郷育カレッジ「宗像の歴史巡り(宗像大社編)」に参加して参りました!

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ「宗像の歴史巡り(宗像大社編)」に参加して参りました!

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。郷育カレッジの講座のなかでも、地元の歴史ものは、安定した人気があります。そのなかでもさらに人気の高い、松本肇先生による現地訪問型の講座に、久しぶりに参加することが出来ました。日本考古学協会員であり、世界遺産となった沖ノ島の調査メンバーであったレジェンド・松本先生の講座は、いつも大盛況です。

世界遺産 『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群

13時集合、市のバスで宗像大社まで移動した後は、宗像大社本殿、高宮祭場、二の宮、三の宮、神宝館とまわり、海の道宗像館を見学してお終いの、約3時間のコースです。当日は、空気は冷たかったもののそれほど風は無く良く晴れて、参詣日和となりました。それぞれの場所での史跡・史料に関する解説はもちろん、松本先生が実際に調査に入られたときのちょっとしたエピソードの数々がとても面白く、あっという間に時間が経ちました。何度も足を運んでいますが、やはり高宮祭場の静謐な空気感は圧巻です。

宗像大社 高宮祭場

わたし自身、久しぶりの訪問となった宗像大社神宝館は、前回訪問した時よりもさらに展示工夫が凝らされ、展示室が暗くなったような気がしました(気のせいかも…)。展示資料の一点一点に焦点を当て、スペースを広くとった展示方法は、それぞれの資料への注目を高めてくれますが、昔の、雑然と大量のお宝が並んでいた展示状態を知っているわたし的には、「国宝8万点」を擁する割には見れる数が少なくて残念、という感想がよぎってしまいます。ともあれ、金の指輪や、ミニチュアの織機や、ミニチュアの五弦の琴、唐三彩の欠片、奈良三彩の小壺など、目玉の役割を果たす資料の数々がわかりやすく見やすいのは良いことですね。何度見ても見応えがあり、館を出るときには満足感に満たされました。海の道宗像館では、大きな画面で沖ノ島の映像を観ることが出来ました。

松本肇先生の講座は、先生の軽妙なトークが、受講生への一番の贈り物です。人気講座なので参加は毎回抽選になっており、来年受講できるかどうかはわかりませんが、来年も必ず申し込みたい講座のひとつです。

令和6年度デザイン開発ワークショップ第5回目―PR動画と小冊子の完成に向けて。

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令和6年度デザイン開発ワークショップ第5回目―PR動画と小冊子の完成に向けて。

福岡県の新事業支援課の事業のひとつ「デザイン開発ワークショップ」。昨年11月からスタートしたワークショップも、昨日で5回目が終わり、来月が最終回となります。前回(4回目)から今回まで約ひと月の間に、サンプル制作していた小冊子の見直しをし、昨年から構想していたPR動画第一弾も編集の最終段階を残すのみとなりました。今のところ及第点の進捗具合(あくまでも自己評価ですが…)なのは、やはりワークショップの機会を最大限に生かしたいから、そこに間に合わせようという意識が働くからであり、「仕事を見てくれる人がいる」ありがたさを感じています。

おかげさまで、小冊子、動画ともに大枠は決定し、あとは細部を詰めて仕上げていく段階です。わたしにとって前年度のワークショップは、「考え方としてのデザイン」「デザイン思考」的な部分でのブレスト機会であり、考え方を煮詰めていくのが主目的となっていました。それに対して今年度は、商業デザインに強く、知識と経験の宝庫である専門家の先生方から、具体的実践的アドバイスを頂くことがメインになっています。これは先生方としてもおそらく最も腕を振るえる分野であり、惜しみなく微細にわたるアドバイスを頂いているので、ほんとうにありがたい限りです。

北九州のワークショップグループは、2時間の予定をほぼ毎回(ときに大幅に)超えてしまいます。それは、各参加企業の取り組みへのフィードバックをきちんとしたいという先生方の気持ちの表れであり、ほんとうにありがたいなぁと思います。帰り際にワークショップを統括する先生が「参加する企業さんの売り上げに結びつかなければ意味がないので、そこを目指して頑張りましょう」とおっしゃってくださったのが、とっても嬉しかったです。

来月は最終回。利益を呼び込む成果物をきちんと仕上げられるよう、頑張ります!

