読書『真珠王の娘』(講談社)藤本ひとみ著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『真珠王の娘』(講談社)藤本ひとみ著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚から、印象的な表紙に手が伸びましたら、久しぶりの、藤本ひとみさんです。前回、藤本ひとみさんの著作追っかけをしたのは、2021年~2022年ごろのこと。そのときは、藤本ひとみさんといえば、のイメージそのまま、ヨーロッパが舞台の歴史ものが中心で、どっぷりとその世界観に浸ったのでした。

本書は日本の近現代を背景としているので、わたしとしては新しい世界を覗き見るような期待感がありました。そして結論から言ってしまうと、その期待以上に読み応えのある一冊でした。写真でお分かりになりますでしょうか、557ページとけっこうな厚さです。が、引き込まれて数日で読破。

読書『真珠王の娘』(講談社)藤本ひとみ著

主人公の女性が強く生きていく姿、というのは、藤本ひとみさんの小説の特徴の一つで、毎回それが楽しみです。本書の主人公もそうでした。が、とても切ない物語でした。登場人物それぞれが魅力的で、映画で観たいような気もします。そして、続きを読みたいという気もします。しばらく読後の余韻に浸れそうです。

それにしてもこのところ、第二次世界大戦前夜から大戦中を題材とした新刊小説がよく目に留まります。わたし個人的には、そのような意図を持って選んでいないのにもかかわらず、たまたま新刊棚で目に留まって、借りてきたら、そうだった、という感じ。それも邦書洋書を問わず、というところが、いまの世界の状態を表しているような気がします。ぱっと思い浮かぶだけでも、『リスボンのブックスパイ』『関心領域』『女の子たち風船爆弾をつくる』と並びます。

藤本ひとみさんの、日本近代史を舞台とした小説がもっと出てくると嬉しいな、などと思いつつ。

『真珠王の娘』(講談社)藤本ひとみ著

読書『ターングラス 鏡映しの殺人』(早川書房)ガレス・ルービン著/越前敏弥訳

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読書『ターングラス 鏡映しの殺人』(早川書房)ガレス・ルービン著/越前敏弥訳

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。あれ?表も裏も表紙?と気になって手に取りました。ただそのときは、それがどういう意味を持つのか、想像もしませんでした。そのままふつうに読み出し、本の真ん中あたりでお話が終わり、まだまだページが残っているところで、おや?となり。その先に進んだら「訳者あとがき」となっていて、頭のなかが???となりつつ、訳者あとがきの解説でようやく「仕組み」に気が付きました。

表と裏の両方から、二つの独立した物語を読むことができるのです。二つの独立した物語ですのでどちらから読んでもOKですが、それぞれの物語が、もう一つの物語の伏線になっている、という凝った作り。上の写真は、早川書房さんの本書紹介ページからお借りしました…どういう作りかをわかってもらうのに、一番良い写真だと思いましたので。そのページ第一声は「ミステリ界騒然!? こんな翻訳ミステリ見たことが無い!」で始まっていますので、わたしが初体験だっただけでなく、業界的にもチャレンジングな試みだったようです。

いろいろな意味でドキドキしながら読みました。1881年のエセックスにあるターングラス館を舞台にした物語と、1939年のカリフォルニアのターングラス館で起こった事件の物語です。いずれも当時の社会的・政治的背景が伝わってきてイメージしやすく、読後に著者がもともとはジャーナリストであるという解説を読んで、なるほど納得しました。ガレス・ルービン氏の著作に、興味が湧いてきましたので、また探してみようと思います。

『ターングラス 鏡映しの殺人』(早川書房)ガレス・ルービン著/越前敏弥訳

読書『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)田中優子著―江戸文化の専門家による解説本。

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読書『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)田中優子著―江戸文化の専門家による解説本。

来る2025年のNHK大河ドラマの主役が「蔦屋重三郎」だということで、ここ1-2年で関連本が続々と刊行されている感があります。わたしがこれまでに読んだのは、小説二冊。いずれも「そんな人がいたんだ!」という驚きをもたらしてくれるものでした。

