読書『博物館の世界』(誠文堂新光社)栗原祐司著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『博物館の世界』(誠文堂新光社)栗原祐司著

正式なタイトルは『教養として知っておきたい 博物館の世界』です。でも「教養として知っておきたい」は要らないかなぁ…と思いつつ。「教養」はこのところ出版の流行り文句のひとつですね。個人的には、一般的に教養知識として知っておくべき内容だとは思いませんでしたが、博物館業務に関連したところにいる人たち、そういう仕事につきたいと思っている人たち、博物館や美術館が大好きな人たちに、おススメしたい本です。

さておき、わたしにとっては面白い本でした。著者は京都国立博物館の副館長でいらして、文化庁出身者。そのうえ「博物館オタク」を自任しておられますから、それはもう、高度に専門的な視点をお持ちですし、いわば現場を知るプロ中のプロ。国内外1万館以上に実際に足を運んでおられるというのですから、フィールドワークの量も半端ではありません。そんな方の書くものですから、面白くないはずがありません。

学芸業務の末端では知りえない政治的な動きも含め、日本の文化行政がどのように動いてきたのかを垣間見ることもできました。政府の方針ひとつで文化芸術の先進国にも後進国にもなりうることがわかります。特にあらためて考えさせられたのが、文化財の所有と課税制度と保護とのいろいろ。わたしが学芸員資格を取得してから10年近くが経ちますが、当時京都で実習を受けていたときに、指導してくださる先生方がことごとくその問題点・難しさを語っておられたことを思い出しました。

巻末の第6章には「厳選!ニッポンの行くべき博物館20」が紹介されていますが、その視点もまたユニークです。巷にある博物館ガイドや美術館を紹介するムック本などではなかなかお目にかかれない顔ぶれがずらり。わたしが訪ねたいと思ったのは、角川武蔵野ミュージアム、福井県年縞博物館、ボーダレス・アート・ミュージアムNO-MA、河井寛次郎記念館、南阿蘇ルナ天文台。ルナ天文台は同じ九州内ですので、さっそく旅行計画を立てたいと思います。

『博物館の世界』(誠文堂新光社)栗原祐司著

続・『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)で、彫刻の歴史をざっと学び直し(その2)。

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続・『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)で、彫刻の歴史をざっと学び直し(その2)。

「その1」では、エジプト・メソポタミア文明からエーゲ・ギリシャ文明までをまとめました。

「その2」では、エトルリア・ローマから初期キリスト教・ビザンティン、続くロマネスク・ゴシックまで。上の写真はゴシック建築。


エトルリア美術・ローマ美術(紀元前10世紀頃~紀元後4世紀頃)

  • エトルリア=墳墓美術:墳墓の建築、彫刻、絵画。
  • ローマ美術=ギリシャ美術+神話体系に基づく独自美術への発展。
  • 彫刻群:騎馬像・皇帝像などが増える。より高度な写実性。
  • ネクロポリス(死の街)=死後の世界を彩る壁画・彫刻の発展。
  • エトルリアでは大理石が採れない→テラコッタ(粘土の素焼き)による彫刻作品。
  • 巨大建築とアーチ。
  • ギリシャ彫刻ブーム→ブロンズ(戦争時に溶かして失われた)、大理石によるコピー作品。
  • ポンペイの壁画群:フレスコ画。

初期キリスト教・ビザンティン(3世紀~15世紀半ば)

  • 偶像崇拝禁止時代のキリスト教美術=イコンによる板絵形式の聖像やモザイク壁画。
  • ビザンティン美術=ローマ(政治)、ギリシャ(地理)、ヘレニズム美術(文化)の影響+イスラム文化。
  • ケルト美術=鉄器文明の初期普及段階を担ったケルト民族。古来の自然崇拝を土壌とする動植物文様や一筆書き状の組紐や無限に続くかのような渦巻き文様による高い装飾性:写本装飾、金属工芸。
  • 聖堂建築のはじまり。
  • ラヴェンナのモザイク画:表面の凹凸と色彩による表現。

ロマネスク・ゴシック(10世紀~14世紀)