読書『ロブスター』(角川書店)篠田節子著

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読書『ロブスター』(角川書店)篠田節子著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から、「あ!篠田節子さん」と、久しぶりの名前を見つけて手に取りました。篠田節子さんといえば『女たちのジハード』です。というか、冷静に考えてみたら、わたしはその一冊しか読んでいなかったかもしれません。ただその一冊が、当時の我々世代の働く女性にとっては、共感を誘いインパクトが大きかったのでした。

さて本書『ロブスター』。角川書店の公式サイトでの紹介文では「私は人生の終着点を見つけてしまった 生と死の尊厳に迫る優しく美しい一冊」とまとめられています。たしかに美しさが漂う一冊ですが、わたしにとっては、若い主人公と一緒に自らの未熟さを突きつけられるような、なんとも苦い読後感が残るものでもありました。紹介文の末尾にある「人生の本質や、生と死の尊厳を、外から判断できるのか」の問いかけが重い本です。

主人公は若いフリージャーナリストで、物語のところどころで、「古い時代の」ジャーナリストから投げかけられた「裏をとったのか」の問いかけが、彼女の脳裏によみがえってきます。それはそのまま、読者への問いかけとなり、自分の目で確かめることなく、二次情報三次情報を鵜呑みにすることの怖さと、その状態がまん延してしまっていることへの警鐘が全編に流れています。そして人がなかなか思い込みから抜けだすことが出来ない怖さや、何の得も無くても「話を聞いて欲しい」その一心だけで嘘をつけるという弱さも。現在わたしたちが生きているすぐその先、あるいは既に、本書の物語が警告する世界があることに、自らへの反省と無力感を感じました。

ポップで可愛らしさのある表紙の絵は、読後に見直すと、なんともシュールに映りました。

『ロブスター』(角川書店)篠田節子著

読書『人気建築家と考える50代からの家』(草思社)湯山重行著

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読書『人気建築家と考える50代からの家』(草思社)湯山重行著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から、タイトル買い(買ってはいませんので、「タイトル借り」ですね)。久しぶりの実用書(?)です。著者は本のなかで「エッセイだと思って読んでください」的なことをおっしゃっていますが、実用に役に立つであろう本。

著者は1964年生まれということで、ほんのちょっぴり上の世代。だからこそ、「住まう」ことについて、年代的にそろそろ考えた方が良いことなど、とても刺さる内容が盛りだくさんでした。60代で建てる家を提案した「60ハウス(ロクマルハウス)」「TOFUハウス」「ぴっころハウス」など、著者がこれまでに提唱してきたという家のパターンの面白さはもちろん、実家じまいの話、二拠点生活の提案、持ち家と賃貸の考え方など、興味深いお話がいろいろ。

自営業者としては、生活の拠点としてだけでなく、仕事の拠点としての「家」をも念頭に、いろいろと考えさせられる問いかけがたくさんありました。これから10年後、20年後をどう生きるか、どう働くか。我が家は仕事と生活が密接なので、毎年立てている事業の経営指針書に、「家」の要素を取り入れていくべきだなぁと、気づかされました。ともあれこの手のことを考えるのは、未来への不安以上にワクワクが伴うものであり、この本に出合えたのは良いタイミングだったと思います。

『人気建築家と考える50代からの家』(草思社)湯山重行著

読書『地面師たち』(集英社文庫)新庄耕著

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読書『地面師たち』(集英社文庫)新庄耕著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から文庫を発見。昨年Netflixで配信されて大きな話題となっていた『地面師たち』。我が家は配信サービスに加入しておりませんので観ていないのですが、出演者の豪華な(というか癖のある)顔ぶれが気になっていましたし、ストーリーの元となっている事件は、当時新聞を読んで「あの積水さんが」と衝撃だったのでした。というわけで迷わず手に取り。

実は本書を読む前に、やはりカメリアステージ図書館新刊棚で、本書のスピンオフ版『地面師たち アノニマス』(集英社文庫)を見つけて、こちらを先に読んでいました。地面師たちが地面師たちになる前の物語の短編集。その巻末に、Netflixで「後藤」を演じたピエール瀧と新庄耕氏による対談が収録されていて、それがまた面白かったです。

