけると嬉しいです。

ご相談にいらしてくださった園長さんによると、その園では芸術を特別なものとせず、あたりまえにそういうものが身近にある環境を目指したいということで、その考えにはわたしたちも共感しました。それならばなおのこと、イベントで様々な催しがあるなかで、半日から一日単発的にアート作品をただ展示しても、あまり意味が無いのではないかと率直に申し上げました。そして「長期的な視点で美術教育環境を提供できるような機会や方法があれば、ご協力したいと思います」ということをお伝えしたのでした。

お話をしている間は具体的には思いつかなかったのですが、しばらく頭の片隅にあったこの課題から、カタチにしようと思い立ったのが「アート作品の貸し出し事業」です。保育園や幼稚園などの施設の一角に、常に本物のアートがある空間を作ることで、長期的な情操教育的効果を期待できるだろう、というところ。そのときは意識していなくても、成長して大きくなった後に「そういえば通っていた幼稚園には、いつも絵画が(あるいは彫刻作品が)あった」というように思い出す機会があれば、大成功です。アートエデュケーターふじゆりとしては、幼児向けに、より積極的なアート体験プログラムを組むことも可能ですが、「芸術を特別なものとせず、あたりまえにそういうものが身近にある環境を目指したい」ということならば、むしろこちらかな、と。

そのような環境を作ろうとしたときに、もちろん一番良いのは、その施設がアート作品を購入して飾ることですし、そうしている教育施設は少なくないと思います。ただ、最初はハードルが高いかもしれないな、とも理解できなくはないので、将来的には購入することを目指して、まずはレンタルからスタートするのもアリかな、と思いました。それが、子どもたちにとっても、施設に携わる方々にとっても、最初のきっかけになれば、というところです。

というわけで、現在、貸し出しのための規約等を制作中。2024年内にはサービスをスタートできると思います。今のところ、対象は子ども向けの教育関連施設と考えています。オフィスなどへのアートレンタルサービスを事業展開しているところもあるのは知っていますが、オフィス=大人は、借りるのではなく買って欲しい(笑)。興味のある方は、ぜひ一度ご相談くださいませ^^

読書『図書館ウォーカー2 旅のついでに図書館へ』(日外アソシエーツ)オラシオ著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『図書館ウォーカー2 旅のついでに図書館へ』(日外アソシエーツ)オラシオ著

引き続き、いつものカメリアステージ図書館新刊棚からの発見本。わたしの友人に、仕事や旅行で海外に出かけるたびに、時間をつくってその土地の図書館に足を運ぶ人がいます。図書館関係のお仕事をしているから、という以上に、図書館という空間が大好きだから、趣味と実益を兼ねて足を運び、写真を撮るのだと言います。わたしが仕事で出張するときに、出来るだけ美術館博物館施設に足を延ばそうとするのと同じですね。

そんな人は、やはり全国にあるいはきっと世界各国にいるのでしょう。出版社によると本書は『青森県の地方紙「陸奥新報」に連載中の人気エッセイ』なのだそうです。タイトルに「2」とついていますので、そう、続編。最初の『図書館ウォーカー―旅のついでに図書館へ』の刊行が2023年1月で、続編が2024年5月ですから、そのスピード感から、よほど人気が高かったことが伺えます。

本書の特徴は、もちろん写真もありながら、あくまでも文章がメインであること。元が新聞連載ということですから、さもありなん。ジャンルとしては「旅エッセイ」です。著者のライター・オラシオさんは、元図書館員だったそうで、本シリーズは「図書館をもっと身近なものに」がコンセプトなのだとか。軽妙ながら丁寧な語り口が好印象です。登場するのは、ビジュアル的なインパクトのある館や先進的な取り組みのある館ではなく、あくまでも旅先にある地方の図書館。この視点もまた新鮮で、好感度高く。

このなかに、見たことのある景色を発見しました。上の写真にある、佐賀県の太良町立大橋記念図書館です。博多から長崎方面へ、長崎本線で有明海沿いをぐるりを回る線から見える景色です。そうか、あれは図書館だったのかと、教えられました。第一弾の『図書館ウォーカー』もチェックせねば!です。

ところで、このブログを書きながら、なんだか既視感があるぞと思ったら、『世界の図書館を巡る』の読書記録を付けていたのは、ほんの2週間ほど前のことでした(笑)我ながら興味の偏りが伺える選書です。

『図書館ウォーカー2 旅のついでに図書館へ』(日外アソシエーツ)オラシオ著

読書『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋)小林エリカ著

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読書『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋)小林エリカ著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚で発見。前情報はまったく無しで、タイトルで戦争関係かなと感じたくらいでしたが、読み終わったときに、ほんとうに読んでよかったと思いました。こういう出会いがあるから、やはり図書館の新刊棚は貴重です。昨年読んだ『戦争は女の顔をしていない』も、いつものカメリアステージ図書館新刊棚で手に取ったのでした。