  • ロマネスク・ゴシック=教会建築、祭壇画、ステンドグラス、装飾写本。
  • 聖遺物容器:それ自体が崇敬の対象となる特殊な工芸品。
  • ロマネスク教会:柱頭、半円形壁面(ティンパヌム、タンパン)が、説話的場面を彫り込むレリーフ(浮彫)の表現場に。
  • ロマネスク彫刻=教会彫刻の隆盛:柱頭彫刻とタンパンがレリーフ(浮彫)用の大画面(壁面)。
  • ゴシック教会=尖頭アーチと交差ヴォールト、ステンドグラス。
  • 装飾写本美術とタペストリー:一般的な絵画(壁画とタブロー)以外の絵画表現。

『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)より


こうして文字に書き出すと、頭の中の整理になりますね。続き「その3」では、ルネッサンスに入ります。

続・『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)で、彫刻の歴史をざっと学び直し(その1)。

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続・『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)で、彫刻の歴史をざっと学び直し(その1)。

↓うっかり前置きが長くなってしまいました↓

以下、『いちばん親切な西洋美術史』より、彫刻部分を抜粋&まとめ。「その1」では、エジプト・メソポタミア文明からエーゲ・ギリシャ文明まで。


エジプト・メソポタミア文明(紀元前40世紀~紀元前4世紀)

  • エジプト=来世思考。副葬品。
  • メソポタミア=シュメール文明。楔(くさび)形文字。人類最古の文字文明。
  • 有翼人面牝牛像:新アッシリア時代。首都カルフの城門を守る石像。
  • ネフェルティティ(人間=肖像=写実性)とツタンカーメン(神像=定型的神々しさ)。

エーゲ文明・ギリシャ(紀元前30世紀~紀元前1世紀)

  • エーゲ美術=キクラデス美術(初期青銅器時代)、クレタ美術(中期青銅器時代)、ミュケナイ美術(後期青銅器美術)。
  • キクラデス美術:極端に抽象化された石偶(大理石)。
  • ギリシャ美術=西洋美術の基礎。巨大神殿建築。西洋建築の基準となる建築様式・装飾・構成。
  • 彫刻文化:直立不動(アルカイック期)→自然な立ち姿をとる「コントラポスト」(クラシック期)へ。
  • 絵画:陶器製の食器の表面が主要な画面となる。
  • 陶画家(陶芸家であり絵付師)の活躍:陶器画=黒像式→赤像色。
  • アルカイック:アルカイック期。アテナ神に捧げることを目的に制作。アルカイック・スマイルは生命感の表現。
  • コントラポスト:クラシック期。「対置」の意味。より開放的に。まだ一定の方向からのみ見られることを想定。
  • ヘレニズム美術=古代ギリシャ彫刻の完成形。
  • 「神々」だけでなく「王や個人」のための美術が生まれる。美術が大衆化された時代。
  • 激しい動きが特徴で。多方向から見られることを意識した表現。空間的な広がり。
  • ミロのヴィーナス、ラオコーン、サモトラケのニケ。

『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)より


書き出しはじめたら、思いのほか分量が多くなりそうなことがわかりました。「その2」へ続きます。

『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)で、彫刻の歴史をざっと学び直し。

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『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)で、彫刻の歴史をざっと学び直し。

ダンナ・藤吉憲典のロンドン個展が決まると、とたんにわたしも「アート探求脳」になるような気がします。つい先日、藤吉憲典の作品(Animal Boxesシリーズ)に新展開、の記事を上げたところでしたが、この前後から「美術史本・美術関連本の読み直し」が続いています。上の写真は、福岡市美術館に昨年設置された「ウィンド・スカルプチャー」。

アート作品を送り出す立場として、「これまでの美術史の文脈からこの作品を説明」しようとするクセが、少しづつ身についてきたのかもしれません。これは美術に携わる者として、求められる視点のひとつ。喜ばしい傾向です。新しい作品が出来上がるたびに、ぼんやりと自分のなかで「どういう解釈で説明できるか/どういう解釈を使うと伝わりやすいか」の要素をピックアップしはじめているのがわかります。

そして、文章にしようとしたときに、自分自身の知識・理解・語彙が足りないと思ったら、これまでに読んできた本の数々に助けを求めます。実際のところ、足りないことばかり(笑)。いまのところ出番が多いのが『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)と、『英語でアート』(マール社)の2冊です。ざっくりと流れを確認するのに最適の『いちばん親切な西洋美術史』と、英語学習の本でありながらアートの専門書に匹敵する知識がちりばめられている『英語でアート』は、最強の味方です。