小説世界で面白さに浸ったあとは、実際のところどうだったの?の検証とまでは言いませんが、専門家のお話を聞きたくなりました。ということで、江戸の文化といえば、田中優子先生。2017年に、当時「法政大学総長」であった先生の講演会を聴きに行くことが出来たのは、思い返すほどにとてもラッキーなことでした。

本書は2024年10月20日刊行です。小説とはまた異なったアプローチでの「蔦屋重三郎の生きた時代」を読むことは、面白いばかりでなく学びになりました。「編集」の意味、「アバター」としての筆名や芸名など、現代のわたしたちの仕事につながるヒントがたくさんです。

『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)田中優子著

読書『「ふつうの暮らし」を美学する』(光文社新書)青田麻未著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『「ふつうの暮らし」を美学する』(光文社新書)青田麻未著

最近、異動のお伴に「新書」を選ぶことが増えています。小説はストーリーに入り込み過ぎて、うっかり電車を乗り過ごしそうになる危険があること、新書だとサイズも厚さも程好いのでバッグが重くなり過ぎないこと、などがその理由です。なかでも光文社新書は、美術系の考察に強いような気がしています。個人的に保存版的位置づけの本に、光文社新書が何冊も入っているもので、本屋さんではまずチェックする場所になりました。

さて『「ふつうの暮らし」を美学する』。サブタイトルに「家から考える「日常美学」入門」とあります。日常美学の入門書、とあります。「日常美学」という学術分野があることを、この本を見るまで知らなかったのですが、その字面から、自分がやろうとしていることに近しいものがあるかもしれないと勝手に想像して、手に取りました。

学術分野としては、哲学の領域に入るようです。たしかに、本文中に引用される何人かの研究者の主張する内容を見ていると、いかにも哲学的な「これは無理矢理でしょ!?」というような論旨展開も多々あり、久しぶり(学生時代ぶり)に哲学の面白さを垣間見ることが出来ました。

著者の言わんとすること、日常美学とは簡単に言うとどんなものなのか、なぜこの本を書いたのかは、序章を読むことで明らかになります。そのなかから、わたしがピンときたのは、

  • 美学は「感性の学」である
  • 美しくない芸術もある
  • そもそも芸術と日常を峻別することができるという前提は、西洋近代に特有のもの
  • 芸術という概念抜きに発展してきた文化
  • 生活のなかで実践される「美」、「芸術」
  • 文化がかたちづくられる以前に、私たちは生きていくなかで自然に感性をはたらかせている

というようなところ。

とにかく新しい分野だということで、帯にも「気鋭の若手研究者による唯一の入門書」とあります。興味のある方は、ぜひ読んでみてくださいね^^

『「ふつうの暮らし」を美学する』(光文社新書)青田麻未著

読書『可及的に、すみやかに』(中央公論新社)山下紘加著

こんいちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『可及的に、すみやかに』(中央公論新社)山下紘加著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。この場所のおかげで、たくさんの「はじめまして」の小説家さんに出会います。ふと気がつけば、そうした作家さんの多くが、わたしよりもお若い方々。だんだんと、そんなふうになってきますね(笑)。そしてこれは洋書・邦書問わずなのですが、すごい!と思ったら若い女性の作家さん、ということが最近とみに増えてきました。

本書の著者、山下紘加さんもそんななかのお一人。と思ったら、2年ほど前に著書『あくてえ』を読んでいましたので、厳密には「はじめまして」ではありませんでした。『あくてえ』は、家族の問題てんこ盛りのヤングケアラーの物語でした。

さて『可及的に、すみやかに』。こちらも家族の問題を扱った中編二編が収録されています。タイトルは『掌中』と、表題にもなっている『可及的に、すみやかに』。ふたつとも「母と子」の関係を描いています。母の目線で「母と息子」を軸に物語が進む『掌中』と、娘であり母である立場から描かれる『可及的に、すみやかに』。どちらも、じりじりとする立場の痛みが伝わってきて、苦しくなりながらも目が離せませんでした。

物語の主人公と読んでいる自分に性格的に重なる部分がまったく無くても、そうなってしまう主人公の追い詰められた感じはなんとなくわかる、というのが、読みながらの感想でした。スマホに残る指紋の跡のこととか、鏡にやつれたおばさんが映っていると思ったら自分だったとか、細かい描写に心当たるところが、登場人物への共感につながります。光が見えそうだと思ったらあっけなくひっくり返されるラスト。むしろ残念な状況が続くことを予感させる終わり方にも、リアリティを感じました。著者追っかけをしてみたいと思います。