さて本書。「地面師」という存在と、そのやり方に驚きつつ、こんな世界があるのね、と読みました。淡々と読んできた後に、思いがけないラストが用意してあって、ちょっとびっくり。現実の詐欺事件を報道で知ったときに「こんなに頭の回転がいいのだったら、犯罪ではない方面で生かしてもちゃんとお金が稼げるだろうに」と思うことがよくありますが、なぜ「良い方向」に行けないのか、の理由が小説の登場人物たちの背景から見えてくるような気がしました。

読み終わってから、あらためてドラマ版での配役を確認。なるほどあの役をこの人が演じたのね、とイメージが膨らんで面白かったです。配信サービスを利用していないから観ることが出来ないというのは残念でしたが、本書のあとがきで、なぜこの作品が地上波のテレビドラマや映画にならなかったのかの理由も書いてあったので、なるほどと理解(笑)。でも、これだけのヒットになったのですから、映画化の話があらためて出てくるかもしれませんね。

ところで気になっていたとはいえ、わざわざ探してまではいなかった一冊が、簡単に目に付き手に届く場所においてあるというのは、「読もう!」を後押ししてくれるとっても素敵な仕掛けですね。おかげで『地面師たち』を読めました。カメリアステージ図書館新刊棚、秀逸です^^

日本フィル in Kyushu 2025北九州公演を聴きに行って参りました。

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日本フィル in Kyushu 2025北九州公演を聴きに行って参りました。

今年は日本フィルハーモニー交響楽団の、九州公演50回の記念年なのだそうです。福岡県では、福岡市のアクロス福岡シンフォニーホールと、北九州市の北九州ソレイユホールの二か所で公演があるので、どちらに行こうかなと思案した結果、まだ足を運んだことのなかった北九州ソレイユホールのチケットを取りました。

当日は祝日で、1週間ほど続いた寒気がやっと緩んで穏やかな晴れのお天気。JR西小倉駅から歩いて15分ほどの道なりには、小倉城、図書館、文学館、松本清張記念館、広々とした勝山公園と続きます。なるほどこの辺りは小倉の文教エリアなのだなぁと、嬉しくなりながらお散歩の先に、北九州ソレイユホールが現れました。

14時からの開演に先立ち、ロビーにはウェルカムコンサートの音が聞こえて華やかな雰囲気。席に着くときにはすでに贅沢な気持ちになっていました。そして、コンサート。もうね、ほんとうに素晴らしかったです。1曲目のエルガー「威風堂々」第一番作品39は、いつかは生で聴きたいとずっと思っていたもので、最初から泣かされました。2曲目のショパンは、ピアニスト仲道郁代さん。これまた感動的でした。そして最後は組曲「展覧会の絵」。第1曲から第10曲まであるのですね。これをすべて聴くことが出来たというのが嬉しかったですし、演奏の迫力あること、圧倒されました。

パンフレットの曲目解説で、「威風堂々」や「展覧会の絵」について、少し背景を知ることが出来たのも良かったです。

日本フィル in Kyushu 2025北九州公演

終演後外に出たら、まだ明るく暖かくて、ゆっくり帰路を歩きながら余韻をかみしめることが出来て、最高に贅沢な一日となりました。

1月の九響のニューイヤーコンサートといい、大満足の公演が続いています。次がまた楽しみです^^

読書『降りていこう』(作品社)ジェスミン・ウォード著/石川由美子訳

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読書『降りていこう』(作品社)ジェスミン・ウォード著/石川由美子訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚。こちらも「初めまして」の作家さん(たぶん)。作品社さんという出版社も、初めましての出版社さんだと思います。すべての読書記録をブログにつけているわけではないので、定かではありませんが。1979年創立で「硬派であるが人文・日本文学・海外文学・芸術・随筆など幅広いジャンルで独創的出版物を刊行」(作品社公式サイトより)ということです。その通り、読み応えのある一冊でした。