思いがけず長くなってしまいましたので、主題の「『いちばん親切な西洋美術史』(新星出版社)で、彫刻の歴史をざっと学び直し。」は、次の回に。

「磁器婚式に記念の品を」のご相談。

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「磁器婚式に記念の品を」のご相談。

わたしが磁器婚式なるものがあることを知ったのは5-6年前のこと。それまで知りませんでした(汗)。当時、ちょうど自分たち夫婦の20年とも重なっていて「へぇ~!」と思い、「結婚20年のお祝いは磁器婚式」とブログにアップしたのでした。

昨日のこと、親しい友人が「今年磁器婚式なので、祈念に何かと思って。相談にのってもらえますか」と訪ねてきてくれました。お祝いの品のお手伝いができるのは、とても嬉しいことです。何がいいかなぁ、と一緒に考えることに。最近のご夫婦の共通の楽しみとして、日本酒の美味しさに目覚め、家での晩酌が好い時間になっているご様子。ならば藤吉憲典のお得意の酒器がいいでしょうと、片口とぐい呑みのセットをつくることになりました。ある程度のご希望を聞いたうえで、「作り手にお任せ」で承りました。

これまでにも藤吉の器をお求めになり使ってくださっていますので、どのようなものをお好みで、どのように使ってくださっているかがわかっています。そういうお客さまの場合には、このような半オーダー的な制作もご相談にのることが出来ます。記念日は数カ月先ということで、つくる側としても、出来上がりが楽しみなご注文となりました。

ところで「なぜ『磁器』なのだろう」というところで、自分なりに考え(あるいはこじつけ)てみました。

磁器婚式=結婚20年記念にふさわしい「磁器の特性」

  • 白い生地=ウェディングカラー。このうえに染付のブルーや赤絵のさまざまな華やかな色が映えるのです。
  • 結びつきが強い。磁器は、原料となる陶石(磁土)の性質と高温での焼成により、粒子がしっかりと結びついています。土もの(陶器)に比べて割れにくいのは、この硬度の強さによるもの。
  • 何百年何千年と長持ち。割れものでもあるけれども、大切にすれば色あせず長く受け継ぐこともできます。

こんなところでしょうか。金婚式・銀婚式に比べると知名度の低い磁器婚式。これから少しづつ定着していくと嬉しいです♪

映画『ナイル殺人事件』を観てきました。

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映画『ナイル殺人事件』を観てきました。

2022年の決意のひとつ「月に1本は映画を観る!」。1月『HOUSE OF GUCCI』2月『フレンチ・ディスパッチ』に続く3月は、待ちに待った『ナイル殺人事件』です。当初の公開予定から何度かの延期を経て、やっとの公開。

ケネス・ブラナーのポワロは『オリエント急行殺人事件』以来。『オリエント急行…』は映画館で観たいと思いながら逃してしまい、家で観るたびに悔やんでいたのでしたが、その反省が生きました。エジプトの壮大で美しい景色はもちろん、舞台となる船のセットや衣装の美しさも、「映画館で見て良かった!」です。

映画評で「数々の歴史遺産が登場し、映画館にいながら神秘的なエジプトの旅が味わえる」と読んだ通りでした。映画館を出ながら「エジプトも行きたいなぁ」と思ったのは言わずもがな。追い打ちをかけるように来週末から福岡市博物館では「古代エジプト展」がはじまります。なんという素晴らしいタイミング。

それにしても、アガサ・クリスティ生誕130年なのですね。本作の原作『ナイルに死す』が1937年発表ということで。アガサ・クリスティの本はたくさん読んだような気がしていましたが、それも小学校高学年から中学生の時分で、実のところ、小説の内容をちゃんと覚えていません。あらためて本を手に取りたいと思いました。

ところで、ケネス・ブラナーは既に次作が今月下旬から日本でも公開予定とのこと。半自伝的映画とあって、興味がそそられます。が、ご近所の映画館に来てくれるかな…それが気になるところです。

「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」

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「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」

ゴーギャンの絵画のタイトルの邦題として有名なこのフレーズ。言い回し(日本語訳)は少しづつ異なることがありますが、ここでは集英社から出ている『ART GALLERY 現代世界の美術 4 ゴーギャン』に掲載のタイトルを使っています。1897年死を決意したゴーギャンが描いた大作だと言われています。久しぶりに画集を引っ張り出して見ています。