文体はあくまでも軽やかに、散文詩でも読んでいるかのようなテンポと、抑えた言葉選びがとても印象深かったです。読み終わった後にわかったのですが、このタイトルで朗読劇も演じられているということで、なるほど納得いたしました。詩的な雰囲気の文章と、語られる内容の重さのギャップが、読み進めるほどに深くなっていきます。

巻末に並ぶ参考資料・文献の数を見てさらに、どれほどの思いのこもった本であるかを突き付けられました。日露戦争・第一次世界大戦・関東大震災後の日本、第二次世界大戦と戦後から現代まで。「少女」の日常を通して見えてくるものに、なんともいえない息苦しさが迫ってきて、何度も本を閉じました。でもまた読まねばと開く。昨年読んだ『戦争は女の顔をしていない』の時と同じような息苦しさでした。『戦争は女の顔をしていない』では、あるのは「戦争と平和」ではなく「戦争と戦後」だという表現がありましたが、本書からもまさにそれを感じました。

文藝春秋のサイトによると、著者の小林エリカさんは、目に見えないもの、時間や歴史、家族や記憶、場所の痕跡を着想の源として活動しておられるということ。本書は2024年5月発売であり、今このタイミングで本書が刊行されたことの意味を考えさせられるとともに、著者の本を他にも読んでみたいという気持ちになりました。

『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋)小林エリカ著

2024年度の文化庁「大学における文化芸術推進事業」連続講座・オンライン語り場がスタートしました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

2024年度の文化庁「大学における文化芸術推進事業」連続講座・オンライン語り場がスタートしました。

2016年からお世話になっている、九州産業大学の緒方先生が責任者を務める博物館学芸員のための技術研修会。コロナ禍を経てここ数年は、Zoomを活用した「博物館リンクワーカー養成講座」のプログラムが定着してきています。その結果、全国各地の博物館施設から参加する学芸員さんが、ますます増えています。そうした成果を受けてでしょう、2024年度は昨年度までからの倍の数のプログラムが組まれています。

前半は「ミュージアムと地域住民とのつなぎ方を考える」後半は「地域の子ども、若者を支えるミュージアム活動」ということで、各6回=6施設×2テーマ、つまり12もの事例について、実際に携わった方から取り組み報告を聞くことが出来ます。その報告を受けて、学芸員をはじめとした専門職の皆さんとグループワークでの意見交換。この時間がまた、とても貴重です。

第一回目の九州国立博物館の教育普及担当学芸員さんからの報告は、視覚障がい者のかたとの美術鑑賞プログラム開発の取り組みでした。タイトルは「さわる、歩く、なりきる」。そのなかで、最も強調されていたのが「当事者に聞く」「当事者からフィードバックを受ける」ことの重要性でした。「たくさん失敗して、たくさんお叱りを受けながらやってきました」とおっしゃりながら、より意味のあるプログラムを開発するために、「聞く」「フィードバックを受ける」ための土台をしっかり築いてこられた、担当学芸員さんの地道な力を感じました。

緒方先生が責任者を務める博物館学芸員研修会の根本にあるテーマは、わたしが初めて参加した2016年から変わらず「ミュージアムとウェルビーイング」です。スタート当時は「ウェルビーイング」という言葉こそ使われていませんでしたが、「LIFE」すなわち生きること・命との関りに博物館施設が果たせる役割をずっと探求し続けていて、この核はずっと変わっていないと感じます。

連続講座は12月まで続きます。ひとつでも多くの事例から、自分の取り組みに生かせるものを学びとりたいと思います。

花祭窯の長月9月の庭―いつもより遅かったけれどヒガンバナが咲いてくれました♪

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯の長月9月の庭―いつもより遅かったけれどヒガンバナが咲いてくれました♪

毎年秋のお彼岸には必ず花を咲かせてくれていたヒガンバナ。今年は秋分の三連休を過ぎても気配を見つけられずにいました。あまりにも暑い夏でしたから、ヒガンバナに限らず調子を狂わせてしまった草花の話はあちこちで聞いていて、今年はお休みでも仕方ないよね、と思っていたところだったのです。

が、遅れること数日、ヒガンバナの茎がシュッと伸びてきたのを発見。思わず「おおーっ!」と声が出ました。そんな、長かった夏の終わりの花祭窯の露地では、いろんな植物が頑張ってくれています。

百日紅サルスベリ

夏の暑い盛りに唯一花をつけてくれた百日紅は、今日も満開です♪

ザクロ柘榴

台風に負けず残ったザクロの実は二つ。だいぶ大きく育ってきました。

露草ツユクサ

夏の終わりからは、「紫色」があちらこちらから顔を出してきてくれました。

紫の実

いつもの顔ぶれを見つけると、ホッとしますね。

ヤブラン

そして、こちらはもう少しで開くヒガンバナ。花祭窯のヒガンバナはクリーム色です。

ヒガンバナ彼岸花

一日後には、見事に咲いてくれました。

彼岸花ヒガンバナ

朝晩だいぶ涼しくなってきましたので、そろそろ庭の草むしりもせねばと思いつつ^^

花祭窯のギャラリースペースに椅子が入りました―ようやく気に入ったものを発見♪

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

花祭窯のギャラリースペースに椅子が入りました―ようやく気に入ったものを発見♪

花祭窯のギャラリースペースは靴を脱いで上がる和室なので、座るときは「畳に座る」ことになります。和室に上がってしまうと「ちょっと腰掛ける」ような場所が無く、特に膝や腰の悪い方がいらっしゃったときは、申し訳ない状態が続いていました。「畳の部屋に似合う椅子」を探さないとね、と言いつつ、コロナ禍下で来客を受け入れない時期も数年あり(と言い訳しつつ)そのままになっていました。