奴隷制度をテーマにした本といえば、わたしは真っ先に思い浮かぶのが『ルーツ』、そして『風と共に去りぬ』です。『ルーツ』はテレビドラマで広まったのが先で、当時わたしはまだ小学生。「人種差別」や「奴隷制度」の存在を認識した、一番最初のものだったと思います。『風と共に去りぬ』は、直接的に奴隷制度をテーマにしたものではありませんが、主人公が奴隷ではない人種・階層のため、そうした立場に都合よく描かれているという議論もあると言われていて、そうした議論も含めて奴隷制度が大きな主題のひとつになっていると、わたしは感じています。

さて本書『降りていこう』。作品社公式サイトの紹介文を借りれば「奴隷の境遇に生まれた少女は、祖母から、そして母から伝えられた知識と勇気を胸に、自由を目指す」物語です。この一文だけを読めば、冒険物語のような雰囲気も感じられますが、実際にはそのようなものではありません。「奴隷として生まれる」残酷な運命を背負ったら、そこから真の意味で自由を目指す=逃げ出すことはできない現実が押し寄せてきます。

「あんたの武器はあんた」という母の言葉を信じ、「でもその武器は何の役にも立たない」と絶望させられるいくつもの場面があり、それでも「あたしの武器はあたし自身」と自らに言い聞かせるようにして生きていく主人公の姿は、単純には言葉に形容できない強さを感じさせるものでした。

訳者のあとがきは、読後に読むことによって、本書の背景を理解するのに役に立ちました。また巻末に、アメリカ文学研究者である青木耕平氏による「附録解説」が別添されていて、こちらも奴隷制度の歴史を知る手助けになります。この附録解説は作品社公式サイト内にもPDFでファイル添付されているので、本書を手に取る前に読むことも可能です。

『降りていこう』(作品社)ジェスミン・ウォード著/石川由美子訳

読書『美学への招待 増補版』(中央公論新社)佐々木健一著

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読書『美学への招待 増補版』(中央公論新社)佐々木健一著

移動のお伴用にゲットした新書版。持ち歩くバッグが重くならないように(本が入ってなくてもまあまあ重いのですが)、タイトル指名買いでない場合は、できるだけ文庫サイズか新書サイズの本を物色するよう心がけています。

自分のやってきていること、考え続けていることがどうやら「美学」の範疇なのだと(かなり遅ればせながら)気づいたのは、昨年末に読んだ本のおかげでした。

せっかくなので少し掘り下げてみようと、「美学」キーワードで見つけたのが本書『美学への招待』です。「増補版」とある通り、2004年に初版発刊されたものを、2019年に時代に合わせて大幅にアップデートしたというもので、わたしが手に取ったのは、2024年10月25日付の増補版6版。初版から20年以上が経っているわけですが、まったく古臭さを感じないのは、増補=アップデートによる成果だけではなく、そもそもが根本的・普遍的なことについて書かれている本だからなのだと思いました。

以下、備忘。


  • 人間の創造性が発揮される領域として、科学と並んで藝術が考えられていた、という事実
  • 魅力とは、言葉にならないもの、感ずるよりほかにないもの
  • 藝術の領域が美にあり、その美は感性的に認識される(ドイツの哲学者 A・G・バウムガルテン)
  • 人格形成への美の影響
  • 美は物質性と精神性の融合からなる
  • 「美は体験のなかでしか存在しない」という考え方
  • 感覚とは身体の持ち分であり、判断力というような知性の働きとは正反対の事柄
  • 過去の経験の記憶や考え方のパターン、概念的な知識など、多様な要素が現実の鑑賞体験に関与し、それを重層的な和音のようなあり方のものにしている
  • 哲学的な瞑想を行う場所(museumの由来となるラテン語mouseion)
  • 美術とアートとartの違い
  • マスプロダクションとしての複製と、オリジナルをコピーした複製(の違い)
  • 生のなかの藝術
  • 空間を人間化する(イサム・ノグチ)
  • 「永遠」型の藝術
  • 永遠派と現代派
  • 藝術の価値をどこに見出すかという問題
  • 藝術における伎倆の重要性の後退
  • 「幸福の約束」(ネマハス)
  • 「人生に不可欠」(ダントー)
  • 「藝術」ももとは生活世界の一部だった
  • 見てただちに捉えられる「よさ」とは、「美しさ」を措いてほかにありません。