きっかけは数日前に花祭窯に遊びにいらっしゃったお客さま。建築・都市・デザイン専門の研究者でおられる氏は、ご近所の登録有形文化財・藍の家を文化財として申請する際の調査に関わった方であり、このたび建築120年を迎える藍の家の記念行事に講演を頼まれたとのことで、津屋崎千軒内を踏査しておられたのでした。そうして立ち寄った花祭窯が、その大きな一歩になったと喜んでくださいました。

津屋崎千軒の街並み・建築物を再評価するにあたって、その氏が使ったのが、この「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」。そのような心境で仮説を立て、歴史を紐解いていきたいとのこと。ここ福津・津屋崎には、地域の歴史を研究する地元の方々がたくさんおられ、勉強会も盛んで、すでにいろいろな形でまとめられてもいます。ですが「建築・都市・デザイン」という視点で見つめることで、また面白い考察が期待できるのは間違いありません。

今からとても楽しみな「藍の家120年記念イベント」日程は、下記の通り。歴史や街並みに興味のある方は、ぜひチェックしてみてくださいね。


1)藍の家120歳を祝って 2022年3月19日午後1時~「古くて新しい、藍の家再発見!」山田由香里氏(長崎総合科学大学工学部教授)

2)特別記念講演会 2022年4月23日(土)午後2時~「私たちはどこから来て、今どこにいて、これからどこへ行くのか」藤原惠洋氏(九州大学名誉教授)

詳細お問い合せは、藍の家(電話0940-52-0605)へ。

Simon the Rhino(サイのサイモン氏)のインスタアカウントができました。

サイのサイモン氏のインスタ、現在休止中です。

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Simon the Rhino(サイのサイモン氏)のインスタアカウントができました。

サイのサイモン氏のインスタ、現在休止中です。

藤吉憲典のつくるサイに名前を募集したのは、昨年秋の福岡アジア美術館での展覧会でのことでした。

サイモン=Simon=犀文

いろいろな意味のこもった名前になりました。意味だけでなく、音も良いのです。「サイのサイモン」というダジャレ的な音は江戸の風俗文化に通じるものを感じますし、英語にしてもSimon the Rhino(サイモン ザ ライノ)と「サイ」「ライ」で韻を踏んでいます。決まるまではたくさんの候補のなかで迷いましたが、決まってしまうと、これ以外にない!という感じがしますから、不思議というか単純というか。

サイのサイモン氏のインスタグラムでは、サイモン氏のファミリーも登場予定です。どうぞお楽しみに。フォロー大歓迎です♪

サイのサイモン氏のインスタ、現在休止中です。

再読書『The Book of Tea 茶の本』(IBCパブリッシング)岡倉天心

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

再読書『The Book of Tea 茶の本』(IBCパブリッシング)岡倉天心

『読書大全』からリストアップした「2022年に読みたい本」のなかに、鈴木大拙著『禅と日本文化』があります。1936年にアメリカ、イギリスの大学で行われた講義「禅と日本文化」をまとめたもの。これを読もうと思ってふと思い出したのが、本書・岡倉天心の『茶の本』です。どちらが先だったのかしらと思って確認したところ、『茶の本』が1906年で、先なのですね。というわけで『禅と日本文化』の前にこちらを再読することに。