『可及的に、すみやかに』(中央公論新社)山下紘加著

「令和6年度デザイン開発ワークショップ」第3回目は、一人(一社)につき一時間の贅沢ブレスト。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

「令和6年度デザイン開発ワークショップ」第3回目は、一人(一社)につき一時間の贅沢ブレスト。

福岡県の新事業支援課の事業のひとつ「デザイン開発ワークショップ」。わたしが参加する北九州地区では、西日本工業大学の梶谷克彦先生、株式会社GKデザイン総研広島の遠藤大輔さん、株式会社宣研の重松依子さんが、アドバイザーを務めてくださっています。昨日はその三回目。参加社数は4社なので、そもそも少数でじっくり取り組める体制なのですが、インフルエンザで2社が欠席となり、いつもにも増して濃い時間となりました。

この日の成果と宿題は、以下5点。

  • エントリーモデル(普及版)作品群としてのシルクスクリーンは、独自のブランディングストーリーを作る。
  • 入口はひとつ(=藤吉憲典)。そのなかで、エントリーモデルからハイエンドモデルへのステップをストーリー化する。
  • なぜこの作品群が生まれたのか?
  • すべての普及版作品に添付することのできるブランドストーリーの小冊子化。
  • 額装・作品のアレンジ→世界観を示す「実際に飾ってある場所」の写真や動画。
藤吉憲典 昇龍

やりたいことに対して、次にすべきことが明らかになるこの時間は、ふだん一人で仕事をしているわたしにとって、とてもありがたく貴重です。次回に向けて、しっかり準備を進めます^^

読書『哀しいカフェのバラード』(新潮社)カーソン・マッカラーズ著 /村上春樹訳/山本容子銅版画

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『哀しいカフェのバラード』(新潮社)カーソン・マッカラーズ著 /村上春樹訳/山本容子銅版画

いつものカメリアステージ図書館新刊棚。本の色合いに惹かれて手に取れば、表紙に並ぶ名前にびっくり。これはとりあえず借りねばならぬ、となりました。というのも、村上春樹さんの訳に、山本容子さんの銅版画による挿絵。実は肝心の著者であるカーソン・マッカラーズさんのお名前は存じませんでしたが、そこはご愛敬ということで^^;

なんとも奇妙な読後感が残るお話でした。結末で誰一人幸せにならないどころか、光も見えない。あとがきに村上春樹さんが「主要登場人物である三人のいずれにも感情移入し難い」というようなことを書いているのですが、まさにその通りなのです。ただしばらくすると、これもまたあとがきに書いてある「登場人物それぞれが抱えている、ある種の欠落」を、自分のなかにも多かれ少なかれ認めることができるからこそ、無視できない小説になっているのだろうと思えてくるのです。

そんなわけで、カーソン・マッカラーズ著に俄然興味が湧いてきました。村上春樹さんの訳で既刊が2冊あるようなので、まずはそちらから読んでみたいと思います。

『哀しいカフェのバラード』(新潮社)カーソン・マッカラーズ著 /村上春樹訳/山本容子銅版画

郷育カレッジ講座「自然と人がともに生きるまちへ」で学んでまいりました。

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

郷育カレッジ講座「自然と人がともに生きるまちへ」で学んでまいりました。

福津市民のための生涯学習システム「郷育カレッジ」。九州工業大学教授で現在(2024-2025年)「日本景観生体学会」の会長を務めておられる、伊藤啓太郎先生の人気講座です。念願かなって参加できました。正式タイトルは、

「自然が人ともに生きるまちへ~世界とふくつの自然・風土・ランドスケープ~」

で、「ふくつの自然・風土の素晴らしさと魅力、環境を育ててゆく方向性について、世界の街や文化を紹介しながら楽しく考えます」(令和6年度郷育カレッジパンフレットより)という講座です。