『美学への招待 増補版』(中央公論新社)佐々木健一著より


本書はわたしにとって入門書であり教科書的な一冊となりました。巻末には、ここから先に進みたい場合に参考になる文献一覧と簡潔な紹介文が記してあり、とても親切。少しづつ読んでいきたいと思います。

『美学への招待 増補版』(中央公論新社)佐々木健一著

読書『モナ・リザのニスを剝ぐ』(新潮社)ポール・サン・ブリス著/吉田洋之訳

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『モナ・リザのニスを剝ぐ』(新潮社)ポール・サン・ブリス著/吉田洋之訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から借りて参りました。「アート小説」と呼ばれる分野でわたしがこれまでに一番衝撃を受けたのは、なんといっても原田マハさんの『楽園のカンヴァス』でした。あのあたりから国内でも「アート小説」と呼ばれるようなものが増えてきたように思います。その後もマハさんの著作はほぼすべて読破しましたし、別の著者の著作も読んできていますが、今回久しぶりに「おおー!」というものに出会い、かなりワクワクしています。

本書のタイトルを見て思いだしたのが、『最後のダ・ヴィンチの真実』でした。2020年11月に読んだノンフィクション。これを読んでいたことは、『モナ・リザのニスを剥ぐ』の物語をより深読みする役に立ったような気がします。どちらも、美術作品の価値について、考えさせられる物語です。

内容とは別に、なんとなく文章の調子に既視感があるな、と思いながら読んでいました。新潮社の公式サイトで本書の紹介欄を見て納得。著者は本作がデビュー作(!)ということでしたが、訳者の吉田洋之さんの文章を、過去に『青いバステル画の男』『赤いモレスキンの女』(いずれも新潮社)で読んでいたので、なんとなく既視感を感じたのだと思います。わたしにはとても読みやすく、親近感の持てる訳でした。新潮社サイトでの、本書への書評(東京都美術館館長・高橋明也氏による)も読みごたえがあります。美術愛好家、美術館関係者の方々には、きっと響くところがあると思います。

それにしても、ポール・サン・ブリス氏はこれがデビュー作であり、映像作家・アートディレクターでもあるということですので、これからまたアート小説を書いてくれるのではないかと、とっても期待しています^^

『モナ・リザのニスを剝ぐ』(新潮社)ポール・サン・ブリス著/吉田洋之訳

読書『この星のソウル』(新潮社)黒川創著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『この星のソウル』(新潮社)黒川創著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から借りてきた一冊。新刊棚から本を選ぶときは、「前情報」を持っていない本を手に取ることがほとんどです。そのおかげで、これまで読んだことのなかった作家さんの本を手にすることが出来ます。黒川創さんの著書も、初めまして(たぶん)!と思ったら、4年ほど前に読んでいました。

さて『この星のソウル』。1981年と1994年に韓国のソウルを訪れた経験を持つ主人公が、2024年の時点から当時を振り返る物語です。ただし、李朝最後の王・高宗とその王妃である閔妃の生涯とその時代の出来事に触れながら、というのが、一筋縄ではないところ。高宗の妃・閔妃は1895年に日本の官僚と軍人によって惨殺されています。彼らの生きた時代を考えるということは、すなわち日清・日露の戦争のこと、朝鮮を植民地化しようとした日本が彼の地で、あるいは日本国内で、彼の地の人々に対して何をしたのかを、見つめ直すということになります。

日本と朝鮮半島との間で何があったのか、近代史について、韓国や北朝鮮とのかかわりについて、あまりにも無知な自分に気づかされる一冊でした。新潮社の公式サイトでの紹介のなかに「激動の朝鮮史」という言葉が出てきます。それがどのようなものだったのか、主人公の思考のなかにあるものが綴られることによって、読者(わたし)は知ることになったのですが、残酷・残虐な歴史が淡々とした文章で語られることで、その痛みの大きさの計り知れなさを感じました。

黒川創さん、すごいですね。さっそく図書館の蔵書を検索。さかのぼって追いかけたいと思います。

『この星のソウル』(新潮社)黒川創著