以下、まとめ。


  1. 茶は「生の芸術」であり、「現在」と向き合うもの。
  2. 茶において、自己の超越(=無)が起こりうる。
  3. 茶を通じて「不完全」を学ぶ。
    すべてを仕上がったものとはみなさず、そこにいくばくかの想像力を補って臨む。
    目の前に見える景色が不完全であるからこそ、そこに無限の創造力が働く。
心の器
  • 茶道は日常の俗境のなかに美を見出し、それを賛美する心に基づいたもの。
  • その根本は「不完全なるもの」を敬う心。
茶の流派
  • 日本人にとっての茶は、生きる術を教えてくれるもの。
  • すべての動作は単純で自然に行われる。
  • 茶の湯の目標は、主人と客が一体となってこの世の無上の喜びを創り出すこと。
  • 茶室はこの世におけるオアシス。茶室で藝術を享受することによって癒される。
道教と禅
  • 茶道のなかには、人生と芸術についての道教の思想が具体化されている。
  • 「道」は「移り行く経過」にある。
    神と自然が出会うところも、昨日と明日が分かれるところも、我らのうちにある。「現在」とは、移動する「無限」である。
  • この世に生きる術は、(中略)この世をありのままに受け入れ、(悲しみや苦しみの)世の中に美を見出そうとすること。
芸術
  • 偉大な傑作は、何も言わないでおくところに、見るものに考えを完成させる機会を与える。
  • 考えることによって、見るものは自分も実際にその作品の一部になったかのように思わせられる。
  • そこには見る者の美的感情を受け入れ、極限まで満たせるような「虚」がある。
  • 禅:ありふれた日常のことが、精神的なことと同じくらい重要である。
  • 茶:茶道の一切の理想は、人生の些細な出来事の中に、偉大なものを認識することである。
茶室
  • 数寄屋:好き屋:個人の美に対する欲求を満たす空間。
  • 露地:待合と茶室を繋ぐ露地は、瞑想の第一段階。
  • 茶室はこのうえない平和の場所。
  • 躙り口(にじりぐち):謙譲の精神。
  • 茶室の概念:物質に対して、精神が優位でなければならない。
    藝術の活力が生まれる原則にかなうものでなければならない。
    現在の生活にあてはまり、現在をより楽しむものでなければならない。
  • 過去の創造を無視するのではなく、それを自分達の意識のなかに吸収していく。
禅の教え
  • 不完全を完成させたもののみが、真の美を見出すことが出来る。人生や藝術の力は、それが成長する可能性を秘めている点にこそある。
  • 茶室では、自己との関係において、全体の効果を完成させることが、客の想像に任されている。
  • 茶室の簡素さや邪悪なものを遠ざけた佇まいは、浮世から離れた聖域。茶室でのみ、なにものにも邪魔されることなく、美を愛でることに没頭できる。
  • 茶室は休息の場であり、美の精神を自由に交感できる唯一の場。真の風雅を味わうことのできる場。それが難しくなってきている現代こそ、われわれは茶室を必要としている。
芸術鑑賞
  • 芸術の価値は、われわれに訴えかけてくるものがどれほどあるかで決まる。我々が時と場所を超えて心に感じることができれば、芸術は普遍的な言語だと言える。
  • 藝術と考古学を混同してしまうという間違いをおかしてはならない。時代の重みに負けて、美的感覚をないがしろにしてはならない。
  • 現代の日本人は、生活のなかの美を破壊することで、芸術をも破壊している。
活花
  • 無用と思っていたものに多少の使い道があると気づいたとき、人は芸術の領域に入る。
  • 葉と花をあわせて扱う。植物全体の美しさを表現することがその目的だから。
  • 茶人による活花は(中略)意図しておかれた場所から動かされてしまうと、とたんにその意味を失ってしまう。
茶人
  • 芸術では、現在こそが永遠である。芸術を真に理解できるのは、芸術から日々影響を受けるものだけ。
  • 芸術家は芸術家であることを超え、芸術そのものに近づこうとする。それこそが禅の美学である。

『The Book of Tea 茶の本』(IBCパブリッシング)岡倉天心より


読むたびに新しい発見があります。自分が少しでも成長すれば、同じ本から得られるものも、どんどん増えていきますね。次はいよいよ、鈴木大拙著『禅と日本文化』に取り組みたいと思います。

今年もお雛さまの季節がやってまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

今年もお雛さまの季節がやってまいりました。

上の写真は、毎年恒例、我が家のおひなさま、藤吉憲典作の「金襴手雛香合(きんらんでひなこうごう)」。場所をとらない雛香合は飾るのも仕舞うのも簡単で、面倒くさがり屋のわたしにはちょうど良いのです。

豪勢なお雛様を拝見したいときは、ご近所の登録有形文化財・藍の家のお雛祭りへ。毎年観に行きますが、何回見ても見ごたえがあって気持ちが華やぎます。古く貴重なお雛様の数々は、飾るのも仕舞うのも、とても気を使う作業。毎年こうして展示してくださるスタッフの皆さまに、心より感謝です。

以下、藍の家に展示されているお雛様の数々。写真をクリックすると、拡大でご覧いただくことができます。

藍の家のおひなさま

藍の家のおひな様

藍の家のおひな様

藍の家のおひな様

実は一番気に入ったのは、↑この展示↑でした。

見ごたえのある藍の家のおひなさま、ぜひお立ち寄りくださいませ。