世界のあちらこちらのプロジェクトに呼ばれ、研究をなさっている伊藤先生。まあとにかく知見が広く、話が面白いです。学術的なことも、わたしたちにわかるようにやさしい話し言葉で説明してくださいました。広く世界の実態に目を向けながら、足元の、自分たちが暮らす場所の課題と、その解決に向けて自分たちに少しでもできることを考える。おかげさまで少しは視野が広がったような気がしました。受講生の皆さんも深くうなずきながらお話に聞き入っておられ、とても良い雰囲気の1時間半でした。

個人的には、この講座で出会った新しいキーワードに、興味をそそられました。

  • 人新世(じんしんせい/ひとしんせい)
  • 万人権(ばんにんけん)
  • ランドスケープからオムニスケープへ

これからこの三つのキーワードに、緩くアンテナを張っていきたいと思います。

講座終了後に、受講生のお一人が「こんなすごい先生が地元にいらっしゃることを知りませんでした」と話しかけてくださいました。郷育カレッジではカリキュラムを検討する際に、「福津市の郷育カレッジだからこそできる講座・やるべき講座」を最も大切にしていますので、このご感想はとても嬉しいものです。そのような講座が実現できるのも、講師を務めてくださる皆さんが、(驚くほど薄謝であるにもかかわらず^^;)地域のためと快く引き受けてくださるからこそ。あらためて、ありがたいなぁと思いました。

読書『大転生時代』(文藝春秋)島田雅彦著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『大転生時代』(文藝春秋)島田雅彦著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚。ド派手な装丁に目を奪われ、タイトルを見て「ん?」となり、著者名を見て「おお!」となり、これはもう借りるしかないでしょうという一冊です。

島田雅彦さんの名前を久しぶりに見ました。島田雅彦さんの著書、大学生の頃とかに何冊か読んでいるはずなのですが、内容をほとんど覚えていません^^;。80年代から90年代にかけて、テレビや雑誌などのメディアでの印象の方が強く残っています。わたしのなかでのイメージは、おしゃれでナルシストで皮肉屋でとっても頭の良い人、というところ。そうそう、「詩のボクシング」でのイメージも大きかったです。

さて『大転生時代』は、これぞザ・エンターテインメントという感じでした。文藝春秋サイトでの紹介によれば「純文学×SF」ジャンル。すぐ目の前の近未来、あるいはわたしが知らないだけですでに始まっているかも知れない現代とも思える設定で、少なからず怖さを感じる物語でもあります。正直なところ、笑えません。

長編です。が、スピード感にのってサクサク読み進みました。あれ?ずいぶん残りページが少なくなってきたけれど、まだ、ストーリー的に完結しないよね?と思うままに最後のページへ。いや、これ絶対続きあるでしょう!?という感じです。困りました(笑)。「完」とも「つづく」とも表記が無いので、表紙のタイトルに「1」とか「上」の文字を探しましたが見当たらず。うーん。

読後の感想は一言「島田さん、続きお願いします!」です^^

『大転生時代』(文藝春秋)島田雅彦著

読書『長い読書』(みすず書房)島田潤一郎著

こんにちは。花祭窯おかみ/アートエデュケーターふじゆりです。

読書『長い読書』(みすず書房)島田潤一郎著

いつものカメリアステージ図書館新刊棚より。タイトルに惹かれました。島田潤一郎さんというお名前には憶えがありませんでしたが、一人出版社「夏葉社」を立ち上げた方と聞いて、その話はなんだか聞き覚えがあるかも、と思ったのでした。11月の初めに本のイベント「BOOK MEETS FUKUOKA 」に足を運び、小さな出版社や、独立系書店が頑張っている姿を感じたところでしたので、個人的にとってもタイムリーな出会い。

さて本書。ジャンルとしては、エッセイなのだと思います。が、単にエッセイと紹介するには足りないような…と思っていたところ、本の背表紙に載っている解説に「散文集」とあって、しっくりきました。本にまつわる考察は果てしなく、いろいろな考え方があるなかで、1つの文章に深くうなずきました。

「たいせつなのは、個人的なことだ。その人にしか感じられないよろこびや悲しみ。あるいは、ほかの人からすればどうでもいいような人間関係。そういうものが守られなければいけない」(『長い読書』島田潤一郎著より)

だからこそ、一人で出版社を立ち上げたのだなぁと。

『長い読書』(みすず書房)島田潤一郎著