先日おじゃました大川家具ドットコムさんの10周年パーティーが、本社ショールームで開催されたので、これ幸いと2階のショールームで椅子を物色(笑)。そしてあっさりと、気に入ったものを発見したのです。これ、けっこうすごいことかも。

座面の大きさといい、高さといい、配色といい、座り心地といい「花祭窯の和室に、これ!」という椅子です。素晴らしい出会い♪これまでに探したなかで、木製のデザインチェアーは、シックで美しいもの、座り心地の良さそうなものがいろいろとありましたが、実は「重い」ものが多いです。今回出会った椅子は、良いつくり、良い雰囲気のものでありながら、片手でも動かせる形・重さであるというのも見逃せないグッドポイント。

大川家具ドットコムさんで手に入れた椅子

正座の苦手なお客さまも、これからは安心して受け入れることが出来ます。嬉しい^^

読書:上橋菜穂子さんの「守り人シリーズ(もりびとシリーズ)」

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書:上橋菜穂子さんの「守り人シリーズ(もりびとシリーズ)」

少し前に、お友だちがSNSで「上橋菜穂子さんの『守り人シリーズ』が面白い」と書いておられて、気になりながらも、「ファンタジーノベルは苦手」という思い込みがあり、積極的に探すまでに至っておりませんでした。ところがある日、息子の本棚に『精霊の守り人』と『闇の守り人』の文庫が並んでいるのを発見。目の前にあるということは、読んでみなさいということだ!ということで、手に取りました。

面白かったです。わたしと同じように、ファンタジーノベル=子ども向け、と思い込んで読んでいない方がいらっしゃったら、だまされたと思って手に取ってみて欲しいと思いました。大人が楽しめるファンタジーに仕上がっているのは、著者・上橋菜穂子さんが文化人類学の研究者であり、文化人類学的アプローチが土台にあるから、ということが感じられます。

守り人シリーズは、子どもの本を専門とする出版社・偕成社さんから出ていて、そのなかに『「守り人」シリーズ公式サイト』がありました!すごいですね。

「守り人」シリーズ公式サイト(偕成社)

ちなみにわたしが読んだのは文庫版で、こちらは新潮文庫から出ています。あとがきを読むと、文庫版を出すにあたり、もともと偕成社から出ていたものから、漢字表記を増やすなど「大人が読みやすいように」文章を多少修整してはいるものの、内容はまったく変わっていないということが記されていました。子ども向けの本として出すことにこだわる理由、大人にも読んでもらえる本であるということについて、「あとがき」で著者の思いが述べられています。

シリーズの他の本も読んでみたいと思います^^

読書『ある晴れたXデイに』(東京創元社)マリー・ルイーゼ・カシュニッツ著/酒寄進一 編訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『ある晴れたXデイに カシュニッツ短編傑作選』(東京創元社)マリー・ルイーゼ・カシュニッツ著/酒寄進一 編訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚。既視感のあるタイトルに吸い寄せられました。ブログでセルフ検索をかけて納得、2年ほど前に同著者の、やはり短編集『その昔、N市では』を読んでおりました。せっかくなら本書のタイトルにも「、」を付けて、『ある晴れた、Xデイに』にしたらより既視感が増したのに、などとどうでもよいことを思いつつ(笑)

さて『ある晴れたXデイに』。いずれの物語も、読み終わった後になんとも「わけの分からない感じ」が残ります。東京創元社での本書の紹介ページに「日常に忍びこむ幻想」という言葉があるのですが、まさにそれ。ありえなさそうで、ありえそう、の怖さ。読んでいる自分にもイメージできるからこそ、の怖さです。少ない文章のなかで、過剰に説明することなく、でもその光景をありありとイメージさせる、著者の凄みを感じる一冊です。

著者は1974年に亡くなっていますので、あらたな作品が生まれることはありませんが、既に出ていて日本にまだ紹介されていないものがたくさんあるはずです。出版社や訳者の方の熱意で、また短編集を作って出してくれないかな、と期待しています。

東京創元社さんは「ミステリー・SF・ファンタジー・ホラーの専門出版」なのですね。わたし自身は、あまりSFやファンタジーやホラーにあまり興味が無いと思っていましたが、試しに調べてみたところ、このブログに読書記録を残しているぶんだけでも、ここ数年で10冊以上、東京創元社から出ている本を読んでいました。そういえば子どもの頃は星新一の短編集が大好きだったことを思い出し。

『ある晴れたXデイに カシュニッツ短編傑作選』(東京創元社)マリー・ルイーゼ・カシュニッツ著/酒寄進一 編訳